実は守護神でした
「……ただいまニート神」
「おかえり那由多。どうだった? 異世界をはじめて散歩してみて」
「とりあえずファンタジーなんざクソくらえってことだけはわかった。あと筋肉ダルマのハゲ漫画家にろくな輩はいない」
サンダルを蹴飛ばす勢いで脱ぎ、帰宅して早々に那由多は床へと突っ伏す。
初日から濃い出会いだった。おかげで異世界のことに少し詳しくなれたが、奇縁と疲労感という名の代償は高くついた。
何だったら寝落ちするまで酒を呷りたいところだが、過ぎた話だ。捨て置こう。
それより大事なのは、これからの話だ。と言いたいところだが、実は話はその前段階にある。
人と話をするからには、どんな体勢であれ相手に向き合う姿勢というものが要求されるものだ。
「なあ、んなもんどっから引っ張り出してきた?」
那由多は寝転がってこちらを一顧だにしないミーナに詰め寄った。
より正確には、ファミコンやゲームボーイといったレトロゲームに囲まれながら、モニターにかじりついてゲームに興じているミーナに、だ。
「街中で転送装置を見かけたでしょ。原理はあれと同じで、ボクの宝物を地球が燃える前に移しておいたんだ」
「で、これがお宝ってか」
ニート希望の神様め、テレビゲームに囲まれて悦に浸ってやがる。キラキラした笑顔で「うん、そうだよ」とか言ってんじゃねえ。
何もない部屋の一角に引きこもり専用の空間が出来上がっていたことに言葉が出ない。こうも堂々と確信犯の動きをされては、怒る気も失せた。
「つーかお前、魔法使えるのか」
ニーナは一瞬だけ振り返る。
「違うよ、ボクのは奇跡」
短くそう抗議すると、すぐさま画面へと視線を戻した。
はあ、奇跡ねえ。
傍目にはどちらも変わらないので魔法だろうが奇跡だろうが那由多には関係ないのだが、
「な、なんなのさ」
「ソファどころか座布団すらねえんだ。クッション代わりに使ってなにが悪い」
ゲームに夢中なのをいいことに寝転がるミーナの尻を肘置きにした。
最初は身じろぎしていたミーナだったが、嘆息するとすぐに画面へと集中しだした。
「下手だなお前」
「くすんくすん、後ろのパートナーがいじめてくるよお」
ミーナの腕前は集中力の有無を抜きにしても褒められたものではなかった。某配管工が亀に激突して身体を半分に縮めている。なにもすべての神が万能ではないだろうが、はじめてゲームをプレイする子供と同レベルなのはいかがなものか。
ひとまずゲームをやめないお子様への制裁は済んだのでこれで良しとする。
ニート希望の件を咎めないだけ、まだ優しさがあるというものだ。
「ところでそのモニター、魔導ディスプレイって代物か?」
「え? うん。似たようなものだけど」
中型テレビほどの大きさのモニターは、レトロゲームから伸びるコードと繋がっている一方で、コンセントに刺さってはいなかった。そもそも室内にプラグ受けらしきものが見当たらない。レトロゲームの差込プラグも床上に投げ出されているのに、ゲームは起動している。不思議、の一言で処理するには奇怪が過ぎる光景だが、優先すべきはモニターの件だ。
「それ、どっかで売ってるのか? ハゲが出したときには、なんつーか微粒子をかき集めて薄っぺらいモニターを作ったように見えたんだが」
「んと、ちょっと待ってて」
ミーナは無造作に手を振ると、瞬時にモニターを出現させた。無詠唱、かつハゲのときより画面が出来上がるのが早かったのは、伊達に神様やってないからか。
「はい、できたよ。製作費無料、通信費もタダ。電気代要らずの最強魔法。通称、魔導ディスプレイだよ」
「電機メーカーも通信会社も真っ青だな。地球にあったら日本の産業の半分はぶっ潰れらあ。つーかやっぱり魔法使ってんじゃねえか」
「違う違う。ボクのは奇跡。これ奇跡ディスプレイだから」
どうにもそこだけは譲れないらしい。頑固なものだった。
「これ、俺にも使えるのか?」
「ディスプレイを作るのは無理だよ。那由多の身体には魔法を行使するのに必要な魔力を生成する組織が備わってないから。でも、他の人が作ったディスプレイを操作するのは簡単だよ」
「さらっと魔法使えない宣告されて俺の異世界ファンタジーが完全に終わっちまったんだが……」
希望もなにもあったものではない。
地球を救う勇者がチートも魔法もなしにどう戦えというのか。
「ま、他人のでも使えりゃいいや」
ただし、それはそれ、これはこれ。
