カジノの女王
装飾が施された派手な建物の中に入り、長い赤じゅうたんの廊下を抜ける。
途中、タキシード姿のスタッフが頭上に鎮座する少女を前に愕然とした。それも当然だろう、年齢制限のある店で未成年を肩車しながら入店しようとする馬鹿が来たとしか思えないのだから。
カジノ店と一体化したとある米国のホテルでは通路の関係上一度カジノ店を通るしかなく、本来であれば入店禁止のお子様方は配慮として店内に目が行かないよう下を向くなり目隠しするなりして通されるというが、この馬鹿は店内が広々と見渡せるよう堂々と肩車してきた。そんな非常識な輩を前にそれでもプロ根性で態度だけは崩さなかったスタッフも、ティアが専用の機器で魔力波長による身分証明をすることで素っ頓狂な声を上げてしまった。隣で那由多も見ていたが確かにティアは成人だった。異世界、というよりティア恐るべし。
ハプニングはあったものの無事店内に辿り着くと、そこの光景はありきたりな様相を呈していた。中央に設置されたルーレット台に、バカラやブラックジャックといったカードを使う遊技台。ハンドルレバー式のスロットはレトロ感満載で、気取らない昔ながらの回胴音が一帯に鳴り響く。
見るからに一昔前のカジノだった。電子機器なし。ディーラーからなにから大半が人の手。かつてヨーロッパやアメリカで散見された古き良きカジノの姿がそこにあった。
異世界で地球のものと同じ遊戯システムがあるのはおかしいと思うことなかれ。
なにせこの店、オーナーが五十年ほど前に転生してきたディーラーであり、博打に勝ち続けて大金を得た後に故郷にあったものとほぼ同じ店舗を作ったのだという。
アベル統一国では“テールスタイル”(フランス語で地球を意味する)の呼び名で通る地球産のゲームルールを用い、都市の一角を占めるカジノ店として繁盛しているのだそうだ。
フランス語と英語が混ざっているじゃないか、だって? 知ったことか。異国の言語の扱いなどそんなものだ。
「いいね、この雰囲気。やっぱ慣れてる土俵に来ると安心するわ。そのうちアベル式のカジノにも行きてえが、しばらくはここだな」
「テールスタイル――那由多君の故郷のゲームが用意されてるカジノだったかしら。なーんだ、賭博狂いのダメ人間だったのねー。おーよしよし、あたしはなにがあっても那由多君の味方でいるわよー」
ティアが慰めようと硬い髪質の頭を撫でてくる。余計なお世話だ。
那由多は頭上のいたずらに気にも留めず店内を広く観察する。
かれこれ数十分、店内にあるカード類のコーナーに目をやりつつ、ルーレット台やスロット台などあらゆるところの観察に徹していた。
「そろそろやりたいゲーム決まった? 二千五百コルチップ四枚だけにしないで、百コルチップ百枚にしてもらって遊べばいいのに」
「まあ待て。こういうのは最初が肝心なんだよ。どうせなら長く遊んでいたいだろ? そのための下準備なんだよ、この時間は」
ほら吹きのような言い回しをしながら、那由多はルーレット台の一席に着く。最初のゲームはこれしかないと決めていたかのように。
ルーレット台のディーラーとチップの交換を行い、専用チップを手に入れる。頭上の少女姿をした成人プレイヤーには目を剥いていたが、そこはプロ。粛々とチップを取り出し、観察ばかりしていた那由多に笑顔を向ける。ディーラーや回転盤の癖を見抜いて勝率を上げるゲームでもあるので、遠慮のない視線にも慣れたものなのだろう。
席についてすぐ、ボールは投げ込まれた。回転する球に客の視線が殺到する中、ディーラーが追加のベットを受け付ける。ポケットの数は三十七個。ヨーロピアンルーレットと呼ばれるスタイルだ。前情報通り、ルールはオーソドックスなものだった。
那由多は淡々とチップをシート上に置く。選んだ数字は21。何の変哲もない、こだわりもない数字の上になけなしの四枚を賭けた。
ティアが「えっ」と驚いた声を上げる。
無理もない。なにせ、那由多の持つ全チップが投じられたのだから。
