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Peace-loving monsters

 トラルと一緒に、暗いとも明るいとも言い切れない、光源が見当たらない通路を歩いていた。城内のどこを歩いているのか、それは分からないが、かれこれ五分以上真っ直ぐに歩き続けている。分速九十メートルとしても、四百五十メートルは歩き続けている計算になる。こんなの色々とバカげてる、無限回廊にでもなってるのかと疑うほどだ。


「……なあ、一体どこまで歩かせるつもりなんだ。まさか、地平線の向こうまでとか言うんじゃないだろうな?」

「安心しろ、そこまで行くのならば、歩くよりも以前に目的地へと着いている」

 彼はさっきと何一つ変わらない、穏やかな声調で答えた。

「ああ、そう……」


 初対面相手にこの言い方は、自分でもどうかしてると思う。ましてやその相手は魔王だから、硫酸の海へ飛び込むぐらい危険な事だ。しかし、相手の出方を知っておきたい事があって、かなり踏み込んだ言い方をしてみた。実際のところは、あの部屋を出た後ずっと無言だったから、この堅苦しい空気を振り払いたかっただけだが。


 だとしても、彼の返事に不愉快そうな感じはなかったから、さほど気にしてないように見受けられる。魔王としての貫禄によるものなのか、ゆとりも持ち合わせているのか、それとも……。


「……まあ、もしそれが冗談だって言うのなら、自分の髪をいじってる方がまだマシだな」

 呆れるような物言いで、俺はそう吐き捨てた。

「むう……我も未熟という事か。一体何が足らぬというのだ?」

「……マジで冗談だったのか? その反省も冗談なのか本気なのか、聞いてるこっちは分かんねぇよ」

 まさかの下手くそな冗句に、驚きもあり、だが、ほんのわずかな怒りもあった。


「……成程、やはり我の風采が妨げになっておるか。しかしこればかりは根本の問題故、別の方法を考えていかねば」

「もういいよ。ったく、アンタの考えは俺には分かんねぇよ、クソうざい」


 真剣そうに悩んでいる彼に、慣れない洒落を使うのはやめろ、と、文句を言いたくなった。今はそういう気分じゃない。

 いくつか分かった事として、一つは少なくともそういうのを理解している事。二つはジョークがジョークじゃない事。三つは無駄話は避けるべきという事。もうこれ以上は下手に話題を振らない方がいい、今はそんなのは聞きたくもないから――。


 結論付けようとした時だった。ふと、頭の中に一個の疑問が下りてきたのだ。それは違和感からかもしれないし、最初から思うべきだった事が今、ようやく思い出したのかもしれない。それは……。


「なあ、なんで言葉が通じるんだ。俺が元々いた世界じゃ、少なくとも十以上の言語があった。それに、俺にとっちゃここは異世界だ。言語の壁が俺らを遮っているはずだろ。なのにどうして、日常会話レベルで意思疎通が図れているんだ?」


 そう、これは本来避けて通れないはずだ。なのに、それがあたかもすり抜けているかのように、何も問題がない。それどころか、彼らの言葉が日本語に聞こえるのだ。こればかりは、いくら偶然と言われても腑に落ちない。


 この当たり前だろう質問に、トラルは振り返らずに答える。

「言語による障害は、既にに考慮していた。こちらの世界にも、複数の言語が存在しているからな。故に、君が眠っている間に、この世のありとあらゆる知識の一部を与え、馴染ませた。意識するならば、容易に知識を思い出せるだろう」

 その言葉に少し不安を感じながら、その言葉通りに頭を働かせる。


 すると、目の前の光景が、一瞬で黒一色に染まる。そして視界の上部から、自然と読める知らない文字が、雨の様に降り注いできて、三つの単語が目の前で出来上がった。


 【知識移植(テレクティア)】と【深層識化(ルアシミル)】、それと【自合翻訳(トランスロゥン)】という、知らないはずのものを知っている理由こたえが。


「少し混乱しているだろう、今のうちにゆっくりと理解するがよい」

「ッ――――…………あ、ああ……そうさせてもらう」

 摩訶不思議りかいふのう光景ソレは、いつの間にか元の景色つまらないろうかへと戻っていた。俺は彼のその言葉のままに、思考の整理へと取り掛かる。


 ……トラルは「ありとあらゆる知識の一部」と言ったが、俺が見たのはきっと、その一部にしか過ぎない。氷山の一角の二点を、局所的にチラッと見ただけだ。だとするなら、埋め込まれた知識は恐らく膨大な量で、全部を復習するとなったら、数日とか数週間では済まないかもしれない。