できないことよりできること。
意味のわからない魔法より便利な道具が手に入ったことの方が遥かに重要だ。
「これ、どう操作するんだ?」
紙のように軽いディスプレイをひらひらと仰ぎながら、那由多は問う。
「基本はタッチ操作だね。スマホと操作性は変わらないから簡単だよ。あとは音声認識や視線やハンドジェスチャーでの操作もできるよ。あ、地球の言語には対応してないはずだから使いたいならアベル語覚えてね。視線操作もコツがいるから最初は苦労するかも」
「なに、どっちもすぐに慣れる」
パネルに触れて操作をはじめると、初期画面はスマホと同じく、アプリがずらりと並んでいた。アベル語という未知の言語が使用されているものの、アイコンがわかりやすいのでだいたいは勘でいける。
色々と試してみて使えると確信した那由多は、
「よし。同じのを百台もらおうか」
「気軽に言ってくれるね。別に難しくないからいいけど」
吹っかけるつもりの要求があっさりと通ったことに何とも言えない渋面を晒した。
ミーナが空中にディスプレイを作っては投げ、作っては投げ。さほど広くないアパートの中空に、大量のディスプレイを漂わせた。
那由多はそれらをせっせと拾い、半球の形になるよう配置する。その場に留まる性質があるディスプレイは宙に浮いたままどこかに飛んでいってしまうことはなく、簡単に理想の配置を作り出すことができた。
百のディスプレイでできたドーム。
那由多は、ドームの中心に座ると、画面を一斉に起動させた。
両手を忙しなく動かし、主に検索エンジンを駆使しながら常に複数台を操作し続ける。
「――早速おでましだね、那由多のチートが。ボクはこれが見たかったんだ」
「なに言ってんだ、こんなのチートでもなんでもねえよ」
気付けばミーナはゲーム画面をポーズさせて、起き上がっていた。
「――完全記憶能力。一度見たものは絶対に忘れない、奇跡の人間。中でもキミは多くの派生能力を獲得したオンリーワンの存在さ。そんなキミがただの酒飲みだなんて、悪い冗談だよね」
ミーナは那由多の肩にしなだれかかり、頬を寄せる。
同じ目線になって、半球形の液晶群と対峙する。
そこに広がる光景は、なんとえげつない情報量か。
「こんなの、ボクじゃ頭が追いつかないよ。どうかしてる」
「バカ言うな、俺だって追いつく情報量じゃねえっての。大半は視界の中に入れているだけだ」
「データのインプット中なんだね。後で暇なときに見返すために」
ミーナの指摘に、那由多はそっけなく「まあな」と答えた。
那由多の有する記憶能力は、録画していたテレビ番組のようにかつて見た映像をリプレイすることができる。その気になれば、百分割されたモニターの一つを特定の場面から再生することも可能だ。
これがミーナの言うところの派生能力なのだろう。那由多からすれば退屈しのぎに録画しておいた番組を視聴するのと変わりないから、高く評価されてもそれはそれで困るのだが。
「並行してアベル語の学習に励んでいるんだね。へえ、アベル語の日本語直訳なんてページがあるんだ。どうやって見つけたの?」
「親切な先駆者様が俺みたいな現代っ子のためにわかりやすい誘導かけてくれたんだろ。勤勉な日本人の転生者がいてくれて助かったぜ」
会話しながら那由多は次々と画面を変えていく。ひとつは動画、ひとつはラジオ。それぞれ左右の耳から聞いて、多数のニュース記事と百科事典サイトに目を通す。
早速見つけた主軸の言語学習サイトは、三画面展開して絶えずページを切り替えていく。
無茶苦茶な量の情報処理。そして、記憶。
目にも止まらぬ高速学習。ある人に『AIが自己学習をしている』と言わしめた、那由多オリジナルの学習方法だ。
やっていることは本を斜め読みしているのと変わらないのでカッコつけるつもりはないが、斜め読みで内容を丸暗記し、かつ記憶を引き出せるように整理しているのだから、常人に真似できることではない。
那由多も当然、自身の記憶力が普通でないことはよくよく知っている。
だから自分を基準にすることはまずないのだが、不意に沸き起こった疑問が那由多の中で鎌首をもたげた。
「しっかし、神様でもこの情報量は一度に処理できないんだな」
人間より上位の存在でも、頭の回転速度はそれほどでもないのか。
全知全能の神ならば、記憶力なんて遥かにずば抜けていそうなものだが。
