20 グレンの秘策。
ヴァンの術式魔法でヌヴィが送られた先は、魔獣の気配もなく野生の草食動物が細々と暮らす穏やかな草原だった。
「おぉ、来たか。こっちだっ」
不意に吹き付ける穏やかな風に眼を細めると、馬鹿でかい声で手招きをするグレンの姿が視えた。
こんな時だというのに呑気に焚き火をして、何やら調理しているように見える。
「何をしているのだ?」
ヌヴィは、ゆっくりと歩み寄り、串に刺した肉の角度を丁寧に変えながら欠伸をするグレンを見て、呆れたように声をかける。
「何って飯だよ。最期の晩餐になるかもしれないからな」
グレンは、見りゃわかんだろ、とでも言いたげな視線をちらりと向けてくる。
「……小僧。時は満ちた。いい加減その秘策とやらを聞かせてほしいのだが」
ヌヴィは、パチパチと音を立てて燃える火を見つめながら、隣でしゃがみ込んで肉を焼き続けるグレンに僅かに不安の色を滲ませる。
「あん? まあ、いいじゃねえか。役割は変わらねんだ。ちろっとあの化物の動きを封じてくれればそれで終わりよ」
グレンは何でもないことのようにそう言って、焼けた肉を大きく頬張った。
「この戦いには我が主の命運がかかっている」
ヌヴィはグレンの態度に少し苛立ちを見せる。
「……そんな顔すんなって。万が一ここを抜かれたとしても、お前さんの主はロクと一緒に逃げれるように手筈は整えてある」
グレンは言って、お前も食うか? と、ヌヴィに肉の刺さった串を差し出す。
ヌヴィは、グレンに勧められた最後の晩餐とやらを断ると、腕組みをしたまま静かに目を閉じる。
つまり、この男には初めから戦闘でケリをつけるという選択肢はないのだろう。それほどに、これから対峙する相手が強大で、ある意味ここが最後の砦になり得るということ。
ゆえに、多くを語る必要はなく、秘策とやらも至って単純な10か0のようなものなのだろう。
「食えぬ男だな」
ヌヴィは、グレンの能天気な様を見て、覚悟を決めているからこそか、と諦めにも似た許容をした。
「魔導士も教会も、魔女も神もよぉ、この世界には必要ないんだよな……」
グレンは、そんな言葉を皮切りに独り語りだす。世界のことを。過去のことを。そして、これからのことを。
それは、誰に向けるでもなく、この世界をただ憂いているだけの詩人のようであった。
ヌヴィはそれに相槌を打つわけでもなく、ただ聞いた。魔導レギオンの行く末をグレンの本心を、ただ黙って聞き続けた。
――そして。
「……お。しみったれた話はこのへんにしとくか。使い魔さまよ、どうやら来たみてえだぜ」
グレンが最後の串を焚火に投げ入れると、その視界の先には沈みゆく陽を背に颯爽と歩いてくる人影があった。
その姿を捉えて、一瞬ヌヴィの尻尾がふわりと宙を叩く。
全てを無に帰したような白髪と、凍り付いたような表情、性別も年齢も区別が付かないような顔立ち。間違いなく、それは人ではない何かだった。
「……魔導士か」
眼前にまで迫った勇者と世界から賞賛されるその者は、透き通るような声でグレンを認めた。
「よぉ、勇者さま。会いたくなかったぜ」
グレンは、あくまでも陽気な態度を崩さず、古い知人に久しぶりに会ったような苦笑を零すと、軽口を返した。
「……そっちは?」
勇者はその灰色に澄んだ瞳をヌヴィへと向けて、こどものように首を傾げる。
「ん? まあ、気にすんな。さっき拾った野良猫だ」
勇者は、その言葉に心の読めない表情のまま、野良猫、と繰り返すようにつぶやくと、すぐに興味を無くしたようで、グレンに目を向ける。
「自分は……魔女に会いに行くのだが」
その言葉に一切の敵意はなく、できることなら争いを避けたい、という意すらくみ取れる。
「会って……どうするよ?」
だが、そんなつもりはないグレンとしては、戦闘準備は整っていると言わんばかりに、首を左右に傾けてぽきぽきと小気味の良い音を鳴らす。
「問いたい」
「問う?」
グレンは慎重に間合いを測りながら、まるで隙だらけに見える勇者に聞き返す。
「あの日、自分をこの世界に引っ張ったあの女は、人々を笑顔にして欲しいと言った。自分はそのために教会の言うとおり行動してみたが、誰も笑ってはいなかった。笑うというのは、これではないだろう?」
勇者は言って、作り物のように無表情のまま、口の端だけを釣り上げてみせた。
「……残念ながら、その女はすでに死んでる。今いるオルコスは小さなこどもだ。つーかよ、お前が殺したんじゃないのか?」
