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第壱話~救済薬師~

二千八年に初めて此の作品の事を考え始め、漸く文字に起こし記念すべき第壱話を小説家になろうさんで投稿と成りました。とても長い月日が私は経った様に感じます。以上です。

鎌倉時代末期、武力で征する時代と成っていた。貴族達の力は弱まり、「武士ぶし」と呼ばれる太刀や弓・長刀を持った武力集団達が各国で戦いをしていた。

そんな中生まれたのが、「栗田くりた 草太そうた~後の西行寺規靖である~」であった。彼は農民の家に長男として生まれ、次男と母親と父親の四人で暮らしていた。生活は余り裕福なものではなかったが、畑と田圃を一生懸命に耕して難とか年貢を納めていた。苗字は栗田を名乗っていたが豪農の家ではなく、家の横にとても大きな栗の木が一本生えていた為に何時ぞやから村人から「栗田」と呼ばれていた。

草太が産まれる時は酷くお腹を痛め出血も沢山していた。やっとこさ生まれた赤ん坊であったが、体が弱く、此の儘だと数日して死んでしまうだろうと言われていたが、近くに住んでいたお坊さんに頼み込んで、生まれた男の子が丈夫に健康に育つ様にとお経を唱えて貰い、母親と父親は仏壇に鎮座する薬師如来様を拝み、必死に祈り続けた。其の甲斐あってか草太はすくすくと成長していった。

草太が四歳の時、次男の「秀基ひでもと」が生まれた。草太の時とは違いすんなりと腹から出てしまい、とても堅が良く、産まれた時には体重の重いしっかりした子が産まれたと騒いでいたそうだ。

草太が七歳の時、昔、お経を唱えて貰い命を救って貰ったお坊さんの所にちょくちょく行く様になった。お坊さんと仲良く話をしていく内に「仏教ぶっきょう」というものに興味を持ち始め、学び始める。お寺の名前は「天台宗てんだいしゅう」の「密総山みっそうざん 西行寺さいぎょうじ」と言うお寺である。

草太が十歳の時、突然あのお坊さんの所に出家をすると言い出し、母親は反対したが父親は、「其れが草太の生き方なら止めないが、家も何しろ貧しい。草太が居なくなったら一体誰がこの家の年貢を納めるんだ?」と言った。母は、「腹を痛めて産んだ子だから、他所に行ってしまうのは心配でしょうがない。」と言った。此れに対して草太は「家はお寺からそんなに遠くないし、今のお坊さんが居なくなると後継が居なって困ってしまうのです。手伝える時は頑張って手伝います。お父様、お母様どうかご心配なさらないで下さい。」曇のないはっきりとした表情で答えた。父親と母親は草太の決断に了承したのであった。

そして、暫らく日が経つと草太は荷物を纏め、次男と父母に別れを告げた。「お父様、お母様、今まで私を育てて頂き有り難う御座います。私は此れから立派なお坊さんに成って、人々を救って参ります。秀基、お母様とお父様を頼みましたよ。余り騒いで困らせない様に…」そう言い残し、栗田家を後にしたのである。

其れから、草太はお坊さんの所で仏の教えを教わりながら、偶に栗田家に手伝いをしに戻ってくる…此れの繰り返しであった。

時は流れて五年後、草太が十五歳の時。家業の手伝いを手放せなかったが為に、天台宗の総本山にて修行出来なかった。お坊さんは天台の仏弟子としてあるまじきことと分かりながらも、遠い本山へ行けなかった草太をこっそりと得度させることとした。お坊さんから「規靖」という僧名を頂いた。元来、僧名を頂いた際には度牒という本山の修行を満行した証明書を頂く事と成っている。

三年後の規靖十八歳の時、まるで規靖に総てを托したかの様に死期を悟ったお坊さんは突然の病に倒れてしまった。ここ最近、年のせいもあってか、咳をよくしていたのを覚えている。此れは一大事だと草太は急いで村の御医者様を呼んで看病に応って貰った。しかし、私の力ではこの病は手に負えないと言われてしまった。どうする事も出来ない侭、時間だけが経過していった。お坊さんの体はどんどん衰退していく。お坊さんに篤く信仰を寄せていた壇信徒達が一同に集まり事の様子を見ていた。熱が酷いので濡れた布を頭に載せる位しか出来ない。其の時、お坊さんが残った体力を振り絞り弱った声で囁やいた。「草太。いや、規靖。まぁ近くに来い。良く聴け。私はもう後先長くはない。最後に伝えておきたい事があってな、前からこの話は伝えておこうと思ったのだが、このお寺は規靖、お前が継いでくれ。最初は、私の代でこのお寺は終わる予定だったんだが、お前がこのお寺に来てくれた事で考えが変わった。お前に此の御寺の住職を任せる。後、此れは私が毎日其の日の出来事を綴った日記だ。私から四代前の此の地に庵を結び西行寺を開山した繁梁はんりょう権僧正が開山をした其の日から私の代まで書き綴っている日記だ。今日が私の最後の日だと思って、明日から日記の続きを規靖に毎日書いて欲しい。そして、規靖が次の息子、若しくは娘に其の日記を渡し、西行寺が生きて来た軌跡を語り継いで欲しい。後は頼んだぞ、規靖…書き綴った全ては倉庫に眠っている。見ておけ…」そう言い残し、数時間後息を引き取った。

産まれた時に命を救って貰い其の後もお世話に成っていた事もあり、突然の死に規靖は悲しみと寂しさに襲われ、あの世に旅立ってしまったお坊さんの亡き体に縋り付いて泣いていたという。

暫く日も経ち、お坊さんのお墓は西行寺の境内に歴代の住職のお墓の横に建てられた。立派なお墓では無く質素にひっそりと…

規靖が二十歳の時、この村の坊主としてしっかり定着して来た頃の事、年貢を納めていたお国の反対側の国が何やら動きがあるという。甲冑を身に纏った一団が此方の村に向かって進んで来ているという噂が広まった。

其の日の時刻は夜、手には松明を持ち、弓やら刀やらを持っていた。一団は村の手前で一旦止まり、火を付けた弓を天高く掲げ、一斉に矢を放った。飛んで来た矢は家々に刺さると轟々と燃え出した。其の事を逸早く気付いていた規靖は、前日の夢の御告げを頼りに一団が来る前に村から離れた山の上に必要最低限の荷物を纏め、村人達を非難させていた。自分は今書いている日記を一冊だけ持ち後は倉庫に置いてきた。山の上から夜の闇に燃える村を眺めながら、もう此処には戻れないのだと思った。村人達を見遣ると只唖然と目を細め眺める老人。状況が飲み込めずきょろきょろとしている子供。悲しい表情をして赤ちゃんを確り抱き抱えた母親。ふと自分の家族が心配になり探すと怪我も無く無事に三人揃っていた。

燃えている自分のお寺に目をやると轟々と燃える本堂から煌く瑠璃色の光が天へと昇り雲中に入ると空いっぱいに光が拡がった。

第壱話は自分でも吃驚する位良い出来でした。ナルシストっぽいですが、自分で読んでも面白いです。確かに続きが気に成るストーリーです。ですが、もう此のクオリティーを維持して書け無いかも知れません。正直、此の先の内容が何一つ思い浮かんでおりません。すいません。第弐話は一生投稿出来無いかも知れません。本当に申し訳御座いません。冗談じゃないです。本当です。奇跡か何か天啓が降りて来て、本の一握りでも書けるのであれば短い文字数ではあると思いますが、其の時は投稿したいと思っております。

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