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気づかないフリで。

作者: 綿城 麦

 階段を駈け昇る靴音。

 硬質で、少し、痛い。

 たぶん踵の細い靴を履いて、爪先だけで昇ってきているんだ。

 危ないからやめろって、何度も言ったのに。

 安普請の建物に、靴音は響く。夜気を切り、壁を伝って。

 少しは猫を見習えよ。

 あの、しなやかな動作。

 時々無様な音を立てて走るドラ猫も、いるけどさ。

 速い靴音は止んで、少し静かになった。

 たぶん今頃忍び足で、廊下を歩いてる。

 あれだけすごい靴音を立てて階段を昇ってきたクセに。今更忍んでみたって遅いんだよ。

 だけど、ゆっくり開くドアには気づかないフリ。

 その前の合い鍵を使う音も、結構響いていたんだけど。まあ、いいや。

 ――にゃーん。

 どこかで、猫が鳴いている。

 呼応して、部屋の中の猫も鳴いた。

 その声は殊の外大きくて、当然、響く。

 ――かしゃん。

 来訪者は驚いて、何かを取り落としたみたいだ。

 何やってんだか。

 あのそそっかしさは、心配の域を通り越して滑稽にさえ思える。

 ……なんて、言えば物凄い勢いで頬を膨らませたり何かして、怒るんだろうけど。

 吹き出したいのを必至に堪えて、まだ、気づかないフリ。

 いい加減そのフリに気づいてもよさそうなものだけど、いまだに向こうは本当に気づいていないと思っているんだから不思議だ。

 そのボケは、もはや年のせいにはできないと思うぞ。別の意味のボケならば、あと数十年は勘弁して欲しい。

 できれば、僕の、あとで。

 背後に、忍び寄る気配。

 ようやくご到着ですか。

 思わず口の端が弛む。

 顔の両脇から伸びてきた掌が、僕の視界を遮った。

「だーれだ」

 してやったり、というカンジの、ヤケに嬉しそうな――どこか自慢げな、声。

 名前を呼んでから掌を退けて、振り返ると、今年高校を卒業するという少女が思いきり拗ねた表情で両頬を膨らませていた。

 口いっぱいに木の実をほおばったリスのような。なんて、言ったら余計に拗ねるかも知れない。

「何ですぐわかっちゃうの?」

 本当に悔しそうに彼女はそう言うけれど、わかるなと言う方が無理な話だ。

「おまえ以外にこの部屋の合い鍵持ってる奴なんかいないだろ」

 そう答えると、彼女は勢いをつけて立ち上がり、呆れたように言った。

「何よ、まだ恋人の一人もいないの?」

 あーあ、なんて、のびをしながら台所へと向かう。

 茶化すような口調のクセに、何だかヤケに嬉しそうな顔。

 まあ、それにも気づかなかったフリをしておこう。

 そう思い、笑いを堪えていると、台所の方から声がかかった。

「ねえ、今日は何食べたい? お兄ちゃん」

 ――ひみつ。

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