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黄昏色の想い歌   作者: 黄昏詩人
3/5

~Last Hope~

[四章・希望を守り抜く者達]

『2月8日 人間界ノスタル・イルージェ 北大陸西部ナターシャ邸 9時30分』


館に暗殺者が入り込み、ミグルが死んでから二日が経った。二日が過ぎてもベルツ達第七護衛小隊の心は以前と暗いままで、誰も笑顔を零すことはなかった。

館にいるメイドや執事もそうで誰も笑顔にならない所か話し声さえも起こらない。全員いつも暗い表情をしていて、昼間だというのに館の中は少し暗く感じる。

ナターシャもショックを受けているのか日課の馬術や馬上射撃も行わず、部屋の中に引きこもっているばかりだった。出てくるときは食事の時のみといった感じで、その時の表情もやや血相が悪かった。

ベルツとフランクは外の結界がきちんと張られているか昼間であろうが定期的に確認しに行っていた。

この時も朝食を食べ終えると館の結界の周りをベルツは地上から、フランクは空中から確認を行った。特に異常が見られないことを確認し、二人が待機部屋兼第七護衛小隊の寝室に到着すると他のメンバーがエージェントの戦闘服に着替えて二人が帰って来るのを待っていた。

ズィルバーが二人に話しかける。

「異常はなかったか?」

フランクがズィルバーに報告を行う。

「はい、特に異常は見られませんでした。今のところ、あの時以来結界は破られておりません。」

「そうか・・・ご苦労だった。」

ズィルバーは部屋にいる小隊員が全員視界に入るように立つと軽く息を吸い込んだ。

「今日はナターシャ様が北大陸北部にあるラクスロックという町で開かれる共存派の貴族達との懇親会に行かれる日となっている。もう間もなくナターシャ様が外出なさる為、私達は今から外で警戒しながらナターシャ様を待ち、その後はナターシャ様の身に危険が及ばないように移動中、市内、そして会場内での警護を行い、無事にこの館までお連れするのが今回の任務だ。」

ベルツ達の表情が引き締まる。ズィルバーの語気が強くなっていく。

「すでに敵の襲撃を受け、こちらは一人欠員を出した状況だ。本部に増援の依頼を出しても今は手が一杯だといって結局増援は来なかった。・・・我々で姫を守りきるしかないという厳しい状況だ。」

ベルツは拳を強く握る。

「敵は恐らく今日我々が懇親会の場に行くことも把握しているだろう。戦闘が起こる可能性も高い。・・・また死人が出るかもしれない。」

ズィルバーが唇を強く噛む。

「だがどのような困難が目の前に現れようとも、私は君達とならば最後まで姫を守り切れると信じている!君達にはあらゆる困難を突破するための力があると思っているからだ!」

ズィルバーはまっすぐにベルツ達を見つめる。その目に答えるかのようにベルツ達もまっすぐにズィルバーを見つめる。

ズィルバーはベルツ達を眺めると笑みを浮かべた。

「では只今より護衛任務を開始する!心して掛かれ!」

「「「「了解!」」」」

ベルツ達はズィルバーの号令に答えると一斉に部屋の外へと出る。廊下を歩き、正面ロビーに出ると屋敷の中で働いているメイドと執事が迎えていた。

館の入り口の前には執事長のドルギンが立っており、ズィルバー達が目の前まで行くと深くお辞儀をした。周りにいるメイドと執事達も一斉にお辞儀をする。ズィルバー達もつられて深くお辞儀をする。ズィルバー達が頭を上げてもドルギン達は未だに頭を下げたままだった。

ドルギンは頭を上げるとズルバー達に向かって穏やかな口調で話しかける。

「第七護衛小隊の皆様・・・お嬢様を・・・ナターシャ様をお願いします・・・」

「ドルギンさん・・・」

「この館にいる者達は皆ナターシャ様に命を数われた者なのです。孤児で捨てられていた者、迫害を受けていた者・・・そのような世界から迫害された私達をナターシャ様は差別することなく受け入れてくれました。」

ベルツは改めて周りにいる使用人たちを見ると確かに人間種やその他多数の少数民族の人達がこの屋敷で働いていることが見て取れた。

『この屋敷は・・・俺の故郷と似ている・・・』

ベルツの故郷もこういった者達が集まってできた村である為、この屋敷を訪れた時に何処か懐かしい雰囲気を味わったことをふと思い出した。

『だから懐かしく感じたのか・・・今納得できた。』

ベルツはこの屋敷に漂う何処か故郷に似た懐かしく気持ちを落ち着かせてくれる空気を改めて肌で感じ取った。何時までもこの屋敷にいたい、不意にベルツの心の中でそういう声が発せられていた。それほどまでにベルツにとってこの屋敷は居心地がよく感じ取れたのだ。

ドルギンはズィルバーに話を続ける。

「我々も貴方達の役に立ちたいと思っておりますが、足手まといにしかなりません。・・・本当に、情けなく思います。」

「・・・」

「ですのでどうかナターシャ様を私達に代わってお守りして頂けないでしょうか?何を勝手なことをとおっしゃっても構いません。いくらでも罵りは受けます。ですから・・・お嬢様を・・・」

ドルギンは目から涙を流す。ズィルバー達はドルギンの涙を見て彼の心情を察した。

彼もナターシャ王女の為に役に立ちたいと心から思っているのだろう。しかし、どうしても人には出来る事と出来ない事があり、出来ない事が目の前にあることがとても歯がゆく感じているのだろう。彼の涙には一言では表せられないような感情が入り混じっていた。

それほどまで主であるナターシャ王女を想っている人をどうして蔑んだりすることが出来るだろうか?

「ドルギンさん。」

ズィルバーはドルギンに優しく語り掛ける。ドルギンは涙目になった眼をズィルバーに向ける。

「必ずナターシャ様をこの屋敷へと連れ帰って見せます。仮に敵から襲撃を受けようとも、必ず。・・・そしてこれから何があっても私達第七護衛小隊は皆さまと共にあります。」

ズィルバーの声を受けて、ドルギンが軽くお辞儀をするとハンカチを取り出し、涙を拭う。

「貴方達がお嬢様の護衛を担当することになって本当に良かった・・・本当に・・・ありがとうございます・・・」

ドルギンは何度も何度もお辞儀をした。周りにいる使用人たちも習ってお辞儀をする。

「・・・では、外で待っております。」

ズィルバー達はドルギンにお辞儀をすると玄関の外へと出ていく。外にはリムジンが止まっており、ズィルバー達はそのまま車を囲むようにナターシャが来るのを待った。

ズィルバー達はナターシャが来るまでの間何処か得体のしれない不安感に襲われていた。根拠は何もなかったが何か直感的に全員が良くないことが起きるような空気を感じ取っていたからだ。

『何も起こることなく無事に終わってくれればいいんだけどな・・・嫌な予感だけは不思議と的中するんだよな・・・』

ベルツは頭の中で嫌な予感を振り払おうとする。それでもストーカーのように嫌な予感だけが頭の中を走り回っている。

館の正面玄関のドアが急に開かれ、奥からナターシャがゆっくりとリムジンに向かって歩いてくる。ナターシャの顔色は最近と比べてだいぶ良くなってはいたが、それでもやや無理をしているような雰囲気は隠しきれていなかった。

ズィルバー達は一斉に深くお辞儀をする。ナターシャもスカートの裾を軽く上げてお辞儀をする。

お辞儀を終えるとナターシャはズィルバーに話しかける。

「ズィルバー、今回の護衛・・・よろしくお願いしますわ。」

「こちらこそ宜しくお願い致します。姫様の命は我らが命に代えても守り切ります。」

ナターシャが無理に笑みを浮かべる。ベルツにはその笑みはどこか悲しそうに見えた。

「・・・駄目ですわよ、勝手に死ぬなんて。・・・・そんなの、私が許しませんわ。」

「・・・承知しました。」

ナターシャは優しく、どこか悲しげにズィルバーに告げるとリムジンの中に入っていく。そのままズィルバー達もリムジンの中に入っていく。

執事長のドルギンが運転席に座り車の運転を行う。助手席には隊長のズィルバーが座り、ナターシャと同じ車内にはベルツ、マーク、マルナの三人がナターシャを囲むように座り、非常事態が発生した際にすぐさま盾になることが出来る体制を取っていた。副隊長のフランクはドラゴンに乗って上空からの偵察を行う。

リムジンは館の敷地から出ると、ハイウェイに乗り北大陸の北部を目指す。しばらく殺風景な代わり映えの無い景色が過ぎていくと、レンガ造りの歴史を感じる何処か古めかしい街に到着した。

この街はラクスロックという名前で主に世界中に流通している高級時計の産地として有名だ。その他にも様々な精密機械を伝統的な手法の手作りで作成していることから作成された品々はもはや芸術品クラスであるとしても名が知られている。

暫く市内を車で進むと、街の中心にある円形のオペラハウスに車は止まった。オペラハウスの前には数多くの貴族が集まっており、皆オペラハウスの中に入っていく。

「ベルツ、外に出て安全の確認を行ってもらえるか?」

ズィルバーの言葉を受け、ベルツがリムジンの外へと出る。オペラハウスの近くには町のシンボルとしても有名な時計塔があり、その周辺には町の中の他の建物と比べたら年季が入っている建物が多くあった。

時計塔の上などの気配や周りの建物から発せられる殺気などが無いか、探っては見たが特に何も感じられなかった。

「・・・大丈夫です。今のところ周りには敵勢力は見えません。」

「分かった。今から姫を車外へと下ろす。警戒は決して怠るな。」

ズィルバーとドルギンが車から降り、ドルギンがリムジンの後ろのドアをゆっくりと開ける。リムジンの中からナターシャがゆっくりと降りてきて、ズィルバーが手をナターシャに差し出す。ナターシャはズィルバーの手を優しく手に取るとゆっくりとオペラハウスの中に入っていく。

ナターシャの後ろにマークとマルナがしっかりと付き、ナターシャの背後を警戒する。ベルツはナターシャが建物の中に入るまで辺りを警戒し続けた。

ドルギンは後部座席のドアを閉めると再び運転席に戻り、リムジンをオペラハウスの地下にある駐車場へと向かわせた。

屋外には人の姿がほとんどなくなり、ベルツと会場に配置されている数人のセキュリティが外で警戒を続けているだけだった。

ベルツは先程から殺気といった不快な空気の感じは一切醸し出していない時計塔が何故か気になってしょうがなかった。人影も感じないのになぜかベルツの中では何か得体のしれない違和感がうごめいていた。

『何だろう・・・何故かあの時計塔から視線を感じるような気がする・・・』

ベルツが時計塔の頂上を見つめていると不意に後ろから肩を誰かに叩かれた。後ろを振り向くと、マルナが後ろに立っていた。

「マルナさん・・・」

「何しているの?ナターシャ様も心配していらっしゃったわよ?」

マルナはナターシャからベルツを探してくるよう言われてきたらしい。ベルツはナターシャに迷惑をかけてしまったことを心の中で詫びながら、先程から感じていた妙な違和感をマルナに話した。

「あっ・・・すいません。少し気になったことがあって。」

「何が?」

「あの時計塔なんですけど・・・なんか感じませんか?」

「時計塔?」

マルナが時計塔を眺める。しばらく眺めた後、マルナはベルツの方を向いた。

「別に霊力は感じないけど・・・フランクに確認させてみましょうか。」

「そうですね。私から連絡しておきます。」

ベルツは無線機で空中にて待機しているフランクに連絡を取った。

「フランクさん、聞こえますか?」

『はっきりと聞こえているぞ、ベルツ。・・・何か問題でも?』

「少し調べてほしい場所があるのですが・・・オペラハウスの近くにある時計塔を少し見てもらいませんか?」

『了解した。・・・何か感じたのか?』

「いいえ、何も感じなかったのですが・・・少し気になりまして・・・」

『分かった、今すぐ向かおう。』

そう言うとフランクは向こうから無線を切った。ベルツはマルナの方を見る。

「フランクさんが今から確認に行ってくれるそうです。」

「分かったわ。なら私達は中に入るとしましょう?隊長とマークはすでにナターシャ王女の近くで警護しているわ。」

マルナがそそくさとオペラハウスの中に入っていく。ベルツも時計塔をちらりと見て、マルナの後を追って時計塔の中に入っていく。

オペラハウスの上空の空に雲がかかり陽の光が入り込みにくくなり、町全体が薄暗くなる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『2月8日 人間界ノスタル・イルージェ 北大陸北部 時計の町ラクスロック

12時40分』


「只今、暗殺対象が集会場に入るのを確認した。」

共存派の集会が開かれるオペラハウスの近くに存在する巨大な時計塔の頂上にいる黒い影達がナターシャと第七護衛小隊がに入るのを確認すると、無線で何者かに連絡を取っていた。無線機から彼らに対して返答が来る。

『了解した、直ちに仕事に取り掛かれ。・・・幸運を祈る。』

無線機が切れると無線機を持っていた男が後ろを振り向き、彼の部下と思われる者達に話しかける。

「・・・準備は出来たか?」

男の感情を押し殺したような低い声が男の部下達の耳に入ると、部下たちは軽く頷いた。

「良し、今すぐ配置に付け。合図は今回特別に我々第五護衛小隊のサポートに来てくれた第一護衛小隊のノーガン隊員が行う。・・・見逃すなよ?」

そう男が言うと、その場にいる第五護衛小隊の二人がその建物へと向かって行った。その場から部下達がいなくなるのを確認すると、男は手に持っている無線機の周波数をいじり、無線機に話しかけた。

「フィンブル、オスカー、そちらの首尾は?」

『完璧です。すでに隊長から受けた『仕事』は終えました。』

「流石だ。今からこちらも仕事に入る。私の指示があるまでその場に待機しろ。」

『了解。』

第五護衛小隊の隊長は無線機を切ると、時計塔の奥に佇んでいる男を見つめた。まるで影と同化するような薄気味悪い男で、その男はズッ・・・と時計塔の陰から姿を現した。

「・・・順調か、グリンデル第五護衛小隊隊長?」

ノーガンと言われる第一護衛小隊の隊員がグリンデルに静かな声で話しかける。ズィルバーは軽く頷き、言葉を付け足した。

「はい、今のところは計画通りです。・・・今回貴方がサポートに来てくれて感謝していますよ。」

「そうか。・・・そう言ってもらえて大変嬉しいね。」

ノーガンは軽く鼻で笑うと時計塔の端まで近づき、下を見下ろした。舌には多くの人々が行き来しており、街中は喧噪であふれていた。

「しかし、こんな昼間の・・・人がたくさん街を歩いている最中に暗殺任務を行えとは・・・ゼリード王子もなかなか無茶を言いますね?」

「・・・本来は数日前に片が付く予定だったんですよ。私の部下が屋敷に忍び込み、全員始末する予定でしたから・・・」

「しかし貴方達は失敗をした。・・・なぜ彼一人で行かせた?全員で殴り込みに行けばよかったのではないのか?」

「第七護衛小隊は主に諜報部隊の集まりです。戦闘が出来る隊員はこちらが確認している限りではズィルバーという第五護衛小隊隊長とベルツと言われる隊員だけだったはずなので、彼一人で十分だと私が判断したのですが・・・」

「まさか戦闘能力がほとんどないたった一人の隊員しか仕留められなかった・・・それに相打ちの状態にまで持っていかれるとは・・・実に情けない。暗殺者にしては少し無能な気がするのだが?」

「そうおっしゃられても・・・文句は言えません・・・」

グリンデルはノーガンからそっと目線をそらす。ノーガンは自分の無能さを後悔している素振を見せているグリンデルの姿を見ると、再び時計台の頂上から下を見下ろした。相変わらず下には多くの人々が歩いていた。

「しかし、第七護衛小隊のベルツ・・・だったかな?さっきからずっとこの時計台の頂上をずっと見ていたが・・・気配や霊力は遮断していたはずなんだが・・・」

「偶々・・・ではないのですか?」

ノーガンは小さく首を横に振る。

「偶々にしては目の付け所は悪くはない。・・・面白くなりそうだ。」

ノーガンは頬を歪に上げ、ニヤリと笑う。グランデルはノーガンの笑みを見てなぜか背筋か凍るような邪悪さを感じ取る。

グリンデルの腰に掛けてある無線機が鳴り、グリンデルが応答に出る。

「私だ。」

『こちら、ケルナ。只今配置に着きました。』

『こちら、ラスタ。ケルナ副隊長と同じく配置に着きました。』

「了解した。合図を待て。」

グリンデルは無線機を切るとノーガンの方を見る。

「ノーガン隊員、準備完了です。」

「分かりました・・・ではそろそろ始めますか・・・」

ノーガンは時計塔の頂上にある巨大な時計を見つめる。針が丁度午後一時を指し、時計塔に設置されている巨大な鐘から町中に鐘の音が響き渡る。

「さて・・・『人形遊び』でも始めるとするか。」

ノーガンは静かに指を鳴らした。街中には鐘の音がただ時刻を知らせるためだけに鳴り響いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『2月8日 人間界ノスタル・イルージェ 北大陸北部 時計の町ラクスロック

13時00分』


ベルツとマルナの二人はオペラハウスの中に入ると、警備員から金属探知機を検出するスキャナーとボディチェックをするよう要求されたが、ベルツ達は自分が護衛小隊のものであるという証明書を掲示するとすんなりと通してくれた。その後階段を急ぎ足で駆け上がり、ナターシャとズィルバー、マークがいる特等席に向かう。劇場は4階建てになっており、それぞれの階から演劇が行われる劇場に入ることが出来る。階が上昇するにつれてその席を利用する人物の社会的地位が高くなっていき、最上階の4階の席は王家の者達しか座ることが出来ない。今回ベルツ達第七護衛小隊はローゼンヴァーグ家の姫であるナターシャの護衛という事で特別にその席から観覧することが出来る。と言っても、辺りへの警戒を常に行う為まともに劇を見ることは出来ないが。

