買い出し
相変わらずの白い空。霧状のそれに囲まれている世界にも関わらず、湿度は一定に保たれているようで不快感はない。気温の上がり下がりも少ないように感じる。
それはとても快適なことだ。
しかし、それが身体を持たないからならば、ちょっとだけ不安になる。
キヨミはおばあちゃんの透けた身体を思い出していた。精神体とでもいえばいいのか、想像上の幽霊と変わらない姿。
自分の身体をじっと見ても生前と変わらぬように見える。触れ合うことだってできている。それでもそれが脳の錯覚ではないと証明はできない。
同じ大きさの物でも、周りの存在により大きく見えたり小さく見えたりする。
そんな脳の思い込みはたくさんある。
「今見えてるものが、確かなモノとは限らないんだよね」
小さく呟いた。
少し離れたところではケースケが「これ美味そう」とお菓子を手に取っていた。
ケースケとキヨミは買い出しに来ていた。食材はもちろん着替えや日用品の数々。本当に精神体であれば必要のないものばかり。
考えれば考えるほどドツボにハマり抜け出せなくなる。それに嫌気がさしてため息と共に思考を放棄したのは何度目か。
おばあちゃんはあれから程なくして目を覚まし、その時にはしっかりとした肉体があって、向こう側の景色が透けて見えることもなかった。
本人はあっけらかんとして「あらあら、寝過ぎちゃった」と恥ずかしそうに笑っていた。
それに倣うようにみんな笑ったが、キヨミはうまく笑えた自信が無い。
引き攣った頬が自分でもわかった。
こうして買い出しをかって出たのも気分転換するためだ。
「死んだからって楽になれるわけじゃないんだね」
「何、お前そんな事思ってたの?」
いつの間にやらケースケが隣にいて、口から驚きの声が上がった。
ケースケはそれを悪戯っ子のように笑いお菓子を開けて食べ始める。
「お行儀悪いよ」
「気にすんなよ
それより、死ねば楽になれるって…」
ケースケの言葉を遮るためお菓子を奪った。
「自殺だったのかもね、私」
冷たく言い放ち、スナック菓子を頬張る。
咀嚼すれば、簡単に崩れるそれはしょっぱい。ちっとも美味しく思えなくて、「不味い…」と言ってケースケに突っ返した。
その後見つけたお気に入りのコーヒー飲料で口直しをはかったが、それもやっぱり美味しく感じられず、不機嫌に頬を膨らませた。
それに対してケースケは何か言うわけでもなく、当たり障りのない話をするだけだった。
そんな買い出しの帰り道、ふと気になって、キヨミがケースケに尋ねた。
「人が消えた瞬間に、立ち会ったことあるの?」
答えは想定通りイエス。
ケースケとショウは積極的に人と関わってきたという。
だから急に連絡がつかなくなったケースも多々あるという。
「今考えれば、消えちまったんだよな
でも目の前で見るまでは分からなかった
こう…空気中に溶け込む感じかな…
本人は平然と受け入れてたけど」
「苦しんだりするわけじゃないんだ…」
「そうだな
なんていうか、意識も薄くなっているっていうか…
流れに逆らわず、身を任せてる感じがあったなぁ」
実際自分が消える時、そんなに落ち着いて受け入れられるだろうか。とキヨミは死んだ、と気づいた時のことを思い出す。
案外受け入れるしかない状況下なら、諦めが付くのかもしれない。と結論を出した。
「…そうだとしても、いつ消えるか分からないなんて」
「そうなんだよなー
こればっかはバラバラで
すぐに消えちまったじーさんやばーさんがいる一方、死んでから随分経つだろうに、いまだにいる奴もいてさー」
ケースケはキヨミの歩みを遮るように前へ出て、ニヤリと笑う。
「美空雀、って知ってるか?」
「…戦後最大の歌姫って言われる?」
キヨミが生まれるよりずっと前に亡くなった歌謡界の女王的存在だ。
力強い歌声と美しいリンとした姿は人々を魅了した。しかし歳若くして病死したのだ。
キヨミは詳しくは知らなかったが、死して尚、定期的に特番が組まれるほど人気を保っている。
「そう!この世界で、路上ライブ的な感じでコンサートやってんのを見たんだよ
すごかったぜ
俺の父ちゃんがファンだったから結構曲とか知ってたんだけどさ
アカペラなのにすげぇ迫力なんだよ」
「ちょっと、まって…そんな長いことここに居続けてるってこと?」
キヨミにとっては歴史の教科書に出てくる人と何ら変わらない相手だ。
実際亡くなって40年は経っている。
「そういう例もあるってことだ
ばーちゃんだって、10年以上ここにいる計算になるだろ?」
「それは…そうだけど…」
ここでの寿命も人それぞれなのか。と若干の不平等さを感じた。
「ケースケ君たちはここへきて、どのくらい経つの?」
何気ない質問にケースケは目をパチクリさせる。
それほど突拍子もない質問でもないはずだが、とキヨミが首を傾げると思いもよらない答えが返ってきた。
「わかんねぇ
考えた事もねぇや」
あまりにも楽天すぎるケースケに笑うしかない。答えはきっとショウが知っているだろう、と二人は帰路についた。