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黄昏色の想い歌   作者: 黄昏詩人
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~危機からの脱出~

[五章・危機からの脱出]

『2月8日 人間界ノスタル・イルージェ 北大陸西部 ナターシャ邸 17時35分』


ベルツとナターシャを乗せたドラゴンは全速力でナターシャ邸に向かっていた。体が凍ってしまいそうな程の冷たい風を切りながら、ただ前に進み続ける。

ベルツは時々後ろを振り向きながら追手が来ないことを確認し、そのついでにナターシャの顔も確認する。ナターシャの顔は先程から青白くなっており、一言も言葉を発しない。

「ナターシャ様、何処か痛むところは御座いませんか?」

「・・・」

「・・・ナターシャ様、寒いとは思いますが、あともう少し我慢してください。あと少しで館に到着いたしますので。」

ナターシャはベルツの声には一切言葉で反応を示すことはなかったが、その代わりにベルツの腰に回しているナターシャの腕の力がまるでベルツを離さないかのようにどんどん強くなっていく。

2時間近く飛行を続け、雲の隙間からナターシャの館が見えた。ベルツはドラゴンに指示を出し、館に向かって降りていく。

ところがベルツが館の近くまで接近した時に異変に気が付いた。

『っ!結界が消えている・・・』

本来館の上空含め、全方位に張り巡らされていた結界がその姿を消していたのだった。結界は目には見えないが、張られているところからは仄かに結界から発せられている霊力の波が感じ取れる。

しかし、ベルツとナターシャが館に帰ってきたこの時にはその霊力の波が感じ取れなかった。ベルツはそのまま裏庭に着地しようと上空からそのまま突っ込む。結界があったならばすぐに見えない壁にぶつかり、体が潰されてしまうがベルツの予想通り結界はすでに消えており、難なく裏庭にドラゴンを着地させることが出来た。

ベルツはドラゴンを着地させ、地面に降りるとナターシャの体を受け止めながら地面にそっと下ろす。

ベルツはナターシャを自分の背後に隠し、館の方を見る。館からは何も感じなかった。不気味な程何も。

『どうする・・・館の中に入るべきか・・・それともどこか遠くへ飛ぶか・・・』

ズィルバーやフランクと連絡が取れない今彼らが今どうなっているのか、何をしているのかの連絡が一切取れない。それに館からは何か嫌な予感しかしなかったため、ベルツは必死にどうしたらナターシャを守ることが出来るのか頭の中で思考を巡らせた。

ベルツの意識が完全に頭の中に入っているその時、ナターシャがベルツのコートを軽く引っ張る。ベルツが後ろを振り向くと、ナターシャが少し不安そうな顔でベルツを見つめていた。

「何故・・・館の中に入らないのです?ここは寒いですわ・・・」

ナターシャの唇がやや青くなっていた。長時間ドラゴンに乗って高高度を飛行していた影響が出てきたのかもしれない。

「ナターシャ様、私も館の中に早く入りたいと思ってはいるのですが、何か嫌な予感がします。今どうすればいいのか考えているところなのですが・・・」

「嫌な・・・予感?」

ナターシャは館の方に意識を集中させる為、目を瞑った。ナターシャは目を瞑ったまま動くことなくしばらくの間二人はその場に立ち尽くしていた。

「・・・!皆っ!」

ナターシャは急に眼を開き、慌てた形相になって館の方に一気に走り出した。急に走り出した為、ベルツは反応が少し遅れナターシャに後れを取ってしまった。

「ナターシャ様⁉勝手に前に出られては困ります!」

ベルツはナターシャの背中に向かって走り出す。ドレスを着ているのに思った以上にナターシャの足は速く、ベルツが追い付くのに少しだけ時間が掛かってしまった。

ベルツは追いつくとナターシャの腕をつかみ引き寄せた。ナターシャは暴れてベルツの腕を振り放そうとする。

「何をしますのっ!早くこの手を離しなさいっ!」

「駄目です、ナターシャ様!勝手な行動は慎んでください!」

「勝手なですって⁉護衛の分際で私に指示するおつもりですの⁉」

「護衛だから指示するんですよ!」

ベルツはより強くナターシャの腕を掴む力を強める。ナターシャの顔が少し苦痛に歪む。

「痛いっ!痛いですわっ!」

ナターシャはベルツの腕を手で引き剥がせないと判断すると噛みついた。ベルツは歯を食いしばる。ベルツの腕にナターシャの歯がどんどん食い込んでいき、血が流れてくる。

「こ・・・の・・・!」

ベルツはナターシャの頭を掴むと腕から引き剥がした。ベルツの腕にはナターシャの歯型とそこから赤い血が流れ出ていた。ナターシャの口の周りにも少しベルツの血が付着している。

お互いに息を切らしながらベルツはナターシャに話しかける。

「ナターシャ様・・・いきなり腕に噛みつかないでください・・・凄く痛いです。」

「貴方が離さないのが悪いのでしょう!早くこの手を離しなさい、無礼者!」

「無礼者でも何でも言って構いませんから、私の前に出ないでください・・・」

ベルツはゆっくりとナターシャの腕から手を離す。ナターシャはベルツに握られていた腕の部分を片方の手で軽く押さえつける。二人の高まった感情が少しずつ収まっていく。

互いの気持ちが少し落ち着いたところでベルツはナターシャに先程急に走り出した真意についての話を聞く。

「ナターシャ様・・・なぜ急に走り出したのですか?」

ナターシャはベルツの方を真っ直ぐ向いて言い放った。

「貴方には感じられませんでしたの?館から沢山の負の霊力が流れ出ていることに。」

「負の霊力?」

ベルツは意識を集中させて館の方を見るが何も感じ取ることが出来なかった。恐らく彼女特有の能力なのか、それとも自分が人間種で霊力の流れを読み取る能力が劣っているのかだろう。

ナターシャがまた少し興奮しながらベルツに話しかける。

「私の館に何者かが侵入しているのですわ!早く行ってあげないとみんなが死んでしまいますわ!」

「待ってください!貴女が勝手に館の中に入ってしまえばそれこそ敵の思うつぼです!」

「じゃあどうしろと⁉私に使用人達を見捨てろとおっしゃるつもりですの⁉」

ナターシャがまた興奮し始めた。

『まずい・・・彼女を早く納得させなければ!』

ベルツは頭の中で思考を急回転させる。今中に入ってしまえば間違いなく敵の襲撃を受ける可能性が高い。かと言って彼女を無理やり連れて行けばきっとまた暴れてしまう。そしてまたナターシャが突然行動をし始めそうなので考える時間も少ない。ベルツの頭の中はやや混乱状態に陥っていた。

『こうなったら姫を気絶させて、別の所に運ぶしか・・・』

ナターシャが死んでしまったら元も子もない。どんな犠牲を払おうとも、どんなに嫌われようともなるべく危険が少ない道を進まなければいけない。

ベルツはそう決断すると、ナターシャに近づく。ナターシャは思わず身構える。

「な・・・何をするつも・・・」

「ナターシャ様、申し訳ありません。」

ベルツは目にもとまらぬ速さでナターシャの背後に回り込む。ナターシャはベルツを見失いその場に立ち尽くす。

ベルツがナターシャのうなじ目掛けて手刀を降り下ろそうとしたその時、裏庭に一番近い館の窓が割れ、無数の食事用に使用する銀のナイフとフォークが飛んでくる。

ベルツはナターシャに向けて放った手刀を中断し、背中にかけていた棍を手に取り地面に突き刺す。

『ロメルダーツェ流棍術、地の舞、第四幕・・・岩塞絶壁!』

ベルツとナターシャの周りを取り囲むように地面から巨大な岩が出現し、飛んできたナイフとフォークをすべて弾く。飛んできたナイフとフォークは辺りの地面に突き刺さり、出現した岩はすぐに砂となり、姿を消した。

「いいぞ。良い反応だ。」

割れた窓からベルツと同じ隊服を着た白髪で短髪の男が現れる。ベルツは棍を地面から引き抜くと棍を両手に構えその白髪の男と向かい合う。

白髪の男は固い表情のまま、ベルツに話しかける。

「隊長の言ったとおりだ。やはり戻って来るとはな。」

白髪の男はコートの内側からナイフを数本取り出す。ベルツの心中にあった嫌な予感が見事に的中する。

『ああ、くそっ!やっぱり中に敵がいたか!』

ベルツが白髪の男を睨みつけて体の姿勢を低くし、棍を構えなおす。白髪の男も不気味に両手を広げる。

そんな緊迫した状況の中、ナターシャが白髪の男に叫んだ。

「皆はっ・・・館の中にいた皆は⁉」

白髪の男は表情を一切変える事無く、ナターシャに首を傾ける。

「さあ?」

「っ⁉」

ナターシャは白髪の男の言葉を受けると、館の裏口のドアに向かって走り出す。

ベルツがナターシャに向かって叫ぶ。

「ナターシャ様!お待ちください!」

「どこに行くつもりだ?」

ベルツがナターシャに意識を取られたその時、白髪の男からベルツに向かってナイフが投擲された。

ベルツは姿勢を低くし、ナイフを全て躱す。しかし、ナイフを躱した後、ベルツは体勢を崩した。

『なっ⁉』

ベルツは足元を見ると先程弾いたナイフとフォークが刺さった地面がどんどん溶けていき、泥みたいにベルツの足がはまっていた。白髪の男が再びナイフをベルツに投擲してくる。

ベルツは棍を構えて弾こうとするがふと思い止まった。

『この地面の変質・・・奴のナイフ・・・何か訳がありそうだな・・・』

ベルツはまだ溶けていない地面に片足を上げ、その場から飛び下がり、ナイフを避ける。白髪の男が首を傾げる。

「・・・」

男の表情は全く変化が無かったが、何処か不満そうな空気を醸し出していた。ベルツはその空気を感じ取る。

『あいつのナイフは棍で弾かない方がいいような気がする・・・特殊能力持ちか・・・きついな。』

ベルツはふと先ほどナターシャが走って行った方を見る。すでにナターシャの姿はなく、館の裏口のドアが開きっぱなしになっていた。

『もう中に入ったのか・・・早くコイツを片付けて合流しないと・・・こんな状況でナターシャ様を見失うわけにはいかない!』

ベルツは再び棍を構える。白髪の男も再びコートの中から数本のナイフを出し両手にそれぞれ持つとベルツを見つめる。

ベルツと白髪の男の間に緊迫とした空気が漂う。

一方ナターシャはというと裏口から侵入し、調理場の中に入っていた。調理場には人影が見えず、人の気配がしなかった。屋敷の中全体の気配を探っては見るもののいつものように使用人達の気配を感じ取ることが出来なかった。

『何処にいますの?皆・・・』

ナターシャは調理室を抜け、ダイニングルームへと入る。するとそこには3人の使用人達が首を掻き切られて倒れており、絶命していた。

「・・っ!なんて・・・事・・・」

つい数時間前まで当たり前のように生きていた者達が今や糸の切れた人形のように床に血だまりを作りながら倒れている。

ナターシャは3人の傷口を見る。傷口は何か鋭利なもので斬られたようで、肉が曲がっていなかった。

『よほど切れ味の良い刃物でないとこうも綺麗に斬れませんわ・・・一体誰がこんなことを・・・』

ナターシャがじっくり使用人達の亡骸を見つめているとホールの方からガタッと何かが動く物音がした。

ナターシャは首をホールに出るドアの方に向けてゆっくりと立ち上がり、ドアまで向かう。ドアノブを握り、乱れている呼吸を落ち着かせるとゆっくりとドアを開けた。

『・・・!』

ホールでナターシャが見た光景を一言で表現するとすればそれは『地獄』という言葉が適しているだろう。

数はおよそ40人程。この屋敷にいる使用人は全部で50人である為、ほぼ全員がこのホールにいるという事になる。ホールの床には血で溢れ返り、壁には血痕が凄惨に飛び散っている。皆先程の死体のように首を斬られている者もあれば、四肢や胴、首がバラバラに斬り落とされている死体もあり、内臓もホール中にばらまかれていた。

