第19話 二つの世界
甲板の隅に白い翼が横たわっている。自分の翼とコートを身体に掛け、レイスはゴロゴロと身を転がす。
「あーこうしたらあたたかぁい、自分の翼が防寒着になるなんて意外ぃ。床すっごいあったかいし、ずーっとこうしていたいなぁ……あー幸せぇ」
白い翼の向こうで、蒸気に包まれた白い世界の中に木と木が触れ合う音が響く。
「あっ!?」
突き出された木剣は弾かれ宙に浮く。その木剣は彼の左手に収まった。
ポンポンと両手の木剣を合わし、ジョシュアは剣をシエラに返す。
「……すみません先生。もう一度お願いします」
「いや、握力が無くなってるぞシエラ。休むのもまた修行だ」
「はい、すみません先生の足を引っ張ってしまって。これでは先生の鍛錬になりませんよね」
「身体を動かすだけでも十分だ。気にするな」
「はい、ありがとうございます」
シエラはその金髪を解き、甲板に座り込んだ。甲板の床面は船を動かす巨大な精霊の石のおかげで暖かく、座るだけで暖がとれるようになっている。
船員が何人か甲板に座り込んで談笑している。
「はぁ……先生の剣は重いですね。打ち合うだけで握力が無くなってしまいますよ」
「真正面から受けるからだ。流しを覚えろ」
「いやでも騎士としては……やはり真正面からやってこそだと思うんです」
「シエラ、お前には柔軟性がある。体のバランスもいい。その身体能力を活かすんだ。速さはかなりものだ」
「はい、先生はどこで剣を覚えたのですか? ロンディアナ騎士団の中でも先生ほどの者はいません」
「俺は……ほとんど独学だ。両手剣の扱いは教本を読んだんだが、あとは毎日毎日叩かれながら覚えたさ」
「独学ですか? その教本を書いた人に師事すればよかったのでは?」
「それでは師以上にはなれない。騎士になりたいのならば、自分で考えるんだ。自分で必要だと思ったものは吸収して、いらないものは捨てろ。俺の言うこともそのまま受け取る必要はない」
「はい」
「俺は何度も技術を磨けと言われ続けてきた。技術技術と言わる度に意地になって、ひたすらに身体を鍛えた」
「なるほど」
「だが結局は技術はいるんだ。剣は真っ直ぐにおろすだけの物ではない。それを俺はお前の祖父に学んだ。それで俺はまた強くなれた。お前の祖父は……ロンディアナは確かに狂っていたが、本物だった」
「……祖父は壊れてましたか?」
「お前に言うのは、少し気が引ける程な」
「そうですか……祖父は父上には厳しかったですが、私には優しかったです。この曲剣も私にあうと言って教えてくれました」
「そうか」
「ああ、私は先生を恨んではいませんよ。少し、ショックではありましたが」
「そう言ってもらえると助かる」
「父上は祖父を崇拝してます。真似をして、大物ぶって……表面だけ。非情さが騎士と。先生は敵を斬る時に何を思いますか?」
「そうだな。命を奪うことへの申し訳なさや、葛藤、後悔、悲しみ。そして許して欲しいという気持ち。それは初めて敵を……命を奪った時からずっと感じてることだ」
「……意外です。騎士として割り切ってるのかと」
「割り切ってしまったら騎士ではない。だが俺は、躊躇はしない。全てを抱えて、俺は進む。シエラは、何を思って斬る?」
「私は……言われたまま、斬るだけでした。でもそれじゃ、何も残らないんですよね。でも父上は斬れと、ただ命に従うことが騎士だというんです。どっちが、どっちが正しいんでしょうね」
「そうだな。俺もわからん。だがシエラ、お前が父の言葉に疑問を感じているならば、きっとそれ以外の答えがあるんだろう。探すといい。俺以外にもお前に教えてくれるモノはたくさんある。人や、精霊以外にもな」
