生活に寄り添う魔法
ひび割れたアスファルトを踏みしめて那由多は往く。
アパートの立ち並ぶ住宅街を太陽が照らす。日が傾いて少しばかり気温は下がったが、未だ暑いことに変わりはない。東京郊外の一角にあるようなコンクリートジャングルの中で、汗に濡れた無地のシャツが乾く気配はない。
どこまでも続く日本の郊外のような風景。だが、その実態はわずかに、それでいて確実に異なっている。
細かい部分はさておき、那由多が最初に着目したのは建築様式だ。日本従来の鉄筋コンクリートも、外装の造りも、あれで中々癖のある代物だ。建築会社ごとに形式が変わっていて、支柱の位置から換気扇の設置場所まで、かなり各社の色が出てくる。ただし、大きな枠組みから外れることは滅多にない。土台がこの狭さだから建造物の高さはこう、陽光の角度から窓の位置はこう、といった約束事は、どんな建築家であれ基本的には守るものだ。
しかし、この街のアパートは違う。向きは滅茶苦茶、建築法などあってないかのような個性を剥き出しにしたデザインとカラー、土台からの効率を無視した頭でっかちな設計。まるで、無茶が通るとわかっているからこそ遊んだデザイナーたちのアイデアの掃き溜めのような建築物の連続だ。それらが平然と街の一角を埋めているのだから、この世界は地球のそれとは違っていることがよくわかるし、中々に感性が狂っているのも伝わってくる。バブル期の産物などといった負の財産であればまだ良いのだが。
また、最も大きく異なる点として街中に電柱が見当たらない事柄が挙げられる。地中にケーブルが埋められているのだろうか。街灯が点在しているため最初はそう当たりをつけていたが、思い返せばアパートの室内にはコンセントに該当する装置が見当たらなかった。まさか、完全コードレスによる電力供給装置が稼働しているとでもいうのか。でなければ、未知の力か。幸い魔法なる芳しいものがこの世界にはあるそうなので、膨らませる想像力に際限はない。
道路に標識や白線の類いが置かれていないのも大きな疑問だ。車、ないし車に代わる交通手段がないのだろうか。もしくは歩行者天国か? いずれにせよ、これだけ文明が発達している世界で、ましてやアスファルトで舗装された地面がありながら、車輪の発明だけ遅れているとは考えがたい。一体どんな理由があるのか、謎は尽きることがない。
周辺を散策していると、やがて異世界人と巡り会えた。異世界といっても街往く人々の姿かたちは平凡なもので、背丈は大きすぎず小さすぎず、獣耳が生えていることもない。服装も日本で見かけられたものと大きな違いはなく、季節感に合ったラフな格好の人々が通路に点在していた。
一つ、彼らに汗を掻いている様子がないのは気になったが、それ以外に特におかしな光景は見受けられない。
ちょうど良いので那由多は人の流れに乗っかって移動する。人の集まるところに食事処あり。文明ある土地ならどこでも通用する法則だ。
不意に、すれ違った若い男女の会話が聞こえた。「晩ご飯食べてくわよね?」「もちろん!」といった仲睦まじいカップルの一コマだったが、はて。
どうして、その会話が日本語でやりとりされているように聞こえたのか。
気になって別の集団の会話を盗み聞きしていると、確かに聞こえてくるたわいない日本語での応酬。
しかし、あり得ないのだ。
口の形が、発音が、決して日本語のそれではない。聴覚が捕らえた音とまるで連動性がない。
よもや自動翻訳とでも言うのだろうか。街中で、それらしい機械も見当たらないのに?
そもそも翻訳されているにしても元となった言語での発音も聞こえてこなければおかしいのにそれすらない。一体なぜ?