『うっ・・・!』

鼻が曲がりそうな程の腐敗臭と刺激臭に血生臭い匂い、それに屋敷に撒かれてある花の心地よい香りが逆効果となって腐臭を際立たせ、ナターシャの鼻に襲い掛かる。圧倒的な視覚と嗅覚の暴力に思わずナターシャは胃の中にある消化物を吐いてしまった。喉が焼けるような痛みを覚え、ナターシャは何度も咳き込む。

「ごほっ・・・ごほっ・・・」

その時、ホールの中央にある階段で転がっているメイドの体がゆっくりと動いたのをナターシャは見た。メイドはまだ微かに息をしているようで、胸が空気を取り込もうと激しく上下に動く。

ナターシャはそのメイドの傍まで駆け寄ると抱き寄せた。メイドはナターシャの顔を見るとどこか安心したような表情を見せて掠れた声でナターシャに話しかける。

「ナターシャ様・・・ご無事・・・でしたか・・・」

「しっかりなさい!何があったのですか!」

メイドは咳き込み、ナターシャのドレスに血が吹きかかる。

「ナターシャ様が外出された後・・・しばらくしてから屋敷の中で悲鳴がありました・・・私がホールに行くと・・・すでに何人もの使用人達が・・・侵入者に・・・」

メイドが激しく咳き込む。先程よりも吐血し、体中の切り傷から血が滲み出る。

「分かりましたわ!もう喋らなくて結構ですわ!今から治しますからしっかりなさい!」

ナターシャがメイドの治癒術をかける。メイドの体の傷が塞がっていき、安らかな顔をする。

「申し訳ありません、ナターシャ様・・・お手を煩わせてしまい・・・」

「喋ってはいけませんわ!まだ傷口が塞がっていませんのよ!」

ナターシャの治癒術は凄まじく一気にメイドの傷を治してしまった。メイドの傷が完全に塞がるのを確認するとナターシャはメイドに質問を投げかけた。

「なぜ誰も逃げなかったのですの⁉なぜ皆・・・『武器を持って戦おうとしているのですの⁉』」

ナターシャは周りの死体達を見た。どの死体も手には何かしらの武器が握られており、戦おうとした痕跡がある。

ナターシャの問いにメイドは微笑みながら答えた。

「私達は皆ナターシャ様に命を救われた者です・・・ナターシャ様の為ならこの命を捧げる覚悟はできております。」

「・・・」

「それに・・・もしこの館が敵の手に渡ってしまえばナターシャ様や第七護衛小隊の皆様・・・ドルギン様が帰って来れなくなりますから・・・」

メイドはナターシャの両手を包むように握りしめる。

「私達は皆ナターシャ様のように強くはありません・・・でも、それでもナターシャ様のお役に立ちたい・・・だから私達は戦ったのです。相手がどんなに強くでも・・・逃げるなんて真似はしません。『命に代えてもナターシャ様のお傍に付き添い、あらゆる災厄の盾となる。』・・・それが私達、ナターシャ様の使用人達の心得ですので・・・」

ナターシャは思わず目から涙がこぼれ落ちる。こぼれ落ちた涙は床の血だまりの中に落ち、深紅の血と混ざりあった。

「ナターシャ様・・・泣かないでください・・・貴女には常に笑顔でいてほしいんです・・・」

メイドはナターシャの涙を血で少し染まっているハンカチで拭う。ナターシャは軽く咳払いをして、メイドを見る。

「そう・・・ですわね。私がしっかりとしないと・・・いけませんわね・・・」

ナターシャは優しく微笑むとメイドもうれしそうに無邪気にほほ笑んだ。その時ナターシャは自分の気持ちが少しだけ落ち着くのを感じ、ナターシャとメイドはゆっくりとお互いを支え合いながら立ち上がった。

その時ナターシャの背後で何かが風を切る音が聞こえてきた。メイドの顔が急に青ざめて、ナターシャに叫ぶ。

「ナターシャ様!危ないっ!」

メイドはナターシャを横に着き飛ばす。ナターシャは急に突き飛ばされ、受け身を取ることが出来ず、盛大に尻もちをつく。

風を斬る音が強くなり、空間が僅かに歪んだ。ナターシャの目の前の景色がまるで割れた鏡のようにずれるとメイドの体がバラバラに崩れ落ちた。

ナターシャは目を見開き、何が起こったのか理解しようとしたが理解できなかった。

『そんな!一体どこからっ!』

ナターシャが周りを見渡しても何も姿が無く、ただ風を切る音だけがホールに響いていた。

風を切る音が大きくなり、目の前の空間が歪み始める。

『来るっ!』

ナターシャは後ろに一気に引き下がる。先程までいた空間がガラスのように割れる。空間に入ったヒビは霧散し元に戻る。

ナターシャ以外生きている者がいないはずのホールに若い男の声が響く。

「今の攻撃を避けるとは・・・やるじゃないですか!」

ナターシャの目の前に風が集まり、渦を作る。渦が周りに吹き飛ぶとそこには緑髪でとがった髪を持つ男が現れた。

「お初にお目にかかります、ナターシャ王女。・・・やはり写真で見るより美人っすね?」

軽い口を叩くこの男はナターシャを挑発するような笑みを浮かべて見つめる。ナターシャの中で憎しみの感情が増していく。

「二つ・・・質問しますわよ?」

「どうぞどうぞ、何でも言ってください?」

ナターシャは緑髪の男を睨みつける。緑髪の男は口笛を吹き挑発する。

「一つ目・・・お前はどこの誰だ?」

「は~い。俺は第五護衛小隊所属、フィンブル・ルーシバルっす。王女様達を殺すために派遣されました~。」

ふざけた口調でフィンブルと名乗った男は自己紹介をする。ナターシャの顔が嫌悪と不快感で歪んでいく。

「二つ目・・・この館にいる者を何人殺した?」

「覚えてないっす。どうでもよくないっすか、虫けらの事なんて?ぎゃははははは!」

ナターシャは怒りで頭が真っ白になった。足元にあったライフル銃を足で一気に蹴り上げ、手に取るとフィンブルの眉間に向けて発砲する。

「うおっと!」

フィンブルは体を霧状に変化させ、姿を消した。ライフルの弾丸は向かいの壁にめり込み、フィンブルに命中することはなかった。

また、ホール中にフィンブルの不快な声が響き渡る。その声を聴くたびにナターシャの心に不快感がどんどん積もっていく。

「いいっすね!結構いい腕してるんじゃないんすか?誰に教えてもらったんすか?」

「・・・」

「もしかして怒ってます?・・・やっぱりさっきの虫けら発言が癪に来ました?」

フィンブルはホールの上にあるシャンデリアの上に姿を現し、ナターシャを見下ろす。ナターシャはフィンブルを下から睨みつける。

「・・・それがお前の能力ですの?」

「そうで~す。『霧景風刃』、能力は体を気体に変えることが出来る事っす。気体になっている間は風を自在に操れて、真空波で相手をばらばらにすることも可能で~す。」

『通りで銃弾が効かないわけですわね・・・』

ナターシャはそれでも銃をフィンブルに向けて構える。フィンブルはにやにやしながらナターシャを眺め下ろす。

『でも何か弱点があるはず・・・気体になっている間無敵なんてことはないはずですわ!』

ナターシャは唇を噛み締める。フィンブルを見るたびにナターシャの心には憎しみの感情がどんどん強くなっていく。

『よくも私の使用人達を・・・皆をよくも虫けらなどと・・・絶対に許しませんわ!』

ナターシャの手に力が入る。憎しみの感情でいつもより感覚が鋭利になってくる。

『必ず・・・この男には死をもって報いを受けてもらいますわ!・・・皆の為にも!』

ナターシャはフィンブルを照準に捉える。フィンブルは体を気体に変化させ姿を消す。

ホールに再び風を切る音が吹き荒れる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『2月8日 人間界ノスタル・イルージェ 北大陸西部 ナターシャ邸 17時50分』


ベルツは白髪の男と向き合い、どう攻めていくか頭の中で戦略を巡らした。白髪の男はそれぞれの指の間にナイフを挟み、左右それぞれ3本ずつナイフを持っていた。

『こいつの能力が触れたものを腐食させる能力ならば・・・棍で弾くのはまずい。棍で弾かずにナイフを避けるか・・・』

ベルツは固い地面に足をしっかりと付け、両足に霊力を纏わせる。白髪の男はナイフを構え、ベルツに向かって右手に持っていたナイフを投げつける。白く輝く刃がギラリとベルツを狙う。

ドンッと地面を蹴り、激しい土埃が舞いベルツは白髪の男との距離を一気に詰める。右手から放たれたナイフが全て回避されるのを白髪の男が確認すると、今度は左手に持っている3本のナイフを、地を這わせるように投げる。放たれたナイフは蛇のようにうねりながら、ベルツの首元に向かって行く。

ベルツはナイフが当たる直前までナイフに向かって走ると、当たる寸前で空高く舞い上がり、空中で態勢を整える。白髪の男がぎょろりと見開いた空を見上げる。白髪の男は袖からナイフを出現させ、ベルツに向かって投げつける。

『やはり投げつけて来たな!』

ベルツは体を回転させ勢いをつけると、棍に霊力を纏わせる。

『この技は直接獲物に打撃を与えずとも霊力の衝撃によってダメージを与える技!これなら奴のナイフを弾ける!』

ベルツは迫り来るナイフを確認すると、棍を思いっきり振った。

『ロメルダーツェ流棍術、地の舞、第一幕・・・轟波!』

ベルツの棍から纏わせた霊力が爆風の如く吹き荒れ、飛んできたナイフを全て弾き飛ばす。ナイフは四方に飛び散り、地面に深く突き刺さる。

白髪の男が霊力の波を受け、怯む。

『今だ!』

ベルツは白髪の男に向かって飛び込み、首元に狙いをつけ棍を思いっきり振る。男はベルツの棍が首元に当たる寸前にバク転し、回避行動に移る。

白髪の男の靴の爪先から隠し刃を出現させると、回避行動をする流れでベルツの首元から顎に目掛けてその刃を突き付ける。

『こいつっ!』

ベルツは反射的に体を反ると、頭を引き距離を取った。白く輝く刃がベルツの首元をすれすれで通過し、思わず汗が流れ出る。

ベルツはすぐに体制を整えると、すぐに白髪の男目掛けて距離を詰める。男はまだ両手を地面に着いたままだ。

『体制を整える前に・・・奴を叩き伏せる!』

ベルツは男の頭目掛けて棍を当てる為、体を回転させ勢いをつけ、棍を男の頭に当てる射程範囲内に入る。男はまだ両手を地面につけたままだ。

『今だっ!・・・一撃で決めてやる!』

ベルツは棍に霊力を再び纏わせる。・・・今度は直接当てる。

『ロメルダーツェ流棍術、地の舞、第一幕・・・轟波!』

ベルツは体を回転させ、男に向かって棍を思いっきり振った。ベルツは心の中でこの技が相手に入ったと心の中で確信していた。

ところが、男はベルツの凪払いを地面に這うような低姿勢で躱すと、そのまま地面に背中をつきながら、ベルツに向かって回し蹴りを放ってきた。そのあまりにも動物的な動きにベルツは対応することが出来ず、左肩に重い蹴りを食らってしまった。

