第20話 紅蓮の炎 前編
彼は悪夢を見ていた。彼の感情は後悔、そして怒り。自分に対する怒り。
自分の生み出した悪夢に彼はうなされていた。
何故逃げたと、彼は自分に問いかける。
仕方なかったと、彼は自分に答える。
何故逃げたと、彼は自分に問いかける。
仕方がなかったと、彼は言い聞かせる。
繰り返される自問自答、その問いかけに終わりはない。
彼の心は今、自分に対する怒りで辛うじて繋ぎ止められていた。
「あ、あ……」
「ああごめんなさい。眩しかったですね」
差し込む光に悪夢が薄らぐ、ゆっくりと、ゆっくりと時間が進んでいる。
「お水、飲めますか? ゆっくり、ほら……」
口が潤う、彼の肉体に刻まれた記憶は、その液体を喉の奥へと押し込んだ。
「汗、拭きましょうね。大丈夫ですか?」
全身に潤いを感じる。彼の悪夢が薄らぐ。
「メリーア、彼はどうかな?」
「はい先生、水は飲んでくれました。まだ食事は一度も取れていませんが……」
「ああ、まだまだ時間がかかるみたいだの。おっとほらメリーア、彼の名札だ。前に来た彼の友人とやらに名を教えてもらってやっと作ることができたよ」
「まぁありがとうございます。さっそくつけましょうね。これでようやく名前を呼ぶことができますね」
彼の眼は、その光景をただ眺めていた。彼の思考は弱く、ただその光景を眺めるだけだった。
ある名が服に取り付けられる。彼は無表情にその名をみていた。
「グラーフ・リンドールさん。これでようやく呼べますね」
その姿、やせ細った身体、そして光を失った眼。
精霊騎士第10位グラーフ・リンドール、勇敢で、心優しく、騎士としての誉であったかつての彼は、今ここにはなかった。
椅子に座り、光のない目で部屋の一点を見ているだけの彼は、もはや人というよりも人形のようであった。
「一体この人に何があったんでしょうね先生。お友達の方はなんて?」
「メリーア、若い男がこうなってしまったんだ。きっとそれは想像を絶することがあったに違いない。今は過去よりもこれからのことではないのかね」
「はい、それはそうですが……ああ、先生、体温測定は私がやります」
「そうかね。ありがとう。今日は血色がいいみたいだ。あとで多めに栄養剤を打とう」
「はい、さぁグラーフさん。これを咥えて……」
「はぁ……!?」
彼に突き付けられた銀色の水銀の詰まった体温計、それをみた彼は、突き付けられた恐怖を思い起こした。
「う、うああああ! あああああ!」
「ぐ、グラーフさん!?」
「いかんぞメリーアまた始まった!」
「ああああああ! やめろおおおおお!」
「メリーア彼の傍から物を離して!」
「はい! グラーフさんいったい……」
「僕が悪かった! 僕が弱いからぁぁぁぁあ!」
町より離れたある山の中、男の叫び声が響き渡った。
彼は悪夢を見ていた。
それは彼の部下であり、よき友人である男が、光に飲まれていく姿。
そしてその後ろで椅子に座り、足を汲む黄金色の髪をした壮年の男。冷たい目をして、笑っていた。
「リンドール卿! 俺はもう駄目だ! 早く逃げてください!」
光に飲まれていく男は、消え去ろうとしているその時も彼を気遣っていた。
「よい気概ではないか。どうする精霊騎士よ? 応えれるか?」
冷たい目をした壮年の男は酒を飲みながらその光景をみていた。かける声は深く、響き渡る。
「ゼ、ゼイン君……僕の手を……」
グラーフは助けようと手を伸ばした。だが足が動かない。彼は壮年の男に、冷たい目をした男に、完全におびえていた。
「うぅむ精霊騎士も落ちたものよなぁ……だがそれがよい。なんとも人間ではないか。素晴らしい! 酒が進むわ」
「う、うう! ゼイン君……くそおおおおお!」
「駄目だリンドール卿! くそっ出ろ! 出やがれ!」
ゼインは折れた剣を篭手の破片に甲冑に打ち付けた。一回二回、ガチガチと合わさる金属音と共に小さな火花が起こる。
「ああ……ああ……い、今行くぞ! 僕が助けてやる! 僕は精霊騎士だ!」