「幻滅した? でも、下界した神様なんてそんなものだよ。地球にいた頃ならできたかもしれないけど、人の身体に収まった以上はスペックも人並みにしか発揮できなくなるしね。奇跡に頼れば少しはマシになるけど、この身体だとねえ」
と、頬をくっつけてきたミーナに否定される。
いい加減暑苦しくて鬱陶しくなってきたが、話はそれどころではない。
「元は人の形してなかったみたいな言い回しだな」
「そうだよ?」
頬から体温を伝えてくるミーナは、しれっと人型がベースではないことを白状した。
「本来、ボクたちは肉体を持たない存在なんだ。いわゆる精神体だね。イメージとしては世界中に霧をまき散らして、空気中を漂う水の粒の一滴一滴に意識が宿っている感じかな。どこにでもいる羽虫が集合意識を持ったような存在、って方が適切かも」
「例え方下手くそかよ」
虫を掻き集めて人型のにこごりに成型した姿を想像して、那由多は舌を出した。
スケールの大きな話のはずなのに、これでは台無しだ。
「そういうわけだから、ある意味ボクって生まれたてなんだよね。いやー、面白いね、人の身体って。こうして触れ合ってると、なんだか落ち着いてくるんだよね。あったかいのって素敵だね」
「そりゃようござんす」
頬を擦り付けられて、那由多はもはや何も言うまいと投げ出した。
受肉したばかりの存在は赤子に近い性質を持っているのか、人肌の温もりに飢えているようだ。ならばもう、好きにさせてやるしかあるまい。多少の暑さはこの際我慢だ。
そうして頬を貸すこと、約十分。
しばらくすれば飽きてゲームに戻るだろうといった予想は外れ、ミーナはニコニコしながら絶えず変化するモニター群に熱視線を送っていた。
こいつさては、人がゲームしているのを見ている方が好きな性質か。
一向に離れようとしない神様に那由多は、
「時にミーナ、俺以外の転生者ってどうした? 日本から俺より先に来たやつがいるみたいだし、結構あちこちで地球再生のための活動って進んでんのか?」
藪から棒に話題を繰り出した。
「あー……那由多。そのことなんだけど」
言い淀んだ時点で嫌悪感丸出しの汚い顔を作るが、ミーナからは見えていない。
「実はボクの管轄はキミ一人だけなんだよね。だから余所のことはわかりませんごめんなさい」
「管轄ってなんじゃい! 他にも地球に神様がいてそいつらとは連携取れてませんとでも言いてえのかおらあっ!」
「ひいっ!? だから一足飛びに正解言うのやめてよお……」
驚いたミーナは猫のように跳ね退いたが、再び那由多のもとへとにじり寄る。
「えっと……地球にはね、役割に応じた神が在位していたんだ。
生物が生存できるよう気温の調節や大気の調整なんかを行う環境神、知的生命体の進化を促すべく知識を授ける知識神、あらゆる生ある者に祝福をもたらす地母神って具合にね。
ボクはすぐ下界しちゃったからわからないけど、他の神も転生者を送り込むなり下界するなりして行動してるはずだよ」
「そうか。随分と生き物に手厚い連中なんだな、神様ってのは」
「命を繋いでいくのも神の仕事だからね。手助けするのは当然だよ」
大層なことで。
本気で生命と寄り添おうとしているミーナに感心した那由多は、
「それで、ミーナは何の神様やってんだ?」
「う……ボク? ボクはしゅ、守護神……だよ? 近距離での超新星爆発やガンマ線バーストなんかから星そのものを守ってきたんだ」
「スケールでかすぎねえ? どうやるんだよそんなこと」
いよいよ話の規模についていけなくなり、口をへの字に曲げた。
「そこは確率操作でうまいことやるんだよ。無人の小惑星とかを使って、バレないようにこっそりと」
「こっそりとやっていいことじゃねえだろそれ」喉から手が出るほど欲しい英知の結晶じゃねえか。
「つーか、よりによって守護神か。そうかそうか」
「あー」
耳と耳がぶつかる。ミーナが顔を逸らしたのだろう。
だが那由多は容赦しない。自己紹介で神だと名乗るのを言いよどんだ理由は、
「巨大隕石地球に落としといて守護神か」
「あーあー」
「確率操作で隕石の軌道逸らせないで地球上の生物全滅させちまったてめえが守護神を名乗るとはなあ!」
「あーあーあー聞こえなーい!」
ミーナは床に突っ伏して耳を塞いだ。子供か。
星を守れなかった守護神という、実に虚しい肩書き。
なるほど自分の身も守れなさそうな守護神の有様に那由多は白い目を向けるが、
