第8話 白銀の記憶
朝日が昇るルクメリア王国の貴族街の一角に、その家はある。どの屋敷よりも大きな屋敷、ルクメリア王国において数少ない爵位の最高位である公爵がいる家。
その家から朝餉の煙が立ち上る。炊事場に立つのは胸と腰に申し訳程度の布を巻いた女。白銀の剣を背負い、煙が上がる鍋を見ている。
沸かせないようにスープの火加減を見つつ、一口味をみて、彼女は頷き火を弱める。
「……味ってこんなんだったっけ。このしょっぱいのは千年ぶりだから? いやきっと繋がりが甘いんだって。うん」
彼女は両手を組むと、思ったような味でなかったことに不満を持ち、そしてだし汁を少し足した。
公爵夫人ながら炊事場に毎日立つのは彼女、カレナ・セブティリアンの日課。最も中身は今は違うのだが。
「これは……」
漂う匂いに誘われて、使用人のメリアが炊事場へと入ってきた。朝かなり早いせいか、メリアは少しぼーっとした顔をしている。
炊事場に立つ露出の多いカレナの背を見て、メリアは髪を逆立て一気に目覚めた。
「あっレイスさん! 駄目です炊事場に立っては! 全く何て匂いをさせてるんでしょう! 何度教えても手を抜くんですから! もうあなたいっつも適当に調味料入れるんですから!」
メリアの声に、カレナは振り向きにやりと笑った。そしてメリアはあることに気づく。
「あれ、翼が無い。か、カレナ様ですか?」
「そうよ」
「し、失礼しました! しかしなんて恰好を……それはレイスさんの普段着ではないですか」
「そうそう、胸と腰回りがちょっときついんだけどふっつーに着れてるでしょ? レイスさんよりもちょっとだけ肉付きがいいのよね。ふふふ」
「カレナ様……前レイスさんと間違えられて行く先々で言い寄られたのを忘れましたか? 早くお着替えになってください」
「そんなこともあったわねぇ。しつこい男たちをユークリッドさんが捕まえては脅してて見てて面白かったわぁ。特に貴族の方に人気があったのはやっぱり普段との差? 普段は清純な感じだったからかなぁ?」
「か、カレナ様? どうされたのですか別人のようですよ」
「あっはっは、ごめんごめん。ちょっと気分がよかっただけよぉ。着替え、着替えね。この子が起きる前に着替えますよぉーと。朝食あとよろしくねぇ」
「はい、珍しいですねカレナ様が料理を失敗するなんて……」
「少し冒険しちゃったかな?」
「あ、いえ、失礼しました。準備しておきますのでお部屋でお待ちください」
「わかったわ。ふふふ、それじゃあとでねメリアさん」
「はい」
カレナはメリアに向かってウインクすると炊事場の扉を開けて外へと出た。メリアは普段と違う彼女の様子に訝しんでいたが、首を少し傾けると振り返り朝食の用意を始めた。
屋敷の廊下を弾むように歩くカレナ。歩みと共に上下する白銀の剣。
「ああいいわぁ。身体あるって、剣になって長いけど、やっぱり自分で歩くっていいよねぇ。ふふふ、でもちょっと背中が寂しいかな? 何かバランスがねぇバランスが」
窓から差し込む日の光に視線をやり、彼女は背伸びをした。
「あ、まっずい。起きたわカレナさん。ちょっとバレる前に部屋に……ああダメダメ、やっぱり主はあっちなのね……せめて怪我しないように……」
そういうと彼女は腰を下ろした。廊下の窓の下に座り込む彼女は、かくっと頭を垂れると、ゆっくりと眼を開けた。寝ぼけ眼で少しの間ぼーっとした彼女は、その後ゆっくりと周囲を確認し、自分の姿を確認し、眼を見開いた。
「何これ!? えっ!? なんでこんな……ちょっとやめてよぉ! 怖いからやめてよぉ! 誰が運んっ……あっ」
カレナは自分の背にある白銀の剣に触れる。そして気づく。ここへ運んだ者の名を。
「マリアあなた何してるのっ!? あたしねぇこういう服嫌いなんだからね! っていうか恥ずかしいのよ結婚してちょっと太ったから! ちょっと何とか言いなさいよ!」
『ごめんごめん、ちょっとねぇ。っていうかやっぱりあなた起きてると私入れないのね。結構元気みたいだけど、自分で部屋まで行けるぅ?』
「もう! 誰かに見られたらどうするのよ! ぐ、ぐぐぅ……駄目まだ身体まともに動かない……何なのよこれ、何で動かないの……あたしの足……」
『完全に治ってるのよ。私が入った時は元気に歩けたし』
「……精神的なもの?」
『かもしれないけど、わからないわねぇ。どんな感じなの?』
「足に力が入らない……あと手も、動かないわけじゃないんだけどぉ……」
『わっかんないわねぇ。ジーク攫われたのがショック?』
「……いきなりだったのよ……一緒に、見てたら、いきなり。ユークリッドさんなんで……あんなことを」
『焦っていたわけではなかったわねあの様子。わかんないけど、私が思うに、何かせざるを得なかったんじゃないの? 例えば、うん、誰かに命令されてて、逆らえない、とか』
「……マリィメアお義母様? でも、何で? あんなにやさしくて、素敵な方だったのに」
『知らないわよ。でも、ま、案外やさしくて素敵だから、かもしれないわね』
「何それわけわかんない」
『壊したかったのかもね。いろいろと』
「……あたしは母親早くに亡くなったから、わかんないんだけど、自分から家族捨てるようなこと本気でできるかな」