その時、グラーフの目の前が光った。轟音、そして熱風。
その勢いで吹き飛ばされたグラーフは、神殿の外まで吹っ飛んだ。
「ぐぅうう! 何だってゼイン君!」
グラーフはみた、笑顔を向け光の中に消えていくゼインの姿を。そしてその光が消えた跡、そこには狂気の眼をした男が笑っていた。
「うぅむやはり駄目か……騎士でも駄目、平民でも駄目、ああいつになれば皆を。だがいい。時間をかけるもまた、楽しみよ。さぁて……素材を逃がすわけにはいかんな」
ゆっくりと立ち上がる男、禍々しい剣を取り出し、笑顔のまま神殿の外で倒れているグラーフの元へ歩き出した。
「貴様……ゼイン君を!」
「足が震えているぞ? どうした? それほど我が怖いか?」
「怖いだと……! 一度や二度負けた程度で、僕が恐怖を感じるわけがないんだ……! 仇を……仇を……!」
男は歩みを止め、剣をグラーフに向けた。その剣先を見たグラーフは言葉を失った。
「さぁ鎧を着るがいい。また同じように砕いてくれようぞ。フハハハ!」
「はぁ……はぁ……」
「む? ふふ……貴様、下がったな?」
「あ、ああ!? そんな僕が……剣を折られて……鎧を割られただけじゃないか……僕が……し、死にたくないと思ってる……!」
「離れたら近づかねばなぁ」
「う、う……うあああああ!」
グラーフは逃げ出した。絶対の自信を持っていた鎧化で出した鎧を砕かれ、剣もかすりもしなかった。そして彼は、一撃で倒された。
彼が完膚なきまでにやられたのは幾度かあるが、本気で殺されかけたのはこれが初めてだった。
実感のある、本気の殺意。彼はそれを受け、恐怖を感じた
「はぁはぁ! そんな……そんな! 僕は精霊騎士だぞ! 僕は何故逃げてるんだ! これは……僕じゃない! ああ……あああああ!」
彼は走った。走りながら走ってる自分を責めた。自分に厳しく、人に甘く、彼は自分に対しての厳しさから強くなったが、どこかそれは貴族的で、形式的で、実戦的ではなかった。
彼の強さは彼をついに押しつぶした。彼は、悪夢にのまれた。
そして彼は崩れ落ち、木に寄りかかり動かなくなった。
彼は悪夢を見ていた。
「先生、落ち着いたみたいです」
「ふぅ……数時間かかったね。衰弱しているにしては体力があるの。さぁメリーア。今日は彼を休ませてあげよう」
「はい、グラーフさん。お休みなさい」
グラーフはベッドに寝かされた。彼はゆっくりと瞼を閉じ、また悪夢の世界に落ちていった。
「メリーア、戦争が起こるようだね。うちは町からも遠いけど患者も彼一人いるし……逃げた方がいいかね」
「港町の人たちはルクメリアが作った宿泊地に集まっているらしいですよ。彼もルクメリア出身らしいですし、それがいいかもしれませんね」
「事前に人を逃がして戦争か、かの国は優しいのだが甘いのだがよくわからん国だのぉ。ロンドベリアを攻めた神官兵も一人も死んでないところがまた……いつから戦争はじゃれ合いになったのかね」
「先生? 何を言ってるんですか人が死なないのならばいいじゃないですか」
「いぃや……年寄りの愚痴さ。さぁじゃあ明日出発しよう」
日が落ちる。彼らの家に灯がともる。
そして彼らの家の横に通る街道には、黒い鎧の兵士たちが鉄の檻に人を詰め込み歩いていた。
その兵士たち、神殿へ素材を運ぶ兵士たちの一体は、顎を上げた。家に灯がついている。
兵たちの数体が家へ向かった。
――眼が開く。
物音に反応してグラーフの眼が開いた。騒がしい。だが彼にはどこか違う世界をみているようだった。
扉が開かれる。焦った顔をした女がグラーフの元へ走ってくる。
「グラーフさん、大丈夫ですからね。布団を被せますよ」
「メリーア! いかんぞいつもと違う! 裏から逃げるん」
「えっ? あっ」
グラーフのうつろな目に、医者の老人の姿が映る。
老人の腹には、銀色の刃が光っていた。
「先生!」
剣は老人から抜かれ、老人はその場に倒れた。