ベルツが豪華な金の装飾がなされている赤いドアを呼吸を落ち着かせゆっくりと開けると、既に席に座っていたナターシャがゆっくりと後ろを振り向く。

「遅かったですわね?どうかしましたの?」

ベルツはナターシャに近づき返事をする。マルナはベルツの左後ろにすっとつくとそのまま立ち尽くす。

「いいえ、特に異常はありませんでした。・・・少しよそ見をしすぎてしまいまして・・・」

ナターシャは小さく溜息をつく。

「・・・しっかりしてくださいな。頼りにしておりますのよ?」

「申し訳ありませんでした、ナターシャ様・・・今後気をつけます。」

ベルツがナターシャに頭を下げると腰にぶら下げている無線機が振動した。フランクからの連絡だ。

「ベルツ、フランクと連絡を取ってくれ。私達はナターシャ様を守る為にここから離れられないからな。」

ズィルバーがベルツに無線機を向ける。

「お前達の会話の内容はこちらでも聞こえるから、情報の共有はできるだろう。」

「分かりました。・・・では少し失礼します。」

ベルツは再び一礼すると、素早く劇場から出てフランクの連絡に応答する。

「こちらベルツ。フランクさん、聞こえますか?」

『ああ、はっきりと聞こえる。』

無線機からフランクの声と何かが激しく羽ばたく音がいくつも聞こえてくる。恐らくフランクが従えているドラゴンの羽ばたきの音だろう。

『今ベルツが確認してほしいと言っていた時計塔を確認したが、人の姿は見えない。つい先ほどまで人がいたという気配すらも感じられない。』

「そうですか。どうやら私の気のせい・・・だったようですね。」

ベルツは先程時計塔から感じていた謎の違和感に再び疑問を抱いたが、自分の緊張のしすぎだという事にした。実際にフランクが時計塔まで行って痕跡が何も見つからないと言っているのだから、きっと気のせいなのだろう。ベルツは小さく溜息をつく。

劇場からジ~というブザー音が流れる。どうやら演劇がもう始まるようだ。

「フランクさん、調査ありがとうございます。引き続きオペラハウスの上空と周辺の警戒をお願いします。」

『了解した、そっちも気を抜くなよ。敵はどこから来るか分からないからな・・・ミグルがやられた時みたいに・・・な。』

フランクは無線を切った。ベルツは腰に無線機をしまうと、近くの手すりに両手を置き、俯いた。

『確かにあの日、俺達はきちんと確認した。・・・屋内外問わず霊力の探索も行い、侵入者がいないという事は明らかだったんだ・・・』

ベルツは両手を強く握りしめる。握りしめすぎて手が震え始める。

『でも『奴』はすでに館の中に潜んでいた・・・俺達に気付かれることなく・・・ひっそりと・・・』

ベルツは手を離すと、右手を顔に当てて目を瞑る。今回の襲撃ではミグルが襲われたが、あの状況では何時、誰が襲われてもおかしくはなかった。

『従来の探索方法が通用しない相手にどう戦えばいいってんだ・・・ミグルさんはその命を懸けて敵を排除してくれたが、もし仕留められていなければ、俺達もただじゃ済んでいない。きっとナターシャ様だってもしかしたら・・・』

ベルツはナターシャが暗殺される姿が頭にふと浮かぶと、首をゆっくりと横に振りそのイメージを拭い去る。

『しっかりしろ俺!弱気になってどうすんだ!』

ベルツは心の中で自分を脅し言い聞かせる。ベルツは先ほど出てきた劇場へのドアの方を振り向き、歩き始める。

ドアの音を立てずにゆっくりと開けると既に劇場内は照明が切られ、ステージ以外は暗闇に覆われていた。ズィルバーが軽く横眼でベルツを見ると、直ぐにステージの方を見る。ズィルバー達はナターシャを中心として、囲むように座っていた。ベルツはナターシャの右後ろにある席に静かに座ると周りに気を張りながらステージを見る。

ステージ上には一組の男女が踊っており、男性は騎士のような格好で剣を持っており、女性の方はドレスに身を包んでティアラをつけていた。

『この演劇の名前は確か・・・『王女の守護者』だっけか?妹が好きだったな・・・』

ベルツはこの所要時間120分程度の劇を小さい頃よく妹と見ていた。初めは両親と連れられて見ていたが、ベルツの妹はこの劇を大変気に入り、ベルツの故郷の近くの街でこの劇が行われるとなった時は毎回見に行っていたほどだ。

この劇は一人の姫とその従者が互いの身分を超えて愛し合うというよくあるラブストーリーだ。ベルツはよく妹に無理やり連れられてこの劇を見ていたので、台詞を暗記する程完全に内容を把握していた。

『でも俺は・・・この劇があんまり好きじゃないんだよな・・・だって・・・』

ベルツは目を細め、座席の背もたれに深く寄りかかる。

『だってこの物語の最後・・・従者は姫を守って死ぬからな。初めてタイトルを見た時から何となく察していたけどさ・・・』

ベルツは腕を組み、右手で顎をさすると、小さく咳払いをした。ステージ上では従者が姫の前に跪いて右手の中指についているルビーの指輪に軽くキスをしていた。

このストーリーの最後は、死んだ従者を想い続け誰とも結婚することなく老いて死んだ姫があの世で従者と再会し互いに抱き合うというものだった。この展開を見るとベルツはいつも創作物なのだから純粋にハッピーエンドを書けばすっきりするのにと考えてしまっていた。

『この作者は悲劇を含んだハッピーエンドを描きたかったのだろうか・・・当時の価値観が反映されているのかもしれないだろうけど・・・』

この劇の脚本が出来上がったのは今からおよそ300年前らしい。確かにその頃は今と比べて、種族間で差別が酷かったし、身分の違いによる差別も酷かった。今では多少緩和されているとはいえ、まだそのような差別は根元に深く張り付いている。このストーリーはその当時の世界の無常さを表現しているのかもしれない。

ベルツは目線をステージからナターシャの方に向けるが、ベルツからはナターシャの表情は見えず、ナターシャはじっと視線をステージの方に向けていた。彼女がこの劇を見て、何を想っているのかふと気になり始めた。特に理由は分からないが、なぜかベルツは、彼女とこの劇の感想を語り合いと思ってしまった。しかしすぐに、ベルツはその考えを撤回した。

『・・・何考えてんだ、俺・・・』

ベルツは分を弁えていなかった愚かな考えを捨て去るように軽く溜息をつくと、再びステージに視線を移す。ステージ上では姫が中央に立って従者を想う心の声を叫んでいる。

その後劇は無事に終わり、劇場内に照明が薄っすらと灯り始める。下の方の客席がざわめき始め、客達がどんどん劇場から出て行く。この後、ナターシャは懇親会という事でこのオペラハウスの3階にあるパーティルームに向かう為、ゆっくりと立ち上がった。ズィルバーとマークが先頭に立ちナターシャを先導しながら前方を警戒し、ベルツとマルナが後方を警戒するようにナターシャを取り囲む。

ナターシャ達は劇場を出て廊下を歩き、階段をゆっくりと降りて3階へと向かう。

「ごきげんよう、ナターシャ様。」

「ごきげんよう・・・」

ナターシャは廊下ですれ違う貴族達にからの挨拶に軽く返事をする。皆、ナターシャが横を通り過ぎる度に壁を背にしてナターシャに深くお辞儀をする。ナターシャを無視したり、そのまま素通りする人がいない事から、ナターシャはローゼンヴァーグ家の末席にいるとは言え、その影響力は絶大なものとベルツはあらためて思い知らされた。

パーティルームのドアが見えると、ズィルバーが無線機に向かって小声で話しかける。

「パーティルームには多くの人がいる。その中に紛れてナターシャ様に手を出そうとする奴もいる可能性が高い。・・・各自全員の挙動に目を配り、決してナターシャ様から目を離すな。そして怪しいと思った奴は必ず報告すること・・・いいな?」

ナターシャ達がパーティルームのドアの前に来ると、ドアの前に立っていたスーツを着た二人の男がそれぞれ左右のドアを開ける。ドアが開き中に入ると、2,300人はいると思われる程大勢のタキシードを着ている男性や綺麗なドレスを身に纏った女性達がパーティルーム内にいくつも配置されている机の周りでワインを飲みながら談笑していた。

周りにいる人達がナターシャの姿を確認すると、全員ナターシャの方に振り向き一気に深くお辞儀をする。何百人と周りにいる人々がこちらに向かってお辞儀をする光景にベルツは緊張してしまう。

『俺に向けてお辞儀はしていないのは分かるんだけど・・・この威圧感、凄まじいな・・・』

ベルツは周りからのプレッシャーを無視しながら周囲を見渡し警戒する。今の所特に変わった人物や物は見当たらない。

暫くして、皆がゆっくりと顔を上げナターシャの所に集まってくる。ナターシャは集まってきた人々と話しかけていく。ベルツやズィルバー、マーク、マルナは周囲の警戒を強めた。

ピッ・・・ピッ・・・

何か時間を刻んでいるような電子音が微かに聞こえる。始めはこの会場にある巨大な振り子時計かと思ったが、この時計の音ではない。そもそも電子音なんてするはずもないのだから。

ベルツは無線機に囁くように呟く。

「何か電子音らしき時間を刻む音が微かに聞こえます。・・・注意してください。」

『私は何も聞こえないが・・・確かか?』

マークがベルツの方をちらりと横目で見てきたので、ベルツは小さく頷く。

「間違いありません。・・・しかもさっきより音が大きくなっています・・・」

ズィルバーとマルナも辺りへの警戒を強め始めるがどうやらベルツが聞こえているという奇妙な音は聞こえていないようで、やや焦りの表情をし始める。

『何処から聞こえる、ベルツ?』

ズィルバーがベルツにやや焦りの感情を含んだ声で囁く。

「ナターシャ様から向かって右側・・・隊長の右側の方から聞こえてきます。」

ピッ・・・ピッ・・・

相変らず謎の音はベルツの耳に入ってくる。ベルツは有事に即対応できるよう、体全体に霊力を少しずつ纏わせ始める。

『仮にこれがナターシャ様に危害を加えるものだとしても・・・こんな人気が多いところで襲うのか?・・・だとすれば敵は一体何を考えているんだ?何が狙いだ・・・』

ベルツは敵の真意を読めず、思考を巡らせた。その時だった、

ピッ、ピッ、ピッ、ピッ・・・

音の感覚が先程とは全く異なる。ベルツは思考を中断し、自分の右手に霊力を手中させる。

『来るっ!』

ズィルバーがようやく気付いたようで、音が鳴る方を思いっきり振り返る。

だが遅かった。

ピーーーーーーーーーーー

「死ね、ナターシャ!」

急に集まっていた人々の中から急にナターシャに対して暴言を吐いた男がジャケットを脱ぎ捨てる。その体には小型の爆弾が大量に巻き付いていた。

『この爆弾・・・まさか!』

ズィルバーはその爆弾を見て反応が遅れてしまい、体が一瞬硬直してしまった。

ベルツは右手を手招くように動かすと窓を破ってベルツが常に愛用している棍がベルツの手元に飛び込んできた。ベルツは棍に霊力を手中させ、ナターシャを引き寄せ左手で抱えると、霊力を纏わせた棍を床に突き立てる。

『ロメルダーツェ流棍術、地の舞、第四幕・・・岩塞絶壁!』

床に霊力を伝えると、床を突き破り巨大な岩がベルツ達を囲むように展開される。岩が展開された瞬間、男は壮絶な爆音と爆風を撒き散らしながら自爆し、その衝撃が岩の裏側にいてもひしひしと感じられる。

岩はベルツの霊力の供給が止まると、砂に変わり、崩れていった。爆発後のパーティルームは凄惨なもので、辺りには集まっていた人々の無残にも手足がバラバラに吹き飛び、胴が焦げ付いている死体が散乱していて、鼻には息をしただけ吐き気を催す程の刺激臭が匂ってくる。その他にも様々な重軽傷を負った人々の阿鼻叫喚が部屋中に響き渡り場の空気は混沌としていた。

ベルツはナターシャの鼻もとにハンカチを優しく押し当てる。ナターシャは急な展開に思考が追い付かず、呆然としていた。

「ベルツ、よくナターシャ様と私達を守ってくれた!助かったよ・・・」

ズィルバーはベルツに感謝を述べると辺りを見渡す。そして先程爆散した男がいた方を見る。男の姿は跡形もなく、黒い影が出来ていた。

「あの男はどうやってオペラハウスに入ったのでしょうか?赤外線でのスキャンやボディチェック等もあったのに・・・」

マルナがズィルバーに問いかける。ズィルバーは軽く舌を打つ。

「あの男が身に着けていた爆弾・・・あれはユーグフォリア社が最近極秘に開発した特殊爆弾だ。あらゆるセンサーにも感知されることもなく、信号音も極めて小さい・・・通りで聞こえにくかった訳だ・・・ボディチェックの時はつけていなかったんだろう。オペラハウスの中に入って自身の体に巻き付けたんだ。」

ズィルバーが先程の爆弾について解説する。しかしここで一つの疑問がベルツの頭に浮かんだ。

「でも、その爆弾ってユーグフォリア社が極秘に作成したんですよね?なんでそんなものをあの男が?」

ズィルバーはその男が爆散したところにできた黒い影を見つめながら答える。

「恐らく、今回の襲撃にユーグフォリア社が関わっているという事だ・・・ミグルが言っていただろう?『敵は俺達と同じエージェントの戦闘服を着ていた』ってな。」

ズィルバーは拳を握りしめる。

「だがさっき自爆した男はエージェントではない。只の支配派の中でも過激な奴らのうちの一人だろう。・・・エージェントであんな自爆特攻かます馬鹿はいないからな。」

マルナがナターシャに寄り添う。ナターシャは少しずつ事態を把握していったようで肩が震えて来ていた。

「ナターシャ様・・・大丈夫ですか?」

ナターシャはマルナをゆっくりと見つめる。

「ええ・・・大丈夫・・・ですわ。」

ナターシャは深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。しばらく深呼吸をした後にナターシャは再びマルナを見た。その目にはどこか自信が無い何処か不安な感情が現れていた。

「マルナ・・・私は間違っていますの?私が今取り組んでいる民族の共存活動は・・・人々から殺意を向けられるほど罪深い行いですの?」

マルナはナターシャの肩に手を置き、静かに落ち着いた口調で話しかける。

「いいえ、貴女は何も間違ったことはしていませんよ、ナターシャ様。貴女の思想はこれからの世界の発展には欠かせないほど素晴らしい考えです。現に、100年前から始まった民族融和により、私達ヒトという種はこれまでの技術の進化のスピードとは比べものにならないほどの速さで進化しました。そして、世界規模の争いも減少し、平和な世が訪れたんですよ?・・・もっと自信を持ってください。私達はナターシャ様、貴女を信じておりますので・・・」

マルナはナターシャに優しく微笑む。ナターシャはマルナからの言葉に少し救われたのか落ち着いた表情を見せる。

ナターシャはすっと立ち上がり、ズィルバー達を見つめる。

「皆、今から私の元に負傷した人たちを運んできてくださいな!私が全員の応急処置を致しますわ!」

「ナターシャ様、あまり無理をしないでくださいよ・・・」

ズィルバーがナターシャに進言すると、ナターシャは軽く横に首を振り、少し得意げな顔を作った。

「心配無用ですわ。こう見えても治癒術と霊力の持久力には自信がありますのよ?」

ナターシャはふっと微笑むと近くに倒れている左足と左腕が吹き飛んでいる男性の元に駆け付けた。男性の周りには幸い無事だった人が集まって傷口に布を当てて止血をしていたが、傷口に当てているが真っ赤に染まり、あまりの出血に血が布から垂れており、男性の顔色も悪く、死人のように白くなっており、意識を失っているのか瞼を下ろしたままだった。。

「大丈夫ですわよ・・・すぐに痛くなくなりますわ。」

ナターシャはその男性の元に寄り添うように座ると、体を包み込むように治癒陣を展開させて、治療を始める。男性の手足はもう元には戻りはしないが、傷口は瞬く間に塞がり、手足の欠損以外にも負っていたからだ儒の傷も瞬く間に塞がっていった。

その異常な治癒速度を見たベルツ達は、ミグルに治癒術をかけた時の様子の事を再び思い出していた。ズィルバーがベルツ達に話しかける。

「お前達も見たか?」

「はい。あの治癒速度・・・尋常じゃない速さですよね。」

ベルツは視線をナターシャの方を向けたまま、ズィルバーに返事をする。

「それに治癒術を発動している時の霊力の放出量・・・私達ならあんなに放出していればすぐに底をついてしまいそうですけど・・・」

「ナターシャ様を見る限り、全く余裕そうだな。・・・流石ローゼンヴァーグの血を引いているというべきか、桁外れな霊力量だな。」

マルナとマークがお互いに囁くように呟き合う。ローゼンヴァーグの血を引く者の特徴として挙げられるのはその信じられない程の保有霊力量だ。その霊力量はおよそ一般的な天族の約20倍と言われており、その膨大な霊力量により大量の霊力を消費する霊術であろうとも難なく連発できる。実際ローゼンヴァーグ家の血を引く者は武に長けている傾向が強く、戦闘センスもずば抜けていることで有名な一族でもある。

男性は目をゆっくりと開けナターシャの姿を見ると、目に涙を浮かべた。

「あ・・・ありがとうございます、ナターシャ様・・・なんと言ってお礼したらよろしいか・・・」

ナターシャはそっと男性の額に手を当てる。

「喋ってはいけませんわ。まだ傷は塞がったばかりですのよ?・・・私が傍にいますからゆっくりと横になっていてくださいな。」

男性は小さく頷くと、再び瞼を閉じ地面に横たわる。ナターシャは男性が落ち着いた呼吸で休んでいるのを確認するとベルツの方を振り向いた。

「ベルツ、何をボケッとしていますの?早く他のけが人を運んできてくださいな!」

ベルツはナターシャの叱責を受け、ナターシャの治癒術に関する能力の考察を中断し近くに倒れているけが人をナターシャの元に運んでいく。ナターシャがその怪我人に治癒術をかけ始めると、すぐまた別のけが人を丁寧に運んでくる。手足が吹き飛んでいたり、内臓に深い傷を負っているような重症人に関してはナターシャが直接その場に行って治療を施していた。