グレンは、確かめるように少しかまをかけてみる。
「自分が? なぜ?」
「なぜって……」
勇者はグレンの言っていることが理解出来ないといった様子で、その無垢な目で問い返してくる。
「では、問いは魔女のこどもに聞くとする」
勇者は、仕方ない、と小さく零すとグレンたちの方へ一歩踏み出した。
「待て待て。あの嬢ちゃんにそんな事聞いたって答えちゃくれねえぞ」
「こどもでも魔女は魔女なのだろう?」
ダメだ。話にならない。
「まあいい。それで、どうするんだ? 嬢ちゃんがお前さんの問いに答えられなかった場合よ」
「殺してみようかとは思う」
勇者はあくまでも淡々とした口調で、魔導士と使い魔にここで戦う理由を告げた。
「くくっ。なるほどな。これは先代のオルコスもとんでもないことをしてくれたものだな」
ヌヴィはそのやり取りを黙って静観したのち、びりびりと腹の底に響くような高笑いをした。
「つまり、自分の存在が何なのかわからない、ということだろう? 魔女と教会が結託しようと、人の心までは作れなかったというわけか。これは傑作だ」
ヌヴィは、目の前の世界最強を矮小と嘲笑うかのように表情を歪める。
「我輩はわかったぞ。お主の正体は……魔神だ」
ヌヴィは、はっきりと告げる。
「魔神? 自分があれらと同じだと言うのか?」
勇者は、ヌヴィの言葉に若干の迷いを帯びた声色で訊く。
「人の容れ物に魔神を無理やり詰め込んだ結果が、空っぽのお主というわけだ。実にくだらん下等な存在だな」
ヌヴィは見下すような眼を向けて、徐に魔力を開放する。
「侮辱、しているのか」
「まあ、我が主を手に掛けると言われてしまってはな」
数舜して、そこには勇者を見下ろす、漆黒の鋼に覆われた巨躯の悪魔の姿があった。
瞬間、勇者の足元から膨大な魔力が込められた、悪魔の尾による一撃が放たれる。
「っ!?」
勇者が咄嗟にそれを防いだのも束の間、ヌヴィの巨大な獣爪が、その体を地面に縫い付けていた。
「小僧っ!!」
呆気に取られる勇者をよそに、ヌヴィの言葉に呼応して、グレンは瞬時に秘策を発動する。
「いや……よかったぜ。オルコスの使い魔も言うんじゃ、間違い無さそうだな」
グレンは言って服の袖を破ると、その二の腕には妖しく光る赤い紋様が浮かんでいた。
「ヌヴィっ!! そのまま押さえておけっ!」
魔力も生命力さえも、出し惜しみなしの、凄まじい波動が空間を緊張させる。
終わりだ、化け物。
グレンが拳で地を叩いた瞬間、ヌヴィが捕らえていた勇者の体から黒煙にも似た瘴気が立ち昇る。
「っ!?」
グレンの秘策とは、魔導士一人の魂と引き換えに魔神一柱を元の世界に返す、禁忌の術式であった。
「ぐっ」
しかし、直感的に危機を悟った勇者の魔弾がヌヴィの体を射抜く。
「なっ!? 冗談だろ。まだ動けるのかよ」
グレンは体の半分を奪われてもなお攻撃を放つ勇者に焦りの色を見せる。
「……くくっ。今更あがくでないわ。我輩も残りわずかの時間。共に逝こうではないか」
ヌヴィは、その身に幾つもの穴を穿たれながら、その前足を決して退けることなく、口の端から黒い血を滴らせた。
――そして。
「終わった……のか?」
ヌヴィの言葉の後には何もなく、その獣爪の下には赤黒く変色した雑草だけが茂っていた。
「……小僧」
振り返った先には、意識を失い地に伏せるグレンと、間際に呼び札で知らされたのであろう、ヴァンの姿があった。
「やった……みたいだね」
ヴァンは、その状況に戸惑いながらも、地に伏せるグレンの安否を確認して、治癒術式のかかった布をそっと被せた。
「君の分もあるから、早く元の姿へ」
ヌヴィは、ヴァンの言葉にゆっくり首を横に振って辞すると、弱々しく笑うように口元を歪めた。
すでに、治癒でどうにかなる状態ではない。それは、ヌヴィもヴァンもわかっていた。
「ヴァン。我輩を元の森に戻せるか? 最後にひと目、オルコスをこの目で見ておきたいのだ」
「僕も一緒にっ――」
ヌヴィは、その申し出も目線だけで断った。
ヴァンには、今回のことの後始末もあるし、グレンのこともある。
「ヌヴィ。僕は、君のことを心から尊敬する」
ヴァンは、目を伏せたまま、拳を強く握りしめる。
「ふっ。魔導士が悪魔に何を言う」
ヌヴィは、魔力が尽きたのか、元の小さな猫の姿に戻ると、困ったように笑って、覚束ない足取りのまま、ヴァンの作った魔法陣の中へと吸い込まれていったのだった。