「念のために聞くけど、俺にくれた知識は魔法だけじゃないよな?」

「当然だろう。それのみでこの世を生きられるのならば、今頃は魔族しか存在せん。君には少なくとも、この世の常識を与えたつもりだが」

「わかってるよ。それで、本にすると大体どれくらいになる?」

「む、それなら百五十冊は優にあるが」


 …………。


「……そういや今、どこに向かってるんだ?」

「次の段階へと進むための、君が学ぶ場所だ。あまり時間を掛けたくはないが、こればかりは魔法でどうこう出来ぬ故、やむを得ん」

 


「これ以上学ぶ事なんて、ねぇだろ。他に何を学べって言うんだよ?」

「他者からの見聞では得られぬものだ、知識の類ではあらぬ」

「それなら……仕方ないか……」

「それと、君は後で着替えなければならないが、決して己の体を見てはならん。自傷行為による傷は、まだ治してはおらぬからな」

 それを聞いて、咄嗟に腹部を右手で押さえようとして、その行為を思いとどまろうとするが、気づくのが遅かった。


 服越しに伝わる、温かく、変に柔らかいもの。それを、相当奥まで入り込んでいる自分の指先が、感じ取っている。


 全身の血の気が引いていく感覚。嫌でも喉からこみ上げてくる吐き気。段々と湧き上がってくる嫌悪感が、より一層後悔の思いを引き立てる。そして何より、自分の傷だという事実が、とてつもない苦痛へと変わりゆく。

 あまりの事に、進めている脚を止め、両手で口を押えて身を屈める。

 今の自分が、とても醜い。痛みを感じるはずの傷が、全く痛みを感じない。自分は人なのに、人じゃない何かだと、そう告げられているような気がして。あの感覚が、今度は自分自身で――。

「……あ」


 自然なようで不自然すぎる、重要な事に気づいた。


「……なあ、あんた。俺の体に、他にも何かやっただろ。どんな細工をした?」

 口を塞いでいた手を下ろし、力が入っていない、何とも言えない声音で、トラルに向かって、その言葉を口にした。

 答えは、どんな部類か決まっていた。ただ、その詳細についての説明が欲しかった。

 この聞こえるかどうかも分からない声に、トラルは足を止めて振り向く。


「早い段階で気づくとは、流石だ」

「もったいぶってないで、早く教えてくれよ。どんな奴かは何となく分かるけどさ……ッ!」

「そう慌てるな、君に施したのは【生者再現】というものだ。死人では本来動かぬ心臓を生きているかの如く動かし、生前の温もりも作り出す。つまり、生きているように見せかけるのだ」


 そう聞いて、知識の海を漁り、目的の物を探す。しかし、さっきのようにパッと浮かんでは来ない。それどころか、そういう単語の存在が微塵も感じられない。


「頭ん中探しても全く見当たらないぞ、どういう訳なんだ?」

「君が就く役割において、この知識は、一切の意味をなさないからだ。それに、どれ程の力量か、見定めておきたかった。結果としては中々だが、気遣わしい要素を含んでいる。総合的に判断するなら、際どいところではあるが、ひとまず合格だ」

 何かの違和感。そして『役割』という言葉に、とてつもない不安が湧き上がる。しかし判断材料が少ない。


 生かされている理由。偽りの生者を演じさせられるワケ。試されたもの。いまいちピンとこない。戦闘に駆り出されるとしても、人間に近づける必要は無いし、別の方法で試されるはず。重要なのは【生前再現】だ。生きているように見せかける。つまり、死者だと思わせない、擬態を意味する魔法で、人間に近づけるという事だ。そう、人と見分けがつかないぐらい、に……。