ズィルバー達もベルツと同じく怪我人の搬送を手伝おうと動き始めその時、マルナはナターシャの傍の空間が僅かに歪んだように見えた。

『今空間が少し歪んだような・・・気のせい?』

マルナがその空間を注視しているとまたもや空間が歪んだ。二度目の歪みを確認したマルナはその時確信した。

『敵襲っ!』

マルナはナターシャに向かって走り始め、喉が裂けんばかりの大声で叫んだ。

「ナターシャ様!その場から離れてっ!」

マルナの叫びにナターシャとベルツが思わず顔をマルナの方に向ける。ベルツは反射的にナターシャを両手で抱きかかえると後ろに飛び下がった。ナターシャの周りの空間が激しく歪む。

ヒュンッ。

ナターシャの左耳元で何かが鋭く風を切る音がし、左耳に着けていたピアスが千切れ飛んだ。ベルツはナターシャを自身の背後に回し、棍を素早く身構える。ベルツの目の前の風景の歪みが消え、ベルツが謎の姿を見失うとマルナが先程まで歪んでいたところを腰に差していた刀を抜き、素早く切り払った。ブンッと宙を斬る音が聞こえただけかと思ったら、タンッ、タンッ・・・と一定のリズムで刻む足音のような音がベルツ達から離れていった。

マルナがナターシャの方を横目で見る。

「ナターシャ様、ご無事ですか⁉」

ナターシャは一回頷く。額には冷や汗が流れていた。

「ええ、無事ですわ!」

マルナがベルツの元に近づく。

「良く気づきましたね、マルナさん・・・」

「偶々よ、見逃していたらナターシャ様の首が飛ぶところだったわ・・・」

ズィルバーとマークもすぐに異常に気付いて、マルナたちの元に駆け付ける。

「敵か⁉」

「はい!・・・でもどこから入ったのか、そして今敵が何処にいるのかが全く分からない状況です。」

ズィルバーとマークも腰に下げている刀を抜く。マルナがズィルバーに敵の情報について共有する。

「敵の能力は恐らく『体を透明にする、又は風景と同化する』能力であると考えられます。そして、何らかの行動をとる時に空間の歪みとして認知されるという欠点があるように思われます。」

「つまり敵の位置をこちらが認識できるのは、向こうが私達に対して攻撃を仕掛ける時・・・その瞬間を見逃すなという事だな?」

「・・・恐らく。後、足音も消せるわけではないようですが・・・」

ズィルバーは周りを見る。周りには先程から動揺を隠せない人々がざわついていたり、オペラハウスから出ようと走り出す人々の騒音が耳につき、肝心の敵の足音の判別がつかない。

「この騒ぎも敵の思惑の内・・・という事か。」

「既にパーティルームにいたほとんどの人が逃げ出したとはいえ、まだ2,30名ほど救護の手伝いをしてくれている方達が残っています。・・・派手に戦えば彼らに被害が及びかねませんし、敵が人質を取る事や殺害することだって十分にあり得ます・・・」

ベルツはナターシャの方をちらりと見る。ナターシャは未だに救護できていない人の方を心配そうに見つめていた。たった今、自分が殺されそうだったのに。さっきからそうだ、ナターシャはまだテロリストが辺りに潜伏している可能性があるのにも関わらず、『動きすぎていた』。

『彼女の性格からして人気のないところで暗殺するよりかは、白昼の中、人々を多く巻き込みながらの方が命を狙いやすいという事か・・・とことん弱みに付け込んでくる気だな。』

ベルツが周りへの警戒をしていると、奥から男性の悲鳴が聞こえた。ベルツ達がその声の方を振り向くと、男性が横腹から血を流して倒れていた。

その負傷した男性の近くの風景が少し歪んでいるのをマルナが確認すると、一気にその男性の元へ駆けつけ、刀を振るう。またも宙を斬る音だけが響き、斬撃は当たらなかった。

「・・・」

マルナはその男性の傷口に優しく布を当てる。

「大丈夫ですよ、落ち着いて深呼吸をして・・・」

マルナは辺りへの警戒をしながらその男性の救護を行う。ズィルバーがマルナの元に走り出し、その姿を見たナターシャも負傷した男性の元へ駆けだそうとした時、ベルツが腕でナターシャの進路を阻み制止した。

ナターシャがベルツを睨みつける。この時、ベルツは妙な胸騒ぎを抱いていた。

「何をしますの、ベルツ?早くこの腕をどけなさい!」

ベルツはナターシャの不快な思いを含んだ言葉をスルーすると先程から抱いている胸騒ぎについて思考を巡らした。

『何故、あの男性を殺さなかった?いつでも殺せたはずなのに・・・わざと殺さなかったのか?だとしたらその目的は・・・』

ベルツが考えている内にズィルバーがマルナの所に駆け付ける。

「マルナ、その人の容態は?」

「問題ありませんが彼、少し妙なんです・・・」

マルナが話を続けようとしたその瞬間、ズィルバーの背後の景色が歪んだ。マルナが叫ぶ。

「隊長、後ろです!」

ズィルバーは後ろを振り向きながら刀を振る。何もないはずの空間で金属がぶつかるような音がし、ズィルバーの刀が宙で止まる。

「そこにいたか!全く手間を取らせる・・・」

ズィルバーは頬を吊り上げてようやく敵の場所を特定できたことを喜んでいたが、ベルツは何故か汗が止まらず、ズィルバーが敵の攻撃を迎撃した瞬間、先程の胸騒ぎがより激しくなった。

『ますい・・・何か分からないけど、今自分達はまずい状況に足を突っ込んだ気がする!』

ベルツは思わず叫び声を上げた。

「マルナさん!隊長!今すぐその場から離れてくださいっ!」

ズィルバーとマルナはベルツの叫びに一瞬動揺した。その時だった。

ザクッ・・・

「うっ!」

先程マルナが救護していた短髪で茶髪の男性が急にマルナの腹部目掛けて潜ませていた食事用の銀のナイフを突き刺した。マルナは目を見開き、後ろに下がる。

ズィルバーがマルナに視線を移した瞬間、なのもなかったズィルバーの前の空間から詰襟で横に深いスリットが入ったエージェントの服を着た女性の姿が現れ、ズィルバーの頭目掛けて回し蹴りをかました。

ズィルバーはその回し蹴りを、姿勢を低くして回避すると、逆にズィルバーは蹴りで吹き飛ばした。女性は宙で受け身を取ると地面に着地する。マークが女性に向かって斬りかかり、その女性は鉤爪でマークの刀を受け止めると激しく鍔迫り合いを始めた。女エージェントは仮面をつけていて素顔が特定できない。

マークが女エージェントを食い止めているのを確認すると、ズィルバーがマルナの方を見る。

「マルナ!大丈夫か⁉」

マルナは腹部に刺さったナイフを見つめ、流れ出る血を止めようとナイフを抜かずに傷口を覆って出血を止めていた。先程救護をした男性はゆっくりと立ち上がり、両手に再び銀のナイフを出現させた。その男性は何も表情を変化させることなく、ただマルナを見下ろすように見つめていた。

「まさか・・・貴方も、敵・・・だったなんて・・・」

ズィルバーがその男性に斬りかかる。その男はズィルバーの斬撃をすっとかわし、懐に忍ばせていた食器用のナイフやフォークを大量に投げつけてくる。ズィルバーは全ての食器を叩き落すと、その男に視線を合わせながらマルナの方に近づく。

『この動き・・・こいつもエージェントなのか⁉』

ズィルバーは驚きながらも、マルナの方を振り向き、彼女に近づく。マルナは汗を大量に流し、痛みに耐えていた。

「マルナ、今から手当てしてやるから・・・」

その時、マルナの腹部に刺さっているナイフが赤く光り出した。

「こ、これ・・・!」

ズィルバーが男の方を見ると、マルナの腹に刺さっているナイフから赤い線が男の手までつながっていた。男はその繋がっている方の手の指を鳴らした。

「止めろっ!貴様・・・」

バーンッとそのナイフがナイフ自体の大きさに見合わない程の大爆発を起こし、ズィルバーは爆風により壁まで一気に吹き飛ばされた。ベルツは爆風がナターシャに当たらないように体でガードする。

ズィルバーが打ち付けられ痛む体を起き上がらせ、マルナの名前を叫ぶ。

「マルナ!返事をしろ、マルナ!」

ズィルバーの目の前を覆っていた煙が晴れ、ズィルバーはマルナの姿を確認した。マルナの姿を見てズィルバーは落胆した。

マルナの腹部に刺さった食事用ナイフが爆発したため、マルナは体が原形を留めないほどバラバラになって吹き飛んでおり、体を爆発時の熱により溶けていたり、焦げたりしていた。辛うじて顔は判別できる為、その無残な死体がマルナだと判断できてしまうのがより精神的に来る。

一方マークは敵の女エージェントと攻防を繰り返しており、激しい戦いを繰り広げていた。マークがその女性と再び鍔競り合いになった時に睨みつける。

「お前、なんで仮面なんかつけてんだ、邪魔だろう?・・・今すぐに剥がしてやるよ!」

マークは素早い斬撃を繰り出し、仮面をつけた女の体勢を崩しにかかる。女の方もなかなかの手練れのようで隙を全然見せず、上手に立ちまわっていた。

暫く互いの攻防が続くと、仮面の女が急に息を吸い込み始め、マークに聞こえるように囁く。

「・・・邪魔だ。」

ぼそりと呟いた後、仮面の女は地面を這うようにしゃがむと自身の姿を背景に同化させ、マークの視界から完全に消え失せた。

「逃がさん!」

マークはすぐさま仮面の女が消えたところに素早く刀を横に振り、鋭い一閃をお見舞いずるが、当たった感触はせずブンッと空を切る音が鳴っただけだった。

タンッ、タンッ、タンッ・・・

素早い一定のリズムで刻まれる足音のような音がマークの周りを不規則に聞こえてくる。始めはマークの周りをぐるぐると高速で回っているのかと思っていたがどうやらそういう訳ではないらしい。

『回っているだけじゃなくて・・・飛んでいるのか!』

その音はどんどん間隔が早くなっていき、音も大きくなっていく。マークは何かこの音の法則は無いのかと必死に考える。マークを取り巻く時間の流れが過剰な思考力のせいで遅行する。

『くそ・・・やはり何度聞いても不規則に音の場所が変わる!』

その時だった。足に力を入れ踏み込んだ時のように急に足音が強くなった。その音は右側から聞こえてきた。

「そっちか!」

マークは音の方向に踏み込み、刀を振るうがまたもや刀が女に当たった感覚はなかった。

「鈍間な奴め。」

仮面の女はマークの真上に現れると、マークの首に身に着けていた鉤爪を突き刺した。マークは驚きの表情をし、目線を上に向ける。

『上に・・・飛んでいたのか・・・』

首に鉤爪を突き刺されたマークを見たベルツが叫ぶ。

「マークさん!」

ベルツがマークの方に向かって突撃してきたので、仮面の女は次の相手をベルツとし、狙いを定めマークの首から鉤爪を抜こうとした。

ところが、ケルナがいくら鉤爪を引き抜こうと力を入れてもマークの首から鉤爪が抜けることは無かった。

「っ⁉」

仮面の女が必死に引き抜こうとする腕をマークは左手を後ろに回して掴んだ。マークはベルツに叫ぶ。

「ベルツ、こっちの心配はしなくていいから、ナターシャ様から離れるな!」

ベルツも首に深々と鉤爪が刺さっているのに普通に話が出来ているマークに驚きを隠せなかった。ベルツはマークに言われた通りに、すぐにナターシャの元に戻り、マークの首元に注目した。

鉤爪が刺さっているところから水たまりに水滴を垂らした時に現れる波紋のような模様が、マークの首に現れていた。マークはそのまま仮面の女の腕を振り回し、壁に思い切り叩きつける。女は動揺しているのもあってか受け身を取れずにそのまま壁に叩きつけられる。女を壁に叩きつけたマークはそのまま女がつけている仮面を刀で弾き飛ばす。仮面が宙高く舞い、地面にカラン・・・と軽い音を立てて転がる。

「貴様も・・・能力者か⁉」

「生憎な。・・・先程までの余裕はどうした?」

マークは女の首元に刀を突きつける。

「俺の能力『存在透過』は俺が認識したありとあらゆる物体を透過する能力・・・この能力で俺はお前の鉤爪を回避した。・・・残念だったな。」

マークがズィルバーに話しかける。

「隊長!この女に見覚えがありますか⁉」

ズィルバーはマルナを爆殺した男と戦いながらその女の顔を見る。細目で一見大人しそうな顔・・・どこか深い闇を感じるその眼・・・ズィルバーは確信した。

「マーク!その女は護衛小隊の奴だ、間違いない!以前招集がかかった時に社長室にいたのを見たことがある!」

ズィルバーは声を張り上げ、マーク達に伝える。マークはその女を見下ろす。

「貴様・・・所属は何処だ?既に貴様が護衛小隊に属していることは分かっているんだ。」

女はフンッと鼻を鳴らす。

「言うと思っているのか、この私が?」

マークはその女の首に刀を軽く突き刺す。女の首から血がツウッ・・・と流れる。

「・・・死にたいのか、お前?」

女は相変らず無表情でマークを下から睨みつける。

「私は死を恐れてはいない・・・殺したければ殺せばいい・・・」

マークが刀を握る力を強め、少しだけ首に刃を差し込む。流れ出る血の量が増える。

「だったら望み通りに殺してやる・・・お前達はミグルとマルナを殺したんだ・・・生かして返すものか・・・」

マークが殺気を露わにした表情でその女を睨みつける。マークにとってはミグルとマルナは前から同じ部隊だった。マークがその女に対して殺意を抱くのも無理はない。

だが、その女はマークの怒りの形相を見ると、不敵にも少し色気のある笑みを浮かべる。

「殺せるといいな・・・『お前が死ぬ前に』。」

「何っ?」

その女が言葉を発したその瞬間、ベルツはある違和感に気付いた。ナターシャの護衛とマークとズィルバーの戦闘に注目しすぎて周りを良く見ていなかったので把握できていなかった為そのことに気が付かなかった。

『周りにいた人達は何処に行った⁉何時いなくなった⁉・・・どさくさに紛れて部屋から出て行ったのか?』

室内にはまだ10~20名ほどの人達がいたはずなのだが、ベルツが周りを見渡しても室内にいるのは自分、ナターシャ、ズィルバー、マーク、仮面をつけていた女、マルナを爆殺した男の6名だけだった。

マークもそのことに気付き、表には出さなかったが心の中で激しく動揺してしまった。

「ベルツ!周りの人達は何処に行った⁉」

「それが・・・自分も分からないんです!誰一人・・・何処に行ったのかが・・・」

「ナターシャ様!貴女は⁉」

「ごめんなさい・・・私も見ていませんわ・・・気が付いたら誰もいなくなっていましたわ・・・」

マークはズィルバーの方を見たが、ズィルバーも周りの人達がいつの間にか消えていることに動揺している様子だったのを見て、質問をするのを止めた。マークはその女を再び見つめる。

「貴様・・・何をしたっ⁉」

その女はマークに対して挑発的な笑みを見せ続ける。

「私は何もしていない。・・・只『彼ら』を見ていただけだからな。」

「見ていた?なら俺達の周りにいた人達は何処に行ったんだ、言え!」

「そう怒鳴りつけるな。・・・案外近くにいるのかもしれんぞ?」

その瞬間、女の首に突きつけている刀を持った右腕が『上』から降ってきた『何か』によって切断され、切断面から血が噴き出る。さらに、斬られた右腕に意識を集中させていると、またも『上』から降ってきた大量の食器用のナイフが体中に刺さる。自身の異能力を発動する暇はなく、ナイフは体に深く食い込み、内臓へのダメージが顕著に体力に現れる。

「なっ⁉」

マークは思わず体制を崩すが、足を踏ん張り堪える。この時のマークは痛みよりもなぜ自分の右手が切り落とされたのかの疑問の方が上回り、痛みはそれほど感じられなかった。しかし、体に受けたダメージは大きく、思うように体が動かせなくなっていた。

マークは降ってきた『何か』に視線を移す。その『何か』を見たマークは思わず絶句してしまった。

「ば・・・馬鹿なっ・・・」

マークの両側には調理用の鉈を両手に持った『先程までこの部屋でナターシャのサポートとして救護活動を行ってくれていた人』がいた。その2人の目は、血走っており体中に血管が浮き出ていた。筋力も相当上がっているらしく、タキシードを着ていても分かるほど、筋肉が盛り上がっていた。

「マークさん!上を見てください!」

ベルツの叫びと共にマークは上を見る。天井には先程の人達がまるで夏の夜の電灯に沢山の虫が集る様にびっしりと張り付いていた。まるでヤモリや蜘蛛のように。

「人間が、まるで虫達みたいに張り付いているだと・・・有り得ん・・・」

その時、女が起き上がり、天井を見て驚愕しているマークに向かって鉤爪を突き立ててくる。

「・・・っく!」

マークは鉤爪が自身に刺さる寸前に能力を発動させ、突きを無効化する。マークの胸に刺さった鉤爪はマークの胸に水の波紋のような模様を描き、体中に刺さっていたナイフが床にカランッと音を立てて落ちていく。

「ちっ!少し遅かったか。」

女が鉤爪を抜こうと体を後ろに下げた瞬間。マークが女の胸ぐらを左手で掴み、持ち上げる。

「何っ⁉」

女は驚愕して、マークを凝視する。マークは顔に血管を浮かばせ、渾身の力を左腕に込める。

「さっきから鬱陶しいんだよ・・・消えろ!」

マークは体を回転させ勢いをつけると、その女を窓に向かって思いっきり投げつけた。投げつけられた女は受け身を取る間もなく窓ガラスに当たると、ガラスを割って屋外へ放り出されそのまま真下へと落下していく。