しかし、更にその先までは気付けただろうか。
――この金が那由多に残った全財産だということに。
入れー入れーとティアが念じる中、綺麗な軌道を描きながら球は速度を弱めていく。ボールは吸い込まれるように一か所のポケットに入り込み、暴れることなくその一角に収まる。
そこに書かれていた数字は21。
那由多は見事、三十七分の一を掴みとった。
「ホントに入っちゃった」
「ティアの念力のおかげだな。それとも魔法でも使ったか?」
「ないない。カジノには魔素が入り込まないようにしてあるんだから。魔法で悪さなんて絶対無理なのよー」
安全確保ないし不正防止のため魔素のない空間を作り上げるのは、アベル統一国ではよくあることだそうだ。那由多は既知の事柄でありながら実際に目にするまでは信じられなかった魔法禁止のカジノ空間に、やっとニヒルな笑みを漏らす。
魔法のないオールドスタイルのカジノ。これこそ、那由多の主戦場だからだ。
「目立つ行為もここまでな。お嬢ちゃん、これで遊んできなさい」
「わーいパパありがとー」
「誰がパパじゃこちとら未婚じゃ」
ディーラーから渡された専用チップの一部をカジノチップに換え、ティアにそのまま受け渡す。ティアは喜び勇んでスロットコーナーへと消えていった。
これで、店内から掻き集めていた視線は一旦途絶えた。それでも合法ロリを引き連れている人物に興味があるのか一部の人間からの視線を感じるが、那由多は気にせず再び球が放たれるのを待った。
「ただいまー」
「思ったより早かったな。どうだった?」
「スロットで全額すった!」
「やりよるわ。もっといるか?」
「んー、いらないかなー。それより那由多君のを見てたいかも」
那由多の隣にティアが座る。前方の視界が遮られているがお構いなしだ。
「ねー、いまいくらー?」
「ざっと五千万ってとこだな」
「うわーえぐーい」
テーブル上に積み上げられたチップの山。両サイドの客すら自主的にどかせた那由多の勝ち分は、さっきとは別の意味で客の視線を集めていた。
一万コルが五千万コル。倍率五千倍を掴みとったのは、当然実力によるところだ。
ルーレットとは観察勝負である。ディーラーの投げる癖を読み、細かな傷や癖により万の変化をもたらす回転盤の挙動を読み取ることで、球が落ちるゾーンを推測する。これこそが最も勝率を高めるための方法であり、それゆえに見抜くことの難しい技でもある。何分、挙動の変化が小さすぎて気づくのが困難なのだ。一つの台と一体になるまで球を投げ続けたプロのディーラーだけがその台で望む出目を引けるようになり、余所の一流ディーラーでも変化の全ては見抜けないという。
ただし、那由多はできる。
かつて、那由多は一流ディーラーの教示を受けた経験がある。
投げ方のコツから回転盤の挙動の癖の掴み方まで、その人物が教えてくれたこと全てを把握している那由多は、こと賭ける側に立てば一流のディーラー以上の観察力を得ていた。
その的中率、約二割。
スポットの角に弾かれず一発でボールが収まる軌道なら、那由多は本命のマスから前後一マス、合わせて三マス以内までゾーンを絞ることができた。
同時に、回転盤の癖で落ちやすいスポットと落ちにくいスポットも見分けていた。
かつて実在した統計学の教授でもあったとあるプレイヤーは、連日ルーレットの出目を統計して十一パーセントも落ちる特定のマスがあることを発見し、勝者となった。
当然、そんなデータを得るには何日何十日と通い詰めなければならないものだ。
落ちた結果から期待値を割り出していく手法なのだから、結果として現れた大量のデータが要る。
――では、もし傷の形状から入りやすいスポットを分別できるとしたらどうだろうか。
過去に実在した回転盤の傷のデータとスポットに落ちる割合の統計データを照らし合わせ、初見の回転盤であってもおおよそ入りやすいスポットを算出できるとしたら、どうだろうか。
――那由多は、できる。
あまりにも膨大な量の計算。一流のプロが血の汗が滲むような努力をした末に獲得できる勘と呼ばれるもの。一つの回転盤限りの特殊技術。