ベルツは左肩に男の靴に仕込まれていた刃が食い込み、肉を抉り取られるような感覚を味わい、脳と左肩が溶けそうなほど熱くなる。

「あぐっ・・・」

ベルツは思い切り数m近く吹き飛ばされ、地面に転がる。再び男を視界に捉えた時、目の前に数本のナイフがベルツの顔目掛けて投げつけられており、ベルツは寸前でそのナイフを回避する。男の追撃を回避したベルツはすぐさま体制を整えた。

『やってくれるな・・・くそっ!左肩が熱いっ!』

ベルツは自分の左肩を見ると、肩から血が流れるように出ており、肉が捲れあがっていた。その他にも、ベルツの左肩の肉が徐々に腐り落ちて来ていて、血の色も純粋に赤いという訳ではなく、若干黄色いや茶色といった色が混ざっていて、独特の腐敗臭が鼻につく。

『奴の能力か・・・これ以上攻撃を貰うのはまずいな。・・・左肩始め、左腕の感覚がなくなってきたぞ・・・』

神経が壊死し始めたのか、左腕に上手く力を伝えられなくなってきて、棍を握っている感覚も薄くなってきて自分が今本当に棍を握っているのかが分からなくなってきた。

男はナイフを両手に構えると、ベルツにゆっくりと近づいてくる。

「・・・効いてきたな。どうだ、体が腐り落ちてくる感覚を味わうのは?」

ベルツは無理やり笑顔を作る。左肩の感覚がなくなってきて、その癖痛みだけはしっかりと感じられるものだから気分は最悪だが。

「中々、貴重な体験をさせてくれるじゃないか。自分の体が腐っていくなんて滅多に味わえるもんじゃないからね。」

男はベルツの顔を見ると、ナイフをコツンッと自分の頭に当てる。

「お前の名前は確か・・・ベルツ・ロメルダーツェ、だったかな?資料によると、ロメルダーツェ流棍術というお前の一族に代々伝わっている棒術の流派の継承者とあるが・・・初めて聞いたな、そんな流派は。」

その男はベルツを睨みつける。

「うちの流派はそこまで有名なじゃないからね・・・別に知らなくたっていいんじゃないかな?」

ベルツは棍を体の周りで回すと、構え直し男に向かって棍を突き付ける。

「ところで、君の名前は何ていうんだ?もし良かったら教えて貰えたりしないかな?」

男はベルツを細目で睨み続ける。ベルツは頬を少し上げて、無理やり笑みを作る。

「良いじゃないか、別に減るものでもないし・・・それに同じ護衛小隊に所属しているんだ。名前くらい教えてくれたっていいだろ?」

正直名前を教えて貰ったところで、ベルツにはその男が何処の護衛小隊に属しているのかという事や誰の差し金かという事が把握できないので別に対して意味はなかったが、取り合えず左肩を癒す為の時間稼ぎとして男に話しかけたのだった。ベルツはジャケットの下側から相手に見えないように治癒術を自分にかける。

男は静かに息を吐く。

「・・・オスカー、オスカー・コルセスカ。」

「オスカーね・・・素直に名前教えてくれるなんて、意外と優しいんだね。」

オスカーは足に霊力を集中させると、ベルツの視界から急に消えた。ベルツは体を地に這わせるようにしゃがみ、後ろに回り込んで斬りかかってきたオスカーのナイフを躱す。

ベルツが姿勢を低くしたままオスカーの左脇腹を蹴り上げ、吹き飛ばす。オスカーは空中で受け身をとり地面に着地し、ベルツもすぐに立ち上がり棍を構える。2人の間に冬の冷たい風が静かに吹く。

ベルツが顔の前で左腕の人差し指を立てる。

「一つ、質問してもいいかな?」

「・・・何だ?」

ベルツは立てた人差し指をオスカーの方に向ける。

「君は見たところ・・・正面から戦うようなタイプじゃないよね?君の戦い方は奇襲向けで戦闘に向いていないことは一目で分かる。」

「・・・」

ベルツの指摘にオスカーは黙る。表情からしてどうやら間違いないようだとベルツは確信した。

「だとしたら・・・何でこんな正々堂々と俺に向かって戦いを挑んでくるかだ、な。」

ベルツはオスカーを睨みつける。オスカーの頬が少し不気味に吊り上がる。

「中にいるのか、他にも仲間が?」

「・・・だとすれば?」

オスカーの目が不気味に輝きを増したことでベルツは館の中に他にも敵が潜んでいる事を察した。棍を握る手に力が入り、左肩の痛みも消え失せる。

「だったら、だって?・・・そんなの、決まっているだろう。」

ベルツは全身に霊力を纏わせ、姿勢を低くし棍を振る構えをとる。

「本当は体力を温存して、君を倒したかったけど・・・ナターシャ様に危害が加わることが明らかになった今、お前に構っている時間は無くなった。悪いけど・・・今から本気で行かせてもらうよ!」

ベルツは足に霊力を集中させ、一気に爆ぜる。ロケットブースターのように噴射したベルツの霊力は地面を抉り、後方に砂埃を盛大に舞わせる。

ベルツの突撃に、オスカーは右手の指を鳴らす。

「・・・『射れ』。」

液状化した地面から、槍のように鋭く尖った土がオスカーの前に柵のように交わり、ベルツの進行を防ぐ。その他にも、ベルツに向かってありとあらゆる方向から土の槍が飛び出してくる。

『物体を溶かすだけの能力じゃないのか!』

ベルツは左右に細かくステップを刻みながら、槍を躱していく。直接地面から飛び出てベルツを狙うものもあれば、一旦空高く飛び上がった後、雨のように降り注いだりするものもあったりとベルツに時間差で土の槍は降り注いだ。

オスカーは回避行動に専念するベルツの周りを囲むようにナイフを空高く放り投げ、地面に突き刺す。ベルツの周りの地面が溶け、岩盤が沈む。

「・・・ちっ!」

ベルツはバランスを崩し、そのまま溶けた地面に今立っている岩盤ごと足を深々と入れてしまった。沼にはまったかのようになかなか抜け出せない。

『・・・私の能力、『液状自在』はあらゆる物体を液状化し、支配する能力・・・貴様の周りの環境がお前に牙を向く・・・』

オスカーはベルツの周りに土の槍を囲むように生成し、狙いを首元に定める。ベルツは相変らず、沼から足がなかなか抜けずに焦っていた。

『焦りは命取りだ・・・その身をもって実感するがいい!』

オスカーは手を高く振り上げ、一気に下に降り下ろした。刃先だけが地面から出ていた槍がズボンッと何かの液体から抜け出るような音を立てて、地面から飛び出した。

ベルツがその槍達に視線を移す。

『勝ったっ!』

オスカーがそう確信した時、ベルツの足元から急に巨大な岩が現れ、その岩に突き上げられるように急に宙高く飛び上がった。槍達は互いの刃先をぶつけあい、ベルツの首元に当たることは無かった。

「なっ⁉」

オスカーが空を見上げると、ベルツは空中でくるっと回転し、態勢を整える。

『『ロメルダーツェ流棍術、地の舞、第四幕、岩塞絶壁!』・・・この技を土台代わりに使ったことは無かったが・・・案外いけるもんだな。』

ベルツは落下地点のまだ液状化していない所に棍を思いっきり投げつける。棍が地面に突き刺さると、突き刺したところから再び岩が出現し棍を上から落ちてくるベルツの元まで飛ばした。

ベルツは棍をキャッチすると、その岩に着地し、足に霊力を集中させる。オスカーはベルツから発せられる霊力の殺気を感じ取った。

『あいつ・・・何かする気だなっ⁉』

オスカーは自分の前にナイフを突き立て地面を溶かすと網目状の柵を出現させる。柵にはベルツの方に向けて無数の尖った土が向けられていた。

『このままあいつが飛び込んでくれば間違いなくこの柵に突き刺さる・・・ここまですれば奴も突っ込んではこな・・・』

オスカーは自分が作り出した柵がベルツの攻撃を防いでくれると確信していた。オスカーの心にほんの少し、ぽっかりと隙の穴が開く。

ベルツはそのオスカーの心の隙を見逃さなかった。

「はあぁ!」

ベルツは足に集中させた霊力を爆発させ、オスカー目掛けて突撃した。土台代わりにしていた岩は霊力の反動で崩れ去り、ベルツの進行方向とは逆に岩の破片が散乱した。

オスカーは柵に向かってこちらに飛び掛かってくるベルツに恐怖を覚えた。

『な・・・何だあいつ!このまま突っ込んでくるつもりか!柵についている刃に突き刺さるとは考えないのか⁉』

ベルツが無数の土の刃が生えている柵の前に来ると、オスカーは自分に暗示をかけるように心の中で呟いた。

『大丈夫だ・・・この柵は俺の霊力で強化されている・・・奴にはこの柵は壊せない・・・俺には攻撃は当たらない・・・俺には当たらない・・・』

ベルツの目の前に刃が近づいたその時、急にベルツの棍が金色の霊力を放ち始める。

『何だ⁉何をする気だ⁉』

オスカーが困惑しながらベルツの棍を注視すると、棍から放たれた霊力がすさまじい波動を周囲に拡散させ、オスカーの前に張り巡らせている土の柵を粉々に吹き飛ばした。ベルツとオスカーの顔に粉々になった土の欠片が当たる。

『嘘だ・・・棍は柵に触れていないのに・・・俺の霊力で強化している柵を自身の霊力だけで壊すなんて・・・馬鹿な・・・』

「はあああああああ!」

ベルツは柵を壊されて半ば放心状態になっているオスカーの首元に棍を勢いよく突いた。あまりの勢いにベルツの棍はオスカーの首を貫通し、骨を砕き、そのまま首を吹き飛ばした。オスカーの首から上と首から下の部分がそれぞれベルツの進行方向に向かって飛んでいく。

ベルツはそのまま地面を抉りながら着地し、オスカーの遺体を見る。

『やった・・・奴を倒した・・・柵を張られた時はどうなるかと思ったけど・・・』

ベルツは自身の棍を見る。

『ロメルダーツェ流棍術、地の舞、第三幕、爆突尖・・・棍と足に霊力を集中させ、爆発させることで絶大な速度と威力を得、ありとあらゆる障害を破壊し敵を仕留める突撃術・・・一幕の『轟波』が『薙ぎ』の技なら、三幕の『爆尖突』は『突き』の技・・・足元が不安定だとこの技は使えなかったけど、うまく足場を作れてよかった・・・』

ベルツは再びオスカーの遺体まで近づいて、確実に息の根が止まっていることを確認する。首が吹き飛んでいて生きている人間などいるわけもないが、用心しておいて損はない。ベルツはオスカーの胸に手を当てる。

『・・・死んでいるな。脈はもうない・・・見ればわかるけど。』

ベルツはそっと立ち上がり、館の方を見る。中から先ほどまでは感じなかった不穏な空気が漂ってきていた。

『ナターシャ様、どうかご無事・・・』

ベルツが先ほどナターシャが中に入っていった裏口のドアに走って近づいていたその時、

バアアンッ!