マークは広がる自身の傷口に手を当てる。動けば動くほど傷口が悪化していくこの現状にマークは思わず毒づいた。

『くそっ、血が出すぎたのか視界が歪む!』

マークが痛みで窓際にもたれ掛かると、先程マークの右腕を切り落とした二人が恐ろしい形相でマークに向かってきた。

「・・・ちっ!」

2人が持つ鉈がマークの首を狙って振られた瞬間、マークの前にベルツがすっと割り込んでくる。

「はあっ!」

ベルツが棍で向かって右側の男に重い一撃を食らわせると、そのまま左側にいる男に右側にいた男をぶつけ、二人共ベルツから向かって左側に吹き飛ばす。吹き飛ばされた男達は床を転がり、そのまま動かなくなった。

「助かった!ベル・・・」

マークがベルツの名前を言おうとした時、マークはベルツが着ている服の襟を掴むと、前方に向かって転がった。ベルツは一瞬の事で訳も分からず、マークに引っ張られて後方に引きずられる。

2人がその場から離れた時、真上から天井に張り付いていた人達がナイフの刃先を下に向けて落ちてきた。ガキンッと銀のナイフが床に当たる音がそこら中から聞こえてくる。ベルツはすぐに立ち上がり、棍を構えると、ナターシャに向かって叫ぶ。

「ナターシャ様、早く私の後ろへ!そしてマークさんの治療をお願いします!」

「っ!分かりましたわ!」

ナターシャはドレスのスカートを持ち上げてベルツの方へ走ってくると後ろへ回り込み、傷によって思うように体を動かせないマークに手を貸す。

「ナターシャ様・・・お手をかけます・・・」

「じっとしていてくださいな!すぐに傷を治し・・・」

ナターシャがマークに治癒術をかけようとした時、先程降ってきた人達が3人の方に向かって全速力で走ってきた。ベルツはナターシャの方をちらりと見ると、マークに治癒術をかけ始めていた。彼女の治癒速度ならすぐに治療は終わるだろうと考えたベルツは治療が終わるまでの間、襲い掛かってくる人達を相手にすると覚悟を決めた。

襲い掛かってくる人々はまるで獣のような雄叫びを上げ、口から唾液をこぼしていた。非常に汚い。

「この人達・・・急にどうしたんだ⁉さっきまでこんな顔じゃなかったのに!」

ベルツは向かって来る人達を棍で一人一人素早く薙ぎ倒していく。7人倒したところで、ベルツに向かって低姿勢で突っ込んでくる男の姿を捉えた。

「糞っ!あんまり手荒な真似はしたくないけど!」

ベルツは体を回転させ勢いをつけると、そのまま男の首元に棍を思いっきり当てる。ゴキッと骨が砕ける音が棍を伝ってベルツに聞こえてきた。

『しまったっ!民間人を殺ってしまった!』

ベルツは棍をその男の首元から離すと男の首は横に有り得ない程に曲がっていた。というか折れていて、首が体からぶら下がっているような感じだ。

だがその男は、動きを止める事無くベルツに飛び掛かると、そのままベルツを押し倒し、頭を掴むと地面に思いっきり叩きつける。ベルツは頭が割れそうな痛みに襲われる。

男は首が折れてもいまだに動き続けていた。

「嘘だろっ・・・首が折れても動き続けられるなんて・・・」

ベルツが男に頭を掴まれ地面に抑え込まれると、ナターシャがベルツに向かって叫んだ。

「ベルツ!大丈夫で・・・」

その時、二人のドレスを着た女がベルツを乗り越え、ナターシャに思いっきり掴みかかり、一気に押し倒すと、両手を拘束し、首を思いっきり締め付ける。ナターシャは足をばたつかせ、必死に足搔くが拘束されているので体に力が入らず、首を絞めつけられているので徐々に意識が薄れていく。

「あ・・・がっ・・・」

ナターシャは呼吸できなくなり、目を開くと口を大きく開ける。それでも上手く呼吸できないので、口から唾液が零れ出る。目には何故か涙が溜まってきて、視界がぼやけてきた。

ナターシャが足をばたつかせなくなり、痙攣のような動作をし始めた時、ベルツは焦り始めた。

『まずい!このままじゃナターシャ様がっ!』

ベルツは首が取れかかっている男の横腹に近くに落ちていたナイフを突き刺すと、その男は少しだけ怯んだ。ベルツはその隙を見逃さず、一気に男を押しのけるとナターシャの上に跨って首を絞めている女二人に向かって棍に霊力を込め、振るう。

『ロメルダーツェ流棍術、地の舞、第一幕・・・轟波!』

ベルツの棍の直撃を食らった女とその横にいた女は音速で吹き飛び、壁にぶつかると体が潰れ、ひしゃげた。ベルツは吹き飛ばした女を一瞬で視界から外し、ナターシャを抱きかかえる。

「ナターシャ様!大丈夫ですか⁉」

ナターシャは胸を激しく動かし、息を大量に吸い込み、掃き出す。ベルツの方を見ると、何も言わず、ベルツに抱き着いた。どうやら死の恐怖が目の前にまで来て、怖かったのだろう。肩を震わせている。

「すみませんでした・・・自分が不甲斐無いばかりにナターシャ様を危険な目に合わせてしまいました・・・」

「謝る必要は・・・ありませんわ・・・ベルツ。・・・ありがとう・・・助けてくれて・・・」

ベルツはナターシャから感謝の言葉を受け取るとナターシャを優しく左腕で包み込んだ。ベルツが後ろを振り向くと、まだ10名ほどの人達がベルツ達に向かって走ってきていた。

『まずい・・・このままじゃ彼らに殺される!・・・というかなんだあの力・・・奴ら痛みを感じないのか⁉』

先頭に走っている3人の男がベルツ達に向かってナイフを投げつけてくる。ベルツが向かてくるナイフを叩き落そうと棍を構えると、上からまた別の3人の男女がナイフをナターシャの方に突き立てて落ちてきた。

『ヤバイ!このままじゃ・・・』

ベルツがどちらの攻撃に対応すればいいか迷ったその時、上からズィルバーの声が聞こえた。

「上は任せろ、ベルツ!」

ズィルバーは上から落ちてくる男女3人のその上に現れ、落ちてくる人達を全員空中で蹴り飛ばした。数人ズィルバーに刃を向けたがベルツは空中で攻撃を全て回避し、反撃してきた人達も明後日の方向に蹴り飛ばす。ベルツは飛んできたナイフを全て弾き、ナターシャから腕を離すと、迫り来る3人の男を床に叩き伏せ、四肢を全て折り行動不能にする。

ズィルバーはナターシャのすぐそばに着地する。

「隊長!助かりました!」

「すまない。援護に来るのが遅れてしまった。」

「マルナさんを殺した奴は⁉」

ズィルバーは刀を構え、ベルツの後ろを睨みつける。ベルツが後ろを振り返ると、短髪で茶髪の目つきが鋭い男がナイフを構えながらゆっくりとベルツの方へと歩いて来ていた。

ズィルバーがベルツの前に出て、その男と対峙する。

「・・・奴の相手は任せろ。お前達はナターシャ様を連れて地下駐車場へと向かえ。俺はこいつをすぐに始末してお前達に追いつく。」

「・・・了解。」

ベルツはマークの傍に近づき、ゆっくりと起こす。マークの体からの出血は収まっていたが、右腕に巻いた布からはからは未だに血が滲み出ていて、顔色は白くなっていて、今にも死にそうな顔をしていた。ナターシャが途中で襲われて治癒術が中断されてしまったので傷口もまだしっかりとは塞がってはいない。

「マークさん、歩けそうですか?」

「ああ・・・なんとかな。」

ベルツがマークに肩を貸し、パーティルームのドアに向かって歩く。ナターシャもマークのもう片方の肩を自分の肩に乗せ、ベルツと一緒にマークを運ぶ。

「ナターシャ様・・・申し訳、ありません・・・」

「気にしないでくださいな。・・・私に出来ることはこれぐらいしかありませんので・・・」

ベルツ達がドアまであと少しというところまで来た時、後ろからヒュンッと何かを投げたものが宙を斬る音が聞こえた。後ろを見ると、茶髪の男が放ったナイフがベルツに向かって投げつけられていた。

ベルツが身構えると、ズィルバーがベルツの目の前に急に現れ、ナイフをすべて弾く。ズィルバーが身構えているベルツを睨みつける。

「何をぼさっとしている!早く行け!」

ベルツはすぐに振りむくと、ドアを開けてマークとナターシャと共にパーティルームを後にした。ベルツ達は振り返ることなく、まっすぐに廊下をなるべく早く移動しようと歩く。マークが苦しそうな息遣いをする。

「すみません、マークさん。少しきついかもしれませんが、耐えれますか?」

「当たり前だ・・・」

ベルツはマークに声をかけつつ、廊下を急いで歩く。何時またどこからか敵が襲ってくるか分からないこの状況に3人共は焦りと恐怖を覚えていたからだ。

ベルツは無線機でフランクに連絡を取ろうとコールするが、一向に出る気配がない。というよりかは無線機からは謎のノイズしか入らず、ドルギンに対しても同じように連絡を取ろうとコールしたがノイズが入るばっかりで連絡することが出来なかった。

「ベルツ・・・繋がらないのか?副隊長と・・・」

「はい・・・何か妨害されているようで・・・外との連絡はおろか、地下駐車場にいるドルギンさんにも繋がらないんです!」

「・・・とりあえず、先を急ごう。副隊長とドルギンさんならきっと大丈夫なはずだ・・・」

マークはベルツを安心させようとそう言ってくれるが、ベルツの心には不安な感情が相変わらず存在していた。

そんな不安を胸に募らせながら廊下を歩いている中、ふと外の景色を見ると、多くの装甲車が止まっており、外には重装備の兵士が配置されていた。バリケードがオペラハウスの周りに設置されており、外部からの侵入はおろか中から外に出ることも難しい状況だ。また、外に配備されている兵士は皆、一番上に薔薇の紋章が描かれた白い羽織を着用していた。

外にいる兵士の羽織を見たナターシャが声を上げた。

「あの羽織・・・何故、親衛隊がこんなところにまで・・・」

ベルツがナターシャに聞き返す。

「親衛隊って・・・ローゼンヴァーグ親衛隊の事ですか?」

ベルツの問いにナターシャがコクリと頷く。

「親衛隊は基本、帝都の守護と王族の護衛が主な任務ですわ。それなのになぜ、こんなところにまで・・・」

「王族の護衛ならば、ナターシャ様の救援に来たのでは・・・」

ベルツはそこまで言葉を発したとたん、話すのを中断した。そう、今回襲撃してきたのは護衛小隊のエージェントであり、ユーグフォリア社の方針としては護衛小隊の指揮をとれるのは護衛対象となっている者と設定している為、指示を出したのは彼らの護衛対象であるローゼンヴァーグ家の誰か、ナターシャの兄か姉の誰かという事になる。そんな彼らがわざわざ帝国兵から選りすぐりの精鋭だけを集めた親衛隊をわざわざナターシャの元に寄こしたのは残念ながら助けに来たわけではないという事は薄々感じ取れた。

そして、次の瞬間それが確信に変わった。

「オペラハウス内にいる序列第七位のナターシャ・シャル・ローゼンヴァーグ王女に告げる!貴女には今、帝都に対しての国家反逆罪の容疑がかけられている!速やかに投降し、国家反逆幇助罪として容疑がかけられている第七護衛小隊と共に正面ゲートから出てこい!」

外からスピーカーを通して、ナターシャとベルツ達第七護衛小隊に向けて、在りもしない罪がかけられていると警告する音声が耳に届く。

マークは鼻で笑った。

「国家反逆幇助罪・・・ね。ずいぶん仰々しい罪が付いたもんだな。」

「冗談言っている場合じゃないですよ、マークさん!自分達こんなこと言われる覚えなんてないですよ!クーデターなんて起こすつもりもないのに!でっち上げすぎます!そもそもこんな状況になったのはどう考えても向こうのせいじゃないですか!」

ベルツがマークの耳元でつい大声になって話しかけると、マークは小さく頷いた。

「多分俺達を消す口実なんて何でもいいんだろうな・・・今こうして直接オペラハウス内に殴りこまず、俺達に対して投降勧告を呼びかけているのも、俺達が悪という事を示すだけじゃなく、武力を使おうとせず平和的に解決しようとする自分達の方が善であり、正義なのだと大衆にアピールする目的もあるのだろう。」

マークの言葉を受け、ベルツはナターシャの方を見る。ナターシャはずっと窓から下を眺めており、顔は見えなかったが拳を強く握りしめて震わせていた。

「どうして・・・私は皆が笑って暮らせるようにしたいだけですのに・・・どうして、お兄様やお姉様達は私の想いを分かってくれませんの?・・・どうして、同じ血を分けた家族なのにこんな酷い事が出来ますの・・・」

ナターシャの声が震える。あの勧告は自分の家族から死刑宣告、又は絶縁宣言を受けたようなもので今まであまり付き合いはなかったとは言っても、血の繋がった家族からこんなことを言われたら誰でも傷つくものである。

ベルツはナターシャを慰めてあげたいかなんて言ったら分からなかった。同じ境遇に合えばきっと何か通じるものがあるのであろうが、生憎ベルツは自分の両親と唯一の兄妹である妹とは喧嘩をしたことはあっても、絶縁まで受けるような関係には一度もなっていない。そもそもそんな事すら考えもしなかった家族だったので、今自分が慰めの言葉を言ってもきっとナターシャの心には何も響かないだろうとベルツは思い、黙って見守るという選択をとった。ベルツはこの時、自分の不甲斐なさを嘆いた。

「・・・行きましょう。地下駐車場でドルギンが待っておりますわ・・・」

ナターシャは顔を俯けて、歩き出す。ベルツはナターシャと歩調を合わせると、マークを一緒に運んだ。

廊下を進み、中央階段まで無事に敵と遭遇することなくやってくることが出来た。ベルツ達は地下駐車場に向かう為、ゆっくりと階段を降り始める。

その時、ナターシャがベルツに話しかける。

「ベルツ・・・下を見てくださいな・・・」

ナターシャの声に従って下を見ると、1階の正面ロビーにはびっしりと、つい先ほどまでパーティームにいた人々が皆顔を伏せて立っていた。彼らはあの爆破事件の後、すぐにその場から逃げ出した者達だったが、どうやらオペラハウスからの脱出には失敗してしまったようだ。

ベルツはその光景を見て嫌な予感しかしなかった。

「・・・ナターシャ様、別のルートを探しましょう。」

「そうですわね・・・」

ベルツが階段を上ろうと上の段に足をかけた瞬間、下にいた人々が同じタイミングで急に顔を上げた。彼らもまた、目を血走らせ、体中に血管が浮き出ていた。

『やはりこの人達もさっきのパーティルームにいた人達と同じだっ!誰かに操られているのか⁉』

下にいた人々は階段を物凄い勢いで走り上ってくる。ある者は、壁をまるで夏に出てくるあの黒くておぞましい生き物のように壁を這って上ってきてもいた。

「ベルツ!急ぎますわよ!」

ナターシャとベルツはマークを引きずるように階段を上り、元いた3階まで戻ってきた。既に下にいた人々は2階まで登り終えており、3階への階段を上っていた。

『まずい!このままじゃ追いつかれる!人数は軽く100人はいるぞ⁉』

一度に100人もの怒り狂った人間と対峙すれば間違いなく、ベルツ達はひき肉にされてしまう。それに彼らもきっと只では止まらない。首が折れても向かって来るであろうとベルツは先程の体験から簡単に察しがついた。

ベルツとナターシャはより足を早めて廊下を戻る。廊下のドアを閉め、近くにあったステッキをドアのノブの所に挟み込む。ステッキを挟み込んだ瞬間、ドアがものすごく揺れ、ドアの向こうから獣のような雄叫びが聞こえてきて、激しくドアが揺れる。

ドアにつけられているネジが一本、また一本と弾け飛んでいき、ドアが壊れるのも時間の問題だった。

「急ぎましょう、ベルツ!他に地下駐車場へ向かうルートに何か心当たりはなくって⁉」

ベルツがオペラハウスの見取り図を開き確認する。ドアが壊れていく音に焦らされながら、ベルツは今自分がいる階から地下駐車場に向かうルートを探す。

「・・・見つけました!従業員用の階段です!そこからならば中央階段を下りずとも、地下駐車場にたどり着けます!」

「分かりましたわ!急ぎましょう!」

ナターシャとベルツがマークに肩を貸し、歩き始める。ドアがほぼ半壊して、向こう側にいる大量の狂った人々の姿が見える。力の制限もなく壁にぶつかるので先頭にいる人間は顔が潰れ、腕があらぬ方向に曲がり、あばらが体から飛び出していたがそれでも加減することなく壁に体当たりしてくる。後ろからも凄い勢いで押されているので、ドアと人に押しつぶされていた。

ベルツとナターシャが歩いていると、急にマークが二人から離れた。ベルツとナターシャは一瞬戸惑った。

「マークさん?何しているんですか?」

マークはベルツを見る。マークの体は痛々しく、見ていられなかった。

「・・・ここは俺が食い止める。ベルツ、お前はナターシャ様を連れて地下駐車場に向かえ。」

「ちょ、急に何言っているんですか⁉」

「そうですわよ!貴方、自分の傷がどれぐらい酷いものか分かりませんの⁉」

ベルツとナターシャがマークに対して声を上げると、マークは自分の体を見る。

「勿論知っていますよ。だからこそ、私を置いて行けと言っているんですよ。」

マークは再びベルツとナターシャを見る。

「私を連れて行くのはリスクが大きすぎる。・・・私の為にナターシャ様とベルツがそのリスクを負う必要な無い。」

マークは振り返り、ドアのほうに歩いていく。ベルツがマークに近づいていく。

「マークさん!」

近づいてくるベルツに対して、マークが怒りを込めた口調で話す。

「こっちに来るな、ベルツ!とっととナターシャ様を連れて地下に向かえ!」

その瞬間ドアが壊れ、人が雪崩のように廊下に流れ込んできた。

「行け!ぼさっとするな!」

マークは満身創痍の体で向かって来る人の波に立ち向かっていった。もう止めることは出来ない。

「・・・っ!行きますよ、ナターシャ様!」

「・・・」

ベルツはナターシャの手を引いて廊下を走る。走っている途中で後ろを振り返ると、マークが必死に食い止めている中、数人がマークを抜けて、ベルツ達に走ってきていた。ナターシャはドレスを着て、ヒールを履いているせいで上手く走ることが出来ない。

