ドラゴンチャイルド
「ア……ィィイ……ウ・・・ェヱ……ヲ?」
む、難しい。これは無理なのではないのでしょうか?
もっとこう尊大な感じの音なら簡単なのに……
「グォーーーーー!?」とかそういう感じなら幾らでもいけるのにな……
狩でもしてる方がこんな事より数倍は楽しいし役にも立つのに如何してこんな事が必要だと母は云うのだろうか。
アレックスは母から言いつけられた発声練習を繰り返しながらも不満に思っていた。
姉は普通に叫んでいるだけなのにと、思ったら魔法の復習をさせられていた……フフフと笑いながらも、姉は魔法の覚えが悪いので致し方ないが少々不憫に思ったアレックス。
だが人間である彼にとって人の言葉を喋るのは必要な事であり母はきっちりとした発音ができるまで外出を禁止してしまったので、アレックスも必死である。
(必要な事なのです、こうして思念で語り合う事は私たち竜にしか出来ない事。普通の人間にこんな感じで語り掛けたりすると恐れられてしまいますよ)
(僕が母さんと違う種族だというのはその、姿も違うから納得はしたけど……必要なのですか?)
(いつか……必要になるでしょう)
まだ5歳でしか無い彼にとって何故必要になるのか、そんな事は全くもって判らなかった。
云うまでも無く竜とは地上最強の生物。神とでさえ戦う事のできる種族だとさえ言われている。そんな竜をどうして母とアレックスが呼ぶのかは偶然という名の運命が生み出した出来事でしかない。
今から3年前、偶々彼女の住む山に何故か一人の女性と赤子のアレックスが訪れて女性はその山で息絶えたのだ。彼女=エルネシア=竜の棲家に近づく人間など普通は居ない、にも関わらず実母と思わしき女性がそこに来たのは何かから逃れての事ではないかとエルネシアは考えている。肩と背には切り傷がありそれが原因で死亡したのを確かめたからである。
人が近づく気配を察して様子を見に来たエルネシアが見たのは息を引き取りつつある女性がアレックスを抱えながらも言葉にならないままに目で訴えかけるようにしながらも身を挺して我が子を守ろうとする必死な姿だった。
エルネシアが生まれてから人と交流を持つことは少なかった、攻めてくる軍を打ち滅ぼした事や英雄を目指して討伐に訪れた冒険者等を返り討ちにする事はあっても自ら国や町などを襲うことは無く、この数百年は竜の逆鱗に触れようとする愚かな者は居なかったのだ。
故に一種の聖域とかしているこの山の周辺では自然があふれ豊かな土地ではあるが人という種は居ない。なのにも関わらずここまで逃げて来た者がいるということは何がしかの事情が在った言う事だ。
気まぐれでエルネシアが来なければ、アレックスはその場で殺されて居ただろう。追跡者達は空から降りてくる竜に恐れを為した。
どうせ竜が現れたのだから生き残ることはあるまいと逃げ去ったのである。
それから歳月が過ぎた。
生まれたての赤子をどうやって竜が育てる事が出来たのか。
高い能力を誇る竜は人の姿をとる事ができる。そして偶然にも子育ての最中であり人型になったエルネシアは母乳を授ける事ができたのだ。其のお陰で類稀なる力をアレックスが受ける事になるなど想定したわけでもなければ思いもよらない事だっただろう。
更に数年が過ぎた竜のすむ山裾で……
人語の発声練習を終えた姉弟達は野山を走りまわる。
流石にまだ5歳の竜であるグリューンは体格こそ既に数メートルを超える大きさであるがまだ人型にはなれない。よって走り回る事になるのだが、迫力満点でそこらにいる獣は当然として魔物や魔獣、魔蟲といったものも逃げ出すので安全である。
この光景をもし見た人が居れば、むしろ一緒に遊んでいるアレックスが大丈夫なのかと思うだろう。だが竜の母乳を授けられて育ったアレックスは人でありながら竜に育てられいるのだから尋常《単なる人》ではなかった。
母も姉も竜であるからしてストッパーなどいない。
(グリューン姉! 競争だ)
(負けんぞ!)
(今日も勝つ!)
5歳児がブッチギリで山の周囲を走り回り竜といい勝負をするなど村人などが見れば卒倒しそうなシーンだろう。竜と勝負する事自体が異常なのだが先ほども述べたように止める者は存在しなかった。
それに愛しい我が子が強く育つ事について微笑みながら推奨している程である。
(おかしい、いや、人型にさえなれれば負けない筈!)
(違うよ母さんの魔力のトレーニングをサボるからだよ?)
(つ、ツマランではないかアレは)
(だから僕より遅いんじゃないか)
肉体のスペックだけをみれば普通にグリューンが勝つ。人間の5歳など動物と比べても普通は弱い。だがアレックスは違う、この世界でただ一人竜の乳を飲んだ所謂突然変異として日々過ごしている、しかも競争相手が常に竜というトンでもない相手だ。流石に3歳の頃などは相手にもされていなかったのだが序所にその肉体は鍛えられて5歳にして覚醒したかのように動き回る。
(僕が逆に其のうちに竜になってグリューンより大きくなる)
(それは無い……と思いたいけどアレックスがいうと有り得そうで怖い)
(だって僕の中に流れる血も異質だって母さん言ってたし、魔力だってそうじゃん)
親子揃って能天気なのだが、実際竜の乳を飲んで育った者など他に例もないのだから仕方が無いかもしれない。だが日々竜の血と魔力を受けながら育てられたと言う事である尋常でないのが当たり前。
(姉としての威厳が日々失われていく!)