「はい、ありがとうございます先生」
シエラは倒れ込み、空を仰いだ。背中に伝わる熱さは、彼女の冷えた身体を温めた。
ジョシュアは甲板に座り込む。そして考える。まだまだと思っていた自分が弟子を持ち、モノを教えている。それが彼には、何とも違和感を感じさせるのだった。
「せーんせー、あたしにも何か教えてくれよぉー」
「レイスお前、ただの白い塊になってるぞ」
「自分の翼がこんなにあったかいなんてなぁ……しっかしシエラは真面目だなぁ。毎日毎日ジョシュアとカンカンカンカン飽きないよなぁ。疲れないのかぁ?」
「疲れるに決まってるだろ。でもな先生との鍛錬は……いいさ」
「ほー、あたしにはわっかんないなぁ」
「なぁレイス、その翼の中、そんなにいいのか?」
「いいぞ? ぬくくて」
「ちょーっとでいいんだが、私を包んでみてくれないか? なっ?」
「んー……もちろん断るけど?」
「いいじゃないか! ちょーっとだけ、なっ?」
「駄目に決まってるだろぉ? あんなぁ翼ってのは飾りじゃないんだぞ。これで包むってことは、なんだ、こう、全裸で抱き合う的な……その、まぁ……こういうところでするもんじゃぁ……」
「全裸になればいいか? いや、私はさすがにきついな……なぁちょっとだけ」
「じりじり寄ってくるなぁ」
港を出て早一か月、レイスとシエラはいつの間にかじゃれ合う関係となっていた。
ジョシュアは二人をみて微笑むと、立ち上がり甲板の端へと歩いた。落下を防ぐための手すりに両手を当て、海を見る。
氷が解け、割れていく光景が眼前へと広がっていた。
――その時、声が頭に響いた。
『聞こえるー?』
目の前から聞こえる声、正面に誰かいるかのように聞こえたその声。
ジョシュアは驚きのあまり、固まった。
『あれ? 聞こえない? ちょっとヌル・ディン・ヴィングどうなってるの? 何か一人でバカみたいなんだけど? うん、バカみたいね』
『大丈夫だ聞こえてるはずだ。おいジョシュア、ワシだ。やっと繋がったぞ。おい、何とか言わんか』
「か、カレナ! ヌル・ディン・ヴィング! どういうことだ!?」
その声は、彼の愛する人、ジョシュアの妻であるカレナと、彼と契約した精霊竜のヌル・ディン・ヴィングの声だった。
突然聞こえたその声に、彼は少し、涙を流した。
『ジョシュア、聞こえてるんなら反応してよね。あたしちょっと不安になったじゃない』
「カレナ、お前なのか? 何故……いや、どこから聞こえるんだ。こんな海の上で……」
『落ち着けジョシュアよ。ワシの魂結晶を通じて繋いでるだけだ。お前を捕らえるのにこんなにかかってしまったが。ようやく話せるようになったぞ。行くときに言ったであろう。声を届けると』
「そ、そうか……なんだ、そんなことができたのかヌル・ディン・ヴィング。それなら早くしてくれればよかったものを」
『ヌハハ、ワシは精霊竜の長。世界をまたぐなど容易いことよ』
『毎日毎日どこいったどこいったとか言ってたくせに、繋がったらこれよ』
『そ、それは言うでないカレナよ』
『ふふふ、まっ繋がってよかったわ。ほんと』
頭の中に響くカレナの声に、ジョシュアは自分でも忘れかけていた寂しさという感情を呼び起こされた。カレナの声はジョシュアの心に響き渡り、彼はただひたすらに、愛しさを思い出していた。
「ああ、カレナ、まさか……声を聞けるなんて。そっちは、どうだ? 変わったことはないか?」
『ジョシュアがそっち行ってから、ユークリッドさんがずーっと家にいてね。あと毎月毎月ダンフィルさんがジョシュアの給金持ってきてくれるのよ。手当がついてるのかものすっごい金額よ? それで家おっきくしちゃった』
