国民の義務
「はい、オーケーです。こちらが那由多さんの社会保障番号の控えになります。なくさないでくださいね?」
書類に必要事項を記入した那由多は、異世界人全員に渡しているという社会保障番号の記載されたカードを受け取って一息吐いた。アベルの子孫たちは魔力波長があるから個別に番号を振り分ける必要はないが、異世界人はそうもいかない。那由多も大人しくマイナンバーを頂戴するのだった。
「休憩は取られますか? 大丈夫ですか。それでは、続きまして『アベル国民の心得』についてご説明します。お時間頂きますが、ご拝聴ください」
「『アベル国民の心得』……ですか?」
首を傾げる那由多に、キャディ女史は険しい表情を作った。
「那由多さん。こんなことをいうのは心苦しいですが、母国語を使って頂いて構いませんよ。これからの話を聴いて那由多さんにも疑問質問が浮かんでくると思われますので、普段通りの会話スピードでお話しになられるのがよろしいかと」
「……はあ。聞き苦しかったか?」
ボロは出さなかったはずだが、どこで見破られたのか。
遅い口調で話されて苛立つようでは務まらない仕事だから、たとえ善意だとしても失礼に当たる指摘はしてこないはず。
内心焦りを感じながら、那由多は日本語に戻した。
「いえ、そんなことはありませんでしたよ。むしろ感心していました。伝え間違いのないように現地の言語を使っていたのでしょう? 配慮の心、確かに感じ取りました」
キャディ女史は好意的な解釈を述べたあと、
「ですがご安心ください。世界には自動翻訳魔法という特別な魔法が掛けられています! 翻訳ミスなどあり得ませんから、思ったことを素直にお話しくださいね!」
と、大仰な手振りを交えて言った。
世界魔法、自動翻訳魔法。
誰が掛けたかは不明。
この星にある言語がアベル語のみのため、目的も不明。
原理も仕組みも解明できないまま放置されている、すべてが謎に包まれた特殊な魔法。
時々やってくる転生者のために神様が掛けたのではないか、と一部の人間に目されている――
記事で以下の内容を読んだ那由多は、また未知のものが増えやがった、とうんざりしていたものだ。
キャディ女史ならあるいは詳しいのかもしれないが、手続きの最中である以上手番は向こうにあった。
「では説明していきますね。『アベル国民の心得』と銘打っていますが、つまるところ国民の義務ですね。アベル国民として生きる以上は守らねばならない義務についてお話しますので、質問をその都度交えつつお聴きください」
アベル国民の心得。これも某サイトに要注意事項として載っていた項目だ。内容は頭に入っているものの、那由多は心して聴いた。
「まず、アベル国民には三つの心得を備える必要があります。勤労の心得、納税の心得、そして自由成長の心得。この三つですね。一つ一つ解説していきます。
一つ、勤労の心得。すべて国民は勤労の権利を有し、義務を負う。働かざる者食うべからず、ですね。この国で生きる以上は、働いてお金を稼いでいただく必要があります。
一つ、納税の心得。すべて国民は納税の義務を負い、これを払うものとする。税金がなければ国は国家の体を維持することはできません。国家として安全を保障する代わりに、納税して頂いてアベル国を支えて頂く必要があります。
一つ、自由成長の心得。すべて国民は子女の成長を促し、教育を施す義務を負う。我が子を食べさせ、学校に入れてあげるのは当たり前。他人の子であっても、今後この国を担っていく大事な子孫であることに変わりありません。ともに成長を見守りましょう。アベルの子孫は私の血縁。異世界の方であるあなたが課されることに疑問はおありでしょうが、これは同時にあなた方も受け取れる権利でもあるのです。
さて、質問はありますか?」
アベル国民の心得は、日本における国民の三大義務に似通ったものだ。通常、よその国では勤労の義務はなく、代わりに国防の義務がある。働かなくても不労収入があれば納税は果たされ、国営に影響はない。一方で防衛費が掛かるから兵隊になれとまでは言わないが費用の一部を賄う義務がある。戦争を放棄した日本でなければ四大義務になるはずだった、第四の要素だ。
ここアベル統一国では惑星丸々統一国家であるために敵国になる対象がないため、防衛費は不要となる。そんなアベル統一国に勤労の義務が課されるのは、国民に遊びを持たせて堕落させない以上になにか強い意思を感じる。
ただまあ、今回触れるべきはそこではない。わざわざ強い誘導を掛けられたので、那由多は乗っかることにした。
「自由成長の心得が俺たちにも受け取れる権利ってなんだ? まさか、俺たちも教育を受けられるってのか?」
正解を知っていて答えを回答するシュールさは耐え難いが、いまは我慢のときだ。那由多は表情筋のコントロールから声色の変化まで徹底的に気を遣いながら言葉を紡ぐ。
「その通り! 素晴らしいです那由多さん。そうなんですよ、あなた方には教育を受ける権利が与えられるのです!」
大仰な喜び方をするジュリア女史。これではタヌキとキツネの化かし合いだ。
「義務教育である小学校レベルから高等教育を施す大学まで、学力に応じて入学が可能です。そしてなんと、国から補助金が出るんです! これは大きいですよー、生活費には十分な金額が出ますので、糊口をしのぐ目的だとしても、純粋に学力を高めたい目的でも、せめて高校、いえ大学を卒業してから博士課程に進んで頂いて、丸々九年間勉強コースなんて最高ですね! 勤勉な学生をアベル国は歓迎しますよ!」
話だけ聞けばなんと素晴らしいことか。
デンマークでは学生でいれば国から補助金が出るために就職せず留年までする輩がいると聞いたことがあるが、アベル国ではむしろ学生でいることを推奨しているではないか。
ただ、落とし穴というものはいつだって見上げているから引っ掛かるものだ。
「義務教育ってあったが、俺たちも受ける必要があるのか?」
「はい、ございます。最低限の読み書きから一般常識を教え込む場ですので、異世界の方は年齢問わず一度入学して頂く必要があります。学年は全部で六学年、異世界の方には四年次からスタートですね。各学年で筆記試験を受けて頂いて、合格したら昇級、六年次を合格したら晴れて卒業となり、中学高校大学各学校の受験資格を得られますよ」
要は最低三年間小学校に通え、という話だ。
義務教育のためとはいえ小学校に通わねばならないというのは、一度その道を通ってきた大人からすれば罰ゲームでしかない。一部の人間にとってはご褒美なのかもしれないが、那由多にそんな趣味はなかった。
「いい年こいて小学生からやり直しかよ……」
「アベル語さえ覚えてしまえばだいたいなんとかなりますから心配は無用ですよ。そもそも既にアベル文字を書ける那由多さんなら問題はないかと」
「いやそういう問題じゃなくて」
「十分頭が良いんですから、自信を持ってください。ね?」
嫌味かこの女、とは口が裂けても言えない。
片言外国人作戦は痛み分けに終わった。
何故だか頭が良いなどと見做されているし、一番の問題点は実はここなのかもしれない。
「ご安心ください、那由多さんが懸念されていることでしたら、私たちも異世界の方々への配慮はあります」
「配慮、ね」
種が割れていても辛いものは辛い。
那由多はがっくりと肩を落としながら、キャディの説明の続きを聞き届けるのだった。