これを那由多は、完全記憶能力による補完によってたった数十分程度の観察で手に入れることができた。
「黒の二番……わ、当たってる。すごいね、幾らになったの?」
「五十万コルの三十六倍で千八百万コルだ」
那由多の目の前に新しい金色のチップの山が押し出されてくる。
統計と観察を組み合わせた結果得られた勝利の証だ。那由多は臆面なくチップを受け取る。
……もっとも、ディーラーがポケットを狙えるタイプの台は客と結託できてしまう理由から絶滅してしまった。地球上のカジノでは、数字の溝の部分が浅く作られた、ボールが一発でポケットに収まらず転がってしまうタイプの台が主流となっていた。
なので現在では完全に趣味に走った結果のほぼほぼ無駄な技術となるが、どこでリターンがあるかわからないものだ。こうして異世界の賭場で通用しているのだから、世の中捨てたものではない。
「やっぱルーレットが一番だな。基本ルールで三十六倍当選が用意されてるカジノの女王様なんだ、こいつをやり込んで正解だったわ」
「よくわかんないけどやり込むと強くなれるの?」
「あたぼうよ。極めれば毎ゲーム三十六倍をゲットできるようになる。コスモってやつだな」
んなわけねーだろ! と周囲から殺意のこもった視線が飛んでくるがどこ吹く風だ。那由多は背伸びして苦しそうな態勢になっていたティアを膝の上に乗せて回転盤が見えるようにする。
ついでにカジノから無料提供された微炭酸の酒を一煽り。ああまったく、これだから賭場は堪らない。
「ねー、どんな魔法使ってるのー?」
「あん? 投げ方から軌道予測して、回転盤の癖把握して、どこに落ちるか演算してるだけだぞ。あるのか? そういう魔法」
「演算魔法はあるけどそんな使い方できっこないのよ。どうやって打ち込む数字を決めればいいのかしら?」
「なんだ、そんなものか」
案外、魔法も万能ではないようだ。結局は使い方と使い手次第といったところか。
那由多はチップ数十枚を手の内でじゃらじゃらと鳴らしながらうそぶく。
「けど、ここんとこ俺も勝ててねえのよ。どうにも読めなくてな」
「読む? 台本を?」
「舞台じゃねえんだから。いやなに、悲劇の主人公ならこっから闇のディーラーに飲まれて素寒貧になるんだろうが、生憎俺が戦ってるのは回転盤の方なんでね。完全攻略して喜劇のヒーローになる予定だ」
「回転盤が変身して巨大メカになるのね!」
「なぜそんな発想になる。そしてなぜそんなに目を輝かせる。戦隊ものがこの世界にもあるってのか?」
「戦隊もの? いい響きね!」
二人がふざけたやりとりをする一方、ディーラーが不注意で回収中のチップを床にばらまいてしまう。失礼しました、と断りを入れるディーラーに、那由多が囁く。
「いいのかい? お得意さんを退屈させてよ」
――ディーラーが生唾を飲む。脂汗が顔から滲む。
明確な動揺の証に客の何人かは怪訝な表情を浮かべる中、那由多は不意に向かいの席の客を見やる。
いかにもな中年太りの小男。その前に築かれたチップの塔。しかし、ある子連れの男が来てからは塔の高さは目減りする一方で、小男は不満そうな表情をしている。
なんとも、ちゃっちいものだ。
那由多は下らないショーを潰さんと声のボリュームを大きくする。
「その調子で頼むぜ。次からマックスベット再開だ! 破産したいやつだけついてきな!」
同卓する客から歓声が上がる。
那由多の勝ち運に相乗りする輩がゲームを追うごとに増え、ひとつ前のゲームではテーブル上は投げられた後に一点張りのベットが数か所に集約するという異様な光景が繰り広げられていた。
球が左右にぶれることを期待する客もいる中、本命は那由多が賭けた数字だ。たった一つの数字だけにチップが磁石に吸い付く砂鉄のように掻き集められる様は、もはや餌に群がるネズミのように獰猛だ。
客を味方につけた那由多を止める者なし。ディーラーは死んだ魚のような目で、先程までより小さな振りかぶりで球を投げ込むのだった。