 ……まさか――。


「休息は終わりだ、歩を進めるぞ。君が思っているだろうこの殺風景も、もうすぐで終わる」

 答えにたどり着く直前、それは断ち切られた。

 トラルの向こう側を見ると、一分もしない所に光が見えた。

 全く気付いていなかった。どうして気付かなかったのか、自分に小一時間問い詰めたい。でも、それをするのは事が落ち着いた頃だ。

 俺はゆっくりと立ち上がる。それを見てか、トラルは前へと向き直って歩き出した。それを追いかけるように、俺もまた歩き出す。


「突然の出来事で、少々戸惑う事だろう。故、これからお互いについて、話そうではないか」

「今それを言うか。もっと先に、なんで俺の傷を治していないのか、その理由ワケを述べるべきだろ。……でも、どうして会話する必要があるんだ。【知識移植】や記憶を覗く魔法か何かで、全部済む話じゃないのか?」

「それを行ったとして、偽りやもしれぬ物を、君は何も考えず、無条件に信じるのか?」

「……そりゃ、そうか。バカな事聞いてすまなかった」

 何もかもを任せっきりにするのは、考えない奴がやる事だ。相手に依存して、信頼に値するかの判断も、疎かになってしまう。自分の目で見て、自分の意思で判断する。それが一番の、最良の選択ができる手段なのに。


「それで良い。では、この先にいる彼らを、君の目で感じ取ってくれ」

「ああ……」

 何か物言いに引っかかるが、どうせすぐに分かる事だ。今から考えても、時間の流れが遅くならない限り、とても間に合わない。

 この先――まだ知らない光景に、何があるのか。それを見て、どう感じるのか。

 俺は「どうせ」と、悪い評価イメージを決めつけている。もちろん、それはゲームや漫画で覚えた印象だ。背筋が凍るようなおぞましい外見で、野蛮さが目立つ行動をする奴ばかり、それはこの世界の奴らもそうだろう。


 次第に出口へと近づいていく。向こう側がかなり明るく、そっちへ踏み出した時に、きっと眩しくて目を塞ぐだろう。

 その境目を越える直前、目を覆うように腕をかざす。

 そして、腕の隙間から光が入ってきて、若干の明るさに瞬きをする。

 段々と視界が明るさに慣れ、色が鮮明になってきたところで、視界を塞いでいた腕を下した――。


 そこは、とてもきれいで、広大な庭園だった。花が植えられ、草木が整えられていて、しかも青空まである。まるで、本やゲームで見た城の庭、そのものじゃないかと思った。学校の運動場を鼻で笑えるほど、この場所は異常に広く、何と言えばいいか分からないくらいに、呆然としていた。それだけじゃない。そこでは未知の生物たちが、遊んだり、話し合ったり、走り回ったり、それぞれが様々なことをしている。その嘘みたいな光景に、ひどく驚愕もした。


「ここは、われら魔族の庭であり、集会場でもある場所だ。ここで修練に励む者もいれば、知恵ある者が戯れもする。一見、外にいると思うだろうが、これは【幻影】によって映した空で、実際は部屋の中にいる」

 視界の端に映るトラルは、俺の目の前を横切る。俺は速足で彼を追いかけ、後ろについて歩調を合わせる。


 しかし俺は、ここの連中の事が、とても気になっていた。目だけでそっちの方を見て、パッと分かる限りでは、不可解な原理で飛んでいる奴に、動く石像に手懐けられている双頭の犬や、様々なポーズをとっている不定形、他にもいろんな姿形をした奴らがいる。そいつらは、すごく楽しそうに見えた。


「……なあ、これがこいつらの、本当の姿なのか?」

「見ての通りだ。その口ぶりだと、良くは思っていなかったようだな。しかし、彼らは違う。人との関わりを避け、一族として繁栄を為そうとしているのだ」

「…………」

 あいつらが、関わりを避けてる? それってつまり、争いをしてないって事なのか? 普通は野蛮なはずのあいつらが? 