急に館一階の全ての窓ガラスが粉々に割れ、爆風と爆音と砕け散ったガラスの破片がベルツを襲う。

「うわぁ!」

ベルツは思わず目を瞑り両手を目の前に組み、ガラスの破片と爆風を防ぐ。散弾のように飛び散ってきたガラスの破片がベルツの体に当たり、鋭い痛みが服の上から全身に広がる。

爆風と爆音が収まると、ベルツは館の方をゆっくりと見る。館の中からとても焦げ臭いにおいが漂ってくる。

『中で一体何がっ⁉』

ベルツは爆風で吹き飛んだ裏口のドアに向かって走り出した。

「ナターシャ様!」

ベルツはナターシャの名前を叫び、館の中には迷うことなく飛び込んでいった。外では未だに爆音が遠くの方で鳴り響いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『2月8日 人間界ノスタル・イルージェ 北大陸西部ナターシャ邸 17時50分』


ナターシャは2階の廊下を手に持ったライフル銃に弾を再装填しながら走っていた。やけに重いドレスを着ているので、無駄に体力を消耗してしまう。ナターシャの息遣いが静まり返った廊下に響く。

『やはりあの男が霧状になっている間に関しては物理的な攻撃は全く効きませんわね・・・けれど、このまま放っておく訳にもいきませんわ!・・・何とかして奴の弱点を見つけなければっ!』

ナターシャは先程より激しい息遣いになりながらも足を止める事無く廊下を駆け抜けていく。先程、ホールであの男に何度も銃弾を撃ち込んだが、全く効いていない様子だった為、このままでは埒が明かないとナターシャは判断し、たまたま近くに倒れていた使用人の死体の腰につけてあった煙幕手榴弾(スモーク・グレネード)を使った後、一度ダイニングルームに戻り、使用人専用の階段から2階に上がり今に至っている。

ナターシャは自室のドアを思いっきり開けると、すぐに来ているドレスを脱ぎ捨て、ティアラをベッドの上に投げ捨てた。黒のブラジャーとパンツだけの下着姿になった。汗まみれの下着姿のままナターシャは着替え室に銃を持ったまま入り、クローゼットを開ける。

『いざという時に衣類一式まとめておいて正解でしたわ・・・』

クローゼットの中には黒タイツ、白のスカート、白のブラウス、碧色のコルセット、碧色のカチューシャがまとめられておかれていた。ナターシャはブーツを脱ぎ、靴下を脱ぎ捨てると、黒のタイツを履き、その流れで準備をしていた服を急いで着る。着替えを済ませながら、ナターシャはちょくちょく自室の入り口のドアに視線を移し、まだフィンブルが来ていないことを確認した。

ナターシャは着替えを終えると、カチューシャを頭につけ、髪を櫛で急いで整える。整え終わると、ナターシャは再びドアの方を見る。まだ、フィンブルが来ている気配はしない。

『何とか無事に着替えることが出来ましたわ・・・これで先程よりかは動きやすくなるはず・・・』

ナターシャは少し息を整え、棚に入っていた美しい彫刻が刻まれた自分の愛銃を手に取る。

『やはりこのライフルが一番しっくりきますわね・・・』

ナターシャは自分の為に特別に作成されたライフル銃を手に持ち、バスルームから出ようと歩き始める。

その時、ナターシャの後ろの方から溜息が聞こえてきた。

「何だ、残念だなぁ・・・パンツとブラは脱がないんですね?ナターシャ様の美しい全裸が見られると思って期待していたのに・・・残念ですねぇ。」

ナターシャは思わず、後ろを振り返る。そこにはバスタブを椅子のようにして座っているフィンブルの姿があった。フィンブルの顔は良いものを見たとばかりに気味悪く頬を吊り上げた笑みを浮かべていた。

ナターシャはすかさず銃を構える。ついさっき引いた汗が再び流れ出る。

「お前・・・いつからそこにいましたの⁉」

フィンブルはにやけながら顎をさすった。

「そうですねぇ・・・貴女が下着姿のままバスルームに入ってきて、クローゼットを開けたところからですかね?」

ナターシャが目を見開く。

「そんな馬鹿な!私がバスルームに入った時には誰もいませんでしたわよ!」

「そりゃあ、貴女には見えないように体を霧状に変化していたんですから、見える訳ないじゃないっすか。」

フィンブルはバスタブから腰を上げると、ナターシャにゆっくりと近づく。ナターシャはフィンブルが一歩踏み出す度に一歩下がり、一定の距離を保つ。

フィンブルが少し悲しそうな顔をして、ナターシャを見つめる。

「そんなに僕から離れなくてもいいじゃないですか?僕傷つきましたよ?」

フィンブルがまた一歩ナターシャに歩み寄るために足を踏み出したその時、

「それ以上近づくな、この下衆がっ!」

ナターシャは罵倒と共に、フィンブルの眉間目掛けて銃弾を放つ。フィンブルは一瞬で霧状に変化し、銃弾を回避するとナターシャに向かって鎌鼬のように鋭い風を纏わせながら切り込む。ナターシャは部屋のドアにタックルするようにぶつかり、廊下に飛び出てドアを思いっきり閉める。その瞬間、ナターシャの部屋のドアが細かく刻まれ、細切れになりながら轟音と共に吹き飛んだ。ナターシャはドアが吹き飛んでくる寸前で回避行動をとり、ギリギリで回避すると、すぐに立ち上がり銃を構える。

フィンブルは体の半分だけを元に戻し、ナターシャと対峙する。

「いい動きですねぇ、ナターシャ様!・・・お願いですからコロッと死なないでくださいね。一国の姫とお手合わせする事なんて滅多に無いんですから。」

フィンブルは自身の周りに小さな真空波を幾つも出現させ、身に纏い始めていた。室内なのに、激しい突風がナターシャを襲う。

『この男、先程からふざけている態度を取っていますけれど、全然隙を見せませんわね・・・銃が効かないとすれば、どうやって奴を仕留めれば・・・』

目を細め、必死にフィンブルを撃破する為に思考を巡らしているナターシャを見て、フィンブルは彷彿とした表情でナターシャを見つめる。

「貴女もそんな顔をするのですね、ナターシャ様?」

フィンブルの言葉にナターシャは顔をしかめる。

『何を・・・言っていますの、この男は?』

フィンブルは右腕に真空波を纏わせる。鋭利な風がフィンブルの右手を衣のように包み込む。

「私と対峙した者は皆今の貴女のような悩ましい顔をするんですよ。・・・どうやったら私にダメージを与えられるのか、どうしたら私を殺せるのか・・・みんな必死に考えるんですよ。」

フィンブルは右手を払いのけるように横に振る。真空波がまるで壁のようにナターシャの前に展開される。真空波の壁が形成されたことで、廊下中に激しい突風が吹き荒れ、飾っていた絵画は破れ落ち、花瓶は床に落ちて割れる。天井に飾られているシャンデリアは揺れて数か所ガシャンッと盛大な音を立てて床に落ち、ガラスの破片となって床に散らばった。

「っ⁉」

ナターシャは思わずフィンブルに向かって銃弾を放つが、弾が真空波の壁に当たった瞬間、弾は曲がり、細かく切り刻まれバラバラになりフィンブルにライフル弾が届くことは無かった。

フィンブルはナターシャを愛おしそうに見つめながら、右手の人差し指をナターシャに向ける。その瞬間、真空波の壁が津波の如くナターシャに迫ってきた。

『まずいっ!』

ナターシャは直感的にあの真空波の壁にぶつかってはいけないと察すると、体の向きを反転させフィンブルに背を向けて、廊下を全速力で走り出す。後ろからは真空波の壁がヒュンッ、ヒュンッ・・・と鞭を振り回しているような音が不気味に後ろから聞こえてくる。また、周りに飾っている芸術品の数々や窓やカーテンが音を立てて破れたり、割れたりするので、その音がナターシャにより恐怖感を与えていた。

ナターシャが全速力で廊下を走っていると、進行方向向かって右側に執事長であるドルギンの部屋のドアが見えた。

『お願い・・・開いていてっ!』

ナターシャは心の中でドアの鍵が開いていることを祈りながら執事長室のドアノブを強く握り、ドアに体当たりをした。ナターシャの祈りが通じたのかドアにはカギがかかってはおらず、バアンッと激しい音を出しながらドアは開き、ナターシャは部屋の中に飛び込むように入り床を思いっきり転がった。

ナターシャはすぐに立ち上がりドアの方を見ると先ほどから追いかけてきている鎌鼬のような鋭い風の塊が部屋の中に雪崩れ込んできた。

「くっ⁉」

ナターシャは部屋の奥の方にある机まで走り乗り超えると、そのまま椅子を退かし、机の中に身を隠した。ナターシャが机の下に隠れた瞬間、部屋中に真空波が発生して部屋中を引っ掻き回した。部屋の中は台風の時に窓を開けっぱなしにしているかのように荒れ狂い、棚やベッドはひっくり返り、本は紙切れになって宙を舞った。隠れているナターシャの下に火が灯っていない油が大量に入ったランプが落ちてきた。

「そんなところに隠れもぉ・・・無駄ですよぅ?」

フィンブルの不気味なねっとりとした声がナターシャの耳に入り、ナターシャは背中を舐められているような生理的嫌悪感を味わった。その瞬間、ナターシャが隠れている机が宙高く舞い上がり、空中で細切れになる。細切れになった木の破片がナターシャに雨のように降り注ぐ。

「見つけましたよぅ・・・ナターシャ様?」

薄っすらと実体化したフィンブルが宙を漂い、ナターシャを見下ろすように見つめていた。ナターシャがそんなフィンブルの姿を見てライフル銃を咄嗟に構えようとした瞬間、フィンブルは右手を横にきった。その時、正面から車にぶつかられたような激しい痛みを覚える程の突風が吹き、ナターシャは受け身をとる間もなく奥の壁まで吹き飛び、背中を強く打ち付けた。先程、ナターシャの足元に散らばっていたものも一緒に壁際まで吹き飛ばされる。

「あ・・・」

背中を強く打ち付けたナターシャは一瞬、呼吸が止まった。目の前が暗くなり、じわじわと光が戻っていく。壁に背中をつけ、尻を床につけながらフィンブルの方を睨みつける。フィンブルは元の人間の姿に戻り、ナターシャの方へとゆっくり歩いてくる。

「ふ~ん・・・やっぱり見せてくれないか・・・」

「?」

ナターシャがフィンブルの言葉の真意を掴み損ね首をかしげると、フィンブルはナターシャのスカートの方を指さした。男の顔は最高に不快な笑みを浮かべていた。

「いや、パンツですよ、貴女のパンツ。黒タイツを履いているといっても薄っすら見えるはずなんですよね~・・・でもさっき吹き飛ばした時も今もずっと足を閉めていてスカートの中を見せないようにしているせいで見損なったんですよね~・・・残念だなぁ・・・」