「やあ。君がそうなのかな? 初めまして、私が三人目だ」
長い金髪を靡かせ、細身の男はグラーフの顔を見た。
「ま、待ちなさい! 彼は動けないのですよ!」
「ああ、いいんだよただの材料だから。魂結晶に順応した彼ならば、きっといい人が還ってくる」
「待ちなさい! まっ」
グラーフは目の前にいた女性が殴り飛ばされるのをみた。彼は少し、少し怒りを感じた。
「あああぐぅ……!」
「ああ、私は女を殺す趣味はない。見逃してあげるから消えるんだ」
「う、う……待ちなさいぃ……」
「さぁてどうやって連れていくかな? ほら、どうした? 本当に動けないのか?」
金髪の男に叩かれるグラーフは、また少し怒りを感じた。
「面倒だがまたロンド殿に兵を借りるか。あれ便利だけど弱いんだよなぁ」
「待ちなさい!」
男の足に女の手が伸びる。女性は金髪の男を必死に引き寄せる。
「……放すんだ。今なら許そう。私は女性は殺さんが邪魔をするならば例外はあるぞ」
「やめなさい! この人は……この人は苦しんだんです! もういいでしょう!?」
「ああ、勇敢だ。心の底から殺したくはないと思うよ。だが……私情を挟むは騎士としては最低だな。そうは思わないか今生の騎士よ」
それだけを言うと、彼は剣を掲げた。その剣先は迷いなく、女性の頭の上に向かう。
グラーフは怒りを感じた。
「……ふふ、そうだ。騎士は目の前の人を助けなければならない。分かってるじゃないか」
剣を掲げた男は、その剣を止めグラーフに話しかけた。
「はっ……グラーフさん……立って……」
「……あ、ぐ……あ、に、にげ……るんだ」
「グラーフさん!」
グラーフは、立ち上がっていた。弱い、弱い怒りだったが、彼が抱いた怒りが彼を悪夢から引き戻した。
まともな思考は戻ってはいなかったが、目の前にいる人が殺されようとしてる時に彼は目覚めた。
グラーフの思考はゆっくりと、確実に目覚めていった。
「時間をかければ君は戻るだろう。騎士としての意識、人を救おうとするその意識、君はいい人だな。だが……それとこれとは別だ」
「メリーア……逃げるんだ……はぁ……はぁ……」
「グラーフさん……! あなた久々に起きたのよ……動けるのも奇跡なのよ……!」
グラーフは、自分への怒りと、情けなさから心を閉じた。だが彼は本当はわかっていたのだ。
見捨てた自分は、本当の自分だったと。あれは自分だったと。
治療を受けてゆっくりと身体を直した彼は、心のどこかにある感情を持っていたのだ。
後悔、そして
復讐心
「はぁはぁ……ああ……わかってる。わかってる。そういじめるなよ……ゼイン君……」
「さて、連れていくかな。立てるならそのまま連れていけるだろう……抵抗するんじゃないぞ?」
「は、ぁ……はぁ……メリーア、僕の荷物はどこだ」
「あ、あなたの……ベッドの横」
「ありがとう……もう大丈夫だよメリーア」
「何を言ってるんだ? 荷物なんかいらないんだよ君。さぁこっちへ」
グラーフは、復讐心を持っていた。
自分を追い込んだ男を、仲間を消した男を。彼は
心の底から殺したいと思っていた。
「おおおっ!」
金髪の男が家から爆炎と共に飛ばされた。男は地面に手を突き、立ち上がった。
燃える扉をくぐり、グラーフが家から出てくる。
「お前たちが……いるから! いるから俺はこんな目にあったんだ! ゼイン君だって死んでしまった 許せるものか! お前たちのせいだ! 何故俺がこんなに苦しまないといけないんだあああ!」
舞い上がる炎、グラーフは握りしめた石を掲げ、舞い上がる炎を身体に受けた。
「黒い騎士も! その仲間も! すべて焼き払う! お前から! お前からだ!」
そして現れる赤い鎧の騎士、風にあおられ舞い上がるマント。鎧は赤く、そして燃え上がっていた。
「もう、騎士や平和などどうでもいい。俺は……ただ仇をうつ」
グラーフは炎の中から剣を取り出した。彼の自分へ向かっていた怒りは、燃え盛る炎と共に外へと向いたのだ。