 ……俺が思っていたイメージとは、全くかけ離れていた。悪者だと思っていたのは、全て思い違い。これじゃあまるで…………――――。


「彼らを珍しそうに見ているが、シオンの世界には、我らのような者は存在せぬのか?」

 一瞬、俺は少し焦った。気が付けば、自分の顔はあいつらに見向いていた。その事を指摘された俺は、冷静に取り繕い、顔をトラルに向けて、沈着な態度で問いに答える。

「あ、ああ、いなかったよ。そういったのは全部、架空の生物として片づけられてる。俺が知ってる限りではだけど」

「ふむ、そうなのか……」


 トラルがどんな顔をしているか、それは俺が後ろにいるからわからない。

 たしか、実験結果の解明に、十日間一睡もしてないと言っていた。それがもし本当なら、彼は知識欲の塊なのだろうか。それとも、生粋の研究者気質を持ってるだけか。

 そう考えていると、トラルが頭を回して、片方の顔が俺の方を向く。


「シオンは、魔族の事についてどう考えていたか、教えてくれぬか?」

「どうって、人間とは敵対関係にあって、基本的に人を襲って、最終的には世界征服しようとする、邪悪なる存在……だと、思って……いる」

「……至高派魔王が近いか」

「……?」

 トラルは足を止めて、こっちに体を向ける。それに合わせて、俺も足を止めて目を合わせる。


「その事についても話そう。これまでの魔王は、代々受け継がれてきたしきたりに従い、悪を演じ、魔族を従えて、勇者たちと力を交えた。このしきたりに、先代は強く疑問を持った。そして、王のもとへと出向き、手を取り協力し合えないかと言った。だが、王はこの提案を拒否した。忌むべき存在が突然、終戦しようと言ったのならば、疑うのも無理はないだろう。そして、王は先代を捕らえようとした。先代は必死の思いで逃げ切ったが、全ての回復魔法も受け付けぬ傷を多数負い、命はそう長くは持たなかった。そして、皆が看取る中で言った。『結局、人とは相いれない存在なのか。しかし、彼ら人間とともに、平和な世界を作りたかった』と。それが先代の、最期の言葉だった」


 …………。


「これを期に、魔族は大きく四つに分裂した。一つは人に優しい面があると信じる、人も魔物もみな同じ、仲良くすべきの『友好派』。一つは魔族こそが世界において頂点、世界すらも支配し、人の上に立つべきの『至高派』。一つはしきたりは世界の理だと、これまで通り人と争う運命に逆らわぬ『堅持派』。残る一つは人間とは極力かかわらない、穏やかに生きていくことを望む『穏健派』だ。現在、魔王はそれぞれに必ず一人存在し、それぞれの派閥を統率している。我はその者たちを"管理者"と定義づけている。無論、派閥内にも微妙に方針が異なる、小さな派閥が存在する。詳しい事については、話がより長くなる故、今は自重しておこう」


 そう言ったトラルの顔は冷静でありながら、悲哀の表情が浮かんでたような気がした。

 人間と同じ。人と何一つ変わらない、一つの種族。なのに、人からは疎まれ、敵対視されている、悲しい宿命を背負わされた種族。それが一つの印象だった。


「あんたが言った通りなら、表舞台に立っているのは『至高派』と『堅持派』だろうな。で、あんたが率いているのは『友好派』か『穏健派』かのどっちかだと思うが、多分『穏健派』だ。もし『友好派』だったら、最初会った時のアレ・・が不自然に思える。人と仲良くするのに、なんで威圧するんだっていう、あからさまな矛盾が生じるからな」


「ほぼ正解だ。君の言う通り、我は『穏健派』の管理者まおうだ。そして、表立って行動している派閥の"多くが"『至高派』と『堅持派』だ。もちろん、これは我が知る限りの、だが」

「やっぱり、か」


 こいつの把握度合が気になるが、おそらく全体せかいの九割九分(99%)とか言いそうだ。それでも、大体の状態は理解できた。


「……少し気になったけどさ、魔王って子孫とかに引き継がせる方式なのか?」

 よくある創作そうぞうの話で、そういう設定見かけたのを思い出し、それがこの世界げんじつもそうなのかを尋ねた。


「そうだ。確かに世襲制だが、分裂した際はそれぞれ、別々の方法で次代の魔王を決めた。故に、先代とつながりを持つ子息の中には、魔王の名を継ぐことができなかった者もいる」

「……その言い方は、跡を継ぐ子孫は一人だけど、継がせるための子孫は一人だけじゃなかったみたいだな。もしかして、何人も子孫を作って、その中から選別していたわけじゃないよな?」


 そう言うと、トラルは口元に右手を当て、目を閉じて動かなくなった。何を考えているのか気になるが、それを想像する余地なく、彼は考え終えたかのように、目を開けて右手を下す。


「ああ、その通りだ。より優秀な力を持つ者だけが魔王の座に就き、それ以外の者は"なり損ない"という、魔王の側近として扱われてきた。これは、魔族が分裂するまでは常識とされていたが、現在はどうだろうな」

「今の事は教えてくれないのか……まあ、いいけどさ。それで――」

 次の事を聞こうかとした時、一抹の不安が脳裏をよぎる。


 ――結局、彼の目的は何なんだ?