『この下種がっ!この男はとことん私を腹立たせ、不快にさせるのがお上手なようですわねっ!』

ナターシャは男の下品で低劣な発言に虫唾が走る程の最悪な嫌悪感を覚え、心の中で吐き捨てた。

『・・・落ち着きますのよ、私。あんな男の口車に乗せられてはいけませんわよ・・・』

ナターシャは心の中で深く深呼吸すると、男の殺気を感じ取る。男の殺気は先程より薄くなっており、隙だらけだった。

『私のような戦闘に不慣れな者ならばいつでも殺せると思っているのかしら・・・それともあえて攻撃をしてくるのを待っていますの?私の機嫌を敢えて悪くして・・・』

ナターシャはフィンブルの思考を考えながら、痛みが引いた体をゆっくりと起こし立ち上がると、ライフル銃を構える。フィンブルは口笛を吹く。

「ほう?まだ戦う気ですか?・・・いいですねぇ、その心意気。余計惚れてしまいそうですよ。」

フィンブルは自身の周りに再び真空波の渦を発生させ、それを自身の体に纏わせる。

「でも貴女、もういい加減学習したらいかがです?私に貴女の弾丸は効かない、それはもう十分身に染みているはずなのに。」

フィンブルはナターシャを見下すように挑発的な目で見つめる。ナターシャは銃を握る手に力を込め、フィンブルの挑発に乗らないように精神を統一させる。

『確かに、あの男には私の銃弾は効きませんわ。恐らく、霊力で作成した銃弾も・・・効かないでしょうね。』

ナターシャはちらりと足元に散らばっているもの目を移す。足元に散らばっているものの中の『あるもの』を見て、ナターシャはある決意を抱く。

『でも『これ』を使えば・・・もしかするとあの男にダメージを与えられかもしれませんわ・・・試してみる価値は・・・ありますわ!』

ナターシャは視線をフィンブルの方へと再び向け、真っ直ぐ睨みつけた。フィンブルは相変わらず不敵な笑みを浮かべてナターシャの方を見つめている。

「そう言われてもまだ分かりませんか?・・・全く、貴女も懲りない人だ・・・」

フィンブルは呆れながら言葉を発すると、体を気体に変え、フィンブルがいたところに激しい真空波の竜巻が発生する。周囲に散らばっている家財が粉々に切り刻まれていく。

「ならばそんな貴女でもしっかりと理解できるよう、その体を原型も残らないほど切り刻んであげますよ!・・・貴女のような美しい体を醜い肉片に変えることは悔やまれますけどね!」

フィンブルの叫びと共に激しく渦巻く竜巻が拡散し、ナターシャを取り囲むように襲い掛かる。ナターシャは咄嗟に銃を背中に背負い、両腕を顔の前で組み風の刃で顔を切らないようにしてから勢いをつけて前転した。

ナターシャの全身に風の刃が掠り、服が少し裂け白い肌を血がツウゥ・・・と静かに流れ出る。

『い、痛い・・・でも、上手く躱せましたわ!』

ナターシャは背中に背負っていたライフル銃を両手に持つと床に仰向けになり、天井を仰ぎ見る。宙には薄い風の波が漂っており、それらがナターシャの真上へ集まってきて、霧状の雲を生成する。

「はっ!そんな床に仰向けになって・・・どうやら相当死にたいようですねぇ!」

霧状の雲は千切れ、ナターシャに向かって鋭く落ちてきた。

『殺った!あの体勢ではもう回避できねえだろ!』

フィンブルが勝利を確信した瞬間、ナターシャは頬を上げ、妖艶な笑みを浮かべる。

「やはり来ましたわね!待っていましたわ、この時を!」

ナターシャはいつの間にか、右足に絡ませていたランプを、足を思いっきり上へ上げ、吹き飛ばした。ランプが風に切り刻まれ、中に入っていた油が空中に撒き散らされた。

ナターシャはすかさずライフル銃を構え、宙に散らばっている油目がけて銃弾を撃ち込んだ。

鉛の銃弾が油に触れ、回転による摩擦により油が燃え広がり、一気に周囲に散らばっている油に伝わり部屋を赤く燃え上がらせた。ナターシャの体に炎の熱風が当たる。

「う・・・がああああああああ!」

フィンブルの悲鳴と共にナターシャに迫っていた真空波の雲は周囲に拡散し、激しくのた打ち回る様に荒れ狂った。

『一か八かの賭けでしたけれど、上手くいきましたわ!銃弾による攻撃は効かなくても、炎の熱による攻撃はどうやら効くみたいですわね!』

ナターシャは荒れ狂う風を見て確信を得た。フィンブルは相変わらず気体のまま、炎の苦しみを抱きながら暴れまわっていた。

「よくも、よくも、よくもおおおおおお!やりやがったな、この雌猫があああ!調子に乗んじゃねえぞ、温室育ちの分際でええええ!」

先程とはまるで別人のように口調が変貌したフィンブルが激しい真空波を発生させ、床を思いっきり切り刻んだ。ミシミシッと嫌な音がナターシャの耳に入ってくる。

『まずいですわっ!あの男っ、まさ・・・』

ナターシャは咄嗟に立ち上がったが時すでに遅く、執事長室の床は細切れに切り刻まれ、ナターシャと部屋に置かれてあった家財が一階へと落ちていった。すさまじい衝撃と落下音によって屋敷全体が震える。ナターシャはうまく受け身をとり、華麗に地面へと着地することに成功した。

一階は食料品貯蔵室のようであちらこちらに食材や調味料が散乱しており、小麦粉の袋が破れ中の粉が宙を舞い、ナターシャの全身を白く染める。

『あの男、床を丸ごと切り落とすなんてっ!なんて力ですの・・・』

ナターシャは上を仰ぎ見て、先ほど落下してきた執事長室を見る。まだ、上には霧状になっているフィンブルが留まっており、激しく渦巻いていた。うっすらとフィンブルは実体化し、一階に落ちているナターシャを見下ろす。顔の半分が焼けただれ、男の本性を現すかのように醜く変貌していた。フィンブルは自身の焼けただれた顔に手を触れる。

「俺の顔をよくも・・・もうお遊びの時間は終わりだぜ、お姫様ぁ?その四肢引き千切って、生きたまま犯してやる・・・俺に絶望と屈辱の顔を見せながら死んでいきやがれ・・・見たところ、恋愛なんてしたことなさそうだし、処女だろゥ?・・・いいねえ、興奮してきたなぁ!」

フィンブルは歪に歪んだ狂気の笑みを浮かべ、再び体を霧状に変化させると、一階目掛けて無数の竜巻を発生させ、襲いかかってきた。

『くっ!』

ナターシャは咄嗟に、自身の周りに結界を張り攻撃に備えた。フィンブルの風が食糧庫全体に漂う。

『荒れ狂えぇ・・・『狂乱風絶』!』

フィンブルは食糧庫全体に展開した竜巻を周囲に拡散させ、部屋全体を切り刻んだ。その攻撃は先程からナターシャに襲い掛かってくるものとは比べ物にならない程の範囲と威力で、一瞬でナターシャが張った結界を細切れに切り刻み、吹き飛ばした。

「ああっ!」

ナターシャは咄嗟に両腕を組み、身を守る体勢をとったが鋭い風がナターシャに襲い掛かり、服と黒タイツを裂き、激しく出血する。内臓まで深く切り刻まれたが、運よく四肢は切断されることなくつながったままだった。

『う・・・体が・・・思うようにっ・・・』

ナターシャは自身の体から流れ出た血によって出来た血だまりに溺れるように倒れこむと、特にダメージが深い腹部にかけて自分自身で治癒術をかけ始める。メリッ・・・グチュ・・・と不気味な音を立てながら内臓が治癒されていく。辺りには先程の風のせいで小麦粉の袋が全て破れ、霧のように前が確認できない程宙を漂っていた。そのほかにも砂糖といった調味料なども

フィンブルがうっすらと実体化し、ナターシャを見る。その目は相変わらず、怒りで満たされていた。

「四肢が無事に繋がっているとはな・・・運のいい女だなぁ。・・・でも、もうお終いだぁ・・・」

フィンブルはナターシャの周囲に真空波の竜巻を発生させ、取り囲んだ。吹き荒れる風によって小麦粉の粉が舞い上がり、ナターシャとフィンブルを包み込む。

「今すぐに、さっき言ってたことを実行してやるよ・・・どうだ、恐ろしいか?」

ナターシャはフィンブルの問いに答えることもなく、ただじっと男を睨みつけることも微笑むこともせず、真顔で見つめ続けた。

「あまりの恐怖で感情すら失ったか・・・まあ、それも仕方ないか、今まで戦場に身を置いていないのだからな・・・殺されるという恐怖も滅多に味わったこともないのだろうからな・・・」

フィンブルは霧状に変化し、ナターシャに向かって襲いかかる。周りを取り囲んでいる竜巻もその合図とともにナターシャ目掛けて、襲い掛かった。ナターシャは身動きをとらず、ただフィンブルの攻撃を待ち受けた。

「もう逃げられねえぞぉ、お姫様ぁ!今度こそ・・・死ねぇ!」

フィンブルの攻撃がナターシャに当たるその瞬間、ナターシャはぼそりと呟いた。


『・・・死ぬのは・・・貴方の方ですわよ?』


フィンブルはナターシャのその言葉を聞き、一瞬攻撃を緩めてしまった。その一瞬がフィンブルの生死を分けた。

ナターシャは一瞬で自身の周りに結界を張り、『真上』に向かって銃を構え、引き金を引いた。ガァァン!という鋭い音と共に銃口から鉛玉が飛び出し、火花が散る。すると散った火花が周りに漂っている小麦粉に燃え移り、一気に周囲へと拡散していった。

ナターシャは床に蹲り、体を守る体勢をとった。周囲に張り巡らされている結界にヒビが入り、割れそうになったが何とか爆発に耐えることができ、特に怪我を負うこともなく無事に爆発によるダメージを躱すことができた。

『なっ⁉』

フィンブルは思わず逃げようとしたが、一瞬のことで体が反応することはなかった。炎は床に散らばっている砂糖などにも引火し、一瞬で部屋中に広がり、そして爆発した。その爆風波室内に留まらず、部屋のドアをぶち破り外にも勢いよく飛び出していき、屋敷全体を震わした。窓ガラスが勢いよく割れ、宙にぶら下げているシャンデリアが吹き飛び地面に勢い良く落ちる。フィンブルの全身に熱風と爆風が直撃し、周囲に張り巡らせていた風が細切れに散っていく。

「ぐがあああああああああ!馬鹿なあああああああああ、この俺が、俺が俺があああああああああああああ!こんな小娘にいいいいいいいいいいい!」

爆風と熱風に悶え苦しむフィンブルにナターシャは静かに語りかける。

「粉塵爆発・・・というのはご存じで?可燃性の粉塵が気体中に浮いている状態で、火花などの些細な火種によって引火し、大爆発を起こす現象ですわ。小麦粉や砂糖などがさっき言った可燃性の粉塵に当たりますわ。・・・貴方は自ら敗北を引き寄せていたことを、『私より』戦いに身を置いていた癖に分かりませんでしたの?」

フィンブルは叫び声をあげながら、霧状のまま千切れ飛び、この世からその姿を消した。フィンブルと爆発が消え去ると、自身の周りに張っていた結界を解除し、ゆっくりと痛む体を起こす。既に内臓へのダメージは完治させていたが、まだ体中には切り傷が多数残っており、立っているだけでやっとの状況だった。

ナターシャは虚空と消えたフィンブルに向かって言葉を吐き捨てた。

「なんて哀れな人です事・・・地獄に行って、その罪を清算なさいな。」

ナターシャは辺りを見渡す。爆発のせいで部屋中煤まみれで、あたりに散らばっている食材も全て灰と化していた。

ナターシャはベルツのことを思い出し、何処にいるかも分からないベルツの下へと歩き始めた。

「ベルツ・・・ベルツは無事ですの?確か・・・外で他のエージェントと戦っていたはず・・・」

ナターシャは痛む体を引きずり、灰だらけの食糧貯蔵室から出る。いつもより長く感じる廊下を歩き、正面ホールを目指す。

「はあ・・・はあ・・・」

ナターシャは乱れる息を懸命に整えながら廊下の壁に身を寄せながらゆっくりと歩く。体全体に治癒術をかけているが、意識が乱れているせいで霊力が集中できず治癒速度が落ちてしまっていた。

