ポルターガイスト
深夜、小腹がすいたので、財布を片手に外に出た。
玄関の鍵を閉め、アパートの錆びた階段をカンカンと降りる。十月も終わりに近づくと、ジャージにサンダルでは肌寒い。もう一枚着てくれば良かったなと、両手をポケットに突っ込む。道に出たところで、突然クラクションを鳴らされた。その音に驚いて、その場でピーンと佇立する。目の前を軽トラックが、ゴゥと音を立てて通り過ぎる。思わず顔をそむけるが、髪は風圧でめくれ上がり、片方の耳が削がれてしまった。
アパートの前の道は狭く、車一台分ほどの広さしかない。そこをトラックは、六十キロほどの速度で暴走である。恐ろしいことである。
しんと冷えた夜の町を、とぼとぼと歩く。表札の無い家のベランダで、洗濯物が揺れている。あの洗濯物は、一年を通して揺れている。思うに、実は昼の間に取り込まれ、夜のあいだ再び干しているのではないだろうか。
暗闇にぼんやりと長方形の灯が見えてきた。スーパーマーケットである。このあたりで唯一の24時間営業。ありがたいことである。自動ドアが開き、店内に入る。一階は衣料品売り場。夜の十時を過ぎると、天井から緑の網が吊り下げられ、フロアの照明が落とされる。24時間営業は、地下の食料品売り場だけなのである。左右を網で囲まれた通路をぐねぐねと曲がると、エスカレーターへと辿りつく。
上がりエスカレーターには黄色いプラスチックの鎖がかかっていた。上を覗くと真っ暗である。上の階は生活用品売り場である。照明の落ちた無人の店内で、売り物のベッドに寝ころぶと、さぞ気持ちが良いだろう。そんなことを夢想しながら、下りエスカレーターに乗る。エスカレーターの出口で、一本のアスパラガスがコロコロと転がっていた。
エスカレーターを降りると、センサーが反応し、ポーンと音を立てた。
昼間には大勢の客で賑わうこの店も、深夜になると私一人のものである。夜の間は音楽も止み。リノリウムの床に、サンダルのペタペタとした音が心地よい。残念なのは品ぞろえである。夜の間、精肉や鮮魚、総菜の棚はがらんどうである。牛乳や納豆、食パンも、翌朝までは昼の残りが並んでいるのみである。
カップ麺と、ビールとつまみをカゴに入れ、レジへと向かう。深夜のレジは店員がおらぬ。その代わりにボタンが用意されている。それを押すと、どこからともなく店員が走ってきて、会計をしてくれるという仕組みである。ハイテクである。レジにカゴを置くと、早速そのハイテクなボタンを押した。
いつもなら愛想の悪い男の店員が、小走りで駆けてくるのだが、しばらく待ってもとんと現れぬ。体を横にすうと伸ばして、通路を覗いてみても店員の姿はない。通路の奥へ「すいません」と、呼びかけてみたが。声は奥の壁に跳ね返って、しばらくして戻ってきた。
カゴをレジに置いたまま、店員を探してみることにした。ずらりと並んだレジの列を奥に進むと薬売り場に出る。売り場の照明は落ち、天井からは例の網が吊り下がっていた。薬売り場を抜けると、エスカレーターの降り口に戻る。来たときと同じように、アスパラガスがコロコロと回っていた。野菜売り場を抜け、鮮魚売り場へと進む。自分のほかには人の姿はない。照明のジリジリという音と、冷房のごうごうという音がやけに大きく聞こえる。その中を、サンダルの音をペタペタと響かせて歩くのである。精肉売り場の隣には、金属の観音開きの扉があった。バックヤードであろう。ここには店員がおるだろう。片方の扉を軽く押すと、大した抵抗もなく、扉はきぃと奥へと開いた。
入口から奥を覗いてみる。床はコンクリートで、中央に排水溝が通っており、水にぬれて黒く変色していた。天井には蛍光灯があるが、節電の為か、一本置きにしか点灯しておらぬ。扉を押し開いたまま、「もし」と奥へと呼びかけてみたが、チロチロと水の流れる音が聞こえるのみである。
通路はまっすぐに十メートルほど続き、突き当りを左に折れて見えなくなる。通路の右手には別の部屋があった。入り口に扉は無い。その部屋の地面は、緑色のゴム素材のようである。肉や魚の加工を行う部屋だろうか。緑色の地面には血が残っており、何だか厭な感じがした。さすがに入るのは躊躇われるので、踵を返しフロアへと戻った。
それから店を一回りしても、人の姿は見かけなかった。不思議なことはさらに続く。レジに戻ると、置いていたはずのカゴが無かった。フロアを一周している間に、店員が移動したのだろうか。戸惑う姿をどこからか盗み見て、くつくつと笑っているのだろうか。
結局なぁにも買わず、上がりエスカレーターに乗った。来た時と同じように、両手をポケットに突っ込んだままである。エスカレーターの出口で、またしてもアスパラガスがコロコロと回っていた。照明の落ちた一階のフロアに戻ると、センサーが反応しポーンと鳴った。
手ぶらのまま、来た時とは別の道を通って帰った。当初の目的は果たせず、夜の町を散歩に出たようなものである。アパートの前に着くと、道路脇の側溝に、人が倒れていた。その人物は側溝にみつちりと挟まっていた。きっと狭いところが安心するのだろう。ふと下をみると、トラックに持ち去られた耳が落ちてあった。それを拾うと、ふたたび耳に戻し、階段を上がっていった。錆びた階段は、歩くたびにカンカンと鳴った。その音は、なんだか愉快に思えたのである。