 ――俺を使って、何をするつもりなんだ?



 ――……俺はまた、辛い思いをすることになるのか?



「それで……俺に何を――」

「お父様ぁー!」

 暗然な問いをしようとした時だった。遠くからとても元気のある、可愛らしい女の子の声が聞こえてきたのだ。

 声のする方に顔を向けると、俺と同じぐらいの背丈の女の子が、こっちに駆けてくるのが見えた。


 それは、綺麗な装飾が施されただぼだぼな黒い外套を着た、かなり華奢で、整った長い紫髪の、とても明るそうな雰囲気の少女だった。

 その少女が近くまで来ると、トラルはその少女の方に体を向け、少女は彼に手の届く位置で立ち止まる。


「お父様、(わたくし)、能力強化魔法を、無詠唱で発動させることに成功いたしましたわ!」

「ほう、第八中級魔法の無詠唱発動をたった二時間で成し遂げるとは、流石我が娘だ」

「でしょう! この調子でもっと早く、お父様のような強い魔王になってみせますわ!」


 少女はかなり興奮しているのか、とてもはしゃいで快活に話し、トラルがそれを楽しそうに聞いているのを見て、また嬉しそうに喋っていた。

「それでですね……あら、そちらの御方は?」

 どうやら、俺が見えてなかったらしい。しかし、先ほどの明るい調子がまるで嘘だったかのように、とても冷めた声へと一転していた。まるで、俺を歓迎していないかのように。


「ああ、紹介しよう。先日の実験結果である、ゾンビとなった人間のシオンだ」

「へぇ……」

 トラルが穏やかに答えると、少女は笑みを浮かべて返事をし、悠然とした歩調で俺に近づいてくる。そして目と鼻の先まできたところで、いきなり俺の右手を取って握手してきた。


(わたくし)はティアウェイン=エルミオラ=ソレイニシア、天才的な頭脳と圧倒的な美貌の血をひく、ソレイニシア家次代の魔王ですわ」

「あ……ああ、よろしく」


 どこか自己愛を感じ取れる強引な挨拶に、あまり気が乗らない挨拶で返した。

 しかしながら、間近で見たその少女は、圧倒的とは言えずとも、綺麗なのは否定しない。どんな相手なのか、もっと知りたいと思ったし、仲良くなりたいとも思ったのは事実。だが、そういう考えを持ったのは、完全に間違いだった。


「ッ――――がああああああぁ!」

 筆舌し難い激痛が、掴まれた手を伝って全身を駆け巡る。痺れるようで、引っ掻かれるようで、焼かれるようで、打たれたようで、切り刻まれるようで、押し潰されるようで。高速で稼働している掘削ドリルで、口から体内へ出し入れされるような、それでも表現し足りないぐらい遥かに凌ぐ、とてつもない痛み。それも、外側から、内側から。一言で表せば、それは"深淵の脅威(みえないきょうふ)"だった。


 自分の頭が「手を離せ」と、脳内を駆け巡るようにその言葉を発する。意識を保ちながら、それに促されるように女の手から離そうとするが、右手が全く離れない。それどころか、全身が一切の行動をとれない。


 必死に引き剥がそうとする中、トラルが少女の右腕を取り上げると、あっさりと俺と少女の手は離れ、俺に伝わる"何か"は途端にとまった。しかし、異常なほどの疲労感が襲ってきて、それに耐えきれずガクリと膝をついて、倒れ伏そうとしている体を、片手を床につけて無理やり支え、もう片方の空いた手で自分の胸を掴む。