そんな中、奥の方から一つの人影がナターシャの方へと向かっていた。ナターシャはその人影に非常に見覚えがあった。

「ナターシャ様!ご無事ですか⁉」

左肩に深い傷を負っているベルツが全身傷だらけのナターシャを見つけ、慌てた顔で駆けつける。

「ベルツ・・・無事、でしたの・・・」

ナターシャは壁から離れ、ベルツの下へと歩こうとしたら体が前のめりになり、倒れそうになる。ベルツは前に倒れそうになるナターシャを受け止め、地面に膝をつく。ベルツの服にナターシャの体から薄っすらと流れる血が付着する。

「ナターシャ様!しっかりして下さい!」

ベルツは先ほどナターシャが歩いてきた方を見る。伝ってきた壁には血痕が付着しており、その血痕はある部屋から続いていた。ベルツは部屋の入口に書いてある名札を見る。

『食料貯蔵室・・・あの部屋がさっきの爆発の爆心地か・・・あの部屋で一体何が・・・』

ベルツは視線をナターシャに戻す。息遣いが激しく、大量出血で体が震えているナターシャの姿を見て、ベルツは彼女の全身に治癒術をかけ、一気に傷を癒す。その時、己の体温を分け与えるようにナターシャを強く抱きしめた。ナターシャもベルツの体をしっかりと腕を絡ませた。

「・・・申し訳ありませんでした、ナターシャ様・・・すぐに救援に向かうことが出来なくて・・・」

ベルツの語り掛けにナターシャは優しく微笑んだ。

「貴方も戦っていたのでしょう?体の傷を見れば分かりますわ・・・それに、こうなったのも私が貴方の制止も聞かずに勝手に進んだ結果ですわ・・・貴方が謝る必要は・・・ありませんわよ・・・ゲホッ、ゲホッ!」

ナターシャが咳き込み、ベルツの服に軽く吐血し、赤い斑点がベルツの胸元につく。

「ナターシャ様!あまり喋ってはいけません!傷口が開きますよ!」

ベルツは意識を集中させ、治癒術の精度を高める。ナターシャの体から流れる血は止まり、傷口もほぼすべて完全に塞がった。

『俺の治癒術は軽い外傷だけなら治せるが、内臓までの深い傷は治せない・・・今回ナターシャ様は多くの傷を負われたが、内臓まである深い傷は無いようでよかった・・・いや、待て?』

ベルツはナターシャの腹部を覗き見る。そこには服がぱっくりと開いており、ナターシャの傷一つない綺麗な肌が見えていた。その様子を確認したベルツは考えた。

『この服の裂け様・・・間違いなく内臓まで達するほどの重傷を負った時の裂け方だ。器用に服だけ裂けるなんてありえない・・・まさか、本当は重傷を負っていたのに、自力で治したのか?・・・だとしたら、彼女の治癒術の能力は・・・』

ベルツはナターシャがミグルを一瞬だけゾンビ化させた時の事を思い出し、あの時も彼女からはすさまじい霊力を感じた事を再確認した。確かにあれほどの治癒能力ならば自身が重傷を負っていたとしても、意識さえはっきりとしていれば完全に治すこともできるだろう。

しかし、治癒術を他人にかけるのと自分にかけるのではその難易度は変わってくる。特に意識の問題が壁となり、深い傷を負えば負うほど意識を保つのが難しくなって、霊術を使用できなくなる。そんな中、彼女は痛みに耐え自身の傷を完治させたであろうことを直感で理解したベルツはナターシャに尊敬の念を抱いた。

『なんて人だ・・・根性あるなぁ・・・』

ベルツはナターシャを見つめる。外傷が完治したのもあるのか、ナターシャの体温は元に戻り、呼吸も規則正しく行われるようになっていた。

ベルツは辺りを見渡し、周囲に敵がいないことを確認する。

『敵はどうやらもういないようだな。だが、完治したとはいえ、まだ彼女を歩かせる訳にはいかない・・・ならば。』

ベルツはナターシャの背中と膝の裏に腕を回し、自身が立ち上がると同時にナターシャを持ち上げた。ナターシャは思わずベルツからお姫様抱っこされたことで動揺した。

「ベルツっ⁉何をしますの⁉」

ナターシャの頬が桃のように赤く染まる。

「すみません、ナターシャ様。まだ貴女の体は傷を塞いだばっかりでありますのでこのようにして運ばせて頂きたいと思っています。・・・嫌でしょうか?」

「別に・・・嫌じゃありませんけれど・・・」

ナターシャはベルツの服に顔をうずめる。

「でも・・・お姫様抱っこなんてされたことなんてありませんでしたから・・・実際に抱えられたら・・・少し・・・恥ずかしいですわ・・・」

ナターシャは顔を埋めているせいで表情を確認することが出来ないが、おそらくものすごく恥ずかしげな表情をしているのだろう。ベルツもナターシャの言葉を聞いたら少し恥ずかしくなってきた。

『・・・俺も最後にお姫様抱っこしたのはもう何年前だろうな・・・寝落ちした妹を運ぶ時だったかな、最後にしたのは・・・』

ベルツはふと妹のことを思い出し、顔を埋めているナターシャの方に視線を向ける。

『・・・『生きて』いたら、彼女と同い年の24歳か・・・見てみたかったな・・・』

ベルツはナターシャに自分の妹の姿を重ねる。ナターシャが視線をベルツの方に向けて、不思議そうな顔をする。

「どうしましたの、ベルツ?」

ナターシャの問いにベルツは笑顔で対応する。

「何でもありません。・・・すみません、ぼーとしてしまって。・・・行きましょうか?」

ベルツはナターシャに優しく語り掛けると、ゆっくりとあたりを警戒しながら廊下を歩いて行った。後ろの方から焦げ臭い匂いが風に乗って漂ってくる。

ベルツは正面ホールへと出ると、今度は激しい腐敗臭と血生臭い匂いが激しく鼻につき、思わず鼻を塞ぎたくなったがナターシャを抱えている為、鼻を塞ぐことが出来ないことを思い出し必死に吐き気をもようす程の悪臭をこらえた。ナターシャはロビーにつくとベルツの服に顔を埋め、景色を見ないようにした。

『・・・ひどいな・・・さっきも一瞬だけこのホールを通ったが・・・この光景は中々心に

来る・・・』

ベルツは早く通り過ぎようと足を速める。足元に散らばっている死体を踏まないよう丁寧に。

ベルツはすぐにホールの中央まで来た。右側には二階へと昇るための大きな階段がある。

『よし、半分まで来た・・・あと少し・・・』

ベルツが階段の前を通り過ぎようとしたその時、


「姫を抱えて、何処に行くつもりだ?」


階段の上の踊り場から身を押しつぶされそうなほどの霊力と共に威圧的な言葉が降り注いだ。ナターシャも押しつぶされるような霊力を受け思わず、ベルツの顔を見上げる。その声を聴いた瞬間、ベルツはナターシャに囁く。

「ナターシャ様・・・歩けますか?」

「ええ・・・」

ナターシャが小さく返事をすると、ベルツはそっとナターシャの足を地面につけた。その後、ベルツは階段の上の方を睨みつけ、ナターシャがベルツの背後に回り込みライフル銃を構える。

「お前は・・・!」

上の踊り場にいる見覚えのある男がゆっくりと階段を下りてくる。その男はどこか苛立っている表情のままベルツ達を睨みつける。そこには先程、ベルツとナターシャを逃すため、フランクが足止めしてくれていたノーガンが怪我1つ何も負っていない状態で立っていた。

「・・・役立たずの上司の下にいる部下共も同じだな・・・全く使い物にならん・・・」

男は先程戦っていた第五護衛小隊の連中に対して吐き捨てるように言うと、降りてくる階段の途中で歩みを止めた。

「残っているのはお前だけだ、ベルツ・ロメルダーツェ。お前が死ねば、第七護衛小隊は文字通り全滅する。・・・余計な手間は取りたくない。とっとと死んでくれると助かるのだが?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『2月8日 人間界ノスタル・イルージェ 北大陸西部ナターシャ邸 18時15分』


ノーガンがベルツとナターシャの方に向かって歩いてくる。ベルツは棍を構え、ナターシャの盾となるように前に出る。

『こいつがここにいるってことは・・・フランクさんはやられてしまったのか!?』

ベルツは体中に霊力を再び纏わせ、ノーガンに向かって叫ぶ。この男には常に全力で戦わないと勝機はないとベルツは直感で察した。いや、全力で戦っても勝機はあるのかと思うほどの殺気をこの男からは感じていた。

「お前も第五護衛小隊の奴か!?」

ノーガンは立ち止まり、ベルツの方を見る。ベルツは男から発せられる殺気に思わず、怖気つきそうになる。ナターシャは強烈な殺気を受けて、やや過呼吸気味になっている。

「・・・待ち伏せしていたのにやられるとは、情けない連中だ。同じ護衛小隊に所属する身として、とても恥ずかしいな。」

ノーガン軽く舌を打つ。ベルツはノーガンの苛立つ姿を見ながら、質問を投げかける。

「お前・・・第五護衛小隊の隊長か?」

ノーガンはその質問を投げかけられた瞬間にベルツを怒りの形相で見つめた。先程よりも悍ましい霊力の波がベルツとナターシャを襲う。ベルツは第五護衛小隊隊長の姿を見た事はなく、ただ確認したかっただけなのだがどうやらそのことがノーガンの癪に障ったらしい。

「俺があんな雑魚共の隊長だと?・・・そう見えるか?本当に?」

ベルツは息が出来ない程の霊力の波に耐えながら再び質問を返す。押しつぶされそうな程の威圧に上手く声が出せない。

「違う・・・のか?ならあんたは・・・何処の所属だ?」

ノーガンはベルツを細目で観察するように見つめる。するとノーガンは鼻で笑い、頬を少し釣り上げた。

「・・・別に貴様に教えるつもりは無かったが、いい機会だ。教えてやろう。」

するとノーガンは先程よりも激しくより悍ましさが増した霊力の波をベルツとナターシャに浴びせた。ベルツの呼吸が乱れ、ナターシャの意識が飛びかける。ナターシャが倒れそうになったので、ベルツが体を抱える。

「俺は第一護衛小隊所属、ノーガン・ハルシーだ。・・・今までお前が戦ってきたゴミ共と一緒にされると困るな・・・」

ベルツは昨日ズィルバーから第一護衛小隊に関する話を聞いた。始めズィルバーから聞いた時はあまりの規格外ぶりに言いすぎなんじゃないかと思っていたが、直に遭遇すると、その話も決して嘘ではないと実感させられた。

第一護衛小隊・・・7つある護衛小隊の中で最も戦闘能力が高い者達が配属される最強の戦闘部隊で、隊員のレベルは第二~第七護衛小隊の隊長クラス以上の戦闘能力を有しているとされている。そして恐ろしいことに、彼らは全員『異能力者』ではないという点であり、特殊能力に頼らず、自らの生まれ持った属性と戦闘技術で全てのエージェントの頂点に君臨する6人のエージェントで構成されているという事らしい。元々から、彼らは一つの特殊部隊として活動していたらしく、その内容は常に機密事項として公開されていない。また、ある話では彼らはユーグフォリア社の督戦隊であり、組織に反旗を翻したものを始末する部隊でもあるとの噂もされているという。

『督戦隊なら・・・今の俺達はその処罰の対象って訳か。ユーグフォリア社の連中がローゼンヴァーグの支配派についていると分かった今なら、共存派の俺達は邪魔だからな。』

そんな部隊のうちの一人が現に今目の前に悍ましい霊力を発しながら立っている。まるで死刑台に膝をついて、執行人に首を再差し出しているような感じだ。ナターシャの呼吸が荒くなり、苦しそうに息をするのでベルツが声をそっとかける。