「だから下手くそかっての。そんな演技じゃ言葉攻めする気にもならねえよ」
その理由は隕石の件ではなくおざなりな演技力にあった。
「……なんのことかなー? 星を守れなかった情けない守護神だよ? いくらでも罵っていいんだよ?」
「誰かに非難されたい気持ちはわかるが、俺相手に要求すんな。金払ってるわけでもねえのに勝手に守ってくれてた親切なやつがたまたま今回防げなかったからって、石をぶつけるやつがいるかよ」
「うう、なんでこういうときだけ優しくするのさー……」
がっくりとうなだれるミーナに、いよいよ那由多は呆れ果てた。ゲームにしろ演技にしろ、この守護神は下手が過ぎる。おそらく人間的な部分の大半は、子供と同レベルなのだろう。
なので、那由多は子供に諭すのと同じように目線を合わせて言った。
「だってなあ。いきなり隕石降らされたんじゃ、防ぐ暇もなかっただろ」
「――ん。那由多は、どこまで予想がついてるの?」
すっとミーナが冷静に戻る。子供扱いしてもこの返し。根幹である神の部分は大人びているのだろう、食えないやつだ。
那由多は話題の方に意識を切り替えると、自分の考えを口にする。
「この星の人間の中に犯人がいるってのが第一候補だ。短絡的過ぎたか?」
「んーん、合ってるよ。一応、どうしてそう考えたのか経緯を訊いてもいいかな?」
視線をドームに戻した那由多は、後ろから再びミーナが抱きついてきたことに懲りないやつ、と呆れながらも「いいぜ」と請け合った。
「まず絶対条件として外せねえのが、隕石が落ちてきたのは人為的な意図あってのものだってことだ。どんな魔法かは知らねえがな」
「宇宙観測所っつーけったいな施設が主要国家にいくつかあったのは知ってるか? そこの連中は隕石の脅威を充分理解してたからな、地球に落ちてきそうなのを昼夜問わず何百何千と監視してたんだよ。あんなでけえ隕石、見落とすはずがねえわな。
だったら連日ニュースで大騒ぎだ。これから地球は滅亡する! ってな。ま、報道規制はするだろうが、ミサイル撃つなりして軌道を逸らすために世界中が全力出さなきゃいけねえんだ。どっかしらで必ずボロが出る。少なくとも、俺に情報が入ってこないなんてことはあり得ねえ。
じゃあどっから隕石飛んできたんだってなりゃ、そりゃ突然現れたんだろうよ。
消える魔球よろしく途中の空間をすっ飛ばしてきたのか、俺たち地球の人間の時間をすっ飛ばしたのか。宇宙上の石ころ巨大化させる手や、透明化で隠すなんて手段もあるかもな。他にも夢物語みてえな方法はいくつか思いつくが、それよか先に実際に人がワープしていく装置を見ちまったからな。
この星に住む魔法使いなら、隕石をワープさせることだってできるって考えるのが自然な流れだわな。神様の仕業でもねえってんなら、なおさらなあ?」
地球人が紡いできた経験と技術から得られた確定要素と、非現実的な現象を現実にしている未知の存在、魔法。
二つの要素が掛け合わされば、自ずと答えは見えてくるものだ。
もちろん更に魔法が発展した別世界の人間や神様が登場してくれば話は別だが、少なくとも後者は神様自身が否定した。ならば素直に本線を追うのが筋だろう。
「すごいよねえ。ほんのちょっと前までは望遠鏡も持ってなかったのに、あっという間に地球外の異変に気付けるようになったんだから。だから、人間は面白いんだ」
望遠鏡が発明されたのは何百年も昔の話なんだけどな。
那由多はそうツッコみたくなったが、楽しそうにしているミーナの手前、話の腰を折るのは控えた。
「詳しくは言えないけど、この星特有の魔法の痕跡があの隕石から検出されたんだ。間違いなく犯人はこの星の出身だよ」
最早、どうやって検出したのかも、詳しく言えない理由も訊ねる気は起きない。那由多は「そうか」とだけ呟き、神様同士の契約上の都合とでも見做して目を瞑った。
とにかくミーナに確認が取れた。それだけでいいのだ。
ただの小娘による絵空事を疑わないのかって?
冗談じゃない。
ミーナの目を見れば嘘を言っていないことぐらい手に取るようにわかる。誰が疑うものか。
「ん? 顔になんかついてる?」
「なんでもねえよ」
至近距離で目を合わせても動じない神様に、那由多は嘆息しながらモニター群に視線を戻す。
さっさとゲームに戻ってくれねえかなあ、と引っ付いたまま離れてくれない神様を少しばかり鬱陶しく感じながら、手と頭を高速回転させ続けるのだった。