おばあちゃんの異常
目が覚めたのにまだ夢の中みたいだ。
ベッドの中から天井を見上げぼんやりとキヨミは思う。
しばらく目を閉じてみたり、ゴロリと無駄に寝返りを打ってみたりしたが、どうあってもこれが現実か、と落胆して起き上がった。
コロン、と一緒に寝てくれたペンギンが転がる。
それを拾い上げてひと撫でしてから出窓に戻した。
キヨミは身支度を整え、一階に降りた。
昨夜騒がしかったその部屋は別の場所のように静まりかえっている。
庭に出れば昨日と同じように花が咲き誇っていた。
「あ、おねぇさん」
背後から聞こえた小さな声の主はマコトで、手には大きなジョウロを抱えている。
「おはよう
水やり?手伝うよ」
キヨミが手を伸ばすとマコトはブンブンと頭を横に振る。
「ぼくのしごとだから」
そう言って水撒きを始めた。
花が水滴を纏ってキラキラと輝く。
「毎日してるの?
えらいね
おばあちゃんはまだ寝てる?」
尋ねるとマコトは空になったジョウロを花壇の脇に置き、キヨミのすぐそばまで寄ってきた。
「あの、あのね…おねぇちゃん
おばあちゃんのことだけど…」
何か言いかけたマコトの言葉はキヨミの耳を左から右へと抜けてしまった。
すぐ目の前の道路、ちょうどキヨミがこの世界に来た時にいた場所に、人が現れたからだ。それにキヨミの目は釘付けになった。
空間が歪み、それが人型となり、ポンと生まれ落ちる。
決定的な瞬間を目で見ても頭の処理が追いつかず、口を開けてそれを眺めていた。
現れたその人はひとしきりキョロキョロと辺りの様子を伺うとキヨミから遠ざかるように歩き始めた。
そして白い靄に飲まれて消えた。
「ここらはスポットだから」
そう言ったのは、ケースケだった。
大きなあくびをしてマコトの頭を撫でくりまわし、説明してくれた。
この世界にはいくつか「スポット」と呼ばれる場所があり、そこに死んだ人間が現れるのだ、と。
「だからキヨミに会った時も、待ち伏せてたんだよ」
「そっか、だからここへ来てすぐに声をかけられたんだ」
「そういうこと
キヨミの直前に来た強面のおっさんには声かけらんなかったけどな」
一応声をかける相手は選んでるらしい。
「久しぶりに同年代のキヨミが来てテンションあがったぜ」
その言葉にキヨミは目を半分にして乾いた笑いを浮かべた。
何せ死んだから来たのだ。自分としてはテンションだだ下りである。
そんな会話を切り上げて、朝食をつくることにした。
とはいえ、トーストとスクランブルエッグにレトルトのスープ、という簡単なものだが。
作っている間にケースケはショウを起こしにいったが、出来上がっても降りてくることはなかった。
意外なことにショウは寝起きが悪いらしい。
そちらは無視して、キヨミはマコトとおばあちゃんの様子を見にいく。
「おばあちゃんてよく寝坊するの?」
「あの…あのね、おねぇちゃん」
マコトの返事を待たずに寝室の扉をそっと開ける。
そこには布団に横たわったおばあちゃんがいた。
そんな当然のことにキヨミは目を見開く。
「おばあちゃんね、さいきん、きえそう…なの…」
マコトの言葉通り、薄く透けたあばあちゃんの姿。それは誰もが思い描く幽霊そうのもの。
もう死んでいる、とわかっていたものの、それが目に見えてしまうと動揺を隠せない。
恐る恐る手を伸ばし、声をかけるが、指先が震える。
触れられなかったら、どうしようと心の中で怯えた。
ここにいる人はみんな既に死んでいる。
でも、ご飯を食べ、寝て、話して、笑うのだ。
この世界からも消えてしまうの?
ここが死の終着点でないのなら、この先どこへいくの?
死んでいるはずの心臓がドクリ、ドクリ。大きな音を立てる。その矛盾に気付かず、ただただ恐怖を感じた。
分からないことは恐ろしい。
現世でも分からないことはたくさんあった。でも調べれば大抵の事柄に説明がつけられていた。
死んだ後のことはわかっていなかったが、自分が死ぬとは思っていなかった。
一度死を経験したことにより、また自分の存在が変わってしまうことを恐れた。
「あれ、おばあちゃんまだ寝てるの?」
背後から聞こえたケースケの声に、はっとそちらを見れば半分眠った状態のショウを引き連れていた。
「あ、あのね…」
キヨミは説明しようとするも言葉どころか声もうまく出てくれなかった。
「あー、ばあちゃん、そろそろか」
眉尻を下げたケースケの顔は、初めて見る表情だった。
悲しげでいてどこか諦めたような悲壮感。
死期が近い身内を見守るような顔に、キヨミは泣きたくなった。