『このままでは追い付かれる!・・・だったら!』

ベルツはナターシャを引き寄せ、抱き上げると、両腕に抱える。お姫様抱っこの状態にして、ベルツは自身の足に霊力を集中させ、作業室まで一気に走り抜ける。

ナターシャは思わずお姫様抱っこをされたことに驚き、頬を赤く染めた。

「ベルツ⁉きゅ、急に何をしますの⁉」

「喋らないでください、ナターシャ様!舌を噛みますよ!」

ベルツはナターシャを抱え、作業室に飛び込むと、ドアの鍵を閉め、近くにあった机を脚でドアの前につける。ドアが凄い音を立てて揺れ、机がガダンと振動する。

「今のうちに地下駐車場に行きましょう!」

ベルツはナターシャを抱えたまま作業員専用階段に入ると転ばないように足元をしっかりと確認しながら下に降りていく。

先程から聞こえていた獣のような声は相も変わらず聞こえ続けていた。ベルツとナターシャはマークとズィルバーの安否を心配しながら地下駐車場へと向かう。

一方その頃、ズィルバーはパーティルームでマルナを殺した相手と戦っていた。その男は次々にナイフをズィルバーに投げつけるがズィルバーはその全てを叩き落す。ズィルバーも先程から相手に斬りかかり続けているか素早い身のこなしで躱していくので一向に進展していなかった。

『・・・まずいな。早くケリをつけないと・・・』

ズィルバーは再び精神を集中させ、その男を見つめる。相手の男もズィルバーを仕留めきれないことにやや苛立ちを募らせているようだ。

その時、ふとズィルバーはその男の顔に既視感を覚えた。

「・・・今更だが、お前の顔を少しずつ思い出してきたぞ・・・お前は確か・・・」

ズィルバーがそう言うと、男はズィルバーに向かってナイフを投げつけてくる。ズィルバーはそのナイフを刀で弾き落とすと、弾き飛ばしたナイフ達が赤く輝き始める。

『この光は・・・マルナを爆殺した時の!』

ズィルバーはその赤く光る幾つものナイフから一気に距離を取る。ナイフはその大きさに見合わない程の大爆発を発生させ、ズィルバーは熱風と爆風をその身に受ける。

『この能力・・・やはり奴か!』

ズィルバーが防御の構えをしていると、辺りに散らばった机や椅子の残骸や赤く光り始める。ズィルバーは瞬時に反応し、上へ飛び上がる。残骸が爆発し、木の破片が辺りに拡散する。ズィルバーは結界を張り破片を防ぐと、男の方を見る。男は空中にいるズィルバーに向かって偏差的にナイフを投げつけて来ていた。

『お前は俺が空に飛んでくると思っていたようだが・・・こっちだってお前がそれを見越してナイフを投げつけて来るであろうってことぐらい予想できるんだよ!』

ズィルバーは手前にあるナイフを弾くと、体を捻らせ空中で姿勢を変えると残りのナイフを躱す。ナイフがズィルバーを通過する寸前、ナイフが赤く光り始めたのでズィルバーは自身の周りに結界を張り、爆風に備える。ナイフが爆発し、ズィルバーは思いっきり吹き飛び地面に叩きつけられたが、結界を全身に張っていたのでダメージはなかった。

男はズィルバーを忌々しそうな目で睨みつける。

「しつこいな・・・まだ死なないのか・・・」

ズィルバーが鼻で笑い飛ばす。

「生憎、人を待たせているんでね。・・・『まだ』死ぬわけにはいかないんだよ。」

ズィルバーは首を傾げる。

「そしてお前の事だが・・・お前の顔といい、さっきの攻撃方法といい・・・思い出したぞ。」

ズィルバーはその男に左手の人差し指を向ける。

「お前の名は、ラスタ・ラングアーク。ユーグフォリア社が保有する暗殺部隊で組織内での実力は一番と噂名高いチーム出身だな。・・・という事は、お前は第五護衛小隊出身だな。」

「だったら何だ?・・・暗殺部隊は組織の中でも情報は開示されていない。俺の能力は分かるま・・・」

「お前の能力名は『乱爆出現』、ありとあらゆる有機物を爆発物に変える全然暗殺向きじゃない能力だ。」

ラスタは自分の能力どころか、能力名まで全て知っているズィルバーに驚いた。まさか自分達の情報が筒抜けているなんて想像もしていなかったからだ。

ズィルバーはラスタにゆっくりと近づいていく。

「護衛小隊に関する機密は厳重なファイアウォールがかかっていたがな・・・諜報部隊隊長であるこの俺にかかればその程度のファイアウォールぐらい簡単に抜けられる。・・・そしたらなかなか興味深いデータを得られたよ。」

ズィルバは立ち止まり、刀を地面に突き立てる。

「どうやら社長は護衛小隊の面子を、それぞれの部門で一番の腕前を持つ部隊をそれぞれ護衛小隊に部隊ごと選抜したみたいだった。第五護衛小隊は暗殺部隊、第七護衛小隊は諜報部隊といったようにな。」

「・・・」

ラスタはズィルバーに対する警戒心を強める。この瞬間、ズィルバーの気配が急に変わったのをラスタはその肌で感じたからだ。

「第六は護衛部隊・・・元々から護衛任務が奴らの主業務だから、他部隊と比べても一番この任務に向いているのかもしれないな。他には、第四が急襲部隊、第三が突撃部隊、第二が錯乱部隊・・・そして第一は督戦部隊から引き抜かれている。」

ズィルバーは刀を地面から引き抜く。

「だが全員がそのまま部隊から引き抜かれているという訳ではない。3名だけ例外がいる。それが俺の隊にいるベルツと第六護衛小隊にいるウィルベール・ゼーレヴェという男性とローシャ・シャルフィーユという女性だ。資料によれば彼らは皆人間種で年齢は20代半ばといった程か。ローシャという女性に限ってはまだ19歳だからな。そんな若さでよく選ばれたもんだよ。」

ズィルバーは再びラスタに向かってゆっくりと歩き始める。ラスタは思わず、後ろへ後ずさる。ズィルバーの体から先程とは比べ物にならない程の霊力が溢れ出る。

「この所属の違う3人が何故この任務に選ばれたのか・・・その理由までは分からなかったが、ベルツが私の部隊に来てくれてとても嬉しく思うよ。私の部隊は戦闘能力が低いからな・・・彼のような現段階においても戦闘能力が高く、且つ若さという武器と成長力もあり、将来有望である奴が来てくれて・・・私はつくづく部下に恵まれていると思ったよ。」

ズィルバーは刀を両手で持つと、ラスタに突き刺すように刃先を向けて刀を引いた。

『あいつ・・・突撃してくるつもりか⁉刀をこの俺に突き刺そうと・・・』

ズィルバーは霊力を刀に集中させ、ラスタを睨みつける。今までとは違う気迫にラスタを怖気ついた。

『何だあの殺気!・・・本当に同じ奴なのか⁉』

ズィルバーはすうぅ・・・と息を吐くと、ぼそりと自分に暗示をかけるように呟いた。

「あいつの為にも・・・ここは一つ、頑張らないとな。」

ズィルバーは静かにラスタに話しかける。

「行くぞ・・・これが俺の『本気』だ。」

ズィルバーはそう言葉を発した瞬間、姿を消した。静かに、消えるように。

『何処に・・・』

ラスタがその場から移動しようと思った時、腹部に猛烈な痛みを感じる。ラスタは恐る恐る自分の腹を見ると、いつの間にかズィルバーが目の前にまで接近しており、ラスタの腹に刀を深々と刺し込んでいた。

「がっ・・・!」

ズィルバーはそのままラスタを蹴り上げると、右手をジャケットの裏側に入れると、手榴弾を2つ取り出し、左手の人差し指と中指でピンを抜く。

ラスタはその光景を見て、空中で回避行動をとる。

『空中で身動きが出来ない内に手榴弾を投げつけてくるつもりだろうが・・・そうはさせるか!』

ラスタは自分の前方に盾のような結界を張り、ズィルバーが投擲してくるであろう手榴弾を防ごうとした。ズィルバーはラスタを睨み続けていた。

『これで奴の手榴弾は俺には届かない!・・・何が俺の『本気』だ!大したことないじゃない・・・』

ラスタが思わず笑みをこぼすと、何か体にある異変が起こっていることを覚えた。何か、『腹』が重く感じるのだ。

『何だ・・・腹が重い・・・刀を刺しっぱなしで放置しているからか?』

ラスタは腹部を見る。すると先程まで刺さっていた刀が消えており、その代わりに腹が少し膨れていた。

「なっ・・・刀は・・・刀は何処に⁉それに・・・今俺の腹の中にある物はなんだ⁉」

ラスタがズィルバーの方を見ると、先程ズィルバーが2つの手榴弾を握っていた右手に刀が握られていた。手榴弾の姿はどこにもない。

ラスタの心に絶望が埋め尽くす。

「まさか・・・今俺の腹の中にあるのはっ!」

ズィルバーは静かにと呟く。

「そう、今俺はお前の腹に刺した刀と右手に持っていた手榴弾の位置を『入れ替えた』。ある2点に存在する『モノ』を入れ替える・・・それが私の固有能力『逆転座標』の能力だ。」

ラスタの腹が大きく膨れ上がり、顔も異常に肥大し目と鼻が潰れる。どうやら手榴弾が起爆したようだ。

「うげええええええ!」

肉他の限界まで肥大化すると、その肉体は限界を超え空中で爆散した。ラスタはズィルバーの方に結界を張ってくれていた為結界がズィルバーの方に飛んでくる全ての肉片を受けてくれて、ズィルバーの方に肉片が飛んでくることは無かった。

ズィルバーは無残な肉片に変貌したラスタに向けて言い放った。

「マルナの仇だ・・・とっとと地獄へ行け・・・」

ズィルバーはラスタに向けて言葉を吐き捨てると、パーティルームを飛び出し地下駐車場へと向かう。

廊下に出た瞬間、異常な程の匂いが鼻についた。

『何だこの匂いは・・・何人死ねばこんな酷い匂いを出せるんだ⁉』

ズィルバーは廊下を全速で走る。中央階段がある方へ向かう度に血の匂いが強くなる。ズィルバーは胸の中に嫌な予感を抱いた。思わず声に出して願う。

「頼む・・・この血の中にナターシャ様やベルツ、マークの血が混ざっていないように・・・」

ズィルバーが中央階段に出る廊下の終わりの方に到達した瞬間、驚きの光景を目にした。

『何だ・・・この死体の山は・・・』

そこにはタキシードやドレスを着た男女の死体が山のように積まれており廊下の天井までびっしりと積まれているので、中央階段の方に行くことは出来なかった。そして、その死体の山のすぐそばの廊下の壁にもたれ掛かって座り込んだまま動かないマークがいた。

ズィルバーはその男の元に駆け寄る。マークの両足は千切れており、全身に切り傷や嚙み傷、所々骨が飛び出てもいた。

「マーク・・・」

ズィルバーはそっとマークの開かれた目を手で閉じる。周りを見てもナターシャとベルツの死体はない。どうやらマークが2人を逃すために1人で抑え込んでいたようだ。こんなに体がボロボロになっても足止めを最期までやり抜いたマークに敬意を示した。

「よくやった、マーク・・・安らかに眠れ・・・心配するな、俺もすぐに行ってやるよ。」

ズィルバーはマークに一瞥すると、その場を立ち上がり再び元来た道を走って戻りだす。

『確か作業員用の階段なら地下に行けるはず・・・あの2人も恐らくそこから地下に向かったに違いない。』

ズィルバーは作業室の前まで来ると、ドアノブを掴んで思いっきり力を込めた。しかし、内側から押さえつけられているのかドアは少しだけ動いたが、開く様子はなかった。

『向こう側から机か何かで押さえつけているのか?・・・だったら。』

ズィルバーは能力を使い、奥に置かれている机を包丁に、ステッキをトイレットペーパーの芯に替え、ドアを再び開けようとすると、何の造作もなくドアが開いた。

そのまま部屋の中から作業員用の階段に入ると地下駐車場に向かって階段を急いで降り始めた。作業員用の階段にズィルバーの足音だけが少し騒がしく響き渡る。

その頃、ベルツとナターシャは地下駐車場へと降りてきて、辺りを見渡していた。

『ドルギンさんは・・・何処だ⁉』

ベルツが辺りを歩きながらドルギンが乗っているリムジンを探していると、ナターシャがベルツのジャケットをぐいぐいと引っ張る。ベルツが腕に抱えているナターシャを見ると、ナターシャが顔を赤くしてベルツに話しかける。

「ベルツ・・・そろそろ、下ろしていただけません?」

「あっ・・・すみません・・・」

さっきは狂った人達に追いかけられていて無我夢中でナターシャを抱えて走っていたので、そのまま抱えっぱなしにしてしまっていたのを忘れていた。ベルツはナターシャをそっと地面におろした。体が相当軽くなった感じがする。ナターシャはベルツに背中を見せて、ベルツの方を向いてくれなくなっていた。

その時、奥の方からリムジンが駐車場全体に車のタイヤが地面をこする音を響かせながら、ベルツの方に向かってきた。そのリムジンはベルツとナターシャの前で止まると、運転席からドルギンが出てきた。

「ナターシャ様!ベルツ様!ご無事で何よりです!」

「ドルギン!貴方の方こそ無事でよかったですわ!」

ナターシャはドルギンに微笑みながら嬉しそうに話しかける。やはりナターシャにとってドルギンは特別な存在なのだろう。

「所で、ズィルバー様やフランク様、マルナ様、マーク様はどうしました?先程から連絡が通じなかったものですから・・・ベルツ様なら何かご存じでしょうか?」

ドルギンの質問にベルツは思わず下を俯いた。ナターシャもそんなベルツの様子を見て悲しい表情をする。

ドルギンも何かを察したようでベルツにそれ以上追及することは無く、車のエンジンの音だけが静かに駐車場に響くだけになる。

「マルナとマークは死にました。フランクとはこちらで今何とか連絡を取ることが出来ました。」

ベルツ達が声のした方を振り向くと、ズィルバーがベルツ達の方に向かって歩いて来ていた。ズィルバーとは無事に合流することが出来たが、先程の報告からしてベルツとナターシャを地下室へ向かわせる為に足止めを自ら願い出たマークは、2人と再び合流することなく命を落としてしまったことを知り、ベルツは唇を噛み締めた。

ベルツは思わずズィルバーに確認を取っていた。

「隊長・・・マークさんは・・・亡くなったんですか。」

「ああ・・・残念ながらな。・・・お前達を先に行かせる代わりに自分が囮になったのだろう?」

ベルツは小さく頷く。その申し訳なさそうな態度をとるベルツの様子を見たズィルバーがベルツに肩を軽く叩く。

「ベルツ、お前が後悔する必要は全く無い。マークは自分が死ぬという覚悟を持ってお前達を逃したんだ。・・・お前はやるべきことはマークの意志を受け継ぎ、彼の代わりにナターシャ様を護り通すこと。嘆くことなんかじゃない。」

ズィルバーはベルツに少しきついようで優しさも含んだ檄を飛ばす。ズィルバーはドルギンと対峙する。

「ドルギンさん、外の様子は把握していますか?」

「ええ。ナターシャ様と第七護衛小隊の皆様が国家反逆罪とそれを幇助した罪に問われていることはこちらの耳に入っております。・・・それに先ほど、向こうから私に連絡がありましてね。」

ドルギンが溜息をつく。

「どのような?」

「『ナターシャ様と第七護衛小隊を引き渡せば、私含む使用人達の安全を保障する。この問いに返答をしない、又は拒否した際にはナターシャ様と同様に処罰をする』・・・とのことです。」

「・・・それでドルギンさん。貴方の返事は?」

ドルギンは不敵にも笑みを浮かべる。

「しておりません。返事する必要もありませんからね。私はこの命尽きるまでナターシャ様の傍に仕えると誓った身、例えナターシャ様の兄上であるゼリード王子からの直接の命令であってもです。」

ナターシャはドルギンに恐る恐る話しかける。

「ドルギン・・・貴方に連絡を寄こしたのは・・・」

「ええ、ゼリード様です。」

ナターシャは申し訳なさそうに顔を俯ける。

「ごめんなさい、ドルギン。貴方まで巻き込んでしまいましたわ・・・」

ドルギンはナターシャに笑みを浮かべる。

「いいえ、とんでもありません。ナターシャ様、貴女は何も間違ったことはしていないのです。現に今オペラハウス前では貴女の無実を信じる人々が集まっておりますよ?・・・堂々と胸を張っていればよいのです。」

ドルギンの言葉にナターシャは小さく何度も頷いた。ナターシャの表情も先程よりも少しだけ覚悟を決めた顔立ちになったように見えた。

「しかし正面には武装した親衛隊が待ち構えている。それに奴ら、ユーグフォリア社が新しく開発した戦闘服を身に纏っていた・・・身体能力を遥かに向上させ、防御性能も高い。そして何より服自体がものすごく軽く、戦闘の邪魔にならないようなデザインになっている。」

「確かに、彼らの見た目は紳士服を着て、その上からコートを羽織っているだけですからね。その辺の道を歩いていても違和感ありませんでしたね。・・・それにしてもユーグフォリア社も手を組んでいるとは・・・完全に孤立させられましたね、私達。どうします隊長、以前確認した脱出作戦を遂行するのにはリスクが大きすぎると思いますが・・・」

ベルツはそう言うと、ズィルバーは小さく頷いた。ここでベルツが言った脱出作戦とは、リムジンで強行突破するという単純明快な作戦なのだが、あんなにオペラハウス前を厳重に封鎖されてしまってはその作戦は通用しない。フランクのドラゴンによって脱出するという案もあるのだが、これも外で待機している親衛隊に迎撃される恐れが高い。それに、このオペラハウス上空には結界が張られており、フランクは近づくことが出来なくなっていたからだ。