「ただでさえ広いのに、広げたのか?」
『だぁってさぁ……子供部屋がないんだもの? 無いと可哀想でしょ? うん』
「そうか、忘れていた」
『ひどくない?』
「ははは、悪い悪い、それで……そろそろか?」
『もう少しかな……安定してきたってお医者さんが言ってるわ。お腹ももう大きくなってるし、動いてるのわかるのよ』
「そうか……ああ見たいな。ヌル・ディン・ヴィング、無理か?」
『さすがに姿形は無理だな』
「なんだ精霊竜の長も大したことないんだな」
『ほんとほんと』
『声だけでも相当なものなのだぞ。全く』
「ははは、ああ、ここで声が聞けるなんてな。似合わないかもしれないが、泣きそうになったよ」
『ヌハハハ、仕方ない奴だな』
『ねぇ、そっちはどうなの?』
「ああ、もう少しで目的地だ。あと二か月近くかかるらしいが。まぁ、もうすぐさ」
『そう……二か月かぁ、産れちゃうかなぁ。ねぇ名前、決めてくれた?』
「まだだ、お前は?」
『まぁだ。顔見て決めたいなって思うのよね』
「そうか、俺も……そうするかな」
『先送りって感じだけど』
「それもありだろう。焦ることはないさ」
『そうね』
『ジョシュアとカレナよ。そろそろ切れるぞ』
『はぁ? もうちょっと頑張んなさいよ! お腹大きいのに外出てるんだけどあたし!?』
『それならば早く家に入った方がいいだろう。これはお前たちが思ってる以上に大変な技なのだ。一度捕らえたならばまた繋げることができる故、少し耐えよ』
『まぁったくもう……ジョシュア、その、あたしそっちよくわかんないんだけど、早く帰ってきてね』
「ああ、お前も、頑張ってくれ。俺は必ず帰る。お前に、いやお前たちのところに、帰る」
『ええ』
ジョシュアの頭の中で、何かが消えるような感覚がした。その感覚は愛おしいカレナとの通信が切れる感覚。
「カレナ? 切れたか……急に繋ぐとはな。驚いた」
『ジョシュアよ』
「ヌル・ディン・ヴィング? まだいたのか」
『うむ、カレナとは切れておる。よいか、今貴様の妹たちがそちらの世界へ行こうとしている』
「来たら、狂うんじゃないのか?」
『方法が見つかった。あまり気持ちの良い方法ではないがな。三人、そちらへ行ける』
「わかった。だがこのままならきっと出番はないぞ」
『それならばそれでよい。あと、そちらに月はまだあるか? 巨大な月だ』
「ある。どこまで行ってもついてくる」
『そうか……とにかく、いついけるかはわからんが、仲間はただ待ってるだけではない。皆お前のために準備しておるのだ』
「わかった。あと、ファムでもダンフィルでもいい。伝えてほしいことがある」
『何だ?』
「ゼインさんが生きている。こっちで。他にもこっちに飛ばされたルードの人もどこかにいるはずだ。ゼインさんが手を打ってくれている。帰りは大所帯になるぞ」
『ほぅ……その者、ワシは知らんが、伝えておこう』
「ゼインだ。ゼイン。名を覚えろよ」
『わかっとる。ではそろそろ限界だ。いざという時はワシを呼ぶことを忘れるな』
「ああ」
『ではな』
「ああ、助かったヌル・ディン・ヴィング」
そして、今度こそすべてが切れた。響き渡っていた声は消え、眼の前には真っ白な海が映し出されていた。
ジョシュアは振り向く、そこには彼を覗き込むレイスとシエラ。ジョシュアは一瞬ビクッと驚いた。
「……なんだ?」
「先生、あんな風に喋れるんですね」
「お前独り言ひどくねぇ? 疲れてんの?」
「ほっとけ、さぁ飯の時間だろ。行くぞ」
ジョシュアたちは船の中へと入っていった。艦の中は暖かい空気が広がる。
遠く離れた世界と、今いる世界、ジョシュアを起点に、世界は今繋がろうとしていた。