ショックを受ける那由多に、次なる衝撃が襲ってくる。
屋根より高いラインを水平に飛ぶスーツ姿の若者がいた。
翼があるわけでも、頭にプロペラが生えているわけでも、エアーを放出する機械を背負っているわけでもない。ビジネスバッグらしきものを持って、前傾姿勢のまま、推定時速70キロメートルの等速直線運動を続けていた。
重力を無視したその動きは、認めよう。明らかに、魔法によるものだと。
遂に折れた那由多を待ち受けていたのは、電話ボックスのような透明な箱だった。
中に人が入った次の瞬間には中の人が消え、別の箱からはいきなり人が現れてを繰り返していた。
光の屈折で箱の中が透明に見える手品を思い出したが、まさか異世界人を驚かせるためだけに斯様な動きをしているはずはあるまい。地下に繋がる道があるのでは、と強引に可能性を広げようともしたが、人が一瞬にして消える理由を考えれば答えは明白だった。
――転送装置。
この世界では、人体を転送できる代物が一般大衆の生活に寄り添う形で運用されている。
なんてこった。
アベル統一国だったか。魔法がある異世界だと聞かされてはいたが、こうもその実在を強く意識させられるとは。
実際に目の当たりにするまでは半信半疑だったが、街中の至るところで非現実的な光景が広がっていれば実感も沸こうものだ。
車が一台も通らない代わりに空飛ぶ人間が上空を通り。
電柱や電線がない代わりに転送装置があるのであれば。
ましてや、自分にとっては未知であるはずの言語が理解できる言葉として聞こえてきたなら。
それはもう、魔法のようなものだ。
たとえ地球より進んだ科学技術の結晶であったとしても、今の自分にとっては魔法にしか思えない。
この炎天下の中、街往く人々が汗を掻いていなかったのも、魔法の仕業かもしれない。
暑さに強い民族だったとしても限度がある。だから魔法、と短絡的に疑うのが最も那由多の忌避するところだったが、こうも魔法のはびこる世界では疑わない方がおかしくなってしまう。
鉄筋コンクリートでの住居造りが見られる以上、技術レベルは相当なものだ。少なくとも異世界モノでありがちな中世の文化レベルは遥かに超え、なんだったら現代の標準に迫っている。
郊外の一部と思しきここでこの有様なのだから、都市部に行けばどうなってしまうのか。
未知への好奇心と不安感が半々に混ざり合って胸の高鳴りを覚え始めた那由多は、皿とフォークとナイフが描かれた看板を見つけてようやく一安心する。
看板に踊る文字はラテン語のような文字列の並びで、こちらが言葉と違って読めないことに少し残念な気持ちになったが、逆に完全なる万能ではないことがわかってうれしくもあるのだから始末に負えない。
鈴付きの入り口の扉を開け、店内へと入る。
カランカラン、という音に反応したウェイター姿の男性と目が合う。ちょび髭がよく似合う、渋みのある初老の男だ。おおかたこの店のマスターだろう。
カウンターの向こうにいたマスターは一瞬目線を下に下げたが、「どうぞ」とカウンターへと誘導してきた。汗まみれの客に嫌な顔ひとつしなかったのだからありがたい。
席に座ってメニュー表を開く。が、さっきの看板と同様の文字列はやはり読めない。
「お客さん、注文は」
「あー、二千コルでなにか酒と食べ物を。酒は軽いので頼む」
仕方なくマスターのお任せにした。
ほかの客が食べているものの中から気になったものを頼めれば良かったが、時間が浅いためか客はほかに二つ隣に座るガタイの良いハゲのみ。ジョッキに入った炭酸入りの酒を飲んでいるだけで食べ物はなく、確実な手段はこれしかなかった。
注文して間もなく中サイズのジョッキが目の前に置かれた。シャルディです、と差し出されたそれは黄金色の液体が並々注がれていて、エール系のビールに似た香りがした。
ジョッキの淵に口をつけ、液体を喉に流し込む。林檎のような果実の爽やかさとホップのような苦みが融合したそれは一口飲んだだけでわかる間違いのない美味さだ。汗で流れていった水分を補うように全身を駆け巡り、一口、また一口と止めようがなく喉を通り過ぎていく。