脱出経路が詰まったことにベルツが頭を悩ませていると、ズィルバーがぼそりと呟いた。

「・・・ドルギンさん。『例の作戦』をするしか・・・無さそうですね。」

「ええ、どうやらそのようですね。」

ズィルバーとドルギンは互いに目を合わせて頷く。ベルツはその作戦を聞かされておらず、ナターシャもそんな作戦の事なんか知らないので、勝手に納得している2人を不安そうに見つめる。

ドルギンがナターシャの方を見る。

「ナターシャ様、ひとまず車の中にお入りください。そこで、今履いていらっしゃるヒールを脱いで頂き、何時もナターシャ様がお履きになっているブーツを持ってきておりますのでそれを履いていただけますか?その後、ドレスの足元の方を少しカットさせていただき、機能性を向上させたいと思いますがよろしいでしょうか?」

「え、ええ・・・問題ありませんわ・・・」

「ご協力感謝いたします。ブーツに履き替えたらお呼びください。」

ナターシャはドルギンからそう言われると、少し不安な面持ちでリムジンの中に入り、ドアを閉めた。

ベルツがズィルバーに先程の『例の作戦』の内容について尋ねた。

「隊長・・・先程言っていたことは・・・」

「その作戦に関しては、ナターシャ様の準備が終わり次第、お前とナターシャ様の2人に話すつもりだ。」

「自分、そんな作戦があるなんて聞いていないんですけど・・・」

ズィルバーは横目で首を傾げるベルツを見る。

「当たり前だ。『お前達2人』には言っていないからな。」

「えっ?」

ベルツは思わず、ズィルバーに驚きの声をかける。ズィルバーはそんな驚くベルツの方を一切見る事無く、ナターシャが入っていったドアの方をずっと見ていた。ベルツはそんなズィルバーの対応を見てこれ以上質問するのは無駄だと思い、ズィルバーが見つめている方を見る。

ベルツの心に、何処かもやもやとした先の見えない不安感が芽生えてきた。

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『2月8日 人間界ノスタル・イルージェ 北大陸北部 時計の町ラクスロック

15時45分』


グリンデルとノーガン率いるローゼンヴァーグ親衛隊はオペラハウスの周りを完全に包囲した。ノーガンの元にローゼンヴァーグ親衛隊の隊員の一人が報告にやってくる。

「ノーガン様、オペラハウス周辺の包囲が完了しました。何時でも中に突入できます。」

ノーガンはその隊員と顔を合わせず、指示を出す。

「分かった。周囲を包囲する最低限の兵力を残し、1~4階の各階から突入する。それらの階を制圧したら、全員で地下に向かえ。」

隊員は軽くお辞儀をすると、何処かへと走って行った。オペラハウスの周辺には柵を設置したが、その周辺には野次馬とマスコミの連中が集まってきており、祭りの如き騒がしさがその場の空気を支配していた。ノーガンは苛立つ気持ちを押さえながらグリンデルの元に歩く。

「グリンデル隊長。・・・そちらの方はどうだ?上手くいっているか?」

ノーガンの質問にグリンデルは目を合わせずに静かに答える。

「現在の所、第七護衛小隊の隊員2名の殺害に成功しました。特に、ノーガンさん。貴方の異能力のお陰で二人の内一人を仕留めることが出来ました。」

「世辞は言い、結果だけを述べろ。」

グリンデルが少し怖気づく。

「・・・残る第七護衛小隊の面子は隊長のズィルバー・クランク、副隊長のフランク・テクストール、そして隊員のベルツ・ロメルダーツェの3名です。」

「そちらの損害は?」

「先程ケルナが負傷して、現在医療班による治療を受けています。ラスタに関しては、ズィルバー第七護衛小隊隊長に殺害されたとの報告が入りました。」

ノーガンがグリンデルを睨みつける。ノーガンの声に殺気がこもる。

「負傷して現在治療中だと?・・・そのケルナという女、何故最後まで食いつかなかった?」

グリンデルはノーガンの質問に恐る恐る答える。

「ケルナはオペラハウス内で戦闘中に負傷し、そのまま戦闘を続行しましたが第七護衛小隊の奴にオペラハウスの外まで吹き飛ばされてしまいました。・・・そのまま追撃させようと思いましたが、オペラハウスの外に吹き飛ばされた時にもまた別の怪我を負った為、ここは一旦引かせることにしました。」

ノーガンはグリンデルの話を聞くと、苛立ちを心に募らせながら黙ってグリンデルから離れ、オペラハウスの正面に向かった。

『役に立たん奴らだ・・・他の護衛小隊も呼んでくるべきだったな・・・』

ノーガンの腰につけている無線機が鳴り、応答する。

『ノーガン様、各階、突入の準備が整いました。』

親衛隊からの報告が入ると、ノーガンは静かに殺気を込め、返答する。

「よし、突入開始。第七護衛小隊とナターシャ王女を発見した際は速やかに殺害せよ。・・・逃げ遅れた奴も消して構わん。」

ノーガンが無線機を切った瞬間、各階の窓が爆破され、次々とユーグフォリア社から提供された戦闘服に身を包んだローゼンヴァーグ親衛隊が屋内に雪崩れ込む。後ろの野次馬達とマスコミ達も慌ただしく騒ぎ立つ。

ノーガンの元にエージェントの服を着た気弱そうで眼鏡をかけた男が近づいてくる。

「あの、ノーガン様・・・先程からマスコミの方達がノーガン様に取材をしたいと言ってきておりますが・・・」

「忙しくて相手にできないと言っておけ。」

「ですが、マスコミの方達もなかなか引かなくて・・・」

ノーガンがその眼鏡男を睨みつける。眼鏡男は思わず、腰が抜けて尻もちをつき涙目になる。

「貴様は広報担当のエージェントだろう・・・そういう面倒な事態に対処するのが貴様の仕事のはずだが・・・私は何か間違っているかな?」

「い、いいえ・・・何も、間違って、おりません・・・」

眼鏡男は震えながらノーガンに返答する。ノーガンはその眼鏡男に対して先程から募っていたストレスを思いっきりぶつけるようにおぞましい霊力の波をぶつける。眼鏡男はノーガンの霊力を受けると失禁し、その場に泡を吹いて倒れ込んだ。ノーガンは舌を打ち、オペラハウスの方を見る。まだ、ナターシャ王女一行を見つけていないのか返事が来ない。

「あ~あ。ノーガン、まぁ~た人に当たってる。その癖、いい加減直しなよ?」

ノーガンは自分の後ろから聞こえた子供の声に小さく舌を打つと、ゆっくりと振り返る。そこには小さい女の子の服についているようなフリルがついたエージェントの服を着た子供が、先程失神して倒れた眼鏡男を見下ろすよう視線を向けながら立っていた。髪はブロンドで肩甲骨辺りまである長さの長髪で見た目は可愛らしい女の子のような姿をしているが、奴の性別は『男』である。

ノーガンがその子供のような『男』に気怠い感じで話しかける。

「フーリ・・・お前も来たのか?」

フーリと呼ばれた幼い子供の見た目をしている男はノーガンに向かって無邪気な子供のような笑みを向ける。

「うん。だって暇だったんだもの。」

ノーガンは髪を掻き上げる仕草を取る。

「・・・隊長の指示か?」

「違うよ?暇でしょうがなかったからノーガンの所に遊びに来ただけだよ。」

ノーガンが眉間に手を当て、俯く。

「遊びに来た・・・て、こっちは正式な任務なんだ。・・・邪魔だからとっとと帰れ。」

「ひどいなぁ、ノーガンは。そんなこと直ぐに言うから、友達出来ないんだよ。」

ノーガンは軽く舌を打ち、再びオペラハウスの方を見る。フーリは相変らずにやにやと笑みを浮かべながらノーガンの横に並び、ノーガンが見つめているオペラハウスを細目で見る。

フーリは先程から無線機を気にかけているノーガンを見て、話しかける。

「ねえ、ノーガン。そんなに中の様子が気になるなら、直接行けばいいじゃん?」

「・・・ここの指揮は誰がするんだ?」

「そんなの第五護衛小隊の隊長に任せちゃえばいいじゃん。」

「無理だ。第五護衛小隊にローゼンヴァーグ親衛隊を指揮する権限は与えられていないという事はお前にも知らされているだろう?それに、俺はゼリード王子から直接前線には出るなと言われているからな。」

「何だ、つまんない・・・」

ノーガンが横目でフーリを見下ろす。

「別にお前は中に入ってもいいんじゃないか?お前が来るなんてこっちは想定していないし、王子もお前が中に入るのを許可しないとは言っていないからな。」

「ノーガンが駄目って言われているんなら、僕は遠慮しておこうかな?・・・あの人に怒られるの嫌だし。」

フーリは子供っぽく口を尖らせて手を頭の後ろで組むと、ノーガンにそっぽを向ける。でもすぐにノーガンの方に首を向けると、にやけづいた。

「・・・でもどうやら僕達がわざわざ行く必要な無いようだね?」

封鎖されているオペラハウスの地下駐車場の方から何か車のエンジンの音が聞こえてくる。そのエンジン音は徐々に大きくなっていくので、駐車場の周りを警備に当たっている親衛隊の面子が一気に戦闘態勢に入る。

「やはり出てきたな・・・予想通りだ。」

「追い込み成功って訳だね。上から制圧していけば自然と奴らの逃げ場も無くなる。追い詰められた奴らは外に追い出されてくるって訳だね。」

フーリの台詞にノーガンは小さく頷く。フーリは右掌を上に向けて広げると純白の薔薇の鍔があるレイピアを霊力で形成し出現させる。

地下駐車場からナターシャ達を運んできたリムジンがものすごい勢いでバリケードに向かって来る。

「奴ら馬鹿かっ⁉このバリケードには霊術で補強されているんだぞ⁉あのまま突っ込んだら確実にリムジンが大破するってのが分からないのか⁉」

『何も策が無い訳ないだろう、馬鹿共が・・・』

ノーガンは親衛隊の連中に呆れると、じっと地下駐車場からの出口を見つめる。中からエンジンをふかし全力で突っ込んでくる車の音が鮮明に聞こえてくる。

ナターシャと第七護衛小隊が乗っていると思われるリムジンが姿を現し、バリケードに近づく。バリケードは耐衝撃霊術の結界を張ってリムジンを迎え撃つ。

その時、バリケードが急にトタン板に変わり、リムジンはやすやすとそのトタン板をぶち破り、屋外へと出てくる。リムジンの進行方向にある結界が全てトタン板に変わり、リムジンはやすやすとその板を捲るように突破していき、中央道路まで突破する。

「馬鹿な!結界はどこに消えた⁉」

「報告です!先程地下駐車場に張っていた結界が・・・街のスラム街に出現しました!」

「はあ⁉ここからスラム街まで10㎞以上は離れているぞ!何故そんなところに結界が移動するんだ⁉」

親衛隊の連中が慌てふためき、情報が錯綜する。ノーガンはそんな親衛隊を一喝する。

「おどおどするな、馬鹿共が!とっとと奴らのリムジンを追え!道路の封鎖をする必要な無い!どうせ、また別のモノに変換させられるからな!その分の人員を回して奴らのリムジンを何としても街の外に出る前に停めろ!」

親衛隊員は一斉に装甲車に飛び乗ると、車を走らせ、リムジンを追う。バリケードの外にいる人々やマスコミも急な展開に騒ぎ立て、オペラハウス前は軽く混乱状況に陥っていた。

そんな中、ノーガンの元に一本の無線が飛び込んできた。ノーガンはまさか今頃オペラハウス内からの報告ではないかと少し不安になりながらも無線の周波数を確認する。すると、その周波数はゼリード王子からのだった。

「はい、ゼリード様。ノーガンです。」

ノーガンは無線機から聞こえてくるゼリードの声に耳を傾ける。フーリは何かじれったさそうにノーガンを見つめ続けていた。

「はい・・・フーリも今近くにいます。はい・・・はい・・・」

ノーガンは相槌を打つ。周りには騒ぐ人々の声だけがやかましく響き渡る。

「・・・了解しました。彼にも伝えます。・・・はい・・・失礼します。」

ノーガンが無線を切るとフーリが目を輝かせて無邪気な子供が親を公園に遊びに誘うような感じでノーガンに話しかけてきた。

「王子は何て?」

ノーガンは無線機を腰のポケットにしまい、フーリの方を見ずに答えた。

「・・・フーリ。お前はドラゴンに乗ってあのリムジンを追え、そして中にいる奴ら全員の首を持ってこいとのことだ。・・・お前の得意分野だろう?」

フーリがより目を輝かせ、笑顔になる。

「勿論、任せてよ!すぐに殺って来るからさっ!・・・ところでノーガンは何するの?まさか僕に仕事を任せて、ここに待機って訳じゃないよね?」

ノーガンはそんな訳ないだろと言わんばかりに鼻で笑い飛ばした。

「俺はオペラハウスの地下駐車場に向かう。・・・ゼリード様から一つ確かめてほしいと言われたからな。」

フーリはふーんと興味ないモノを見るようなジト目でノーガンを見ると、口笛を吹きドラゴンを呼んだ。青々とした空を切り裂くように漆黒のドラゴンがフーリの前に止まり、屈む。

フーリはドラゴンの背中に乗ると、ノーガンの方に手を振る。

「それじゃあね、ノーガン!しっかりと奴らの首持ってくるから期待しといてね!」

まるで公園で遊んでくると言わんばかりの感じでノーガンに大声で呼びかけると、フーリを乗せたドラゴンは空高く飛びあがり、先程のリムジンが走って行った方角へ飛んで行った。

ノーガンはフーリの自由さに頭を抱え、先ほどナターシャ達を乗せているであろうリムジンが出てきた地下駐車場の方を見る。

『あのクソガキにリムジンの方を任せるとして・・・『あの事』が正しいかどうか確かめてみるとするか。』

ノーガンはついさっきゼリードから言われた言葉を確かめるべく、ただ1人で地下駐車場の中へと入っていった。

その頃、フーリはラクスロックの町から脱出しようと市内を駆け抜けているナターシャと第七護衛小隊が乗っているであろうリムジンを確認する。

フーリはそのリムジンを追っている装甲車達を上から見下ろす。装甲車には軽機関銃が備え付けられており、各装甲車に乗っている親衛隊の内の一人がその軽機関銃を掃射している。

「あの人達、な~にしているんだか。なんであんなにドンパチしながら追っかけておいて捕まえきれないのさ?」

フーリがしばらく上から眺めていると、下を走っている装甲車に異変が現れた。リムジンを追っている装甲車が急に廃棄寸前の自動車に変わり、横転した。他の装甲車達も同様のボロ車に変貌すると、廃棄寸前で車のパーツがほとんどとられているのでバランスをうまく取れずに横転し、たちまち道を塞いでいった。他のルートから追撃を行うものの、皆同じような結果となり、失敗に終わっていた。

リムジンのルート上に即席バリケードやトラップを設置するも、無害なバケツやごみ箱、車や自転車のゴムといった物に変わっていき、妨害工作も失敗に終わっていた。リムジンは見事に追跡車両を撃破していき、あっという間に後を追う車はいなくなっていた。

「ノーガンの言う通り、ほんと役に立たないねえ。同じミスを何度も繰り返すって馬鹿じゃないの?」

フーリはドラゴンの手綱をグイッと強く引っ張ると、ドラゴンは雄叫びを上げてリムジンに向かって急降下する。フーリとドラゴンは街の上空に吹いている、凍えるような風をその身に激しく受ける。

「さて、邪魔者もいなくなったことだし・・・僕の好きなようにさせて貰うとするよ。」

フーリはドラゴンから飛び降りると、リムジンの上に飛び降りた。ダンッという音と衝撃がリムジンを揺らす。

フーリは運転席と助手席がある前方まで一気に移動すると、さっき霊力で生成したレイピアを運転席の方に向ける。レイピアの刃が太陽の光を受けて白く輝く。

「まずは運転手さん、悪いけどここで停まってもらおうかな?」

フーリがレイピアを運転席の真上の屋根に突き立てようとしたその時、助手席の方から天井を突き破り、フーリめがけて一本の刀が迫る。フーリは思わず後ろへ下がり、回避行動をとる。

刀が再び天井の中に入っていくと、助手席のドアが開き一人の男がリムジンの屋根へと上がってきた。

フーリは右手に持っているレイピアを回して遊びながら、その男を見つめる。

「初めまして。え~と貴方は確か・・・ズィルバー・クランク第五護衛小隊隊長だったよね?」

「・・・」

ズィルバーはフーリに返事をすることなく向かい合う。ズィルバーの目は自分の命を賭けることを迷うこともしない、覚悟を決めたものだった。

「・・・そんな目で見つめないでよ。なんか怖いよ?」

「・・・」

「返事してくれないのかぁ・・・寂しいなぁ。」

フーリは首を後ろに傾け、ズィルバーを見下ろすような感じで見つめる。ズィルバーはそんな挑発的な態度をとるフーリに動揺することなく、刀を構え真っ直ぐとフーリを見つめる。

フーリは感情を全く見せないズィルバーを退屈なものを見ているように、深い溜息をついた。

「つまんない・・・つまんないや。」

フーリは右手で遊んでいたレイピアを足元のリムジンの天井に深々と突き刺した。ズィルバーが体を少し前に動かす。

「っ!」

ズィルバーの額に汗が流れ出す。ズィルバーが少し焦った様子を見たフーリは頬を釣り上げた。

「やっと反応してくれたね。・・・でも残念。」

フーリはレイピアをグイッと引き抜く。レイピアには血のようなものは何も付着していなかった。

フーリは首を傾げる。

「『ここ』には誰もいなかったようだね。なら・・・『そっち』はどうかな?」

フーリはレイピアを右手で回すと、ズィルバーの足元に向けてレイピアを投げる。放たれたレイピアは瞬きする間もなくズィルバーの足元に突き刺さった。余りの速さに、ズィルバーは動いて対応することができなかった。

フーリはまたも首をかしげる。

「そこも違うかぁ・・・どこにナターシャ王女はいるのかなあ?このリムジンには内側にいる乗客の霊力が探知されないように特殊な結界が刻まれているから、場所の特定ができないんだよねぇ。面倒だなぁ~。」

