束の間の安らぎ
この世界にいることは幸せなことなんだろうか。
夢の中にいるような不思議な感覚は心地よい気もするが、不安定で常にどこか寂しさを伴っている。
辺りを囲んでいる白い霧がそう思わせているのかもしれない。
キヨミたちは学校を目指していた。
おばあちゃんとおじいちゃんとのお別れを一頻り悲しんだ後、マコトが言い出したのだ。
「ぼく、しょうがっこうにいきたかった…
ランドセルかってもらったの
あおくてカッコいいやつ」
マコトの未練、なのだろう。それを叶え、おばあちゃんたちの後を追うつもりだと気付いた。
キヨミにそれを止める術はなかった。
それはケースケもショウも同じこと。
この時すでに各々気付いていたのかもしれない。
この世界での自分達は死と生の間の不確かで不安定なそんざいなのだと。
そうして歩き回った末見つけた学校は廃校と言ってもいい古い木造の二階建て。屋上に建てられた時計塔が学校らしさを醸し出していた。校庭の隅には鉄棒があった。
門の看板は薄汚れていて読みづらかったが、小学校には違いなさそうだ。
何よりマコトが喜んでいたのだから、それでいいと思う。
校舎の中は意外に綺麗だった。自分が通っていた小学校でもないのに懐かしさが充満している。
「すごい!
ひろい!
こくばんだぁ
つくえといすも…」
教室の一つに入るとマコトが興味津々で目を輝かせた。
それを見たケースケが先生の真似事を始めた。
「ほら、そこ!
席につきなさい
授業を始めるぞー」
マコトが一番前の真ん中の席に座るのを見て、キヨミとショウもそれに習う。
「始めに出席をとる
名前を呼ばれたら元気に手をあげて返事をするように
まず、マコト!」
「はい!」
「よーし、いい返事だ」
「次、ショウとキヨミ」
「ちょっと、何で一括り?」
ケースケ先生とマコトのやりとりに微笑ましく見ていたキヨミだが、自分たちの雑な扱いにツッコミを入れた。
ショウもそうだ、そうだ、とキヨミに同調する。
だが、ケースケはエコ贔屓ををやめるつもりはないようだ。
「そこ、うるさいぞ
授業中は静かにしなさい」
「しー、だよ」
マコトにまでそう言われたら静かにするしかない。キヨミとショウは肩をすくめた。
しばらく小学生の授業もどきを堪能したマコトは、校内を探検したいと言い始めた。
無論それを止める者は誰もいない。むしろケースケは率先して俺についてこい、とイキっている。
「マコト君とケースケ君て仲良いね」
「精神年齢が一緒なんじゃないかな」
キヨミとショウは笑い合い、二人の後をついていった。
教室、職員室、音楽室に保健室。次から次へと現れる未知の存在にマコトのテンションは上がる一方だ。
保健室でケースケがマコトの身長を測り始めた。身体検査とのことだ。
その間、キヨミは保健室の掲示板を眺めていた。
『ご飯の前には手を洗いましょう』大きな手とバイ菌と水が書かれたポスターの横に、『水の一生』と書かれた大きな掲示物があった。
雲から雨となった水が地上に降り、川を流れ、浄水場を通り各家庭で使われ、下水場に戻る。そして海へと流れ出てそれが蒸発して又雲となる。
「…動物や人も死ぬとバクテリアに分解されて、土となり草の栄養となって、その草が生き物たちの栄養になるんだよね。
全然違う物になって、回っていく」
キヨミの独り言のような呟きにショウは首を傾げた。
「今の人間は土に戻れないけど、昔はそうだったのかもね」
「土に戻れないの?」
「燃やした遺骨は骨壷に入れられて墓の中に保存されるから、土に触れることはないんだよ。
土の中にいるバクテリアにはどうにもできない。
ただただ風化して、砂みたいになっていくだけ」
それでは墓の中に骨壷が増えていくだけではないか。とキヨミは眉間に皺を寄せた。
人口が増えれば増えるだけ、亡くなる方も増えていく。
だから最近のお墓はマンションみたいになったのか、とテレビCMを思い出した。
そして毎年墓参りしていた祖父の墓を思い起こす。
片田舎の自然に囲まれた墓地の一角。これと言った特徴もなく、四角い墓石に刻まれた名字。
その下に自身の遺骨も入れられたのか。そう思って少しだけ寂しさを感じる。
家には遺影が飾られているのだろうか。
お母さんは、どれだけ私を思い出してくれているだろう。どれだけ悲しんでくれているだろう。
胸の奥がチリチリと痛みを産む。
あまり悲しんでないといいな。
それはそれですごく寂しいが、素直にそう思った。
生きている時間が平均よりずっと短かったから、親孝行なんてこれっぽちも出来ていない。
ならせめて死んだ自分にかまけず、お母さん自身の人生を大事にしてほしい。
お母さんさえその気なら、再婚して再び家族を得ることも可能だ。
もしかしたら、私に妹や弟ができるのかもしれない。
そうして命は繋がっていく。
身体は自然に帰れなくて、生物連鎖の輪から歪にはみ出しても。
空想上の母と義理の父と異父兄弟。三人楽しく暮らしている様を思い描いて、キヨミの頬は緩んだ。