(勉強したらグリューンは綺麗だし元々強いんだから僕より直ぐに強くなるよ)
(き、綺麗か?)
(うんグリューン姉は母さんみたいになれるさ)
(そ、そうかな)
(うん、間違いないよ)
ある知識があればこういうだろうチョロインと。
競争も終わって一段落といった所でアレックスは日々の日課をしなくてはと考えた。
(そろそろ食材を集めなきゃ)
(そ……そうね、ゼーゼー、お魚にするお肉にする、それとも果物にする?)
こうなればどちらが年上なのか分からない。
(グリューン姉は何が食べたいの?)
(うーん、お肉!)
(じゃあ牛を狩りに行こう)
(兎とか鹿でもいいわよ)
(ちょうどあっちにいい具合に牛の群れが居るんだ)
(そう、じゃあ母さんも喜ぶわ)
(3匹ぐらいでいいから競争ね)
(今度こそ負けないわ)
(大丈夫次も勝つから)
(グヌヌヌ)
日々健やかに育つアレックスとグリューンである。
月日が過ぎて10歳になる頃にはグリューンも人間の形態をとる事が出来るようになっていた。
アレックスは魔力で肉体を竜に変化するという偉業を成し遂げている。
時折町の近くまで飛んでいっては洋服や書物などを手に入れている。代金は狩りで得た獲物の毛皮や鉱石などを町で売って稼いでいる。
後2年もすれば冒険者の登録も可能となる。個人的には面倒だからと思っているのだが猟師として過ごそうと冒険者組合に登録した方が儲けが大きい。それに竜は少ない魔力で過ごせるとはいえど基本的に成竜となれば独り立ちしなくてはならない。
ずっと一緒に居たいと願うアレックスも人間が12歳で成人するのは知っている。
竜だと大よそ15歳ぐらいで成人になる。
新しい住処を作らなければならない。別に今生の別れをするのではない。実際に母親であるエルネシアも1年に一度は母親に会いに出かける。竜の男性は女性に比べると弱く定住しない性質らしいので行方が分かるのは珍しいのだとか人間が討伐した事があるのが男性の竜のみだというのも納得である。
そんな事情もあってアレックスも12歳になれば独り立ちする事になると分かっていた。
だがここで不平を述べたのがグリューンである。
「私と一緒についてきなさい! だから15歳まで一緒に居ればいいわ貴方は竜でもあるのだから」
ある意味、言っている事は正しいがグリューンの本音は離れ離れになりたくないという寂しさとなんだかモヤモヤするという気持ちから出た言葉であった。
「仕方ないわね……」
幼い恋心をエルネシアは分かっていた。
とある田舎の冒険者組合から二人の冒険は始まった。
実力を控えめにしても十二分な戦闘力をもち森や魔獣の知識をもった二人が旅をする事など容易かった。
結果を積み上げながら旅を続けて目指すのはグリューンの巣作りの場所。
人間の生活圏など魔物などが蔓延る世界では小さく亜人であろうとその世界はそう変わらない。
エルフの女性が仲間になったりした。
女性のドラゴンであるのだからその強力な力を使えばどこに住み着こうが問題はない筈なのに旅は終わらない。
それもその筈で恋敵ができた途端に自分の恋に気が付くのはよくある話、グリューンもその例に漏れなかった。
ある時、何の偶然がもたらしたのかアレックスの出生の秘密が分かった事があった。
その時のグリューンの怒りは凄まじくアレックスが止めるのが大変だったと後年になっても愚痴る程暴れる彼女を留めるのは大変だった、なにせ一つの帝国を滅ぼそうとした怒りだったから。
人間の国にはよくある話で帝位継承権に絡む争いからアレックスの生みの親は殺されたのだった。
アレックスの母親は逃げ出して力尽きた、自らの命と引き換えに竜に我が子を託して。
「帝国を滅ぼす呪い子とその生みの親」そうやって占いを元にして追い出し殺したという。
祖父母や一族の助けで逃げたが生き残っているのは当時囮として別の方向へいった叔母だけだった。
突然激しい魔力の嵐と共に竜化したグリューンを必死に宥めた。
その国に生きている人に罪は無いと。
帝国を滅ぼすのではなく画策した貴族とその一味を洗い出して破滅に追い込み滅ぼしたのであるから予言も全てが間違いではなかったのかもしれない。
皇帝になるという道も当然あった。
だがアレックスは旅を続けると告げてさっさと出て行ってしまう。
「面倒だしグリューンの巣作りが済んでいないだろ? どちらかと言えばそっちの方が重要な問題じゃないか、まったく姉さんの好みは細かいんだから」
「う、こ細かくないわ、子供を生んで育てなきゃいけなくなる大事な土地なのよ」
「仕方ないから別にいいさ」
「仕方が無いってなんなのよ!」
二人の旅はまだまだこれからのようである。
一年後、エルネシアの元に戻った二人をみて説教をした母の顔は微笑んでいた。