フーリはすぐに新しいレイピアを霊力で生成する。ズィルバーの足元に刺さっていたレイピアはガラスのように粉々に砕け散った。

「このまま天井に突き刺し続けるってのもいいけど、それじゃあ効率が悪すぎるよねぇ・・・どうしよっか?」

フーリは腕を組み、目を瞑る。少しの間の後、フーリはズィルバーの方を細目で見つめ、不気味に微笑んだ。

この時、ズィルバーは体の底から冷えてくるような悪寒を初めて味わった。

『来るっ!』

ズィルバーが意識を集中させた途端、フーリがいきなり切りかかってきた。体は子供のようにとても小さいのだが、その力はズィルバーが押し負けるほど強烈なものだった。

「よし、決めた!まず君を殺してから、次に運転手を殺し、最後に残りの君の部下とナターシャ王女を殺すとしようっと!」

ズィルバーは足を踏ん張り、フーリを押し返す。フーリもズィルバーが押し返してきたことにより、より体の霊力を増幅させ、身体能力を強化する。

予想以上の力にズィルバーの額から汗が流れ出る。

『こいつ!まだ霊力が上がるのか⁉・・・なんて力だっ!』

ズィルバーがフーリの白銀のレイピアを受け止めていると、フーリが急に左手を天に向けて、手のひらを開けた。新たなレイピアが霊力によって生成され、フーリはそのレイピアを握り、ズィルバーに切りかかる。ズィルバーは今受けているレイピアを一気に弾き飛ばすと、次に襲い掛かってきたレイピアを刀で受ける。フーリが両手にレイピアを持つ2刀流になり、ズィルバーに激しい斬撃を浴びせる。

『何という乱舞だっ!こちらから攻め込むタイミングが無い!』

ズィルバーはフーリの激しい斬撃を浴び、思わずバランスを崩してしまった。フーリはその隙を見逃さず、左手に持っているレイピアを下から払い上げ、ズィルバーに切りかかる。ズィルバーは刀で斬撃を防ごうと刀をぶつけるが、体勢を崩していて思うように力が入らず刀を空高く吹き飛ばしてしまった。

フーリはそのまま右手に持っているレイピアをズィルバーの頭目掛けて振り下ろした。ズィルバーは時間が遅く感じる錯覚に陥った。

『まずいっ!』

ズィルバーは先ほど吹き飛んだ刀と自身の左腕に巻いている腕時計の場所を『逆転座標』の能力で入れ替え、振り下ろされたレイピアを間一髪で受け切った。

少し興味深そうな顔を示したフーリに対して、ズィルバーは思わずフーリの腹部を蹴り飛ばした。フーリは少し吹き飛ぶとリムジンの後方で食いどまり、二人の間に距離ができる。

フーリがズィルバーの方を見て頷く。

「・・・そっか、あの装甲車達をボロ車に変えたのも、バリケードを無害なものに変えたのも、いきなり腕時計があった所に刀が変わって表れたことも全部君の能力か。場所を入れ替える能力かな?・・・いい能力だね、どんな名前?」

「・・・」

フーリの問いにズィルバーは一言も発しようとしなかった。相変わらず話を無視するズィルバーにフーリは無表情になり、冷めた目でズィルバーを見つめる。

「・・・あっそ。答える気がないんだ?・・・まあ、いいけど。」

フーリは右手に持ったレイピアを体の前で左から右に払う。その瞬間、ズィルバーの周りに8本ものフーリが持っているものと同じレイピアがズィルバーの周りを囲むように展開される。刃先がすべてズィルバーの方を向き、ぎらぎらと白く輝く。

「回避してご覧?」

ズィルバーの周りを囲んでいるレイピアが発射された瞬間、ズィルバーは自分の後ろに結界を張り、前方からくる4つのレイピアを全て弾き飛ばす。後ろから飛んできたレイピアは結界に深々と刺さり、辛うじて止まっていた。

フーリはズィルバーの対応を見て、ズィルバーの固有能力の欠点を見つけ出した。

「・・・どうして自分の周りに展開されたレイピアを別のものにある場所のものと交換しなかったんだい?」

「・・・」

ズィルバーは相変わらず黙り続ける。フーリが右手に持っているレイピアをズィルバーの方に向ける。

「先程の君の様子を見ると、正確には交換『しなかった』というよりも、交換『できなかった』と言った方が正しいのかな?君の能力は『物の場所を入れ替えること』ができても、『霊力で作成されたものは入れ替えること』ができない感じだね?」

ズィルバーは表情も何も変えることは無かったが、フーリは能力の欠点を指摘した瞬間、ズィルバーの雰囲気が少し濁ったことを感じ取った。

フーリは急に空高く飛びあがり、ズィルバーを見下ろす。フーリが両手を横に広げると、フーリの背後に大量のレイピアを霊力で形成し、出現させる。その数は一瞬では正確に数え切れるようなものではなかった。

『一瞬であんな高密度の霊力の塊をあんなに出現させるだと⁉・・・有り得ん・・・』

ズィルバーは焦りからか、唇を強く噛み締める。フーリは鼻で軽く笑い飛ばした。

「・・・この剣の波を止めてみなよ?というか止めないと・・・死ぬよ?」

フーリが言葉を言い終わった瞬間、フーリの後ろに展開されていたレイピアが、弦が引き絞られた弓から放たれた矢のようにズィルバーの方へと襲い掛かった。ズィルバーは咄嗟にリムジン全体に結界を張り巡らし、レイピアの雨に備えた。

『二重に結界を張ったが・・・これで防ぎきれるか?』

フーリはズィルバーが結界を張るのを確認すると、両手に握っているレイピアを結界に向かって投擲した。投げられたレイピアは既に放たれていた数多のレイピア達よりも早く結界に突き刺さり、刀身の半分ほど結界の中まで貫通した。

「悪いけどその結界、破壊させてもらうね。」

フーリが右指を鳴らすと、突き刺さっていたレイピアが白い輝きを増し、ズィルバーが張った結界の表面に別の紋様が浮かび上がる。ズィルバーが張った結界は紋様に沿って腐食していき、まるで溶けるように結界が崩壊していった。

ズィルバーとリムジンを護る結界が消失し無数のレイピアの雨にさらされると確信した瞬間、ズィルバーの心の中で、何かの灯がふうっと煙を上げて消えた。

『・・・ここまで・・・か、』

ズィルバーの胸に空から降ってきたレイピアが勢いよく刺さった。その他にも手足、胴の様々な箇所に大量のレイピアが突き刺さり、ズィルバーは体勢を崩すと走行中のリムジンから転落し、地面に激しく打ち付けられた。ズィルバーの意識が薄れ、余りのダメージから生の実感を感じなくなり、痛みすら感じなくなった。

リムジンにも無数のレイピアが深々と突き刺さり、まるでハリネズミのようになっていた。運転の天井にも無数のレイピアが突き刺さり、リムジンは急に不安定な動きになり、近くの塀に勢いよくぶつかった。かなりの速度でぶつかったからなのか燃料タンクからガソリンが漏れ、リムジン全体に火が回る。リムジンのガラスが衝撃と発火による熱によって割れ、車内の様子が見えるようになる。

運転席のガラスも割れ、首と胸をはじめとする多くの箇所をレイピアで貫かれたドルギンの姿が薄っすらと見えた。ドルギンは車のハンドルに顔を押し付けるように息絶えており、目を薄っすらと開いていた。

ズィルバーは体の感覚がほぼ消えた状態でゆっくりと体を起こし、まるで自分じゃない誰かによって操られているような錯覚を覚えた。

「ド、ドルギンさん・・・」

ズィルバーがドルギンの名を呼んだ瞬間、リムジンが爆発し、炎の勢いはより強くなった。もうドルギンの姿は炎に包まれていて確認することが出来なくなった。

フーリがストンッと地面に着地すると、燃え盛るリムジンの方を見る。しばらく何かを探る様にリムジンを見てから、ズィルバーの方を向く。

「・・・ナターシャ姫と残りの部下は何処?」

ズィルバーは胸に突き刺さっているレイピアを引き抜く。レイピアによって塞がっていた傷口から血が噴き出る。

「・・・さて、何処だろうな・・・」

フーリが右手に霊力を集中させ、新たなレイピアを生成する。

「とぼけないでよ?車が大破したことによって索敵が出来るようになったけど、車の中にはあの運転手の霊力しか感じ取れないし、後部座席からは何も感じない。人の気配も霊力も・・・もう一度聞くよ?何処に逃がしたの?」

ズィルバーは胸に手を当てて、血が流れ出るのを押さえる。フーリは目を細めて、右手でレイピアを回しながら睨みつける。

「そうか・・・囮か。ナターシャ王女と君以外の護衛小隊の奴は元々から乗っていなかったんだね。・・・まんまと騙されちゃったよ。・・・まさかあのオペラハウスに隠し通路があったとはね。事前に確認した建物の見取り図には描いてなかったけど。」

炎上しているリムジンを背にフーリはズィルバーにゆっくりと近づく。出血のし過ぎでフーリの姿を正確に捉える事が出来ず、蜃気楼のように揺れる。

「成程ね。だからあの時、王子はノーガンに無線をかけて来たのか・・・隠し通路から逃げていないかどうかを・・・納得したよ。」

フーリはレイピアを回すのを止めると、ズィルバーに向けって投げつける。ズィルバーは怪我で回避する事が出来ず、喉に深々と刺さった。レイピアは首を貫き、周囲に紅い鮮血を撒き散らす。

ズィルバーは息が出来なくなり、受け身を取る事もなく後ろに倒れた。

「・・・っ!・・・っ・・・」

息を吸い込むが血が気管に入り、肺に血が入り余計に呼吸が出来なくなる。もう、視覚も聴覚も無くなった。

『もう・・・限界・・・か・・・』

痙攣すらしなくなり、目も死人のように光を失ったズィルバーをフーリは汚いモノを見るように見下ろす。

「お疲れ様・・・もう少し粘ってくれた方が楽しめたんだけどなぁ。」

フーリはズィルバーの喉に刺さったレイピアを力任せに引き抜くと、傷口からドロッと血が流れ出る。ズィルバーは何も反応を見せず、ピクリとも動かなかった。

フーリが息絶えたズィルバーを見下ろしていると、近くに多くの装甲車が到着し、中から親衛隊員達が降りてきて、フーリの元へと駆け付ける。

フーリは邪魔者を見るかのような目で彼らを横目で見る。

『何今更来てるんだろう、この役立たずの人達は?』

親衛隊員達はフーリの前に並ぶとフーリに向かって敬礼をした。

「フーリ様、ご無事で何よりです!」

フーリは眉間にしわを寄せ、強烈な霊力を彼らにぶつける。

「僕が負けると、思ってたの?君達は。」

フーリの言葉を受けた親衛隊員達は全員焦りの表情を見せ、謝罪した。

「す、すいません!そのようなことは一切・・・」

フーリは短く鼻で笑い飛ばすと、彼らのそっぽを向いた。

「じゃあ、あそこで燃えてるリムジンの火、消してきて。それぐらいなら君達でも直ぐにできるでしょ?」

「はい、今すぐに!」

親衛隊員達は急いで消火活動に取り掛かった。フーリはそんな彼らを邪魔そうに思いつつズィルバーの首元に視線を移動させる。

フーリがズィルバーの首を刎ねようとレイピアを振り構えた時、無線機が鳴る。周波数を確認すると、ノーガンからだった。

「はい、もしもしノーガン?こっちは丁度今片付いたよ。」

『流石だな。・・・そっちは囮だっただろう?』

「うん、車にいたのは第五護衛小隊の隊長と運転手の2人だけだったよ。・・・やっぱり知ってたの?」

フーリはレイピアを振り、ズィルバーの首を刎ね飛ばす。首がボールのようにバウンドしながら地面を転がっていく。

『正確には分からなかったが・・・先程ナターシャ王女と従者である護衛小隊の奴らを見つけた。』

「隠し通路みたいなのがあったの?」

『ああ、特殊な結界で巧妙に隠されていたが王子の言っていた場所を壊したら、地下駐車場からさらに下へ降りる階段を見つけた。全く、よく出来たものだな。』

フーリはレイピアを消失させると、ズィルバーの首を右手でもち上げる。

「・・・で、勿論殺したんだよね?姫も付き人も。」

フーリは挑発的な声を出すと、無線機の先からノーガンの短い溜息が聞こえてくる。

ズィルバーの光の消えた目の先には青々とした空が広がっており、その遥か向こうに小さな黒点が一つ、街から離れるように漂っていた。


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『2月8日 人間界ノスタル・イルージェ 北大陸北部 時計の町ラクスロック

15時45分』


「ナターシャ様、足元に気を付けてくださいね・・・」

ベルツはナターシャの手を引きながら古びて所々崩れている階段を降りていく。ナターシャは先程の駐車場でヒールを脱ぎ捨て、車の中にあったブーツを履いていた。その他にもドレスの足元を破り捨て、動きやすいようにしている。

階段を下りると左右に道が分かれていて目の前には水路があった。

「ここは・・・地下水路のようですね。整備されていて少し安心しました・・・初めはとても汚いところだと思っていましたので・・・」

「ええ・・・そうですわね・・・」

ベルツの言葉にナターシャが元気なさそうに返答する。ベルツはやはり先程のズィルバーとドルギンが事前に考えていた提案に納得していないらしい。正直ベルツもその作戦を聞かされて少し困惑していた。

時間は少し遡り、地下駐車場でベルツ達とドルギンが合流した時まで戻る。ドルギンはナターシャに今履いているヒールを脱ぐように言い、車の中に移動してもらってからブーツを履かせ、ドレスの足元をナイフで切り落とし走りやすいようにした。

ベルツはドルギンがナターシャの機動力を確保すると、ズィルバーに先程の問いに対しての答えを求めた。

「隊長、先程言っていた『例の作戦』とはいったい何のことですか?私はその作戦を聞かされていませんが・・・」

ズィルバーは立ち上がると少し困惑しているベルツの方をゆっくりと見た。そのベルツを見るズィルバーの目からはどこか決意めいた強い意志をベルツは感じた。

「ベルツ・・・お前はナターシャ様を連れて二人で逃げろ。このオペラハウスには古い地下水路があり、そこから外へ抜けられる。地下水路を抜けた先にフランクが脱出用のドラゴンを連れて待機しているからそれに乗ってこの街から脱出し、ナターシャ様を無事館にまで連れて帰るんだ。・・・いいな?」

ベルツはズィルバーに詰め寄る。ズィルバーの作戦内容にベルツは動揺を隠せなくなっていた。

「ちょ、ちょっと待ってください、隊長!二人で逃げろって・・・隊長とドルギンさんはどうするつもりなんですか⁉」

ドルギンが横からベルツに話しかける。

「私達は殿として第五護衛小隊とローゼンヴァーグ親衛隊の相手をします。ナターシャ様の無事が確認できましたら、私達も館に戻りますのでご安心ください・・・」

「ご安心くださいって・・・安心できる訳がありませんわ!」

ナターシャが声を荒げて、ドルギンに首元の襟を両手でつかむ。ナターシャもこの急な作戦の発表に動揺を隠せないようだった。

「ドルギン、貴方は外にいる敵を知っていますの⁉外にはユーグフォリア社のエージェントの中でも精鋭を集めた部隊の一つである第五護衛小隊とローゼンヴァーグ帝国軍の精鋭を集めた親衛隊が待ち構えておりますのよ⁉それに敵はユーグフォリア社から提供された最新兵装を身に着けておりますわ!殿になんかなってしまえば・・・間違いなく死んでしまいますわ!」

ナターシャがより襟をつかむ手に力を入れる。ドルギンはナターシャに優しく微笑む。

「分かっておりますよ、ナターシャ様。そのことを承知で、私は殿になるのです。」

ナターシャの目が潤む。

「認めませんわ・・・そんなの、絶対に認めませんわ!」

ナターシャは手に強く力を込め、何度もドルギンに訴えかける。ベルツもズィルバーに進言する。

「隊長・・・殿は自分が務めます。自分なら・・・敵の包囲網を突破して館に戻る自信があります。」

「・・・」

ズィルバーは目を瞑り、ベルツの言葉に耳を傾け、何度も首を縦に振る。そしてゆっくりと目を開くと、ベルツを優しい眼差しで見つめる。

「確かに・・・お前の実力ならこの包囲網を突破して帰って来れるかもしれない。・・・私もお前の潜在能力は、私以上のものを持っていると思っているからな。」

「なら、自分が・・・」

「でも駄目だ。お前が殿になることは私が許可しない。」

ズィルバーの冷たく刺さるその言葉にベルツが問い返す。ベルツは何故ズィルバーがそこまで囮役を志願するのかが理解できなかった。

戸惑いの表情を見せるベルツにズィルバーはゆっくりとその訳を明かした。

「ベルツ・・・お前はまだ26だ。・・・殿で死ぬには早すぎる・・・」

「な、何を言ってるですか・・・隊長・・・別に俺、死ぬつもりなんじゃ・・・」

ベルツのたどたどしい言葉にズィルバーが割って入る。

「お前も内心気付いているだろう?・・・この敵の包囲網を突破できる奴はいない。殿になった奴は・・・間違いなく死ぬ。」

「・・・っ!」

その言葉を聞き、こぶしを握り締めて震わすベルツをズィルバーは抱き寄せた。ズィルバーの思わぬ行動にベルツは何も考えられなくなった。

「た、隊長⁉一体何を・・・」

ズィルバーがベルツを強く握りしめる。

「お前はまだ若く、これからもっと強くなる男だ・・・戦闘技術も、精神力も・・・そんな将来のある男をここで散らしてしまうのはもったいない・・・」

「だからって隊長がわざわざ殿にならなくても・・・地下水路があるのなら、一緒にそこから逃げれば・・・」

ベルツの震える言葉にズィルバーが即否定する。

「駄目だ。秘密の地下水路であっても奴らはすぐに見つけてしまうだろう。そうなれば姫を守り切るのは不可能だ。・・・出来るだけ、派手に敵を引き寄せる役が必要なんだよ。姫を逃す間だけの・・・な。・・・新入りのお前じゃ、少し頼りないからな。」