半ば、一気飲みをしてしまった。美味かったから仕方がないか。
那由多は間髪入れず「マスター、同じのをもう一杯!」と注文し、やっと引いてきた汗を無作法とわかりつつもおしぼりで拭い、一息つく。
「兄ちゃん、良い飲みっぷりじゃねえか。どこから来た?」
カウンターの向こうでサーバーからシャルディを注いでいるマスターの姿を眺めつつ残りを呑み干していると、隣の客が話しかけてきた。
「ちょい先のアパートだ。先日越してきた」
「じゃなくて、元いた世界だよ。転生者ってやつだろ、おたく」
ひとまず無難な返答を選んだが、男には筒抜けだったようだ。汗だくで不自然な口の動きをしていれば気付かれない方が不自然か。
「転生者ねえ。こっちじゃ結構メジャーなのか?」
「いいや? 俺は初めて見たぜ。けどまあ、兄ちゃんはわかりやす過ぎだ」
「だろうな」
代謝が良いのも困りものだ。
渡された二杯目のジョッキを手に乾杯、とぶつけ合い、再び喉を鳴らしていく。先にジョッキを出されたから思わず乾杯をしたがどうやら合っていたようで、異世界の土地にも同様の文化が根付いていたことに那由多はなんだかうれしくなる。
「ぷはあ! しっかし美味えなこれ、原材料は何なんだ?」
「はっ、来たばっかで知らねえか。待ってろ、いま教えてやる」
男はそう言って中空に手をかざすと、「画面魔法!」と声を上げた。すると、男の前に粒子が集まり、やがてそれらは薄っぺらいモニターを形成した。
「うおっ、なんだそりゃ」
「魔導ディスプレイも知らんのか……それでよく店に入れたな。いや逆か? 店以外の手段がねえってことか」
男はしきりに感心しながら魔導ディスプレイなるものを操作する。タッチパネルと同様の軽快な反応を見せながら画面を変えるそれは、あるページでぴたりと止まった。
「ほら、これだよ。シャルディってのは」
「おおう……」
つい言葉を失ってしまった。
そこに映っていたのは木が二足歩行をするために進化したかのような奇妙なクリーチャーの姿だった。
葉の隙間に赤色の果実を成らしたそいつは根が四本に集約し、大地に根差すことを見事に辞めてしまっている。また、幹の一部が先鋭化し、レイピアのように人を殺せる形状をしていた。まさしく化け物、こんなのが夜道で襲い掛かってきたら小便ちびる自信がある。
「兄ちゃん、モンスターに馴染みはあるか?」那由多が首を横に振るのを見て、「ねえか。こいつは植物系モンスターの中でもそこそこ強いやつなんだが、成ってる果実が酒にするとそこそこイケるモンでな。遺伝子組み換えや品種改良を経て、ここまで美味くなったのよ」
「遺伝子組み換え……モンスターにかよ」
「おうよ。おかげでこうして俺らに美味い酒を提供してくれるって寸法よ」
馬鹿みたいな声量で笑うハゲ。
モンスターよりその声量にビビったが、ゲテモノ食らいの文化など地球でさんざん経験している。ましてや見てくれは普通の酒なんだから、と那由多は二杯目も一気に飲み干した。やはり美味い。
「イケる口じゃねえか。面白えな兄ちゃん、名前は?」
「那由多だ。あんたは?」
「俺はビダルってモンだ。しがない漫画家をやってる」
「そのナリで漫画家かよ。似合わねえな」
「よく言われらあ」ビダルはまったく堪える様子もなく、「でよ、こんな仕事をしてるとネタがいくらあっても困らねえわけよ。例えば、未知の世界の出来事や創作物な。異なる文化、違いのある世界観! その手のモンの話を訊けたら俺としちゃあビシビシ刺激受けてたまらねえんだけどよ」
――いきなり集ってきやがった。酒場の情緒も知らねえのかこいつ。
でもまあ、いいか。他に話せる輩もいないわけだし。
「ったく、しょうがねえなあ」
那由多はため息を吐くと、「一杯奢れよ」と言ってから目を閉じて記憶を掘り起こす。
比喩ではない。文字通り掘り起こすのだ。
関連ワード、記憶した日時、エピソードの内容、そして演出。
紐付された情報を芋づる式に掘り起こし、那由多はゆっくりとまぶたを開く。
今日はあれで決まりだ。
「ではお聴きください。世にも奇妙なストーリーラジオドラマ版第三集四節、『思い出を売る親父』」