 とてつもない不快感に、あふれ出てくる汗、そして首を絞められたような息苦しさ。それとは裏腹に、鼓動は平常であるかのように動いていて、より不気味さを感じさせる。


「なんて事をする、重要な密偵を殺してはならん!」

「すみませんお父様……でも【回復】を掛けたのに、体がボロボロになってませんわ?」

「なぬ……シオン、少し上の服を脱いでみせろ」

「……こっちはクソ痛いってのに、よくそんな事が言えるな」


 不満を訴えながらも、あるだけの力を振り絞って立ち上がり、全身がガクガクと震えながらも、ぎこちなく動く自分の腕で、上の服を脱いでいく。

 立つ時もこの最中も体の隅々が痛んで、とにかく、意識を保つだけでも精いっぱいだった。


 その苦痛に耐えながら、辛うじて上半身裸となった俺に、トラルは腹部を撫で始める。少女はどうかと視線をやると、なぜか背中を向けていた。

 その後ろ姿に向かって、俺は「ふざけんな」と届くわけがない念を送る。


「……!」

 触れられて妙な違和感を抱き、すぐさま視線を下げて、自分の腹を見る。

 するとどうだろうか。異常がない、何ともない。


 切り口が、無い。


「……ふむ、シオンが言っていた自傷痕は、たしかにふさがっている。もう着てもよいぞ」

「ね、言ったでしょう?」

「……してティアウェイン、どこを見ておる」

「……べつに、次は何の練習しようかなと思ってただけですわ!」


 トラルの問いに、少女はふんぞり返るような感じで、そう言い放った。

 あの女がアグレッシブなのは、さっきので分かった。こいつにはあまり近寄らないでおこうと、俺は心の中心からやや外れた位置に、そんな走り書きを貼る。

「さっき、密偵って言ったけどさ、はあ……まさか、俺にやらせるのか?」


 俺は息を切らしながら脱いだ服を着なおし、先ほど問いかけたことに、認めたくない確信を持ちながらも、再度問いかけた。

 トラルは魔王、導き出される答えは、ただ一つ。

 俺からして敵側になる人間、その世界に放り出されるということ。


 それは、俺にとっての第二の人生で、しかし記憶を引き継いで、裏表両方の生活をしながら、人間側の情報を得るという、過酷な仕打ち。


「そうだ。我とて何もしないわけではない。そもそも、我らが何もしなからずとも、あやつらは勝手に動いてゆく。その動きは常に不確定で、いつ我が領域を汚しに来るのか、皆目見当がつかん。故に、その動向を監視し、攻め入ってくる兆候を見つけ、何としてでもそれを避けなばならん」


「やめてくれ、そんな冗談……あんた、魔王だろ。そんなのちゃっちゃと蹴散らすとか、自身の根城を隠すとか、他にいろいろと方法があったはず」


「争いは好まん。かと言えど、逃げるのはもっと好まぬ。しかし、人間を泳がせてはならん。それを加味したうえで、我々に危害が及ばず、且つ相手も不利益なく場をしのぐ。それも魔族は無関係を装える、両者の関係を悪化させずに済む手段。君なら何を思いつく?」


 指定された条件から、様々な方法を導き出す。といっても、長考するほどのものではなかった。

「情報操作……か。そのために、細かいところや裏の隅々まで把握する。そして、その状況に適した情報を流す。そのために必要なのが……」

 最後まで言おうとした時、トラルが遮るように「ああ」と、口元を歪めずに肯定した。

 情報操作が出来るのなら、恐らくはそういう奴が、人側の上層部にいるのだろう。


「でも、なんで潜り込む必要があるんだ。そんなの、【遠見】や予知系だとかの魔法があれば、苦労せずに済む話じゃないのか?」


「既に試したから言っている。向こうは情報漏れを防ぐ対策として、特殊な【魔法障壁】を張り巡らせた。その魔法は、≪錠と鍵≫の術式が編み込まれている。≪貫通≫の術式を組み込んだとしても、中枢部である王城は特に厳重で、幾重もの【魔法障壁】には歯が立たん。通り抜けたとしても、淡い視界で針穴越しに見え、魔力の消費が激しいため、実用性は皆無。故、如何なる魔法でも、詳細を探る事が出来ぬ」


「……ああ、なるほど」


 つまり、噂程度の大雑把な物ならまだしも、極秘に近づけば近づくほど、フィルターが重なり続けて、もはや情報として機能しなくなる。だから、魔法を使っても意味がない、と。