ズィルバーはベルツを離すと、肩に手を置き静かに淡々と語りかける。

「第七護衛小隊隊長ズィルバー・クランクよりベルツ第七護衛小隊隊員に新たな任務を命ずる。心して聞け。」

そう言うと、ズィルバーはふっとほほ笑んだ。その笑みはまるで、子供を見送る時の親の顔のように優しかった。

「ナターシャ・シャル・ローゼンヴァーグ様に降りかかるあらゆる火の粉を全て払いのけ、彼女が己の使命を全うするまで、その任を貫くことを命ずる。途中で命を落とすことは隊長命令として許可しない。・・・ベルツ、この命をお前に与えたのは、私がお前の今後の成長性に期待を示しているからだ。」

ズィルバーはベルツの肩を軽く2度叩く。ベルツは唇を強く噛み締める。

「・・・この命を受けてくれるな、ベルツ?」

ベルツは俯くと、小さく首を縦に一回振る。ベルツは顔を上げてズィルバーの顔を見るのが怖くなった。これ以上ズィルバーの顔を見てしまったら、彼の優しさで心が押しつぶされてしまいそうだったからだ。

ズィルバーは軽く鼻で笑う。

「ごめんな・・・何かお前に今後の事全て押し付けるような真似しちまって。・・・でも、お前は優しいな、こんなオッサンの命令を受けてくれて・・・ありがとな・・・」

ベルツはズィルバーと意地でも目を合わせようとせず、下を向いたままじっとしていた。

『卑怯じゃないですか・・・隊長。そんなこと言われたら・・・嫌でも断れないじゃないですか・・・』

ベルツがそう心の中で呟くと、真上から爆発音と同時に地鳴りがした。思わずベルツ達は身構える。

「何だ、今の振動は・・・」

「・・・もう時間がないようだな。恐らく敵がオペラハウス内に突入したんだろう・・・ここに敵が来るのももう時間の問題だな。」

ズィルバーがそう言うと、ドルギンは自分の服の襟をつかんでいるナターシャの手をそっと放すと、ナターシャに話しかける。

「ナターシャ様・・・もう時間がありません。ベルツ様と一緒にお館にお戻りください。私達が時間を稼いでいる間に・・・」

ナターシャが激しく首を横に振り、ドルギンを見つめる。その目は涙を貯めており、あと少しで零れてしまいそうだった。

「嫌!嫌ですわ!お爺様!私と一緒に逃げましょう⁉きっと今から急いで地下水路から抜ければ誰も殿にならずとも・・・」

「ナターシャ様、駄々をこねてはいけませんよ?・・・それにもう私の事を『お爺様』と呼ばない約束でしたよね?」

ドルギンの諭すような言葉にナターシャはとうとう涙を流してしまった。

「知りませんわ、そんな約束!お爺様!貴方を見捨てるなんてできませんわ!貴方は母と父が、私の物心がつく前に他界してからずっと親のように育ててくれましたわ!私にとってあなたは父親も同然ですのよ⁉父親を見捨てる娘が何処にいますの⁉」

ドルギンはナターシャのその言葉に目を潤わせる。ドルギンは涙をこぼさないように必死に耐え、ナターシャに優しく諭すように話しかける。その言葉使いは、敬語を一切含むことなくまるで親が子供に話しかける時のようだった。

「ナターシャ様、よく聞いてください。貴女が私の事を父親同然と思ってくれてこのドルギン、改めて貴女の傍に仕えることが出来て幸せでした。・・・そしてナターシャ様、子が親を想うように、親も子を想っているのですよ・・・家族がおらず、親代わりでもある私の身としては、娘同然の存在であるナターシャ様さえ無事に逃げて、生き延びてさえくれれば、もう何も後悔する事なんて無いのです。ですから、ナターシャ様・・・父親の最期の頼みとして・・・どうか素直に聞いて貰えないでしょうか?」

ナターシャはドルギンの顔を泣き顔でぐしゃぐしゃになって見つめる。ドルギンがナターシャの顔にそっとハンカチを添え、涙を拭う。

「こんなに涙を流してしまっては・・・せっかくの美しい顔が台無しですよ?常に堂々と・・・前を向いて、笑っていてください。・・・そうでなければ、皆が心配してしまいますよ?」

ドルギンはハンカチでナターシャの顔を拭うとポケットの中にしまう。ナターシャは赤くなった目でドルギンを再び見つめる。その顔は涙をも促さないように必死にこらえているような表情をしていた。

「ナターシャ様、私は貴女からかけがえの無い多くのものを受け取りました。・・・その恩を、今ここで貴女に返したいと思います。」

ドルギンはベルツの方をゆっくりと振り向く。

「ベルツ様・・・ナターシャ様を宜しくお願いします・・・」

『ドルギンさん・・・貴方も中々『ずるい』方だ。あんな話をされた後だと、断ろうにも断れないじゃないですか・・・』

ベルツは心の中で自分の心境を呟くと、ナターシャの傍に近づく。上の階から多くの足音が地下駐車場に響いてくる。

「ナターシャ様・・・行きましょう。」

ベルツは良い言葉が思いつかず、ナターシャにふと頭に浮かんだことを話しかける。ナターシャはそっとドルギンから俯きながら離れると、ベルツの近くへやってくる。ナターシャがベルツの後ろにつくと、ベルツはズィルバーが教えてくれた地下水路への方に歩き出す。

地下水路への道は駐車場の壁にある隠し扉に巧妙に隠されており、ベルツとナターシャがその壁に近づくと壁が急にスライドし始め、さらに下へ潜る古びた階段が現れた。壁からはズィルバーの霊力が僅かに感じ取れ、ベルツは後ろを振り返るとズィルバーが何か霊術を発動していた。恐らくこの秘密の扉を開くための術式だろう。

ベルツとナターシャがその扉をくぐり、階段を下り始めると扉が閉まり始めた。ベルツとナターシャが後ろを振り返り、閉まりつつある扉の向こうにいるズィルバーとドルギンを見る。ズィルバーはベルツとナターシャに対して虫を払うような動作で早く行けと合図を送る。ドルギンがここに来るまでに乗ってきたリムジンの運転席に乗るとズィルバーもそれに続いて、助手席に乗り込んだ。そこまでが隠し扉が完全に閉まるまでにベルツとナターシャが見た光景だった。

その後、ベルツとナターシャは地下水路に到着すると、ズィルバーからいつの間に服の内側に忍ばされていた地下水路の見取り図を使って、フランクが待機している出口に向かって歩いていく。ベルツは薄暗い地下水路をナターシャの手を離さないようにしっかりと握りしめ先頭を歩き、ナターシャも手を離さないようベルツの手をしっかりと握り、ベルツの横に並んで歩く。

地図に記されている矢印に沿って歩いていくと、前方から光が流れてきた。どうやら出口の近くまで来たようだ。

「ナターシャ様、出口が見えましたよ。後もう少しの辛抱ですよ。」

ベルツはナターシャを急かさず、今までのペースでナターシャを連れながら光の方に向かって歩く。出口に近づくにつれて光が強くなっていき、二人は目を細め、手を頭の前に持ってきて影を作る。光の向こうから何か生き物の遠吠えのような声が聞こえてくる。ナターシャがベルツに体を寄り添わせる。

二人が完全に光に包まれると、目の前には地下水路から繋がっている小川とその周りに生い茂っている木々による森林地帯が広がっていた。

「ベルツ!こっちだ、急げ!」

フランクがベルツとナターシャがいる所から少し離れた開けたところにドラゴンと共に待機しており、ベルツに向かって叫ぶ。ベルツとナターシャは地下水路から出ると、フランクの元へと駆け寄る。

ベルツとナターシャがフランクと合流すると、フランクは安堵と焦りを共存させたような神妙な面持ちで話しかける。

「無事でよかったぞ。・・・隊長達は・・・」

フランクの問いにベルツは俯いた。その様子を見たフランクは何も言わず、ベルツに一匹のドラゴンを渡す。そのドラゴンを見た時、ベルツは思わず声を上げた。

「フランクさん・・・このドラゴン、僕のじゃないですか!」

「ああ、わざわざお前のドラゴンを呼び出してみたんだ。俺のドラゴンを貸すよりも、自分のドラゴンの方がしっくりと来るだろう?」

ベルツは不安な顔でフランクを見る。

「でも自分、もう3年もこのドラゴンと会っていませんし、まだこのドラゴンとうまく心を開けてすらいないんですよ⁉」

「だったら今ここで心開いて仲良くなればいいだろう?この前俺が教えたことを守ればすぐに心を開いてくれるさ。」

フランクはベルツの肩に手を置き、優しく微笑む。お前ならきっと出来る・・・そんな気持ちの籠った優しい笑顔だった。

ベルツは自分のドラゴンの方を見る。相変わらず激しい鼻息と鋭い目つきで威嚇をしてくる。

『こいつに俺の本心をさらけ出す・・・って言われてもどうしたらいいんだろう?どうやったら俺の気持ちが伝わるのかな・・・』

フランクは以前、ドラゴンと心を通わせるには自分の本心をさらけ出すことが大切と教えてくれたが、どうやったら伝わるのかは教えてくれなかった。

『くそっ、こんな非常時にこんな事を考えなきゃいけないなんて・・・この人は一体何を考えているんだ?やり方ぐらい教えてくれればいいのに・・・』

ベルツは必死に考えれば考える程、思考が絡まり解けなくなる。次第にその方法を教えてくれないフランクに徐々に苛立ちが向いていくのを感じ、ベルツは自分を責め立てる。

『人に当たるな、俺!自分で導くんだ、俺!フランクさんがこんなこと言った訳にはきっと何かがあるはずなんだ!』

ベルツは思考で頭が焼けそうになる。余りに集中しすぎたのか、ナターシャが心配そうに声をかける。

「ベルツ・・・大丈夫ですの?」

「あっ・・・え、ええ。・・・少し、考えすぎていました・・・」

ナターシャはドラゴンとの接し方を必死に考えているベルツにある提案をした。

「そんなに悩まないで一度あのドラゴンに触れてみてはいかがです?」

「触れる?」

「ええ、何度も何度も自分の中で考えるよりも、実際に触れ合うことの方が相手に気持ちを伝えられると私は思いますわ。人間同士の付き合いも同じですわ、話してみないと相手がどんな人物なのか正確に判断することは出来ませんわよね?」

ナターシャの言葉でベルツはフランクが実際にドラゴン達と触れ合うことで仲良くなったエピソードを思い出した。そのせいで、腕を無くしたらしいが。

『考えるよりも、行動しろ・・・触れ合ってみないと相手の本当の気持ちは分からないし、伝わらない・・・か。・・・こんな基本な事が分からなかったなんて、情けないな、俺・・・』

ベルツは自分を戒めながら、ドラゴンの方へと歩む。ドラゴンはベルツが近づいてくるのを確認すると、ゆっくりと立ち上がり歩み寄ってくる。ベルツとドラゴンの距離が手が届くほど近くになる。

ベルツはそっとドラゴンの頬に手を当てる。ドラゴンの鼻息がベルツ顔に当たり、髪を揺らす。

「・・・ごめん、今まで君の事を知ろうとしなくて、遠ざけてしまって・・・本当にごめんな・・・」

ドラゴンの鼻息が荒くなり、グルルル・・・とうなり声を上げ始める。ナターシャが心配そうにベルツの元へ寄ろうとすると、フランクが制止する。

ベルツは気を落ち着けて、ドラゴンに話しかけ続ける。

「そして急に悪いんだけどさ・・・今俺達すごい危険な状況なんだ・・・だから君の力を貸してほしいんだ。・・・都合にいい話かもしれないけど・・・君に頼るしかこの方法を突破できそうにないんだ・・・だから、君の力を貸してほしい。俺達を空に逃がしてくれないか?・・・そして、君の事を俺に教えてくれないか?」

ベルツはドラゴンに優しく伝えると、ドラゴンは唸り声を上げるのを止め、ベルツの前でゆっくりとしゃがんだ。

今までの付き合いではベルツに向かって牙をむき、何度も殺しかかってきたドラゴンが俺の背中に乗れというようにしゃがんだ事に、思わずベルツは驚きを隠せなくなった。

『通じた・・・今まで全然聞いてくれなかった俺の頼みを聞いてくれた!』

ベルツは振り返ると、フランクは笑顔で頷いた。どうやら、これで良かったらしい。ナターシャもほっとしたように胸を下ろす。

ナターシャがベルツの元に近づく。

「もう・・・ドラゴンが唸り声を上げ始めた時は、貴方が食べられないかと心配しましたわよ?」

ナターシャが少し頬を上げてベルツに微笑みかける。

「ナターシャ様、ありがとうございました・・・貴女の助言のお陰で、ドラゴンとの距離を縮めることが出来ました。」

「私は貴方に何もしていませんわ。貴方は自ら行動し、彼に本心を伝えた。彼との距離を縮められたのは貴方自身の行動力ですわ。」

ナターシャは謙遜し、ベルツの行動力を誉めた。ベルツは思わず、自分を立てずに相手の功績を誉めるナターシャの態度に惚れこんでしまった。

ベルツがナターシャの方を見ていると、突然フランクがナターシャの背中を押してベルツに押し付けた。ナターシャはベルツに寄りかかり、思わずフランクの顔を見たが、その顔は焦りの表情を見せていた。

その顔を見たナターシャは不安そうに尋ねた。

「どうしましたの、フランク・・・」

フランクはナターシャの言葉に返事をする事なく、裂くほどベルツが出てきた地下水路の出口の方を見る。フランクが見ている方向を2人が見ると、そこには先程の地下水路の出口に佇んでいるノーガンの姿があり、ノーガンはベルツ達を見下ろすように睨みつけていた。同時に物凄い霊力を発しベルツ達を牽制する。

フランクがドラゴン達に合図を出し、一斉に戦闘態勢に入る。フランクのドラゴン達は急な雄叫びを上げ、フランクの前に広がりノーガンを睨み返す。

「ベルツ、ここは俺が食い止める。ナターシャ様を連れて一刻も早く屋敷に戻れ。」

ベルツは頷くとナターシャの手を引き、自分のドラゴンの後ろに回り込む。ベルツがドラゴンに跨り、ナターシャを引き上げて自分の後ろに座らせる。

「ナターシャ様、僕から絶対に手を離さないでくださいね!」

「ええ、勿論ですわ!」

ナターシャはベルツの腰に手を回し、体を密着させる。ナターシャの温もりがベルツの背中から全身に伝わる。

ドラゴンは体を揺らしながら立ち上がり、唸り声を上げる。

「フランク、無茶は駄目ですわよ!屋敷で貴女が帰って来るのを待っておりますわよ!」

ナターシャがフランクに話しかけると、フランクは後ろを振り返り、小さく頷いた。

「ベルツ!ナターシャ様を頼んだぞ!」

フランクはベルツにそう言うと、ドラゴン達に合図を送り、ノーガン目掛けて攻撃を仕掛ける。ノーガンは拳に籠手を嵌め、ドラゴン達の襲撃に構えた。ノーガンの体から悍ましい霊力が滲み出てくる。

ベルツはノーガンの戦闘スタイルに思わず驚愕した。

『あいつ、籠手を着けているとはいえ、素手でドラゴンと戦うつもりか⁉しかも複数の・・・なんて奴だ。』

本来ならドラゴン相手に拳で戦いを挑むのは只の馬鹿か、自殺志願者のどちらかであるのだが、何故かノーガンからはそのような気配を一切感じさせない気迫がひしひしと伝わってきて、心の底から畏怖を覚えるような感覚を覚えた。

ベルツはフランクが戦闘を始めた瞬間、ドラゴンに合図を出す。

「頼む!今すぐここから南の方角にあるナターシャ様の屋敷まで飛んでほしいんだ!」

ベルツの言葉にドラゴンは反応すると、激しい雄叫びを上げてほぼ垂直に急上昇し始める。髪の毛が逆立ち、強烈なG(重力加速度)がかかり、息が出来なくなる。ナターシャも思わずベルツの腰を強く抱きしめる。

『こんなにきつかったっけ⁉もう全然乗って無かったから感覚を忘れてしまったのか⁉』

目も開けられない程の風圧を受けながらしばらく耐えていると、急に体が軽くなったような感覚を受ける。目を開けると、ベルツ達は雲の上を地面と平行に飛んでいた。ナターシャもゆっくりと目を開け、周りの風景を見る。

ナターシャが声を震わせながら、話しかけてくる。

「ベルツ・・・寒いですわ・・・」

ベルツは首を横に向け、横目でナターシャの姿を見るとドレス姿で防寒対策は何もしていなかった。ベルツ達の服は防寒対策まで完璧にしているが、ナターシャの服を見て確かにその姿では寒いだろうと思った。

「ナターシャ様、申し訳ありませんが少し我慢して頂けないでしょうか・・・」

「・・・分かりましたわ・・・」

ナターシャはよりベルツに体をくっつけ、体を温めようとする。ベルツは少し恥ずかしいなという気持ちも抱きながら、フランクの事を案じた。

フランクと対峙していた男が放っていた霊力を振り返った。

『あの男の霊力・・・オペラハウスで戦った奴らとは比べ物にならない程だった。・・・あんな奴にフランクさんは勝てるのか?それにあいつの霊力・・・狂った人々から発せられていた僅かな霊力と似ているような気がしたような・・・』

ベルツはノーガンについての考察を頭の中で行うが、頭を振り思考を中断させた。

『今は何も考えるな・・・今は無事にナターシャ様を屋敷に帰還させることだけに集中するんだ・・・』

ベルツは再びナターシャの方を振り返る。ナターシャは顔をベルツの背中に密着させ、目を閉じていて、眠っているのかそれとも何か別の事でも考えているのだろうか。そんな様子のナターシャを確認したベルツは前を向き、屋敷がある方向を眺める。

ベルツ達を乗せたドラゴンは街の遥か上空を飛びながら、街を離れて行った。街の方からは黒い一筋の煙が天高く上がっていた。



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