『できないから、振りきれたのかも。これはただの憶測ね。これ以上は考えても仕方ないわ』
「……そうね。でも、本当に身体が動かない。あたしの中の何かがあれで壊れちゃったのかな。きつかったけど、皆で子育てするの、楽しかったのになぁ」
『きっと大丈夫よ』
「うん、ま、くよくよしてもしかたない。生きてるんだから頑張ってみましょっか。マリアちょっと交代してよ」
『さっきからしようと思ってるんだけど、寝ないと無理みたいね交代』
「……こんなところで寝れないわよ。うん」
『じゃあ強引に行ってみましょっか……えーっと痛かったら手をあげてね』
「だからあげれないんだって。あ、何これ、えっ嘘っ」
意識が塗り替えられる感覚を覚えて、カレナは倒れ込みそうになった。カレナの意志に反して、勝手に腕が動き身体を支える。そして一人でに足が動き、彼女は立ち上がった。
「はい、これで私の身体よ。カレナさん気分……いいわけないでしょ。ちょっと待って、何これ混ざってる、混ざってるって。ちょっと剣に戻って剣に……戻ってって!」
『ああっもうっいけず』
「えっ何これすっごい気持ち悪いんだけど。何これ、えっどういう仕組み?」
『意識に混ざってみました。これなら私で、あなた、どっちも起きれて便利でしょ。とにかく、もっかいするわよもっかい』
「もう何なの……よっと。さてじゃあ部屋に戻りましょう。大事な旦那様と朝の日課しないと駄目でしょ」
外からみると一人芝居をしてるようにしか見えないカレナは、ギクシャクしながらも歩き出した。階段を上り、二階の寝室へと向かう。
「ふふーん、さぁびっくりさせ……ちょっと待って、ねぇ待って、まず着替えない? 着替えようって、これは無いって、ねぇ聞いてる? ねぇマリア聞いてる? 足止めてって!」
自分と問答するカレナは、勢いよく寝室の扉を開けた。そして眼に入る広い背中。
新品の銀の胸当てを付け、背には巨大な両手剣。それを隠すように羽織るは深紅のマント。
手袋を左右につけ拳を握り、そして開く。ブーツの踵を床にうち、靴のサイズを確かめる。
ジョシュア・ユリウス・セブティリアン。彼が日の差し込む窓の傍で、旅立ちの準備をしていた。
「ん? カレナか。もう動いても……なんて恰好をしてるんだお前。それで外には出るなよ」
「いや、これはあたしがやったんじゃなくて……私が選んだのよね。やっぱり肌見せたくないのね他の人に。ふふふ」
「マリアか? どっちだ?」
「今は……どっちもっていうか……あのちょっとマリア話させて。あとで貸したげるから」
「カレナか?」
「うん。えっと、シリウス、どこいったの?」
「あいつは、南へものを取りに行った。何でも南方にあいつの領土があるらしい。よくわからんが、わざわざ皆でいかなくてもとか言って一人で行くと言っていた」
「そう……で、その格好は? その両手剣ってシエラさんの修行用に錬鉄の森で打ってもらった物でしょ?」
「ああ、あいつの技量に幅を作らせたくて作ってもらったものだ。マリアをお前に持ってもらうからな。俺はこれを使う。マリアほどでは無いが、切れ味は相当なものだ。さすがは錬鉄の森だな」
「いや、あたしマリア返しても……動けないか。あーあどうなってのよあたしの身体ぁ」
「いろいろと元気そうだが、やっぱりそうなのか?」
「うん、今だってほとんどマリアが動かしてるはあたしの身体」
「どうしてしまったんだカレナ」
「わからない、でも、必ず治して見せるわ。だってシリウスを抱くのはあたしの役目ですもの」
「そうだな。だが、今は母さんが連れていた方がいいんじゃないかと思っている……お前には、悪いが」
「……違う、何かおかしいわ。シリウスも、未来から来たシリウスも、何か隠してる。マリィメアお義母様が、きっと、あんなこと普通はしないのよ。何かきっと、隠してる。何かを隠してる」
「かもしれないな……だがシリウスは味方のはずだ」
「きっと言わないというよりも、言えないのかも」
「……そうだな」
二人は思考を巡らせ、分からないことを考えながら、窓を見た。
窓から差し込む日が、いつの間にか消えていた。外は明るいが、何かで空を覆われてるように、薄暗さが広がっていた。
ジョシュアは窓の傍へと行く。そして見上げる。
「なっ……これは」
「えっ何? マリア窓に向かって窓にっ」
そして二人は見た。空に浮かぶ巨大なものを。
そう、巨大な――黄金の城を。
「何これ!? えっ!? ジョシュア知ってる!?」
「知ってる……崩れてなかったのか黄金の城」
それは嘗て、災厄の舞台となった黄金の城。嘗て黄金の月だったモノ。
ジョシュアはその光に、あの時戦った王の姿を思い出していた。
「……あれを、動かせるのか。シリウス」
「おっきい。あれルクメリアの城よりも大きくない? なんてでたらめ、なんで飛ぶのよあんなのが」
「そうかあれで騎士団を運べば、飛ぶ駐屯地になる。すごいな、どうやって武器や資材を運び入れるか不明だが……」
「……世界は広いわねぇ」
ルクメリア王国の一角に、黄金の城が現れる。それは日の光を受け、煌びやかに、黄金に輝いていた。
玉座は空、そこに座るのは黄金の王。城は、主を待っている。そこに座る主を。