「ナターシャ様、大丈夫ですか?」

ナターシャは一言も喋らなかったが、ベルツの質問にしっかりと首を縦に振って返事を示した。ナターシャの意識がまだはっきりとしていることに安堵したベルツは再びノーガンの方を睨みつける。相変わらず押し潰されてしまいそうな霊力をベルツ達にぶつけてくる。

『なんて威圧なんだ、この男・・・勝てるのか、こんな化け物みたいな霊力をぶつけてくる奴に・・・』

ナターシャはベルツのジャケットをぎゅっと握り、ベルツに体を寄せる。ベルツもナターシャに体を寄せ、なるべくノーガンの霊力をナターシャに浴びせないように壁になる。

その時、ベルツの背後に急に子供の声が聞こえた。

「あらら、ナターシャ様、大丈夫ですか?お顔が優れませんよ?」

ナターシャの目の前にいつの間にかブロンズの長髪で見た目が完全に子供のフーリが現れ、ナターシャの顔をまじまじと見つめていた。驚くことにこんなに近くに、それも目の前にいたのにナターシャは声をかけられるまでフーリの存在を認識できていなかったのだ。勿論、ベルツもフーリが言葉を発するまで、彼の存在に気付くことは無かった。

「ひっ!?」

ナターシャは思わず声を上げ、ベルツのジャケットを強く引っ張る。ベルツは咄嗟に棍をフーリ目掛けて凪払う。フーリはひょいっと飛ぶと、ノーガンの横に着地する。

「ノーガン、彼いきなり攻撃して来たんだけど?僕まだ何も攻撃していないのに・・・」

「お前が急に後ろに現れるのが悪いのだろう?」

「驚かせようとしただけなのにさぁ・・・あんな対応とられた少し悲しくなっちゃったな・・・」

ノーガンは小さく溜息をつく。

「こんな状況の中、そんなことが出来るお前の精神年齢に悲しくなるよ、俺は。」

フーリはノーガンの言葉に嫌味に対して耳を塞いで、聞いていない風な態度を取る。そんな態度を見たノーガンは呆れた顔でフーリを睨みつけた。

ベルツはフーリが現れたことによってより困惑してしまった。

『何だあの子・・・もしかしてあの子も第一護衛小隊の隊員?嘘だろ・・・見た目は10歳程の子供にしか見えないぞ・・・』

ナターシャはベルツに耳元で囁いた。その声は恐怖で震えていて、いつものナターシャの声質からは考えられないような程の怯えた声だった。

「あの子・・・普通じゃありませんわ・・・目の前にいたのに、声をかけられるまで気が付かなかった・・・それにあの子・・・隣にいる男とは違って、『何も感じませんわ。』・・・霊力の波も気配も・・・本当に・・・本当にあの子は『人』ですの?」

ベルツはナターシャの言葉を聞いて、フーリに意識を集中させる。確かに、ナターシャの言う通りフーリからは殺気を感じない。というか、これまで戦ってきた相手とは明らかに毛色が違っており、それは隣にいるノーガンも例外ではなかった。

『隣にいるノーガンという男も確かに恐ろしい霊力をしているが、別に違和感を抱くようなもんじゃない・・・しかし、隣にいるあの子は違う・・・今まで戦った相手からは感じ取れなかったものだ・・・でも・・・』

ベルツは目を細め、フーリを見つめる。

『でも何だろう・・・あの子の霊力の雰囲気・・・今までずっと近くで感じていたような気がする・・・気のせい・・・か?』

ベルツはフーリのどこかで身に覚えのあるような不思議な感じを覚えたまま、棍を強く握りしめ、ナターシャも気を落ち着かせ、銃を構える。フーリは改めてベルツとナターシャを見る。

「おや?戦う気なの?」

「・・・簡単に逃がしてもらえなさそうだからな。」

「あはは、それもそうだね!」

フーリは右手を振り上げ掌を開くと、純白に輝くレイピアを出現させ二人の方へ矛先を向ける。

「でも、僕達には勝てないよ、きっと。」

「やってみないと分からないと思うけどな?」

「いや、やらなくても分かるよ。」

フーリは無邪気に微笑む。


「だって君達、もう僕達に恐怖を抱いているでしょう?」


フーリの言葉にベルツとナターシャは互いに驚きの表情を取る。フーリはそんな2人の表情を見て頬を更に吊り上げる。

「相手に恐怖を抱いている時点でその相手との戦いには勝てない・・・基本だよね?」

「ふん、どうして私達がお前なんかに恐怖を抱かなければならないのです?」

ナターシャがフーリに問い返す。

「あはは、面白い事を言うものだねぇ、ナターシャ様。『足が震えていらっしゃるのに』。」

ナターシャは思わず自分の足を見ると、自分の意志とは関係なく小さく震えていた。足をつねり、必死に足の震えを止めようとするが止まることは無かった。

必死に震えを止めようとするナターシャの姿を見て、フーリは更に無邪気に笑い出す。

「無駄だよ~?恐怖というのは無意識に感じ取るモノなんだ。それは心の内側から発せられる危険信号であり、本能的な防衛反応なんだよ。恐怖を感じるからこそ、人は圧倒的な実力を持つ格上の者とは戦わず、服従する事を願う・・・でないと、死んじゃうからね、君達の隊長みたいに。」

「何?『隊長みたいに』だって?」

ベルツが問い直す。フーリが右手でレイピアを振り回しながら退屈そうに話しかける。

「君の隊長も僕に果敢に挑んできたけど、すぐに死んじゃったからね・・・一緒にいた執事の人と一緒にね。・・・隊長っていうから結構楽しめるもんだと思っていたけれど、つまらなかったな、弱かったし。」

フーリが言葉を終えると、ナターシャが急にフーリに向かって銃を撃った。フーリはさっとレイピアを振り、向かって来る銃弾を両断した。鉛弾が真ん中で綺麗に分かれ、後ろの壁に着弾する。

ベルツが思わずナターシャの方を見ると、ナターシャの表情が今まで見たことも無いような怒りの形相となっていて、ベルツは思わず彼女もこのような顔をするのかと恐怖を感じた。

「ドルギンを・・・私の執事を・・・殺しましたの?」

ナターシャの怒りを無理やり抑え込むような言葉を、彼女の神経を逆撫でするかのように笑い飛ばしながらフーリは答える。

「ええ、殺しましたよ。最も、勝手に死んだようなものでしたけれどね。死んだときは、『なんか死んでる』としか思いませんでしたけれどね~。・・・でもさぁ、聞いてよノーガン!あの後の焼け焦げた執事の死体なんだけどさぁ、凄い臭かったんだよねぇ!もう死体を確認するのが苦痛で苦痛でしょうがなかった・・・」

「貴様あああああああああああ!」

ナターシャの怒りの沸点が上限突破し、もう抑え込むことが出来なくなった。ナターシャはフーリに向かってありったけの弾丸を撃ち込んだ。もうベルツの制止も彼女の耳には聞こえない。

フーリは微笑みながら、銃弾をさばく。どうやらフーリはこんな状況になっても楽しんでいるようだ。正気ではない。

「あはははは、楽しいね!もっと撃ち込んできてよ!」

「言われなくてもやりますわよ!」

「ナターシャ、落ち着くんだ!何発撃ちこんでも無駄だ!」

ベルツが必死に訴えかけるが、やはりナターシャは効く耳を持たない。ナターシャはライフル銃に霊力を集中させると、重心が銀色に輝きだす。そのまま狙いをフーリに合わせて、引き金を引く。

『美しき燕達よ、飛翔せよ!』

ナターシャの詠唱と共に霊力で形作られた銀の弾丸が銃口から放たれ、一直線にフーリに飛んでいく。その弾丸はフーリに近づくと、7つの銀の燕に分裂し、散らばった。

「わあ、凄いな!」

フーリは無邪気な子供のように目を輝かせ、その燕達を見る。ナターシャが左手を横に振る。

『穿ちなさい、燕達!悪しき魂を滅せよ!』

ナターシャの合図と共に、全方向から燕達が音速の速さで突撃する。

フーリはレイピアを真っすぐ構え、目を瞑る。フーリの周辺に霊力で形成された結界が一瞬で張り巡らされる。

『爆ぜろ。』

ただ一言、フーリが呟くと燕達が急に爆発した。その燕達の大きさからは見合わぬ爆発の威力に思わずベルツとナターシャは身を構えた。

「くっ!」

フーリは身を構えているナターシャに向かってレイピアの刃先を向ける。

『煉獄の鎖よ、死肉を糧に顕現し、かの者達を拘束せよ。』

フーリが呟くと、周りに倒れている使用人達の死体が急に裂け、錆びた赤黒い鉄の鎖が飛び出し、ナターシャの四肢に絡みついた。ナターシャは必死に振り解こうとするが、びくともしない。

ベルツにも鎖が飛んできたが、全ての鎖を弾き飛ばすと、棍に霊力を集中させナターシャに絡みついた鎖を断ち切った。体勢を崩したナターシャを抱え、ベルツは2人と距離を取る。

『煉獄の鎖・・・人の血肉を糧に鎖を出現させ、対象を拘束する拘束術・・・人道を犯す禁術をこうも簡単に使うなんて・・・奴らは本当に死体に慈悲の欠片も無いな・・・』

ベルツは先程の鎖について考え、ナターシャの方に視線を移す。

「ナターシャ様、大丈夫ですか!」

「え・・・ええ・・・」

ベルツはナターシャに怒鳴りつける。

「怒りに身を任せ、勝手に行動されては困ります!冷静に考えれば、貴女一人で彼に勝てる訳が無いという事ぐらい分かりますでしょう!」

「・・・ごめんなさい。」

ナターシャは顔を俯かせ、ベルツに謝ると肩を小刻みに震わせた。きっと自分ではドルギンの仇を取れないのがとても悔しいのだろう。

「ありゃりゃ、煉獄の鎖が効かなかったよ、ノーガン。」

「死体の鮮度が落ちているからな。あの術は鮮度が高ければ高いほど威力を増す。今この場にある死体では、少々力不足だな。」

ノーガンはそう言うと、フーリの前に出た。

「ノーガン、何するのさ?」

「・・・どいてろ。お前の遊びを見るのも飽きてきた。」

「え~!まだ遊び足りないのにっ!」

「任務は遊びじゃねえんだぞ・・・いい加減理解しろよ・・・」

ノーガンは全身に闘気を纏わせ、ベルツ達を睨みつけ拳を構える。その圧倒的な威圧感を覚えたベルツはナターシャの前に出て、棍を構える。

「さて・・・退屈してただろう、ベルツ・ロメルダーツェ?」

ノーガンはより霊力を高め、ベルツをその霊力の波で威圧する。ベルツは額に大量の汗を流す。フーリはノーガンの姿を階段の上から見つめていた。

『くそっ、なんて霊力だ!・・・このままじゃ確実に殺される!』

ベルツは後ろにいるナターシャに視線をやると、その圧倒的な霊力を浴び、身動きが取れなくなっていた。ベルツの棍を握る手が震える。

『・・・『あの禁術』を使うしか・・・しかし、倒しきれなかったらどうなる?間違いなくナターシャ様は殺される・・・どうする・・・俺・・・』

ベルツが必死に思考を巡らせていると、ノーガンは地面を強く蹴り、ベルツに向かって来る。

『もう迷っている時間はない!・・・やるしか・・・ないっ!』

ベルツが心臓に霊力を集中させ、目を瞑る。ノーガンはベルツの体に霊力が漲るのを確認すると、より勢いを増して接近する。

ベルツが目を見開く。ベルツの全身からノーガンから発せられる以上の霊力の波が溢れ出る。

『轟け!ブラス・・・』

ベルツが禁術を発動しようとした瞬間、正面ホールのドアが勢いよく開き、3匹のドラゴンが雪崩れ込んできた。ベルツは思わずそのドラゴンに意識を取られ、禁術を発動し損ね、ノーガンも向かってきたドラゴンに目標を移し、3匹の内、1匹の頭の上を押さえ、地面に思いっきり叩きつける。地面に叩きつけられたドラゴンの頭は潰れ、周囲に頭蓋骨の破片と脳漿を撒き散らし、声を上げる間もなく絶命した。ノーガンがドラゴンの頭蓋を割ると、フーリはおお~と歓声を上げた。