 そして、外部から(・・・・)細かい内情を探る事は不可能、と……。


 それにしても、なんと皮肉な話だろうか。人との関わりを避ける穏健派が、平穏を保つために、人と関わらなければいけない。関わらなくても、いつか火が回ってくるという、避けようとしても必ず当たる運命。切っても切れない関係だと、そう言っているような気がして、どこか物悲しさを感じる。


「既に多くの密偵を各国に散らばせ、重要度が最も高い大国へも六名向かわせたが、それでもまだ足りぬ」

「適材不足ってやつか」

「そこで、君が寝ている間に様々な実験をした結果、人の世界に潜り込ませるのが、我は一番と判断した」

「そりゃ……なんでさ?」


「君を様々な魔法で識別すると、反応は人間と酷似していた。これは表で活動しても、まず怪しまれないということだ。さらに言うならば、得られる情報の幅が広くなり、信ぴょう性が定かではない噂も、普通に生活するのと変わらず調べることができる。下手を起こさない限り、密偵だと判明するのは困難だ。故に我はそう考えた」



「……断る事は、できるのか?」

「決定権は我にある。君が何を言おうが、拒むことはできん」

「……もし、それでも拒み続けたら?」

「それならばこう言おう。他に居場所はあるか?」

「…………」


 胸が苦しい。グサリと、刃物が心臓を貫いたような痛み。それが、俺に喋らせるのをやめさせた。


「そういうことだ。それと、その服では怪しまれるだろう。すぐに服を作らせる故、ティアウェインに案内してもらいなさい」

「「えっ」」


 俺と少女、二人して驚いた声を発する。ただし、少女は歓喜したような声調だった。

 パッとトラルの顔をうかがうが、それを気にも留めていない様子だった。

「ティアウェインよ、彼を《転移の間》へと案内してあげなさい」

 それだけ言うと、トラルはその場から一瞬で消えた。知識を植え付けられた俺には、それが転移魔法だと、すぐに分かった。


 だが、今はそれを気にする場合じゃない。少女の方を見ると、満面の笑みでこっちを見ていた。しかしその笑顔は、何かを画策しているような、とても不気味な雰囲気をかもし出していた。

 嫌な予感しかしない。そうとしか言えない。むしろ、これからが本番だと告げている気がして、猛烈な危機感が襲ってくる。


「……馬鹿なマネはしないでくださいよ?」

 きっと意味がないと思われる敬語を使い、恐怖という名の緊張感を拒もうとした。なんとかして、彼女の攻撃をやめさせなければ、俺のこの体が危ない。そういう気がした。

「問題ありませんわ」

 少女はあっさりと、お願いを受け入れてくれた。


 だが。


 直後、俺の体が石になったかのように、全く動かなくなった。

「……!」


 声を出そうとしたが、それも無理だった。呼吸以外の一切の身動きができないことに、とてつもない焦りを覚える。

 少女はにこやかに、再度俺の目の前まで近づいてきて、しかし次は、顔を真横まで接近させてきた。

「その前に、私のお部屋で遊びましょ……?」


 とても甘美で、魅力的なそのささやきが、俺には気味悪く感じた。常識の範囲内ならば、この誘いを一言で受け入れるだろう。だが、この少女からは、あまりにも危険な香りを感じ取れる。だからこそ、こいつから離れたいと思った。でも、それは出来ない。

 背中に何かが当たる感触。多分、こいつの手だと察せる。だけど、何がしたいのか未だに分からずにいる。


 瞬間、目の前の光景がぐんにゃりと歪み始める。

 突然の出来事に、頭が急激に痛み出し、同時に吐き気もしてくる。ハッキリ言って目をつむりたかった。しかし、瞼も全く動かない。直視したくないものを、見なければいけない。見ていくうちに、意識が朦朧としていく。


 瞼すら動かないのに、徐々に暗くなっていく視界。狭まって、塞がって、消えゆく視界。理解できない現象を理解する力すら消失し、俺はただ茫然ぼうぜんと突っ立っているばかりだ。


 前が見えなくなる直前、自分の目に映ったのは、口裂け女を思い浮かばせるような、とても不気味に笑う少女だけだった。 

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