パロディのパロディ
エヌ氏は異世界に転生した。
「やれやれ」
パロディという表現には批評性が伴う。
特徴を抽出し、単純化し、誇張することで、新たな発見を与える。
「あぁなるほど、確かにそうだ」
我々は、パロディとして提示されることで、「こういう見方もあったのか」と、相対化して捉えなおすことができる。
つまりパロディとは、本質を捉えようとする行為だ。
この一点において、パロディは立派な創作である。
だが、一度作られたパロディの模倣はどうだろう。
多くの場合、そこに新しい視点は含まれない。
ネタ化、パターン化が始まる。
新規性ではなく、バリエーションや芸としての洗練度が競われるようになる。
パロディの本質は、最初にすべてが詰まっているのだ。
エヌ氏の眼前には荒涼とした赤い大地。
かつて国があったのだろう。
建物は風化し、崩れ、石の土台をわずかに残すのみだ。
乾いた風が砂を運び、文明の痕跡を長い年月をかけて消してゆく。
この世界に、まだ人はいるのだろうか?
ここで生きてゆくことは可能だろうか?
「なるようになるさ」
そう呟くと、エヌ氏は歩き始めた。
見渡す限りの茫漠たる荒野。
ここで止まるわけにはいかない。
君のやることは無意味だ、だからやめるべきだ。
そうだろうか?
エヌ氏の行く手には、どんな世界が広がっているのだろう。
彼の後ろには新しい足跡。それは道のようにも見える。
その足跡も、風に飛ばされ、土に埋もれ、やがては消えてしまうだろう。
しかし事実だけは、消えずに残るのだ。