『ドラゴンの頭蓋を押しつぶすだと!?なんて力だ・・・あんなのに掴まれたら人の頭なんて豆腐みたいに砕け散るぞ!』

ベルツが返り血を浴び、真っ赤に染まったノーガンの姿を見ているとベルツの前に2匹のドラゴンが壁になる様に前方に浮いている。ベルツ達とノーガン達がドラゴンを隔てて向かい合っていると、後ろからもう一体ドラゴンが現れ、ベルツ達の横に倒れ込むように着地した。

ドラゴンの背中には両足が吹き飛び、左腕の義手が外れ、全身から出血しているフランクの姿があった。

「よう、ベルツ・・・遅れてすまないな・・・」

フランクは弱弱しい声でベルツに微笑みながら話しかける。

「副隊長!その怪我・・・」

「ははっ・・・ドジってな・・・足止め・・・出来なかった・・・」

フランクがベルツ達に話しかけると、ノーガンがフランク達に向かって恐ろしい剣幕で襲い掛かってきた。

「ちょっと、ノーガン!殺しきれてないじゃん!あんだけ偉そうに言っといて、自分が仕留めきれていないとか・・・ダサッ!」

「うるせえぞ、フーリ!黙っていろ!」

ノーガンがフランクに向かって接近した瞬間、正面にいた2体のドラゴンが同時に雄叫びを上げ、口から衝撃波を発した。ノーガンは咄嗟に両腕を前に組み、防御の構えをとると衝撃波を正面から受け、奥の階段まで吹き飛んでいき、空中で受け身をとり、地面に着地する。

「・・・手前のドラゴンを始末するのが先か。」

ノーガンが目標を手前にいる2体のドラゴンに変え、戦闘態勢に入る。ドラゴン達は再び咆哮を上げ、互いに連携しながらノーガンとの戦闘に入った。フーリはスポーツ観戦するかのように2階から下を見下ろしている。

フランクはドラゴン達がノーガンとの戦闘に入るのを確認すると、右手の人差し指を正面ホールの入り口に向かって指さした。

「ベルツ・・・ナターシャ様を連れて・・・遠くへ逃げろ・・・出来るだけ・・・遠くに・・・」

フランクが言葉を発する度に全身から血が流れ出る。ナターシャがフランクに近づき、治癒術をかけようと手を差し伸べる。

「フランク!喋ってはいけませんわ!」

ナターシャが治癒術をかけようとフランクに触れたその時、フランクがナターシャの手を無理やり振り払った。

「何をっ・・・」

驚きの表情を見せるナターシャにフランクが静かに語りかけた。

「・・・私に構っていては逃げられません。ベルツ・・・ナターシャ様を無理やりにでも連れて行け・・・」

「そんなっ!そんな事・・・皆で戦えばきっと・・・ベルツも黙っていないで何かおっしゃって!」

ナターシャの叫びとフランクの願いを受けベルツの心の中で葛藤していたが、時間がなく、すぐに決断を下さなければならないという極限状態の中、ベルツは自分の考えをまとめた。

「・・・ナターシャ様、ここは副隊長に任せて、行きましょう。」

「ベルツ・・・貴方・・・何を言いますの!?フランクを見捨てるつもりですの!?」

ベルツはナターシャのその言葉を受けた瞬間、怒りの顔でナターシャを見た。その顔を見たナターシャはベルツが非常につらい判断を下したのかを察し、己の配慮のない発言を後悔した。

「自分だってフランクさんを見捨てたくはありません!自分だって本当は3人でこの場から逃げ出したいですよ!でも・・・今の自分達では彼らには勝てない!ここは一旦引いて、態勢を立て直すしか・・・それには・・・誰かを犠牲にしないと・・・」

「・・・」

ベルツがナターシャに叫び顔を俯けると、フランクがナターシャの肩に軽く手を置いた。

「・・・あまりベルツを責めないでやってください・・・ベルツもそのような判断何て下したくなかったでしょうから・・・」

フランクはベルツの方を見る。

「ベルツ・・・辛い思いさせて・・・悪いな。」

「・・・」

ベルツは俯き、フランクと目を合わせようとはしなかった。もうこれ以上、ベルツは自分の仲間と別れの挨拶なんてしたくなかったからだ。

フランクは自分の懐に手を入れると、一冊の手帳と世界地図をベルツに手渡した。その手帳はフランクの血で真っ赤に染まっており、ベルツが手に持つとべっとりとした感触がした。その手帳の表紙を捲った一番最初にはフランクと彼の妻と娘の3人が笑顔で写っている写真が貼ってあった。そう、この前ベルツに見せてくれた写真だ。

「頼む・・・この手帳を・・・妻と・・・娘に・・・渡してくれ・・・」

ベルツはフランクの言葉を受け、手帳と地図を胸ポケットにしまい、悲しげな眼でフランクを見つめた。フランクはそんな目をするベルツを笑い飛ばした。

「なんて目を・・・していやがる、ベルツ!男ならもっとシャキッとしろ!・・・お前にしかもう・・・頼む奴がいないんだよ・・・」

フランクはナターシャに視線を移した。

「ナターシャ様・・・どうか・・・ベルツの傍にいてやってください・・・こいつは・・・今、精神が危うい・・・すぐにでも・・・壊れてしまいそうなほどに・・・だから・・・貴女が傍にいてあげるだけで・・・きっと・・・ベルツは安心するでしょうから・・・」

フランクの言葉にナターシャはしっかりと目を見て頷いた。ナターシャの確かな返事を見たフランクは再びベルツの方を見る。

「ベルツ・・・後は・・・頼んだぞ・・・お前なら・・・きっと奴らを倒せる・・・そして・・・姫を最後まで護り切れる!・・・俺が言うんだ、間違いない・・・」

「・・・何ですか、その言い方・・・根拠なんか全然ないじゃないですか・・・」

「・・・へっ、何だお前、突っ込みが返せるじゃないか。・・・なら・・・大丈夫そうだな・・・」

フランクはベルツの頭を軽く3回掌でたたいた。20年振り位に頭を撫でられたベルツは恥ずかしさと悲しさの2つの感情が入り混じった何とも言えない気持ちを胸に抱きつつ、ゆっくりとフランクの方を見つめる。フランクもようやくベルツが真っ直ぐに自分の方を見てくれたことに満足したようで、懸命に笑顔を作り2人に微笑んだ。

「・・・さあ、行け!どれだけ持たせられるか分からんぞ!俺が生きている間に出来るだけ遠くへ飛べ!お前のドラゴンは正面に呼んである!」

フランクの合図と共にベルツはナターシャの手を引いて、正面ホールの入口へと走る。ナターシャもベルツの手を放すまいと必死に握りしめ、全速力で走る。

「逃がさないよ。」

2人よりも早く、フーリが正面ホールのドアの前に移動し、ベルツに斬りかかる。ベルツは左手に持っている棍を片手で構え、迎撃態勢をとった。

その時、後ろからフランクを乗せたドラゴンがフーリめがけて突撃し、フーリごとベルツの進行方向右側に押し込んだ。フーリはドラゴンの口元にレイピアを立て、ドラゴンの突撃の衝撃を受け流していた。

「止まるな!そのまま走れ!」

フランクがフーリを抑え込んでいる間にベルツ達は館の外へと出て、噴水がある正面玄関前へと出た。ベルツとナターシャが外に出ると、真上からベルツのドラゴンが急降下してきて、目の前に着地した。

ベルツはすぐに背中に乗ると、ナターシャに手を差し出した。

「ナターシャ様、さあ!」

「ええ!」

ナターシャはベルツの手を取ると、ベルツの背中に座り、腰に両腕を回ししっかりと体を固定した。ベルツはナターシャがしっかりと自分の体に掴まっていることを確認すると、綱を引き、ドラゴンごと空高く舞い上がった。冷たい風を切り、雲海を突き抜け、ドラゴンとベルツ達は空を漂う。

ベルツは先程もらった一見只の紙でできた世界地図を胸ポケットから出し、広げてみる。そこには、人間界の地図が載っていたが、その世界地図の中には丁度ナターシャ邸がある位置にドラゴンの絵が描かれてあり、そのドラゴンの絵がゆっくりと動いていたのだった。

ナターシャも首を前に出し、その地図を見る。

「ドラゴンが・・・動いていますわ。」

「ええ・・・どうやらこの地図は自分の現在地が一目で分かる特殊な霊術がかけられた地図のようですね・・・」

「この地図からはフランクの霊力が感じられますわ・・・きっとフランクが作ったのでしょうね。」

ベルツも地図からフランクの霊力を感じると、そっと地図を畳み懐にしまい、手綱を握ってまっすぐ前を向いた。

しばらく2人は黙ったまま空を漂い続けると、ナターシャがベルツにそっと話しかけた。

「ベルツ?」

「はい?」

ナターシャの呼びかけにベルツが返事をする。何か、ナターシャの声からどこか申し訳なさそうな感じがした。

「・・・先程は・・・ごめんなさい・・・フランクに殿を任せ、私と一緒に逃げるという決断をした貴方を非難してしまって・・・」

「・・・気にしていないですよ、ナターシャ様。貴女が落ち込むことじゃありません。」

ベルツはまっすぐ前を向いたまま、独り言を呟く様に囁いた。ナターシャとベルツはそれ以降、特に会話をすることなく、ただほぼ水平線に沈んだ太陽を眺めていた。

ナターシャはベルツの体に触れていると、ベルツから悲しくて、今にも泣き出しそうな程弱弱しい霊力を感じ取った。ナターシャは先程フランクが言っていたベルツの精神が不安定な点についての言葉を思い出した。

『ベルツ・・・貴方・・・』

ナターシャは何も言うことなく、そっとベルツに寄り添い強く抱きしめた。ベルツとナターシャの体温がお互いの体を行き来する。

『ベルツは・・・同じ護衛小隊の仲間を失い・・・頼れる仲間がどこにもいない悲しい状況ですわ・・・私も同じですけれども・・・』

ナターシャはそっと目を瞑った。

『でも今の私では、足手纏いにしかなりませんわ・・・ベルツと一緒に戦っても・・・彼の足を引っ張るだけ・・・このままじゃ・・・ベルツが責任と不安で押しつぶされてしまう・・・』

ナターシャは腕に力を込める。

『もし私がベルツの為に力になれたら・・・私が強くなったら・・・きっとベルツも元気になってくれるはず・・・』

ナターシャは深く深呼吸する。冷たい大気が肺に入り、体を芯から冷やしていく。

『私も・・・守られているだけじゃダメですわ・・・これ以上・・・犠牲者を出さない為にも・・・ベルツを・・・死なせない為にも・・・一緒に肩を並べて戦う為にも!』

ナターシャはそう覚悟を決めると、ベルツの腰に回している腕の力が自然と強くなった。2人を乗せたドラゴンは沈みゆく太陽を背にして、暗黒の空へと消えていった。 


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