07 一人足りない。
ロクが魔導レギオンへ行ってしまってから十日が経ったある日のこと。
エスタディアにある小さな材料屋は、今日も主の帰りを待ち続け、小さな明かりを灯していた。
「リコ、今日もロク帰ってこない?」
アビスは、夕食の屋台料理が入った手提げ袋をテーブルに乗せて、不安そうにリコベルを見上げた。
「え? うん。そうだね……まあ、すぐに帰ってくるって」
リコベルは、努めて明るく言って、アビスの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「……うん」
アビスの表情は暗く、獣耳も尻尾も萎れてしまっていた。
ここ最近は、ずっとこの調子である。
「だ~いじょうぶだって。私はずっとここに居るし、ロクもそろそろお仕事終わる筈だから。それに、そんな顔してたらお料理も美味しくなくなっちゃうよ?」
リコベルは言って、これでもかと買い込んだ屋台料理を机の上に並べていく。
「……わかったっ」
アビスは、にこっと笑顔を見せるが、それは大好きな串やサンドイッチを見たからではなく、リコベルに気を使ってのものだ。
ロクがレギオンへ帰還したあの日から、リコベルは冒険者稼業をしばらくお休みして、アビスと一緒にこの材料屋で過ごしていた。
初めのうちは、リコベルもアビスも、女同士の二人で過ごす日々にはしゃいだりしていたのだが、五日を過ぎた辺りから、その有り様は変化を見せ始めている。
もしかしたらこのまま帰ってこないのかも、という疑念が二人の中に生まれてしまっているからだ。
フレアには、ロクが今どうなっているのか、いつ帰ってくるのかを何度か問うたのだが、機密事項ですの、の一点張りで教えてくれそうにない。
それにしても、何の音沙汰も無いなんて。
「何やってんのよ、あいつは……」
リコベルは、夕食の準備を進めながら独りごちる。
あの日、ヴァンが話していた内容から察するに、狂騎士との戦闘になっている。恐らくそれは間違いないだろう。
だが、それがいつまで続くのか、無事で居てくれているのか、それがわからない。
リコベルの中にも、隠し切れない大きな不安が生じていた。
「……リコ?」
難しい顔をしていたリコベルに、アビスが不安気に顔を覗き込んでくる。
「ん? ああ、何でもないよ。じゃ、食べちゃおっか?」
「うん」
リコベルは、アビスを不安にさせてしまっている要因は、自分の態度にもあると気を引き締め直したのだが。
「……」
無言で食事が進んでいく。
「あっ。そうだ、アビスちゃん。またアゼーレから新しい料理教わったんだって?」
リコベルは、何とか雰囲気を良くしようと、アビスにそんな話題を振ってみる。
「うん。お酒のおつまみのやつ。ロクが帰ってきたら、つくってあげたくて。ロクが、帰ってきたら……」
アビスは、そう言いながらしょんぼりとしてしまう。
話題が地雷だった。
リコベルは何とか取り繕うべく、他の話題を探していると、不意にノックの音が部屋に鳴り響いた。
「誰だろ? アビスちゃん、ちょっと待っててね」
リコベルは、その訪問者が誰なのか察してはいたが、あらゆる可能性を考慮し、一応剣に手をかけたまま扉を開ける。
「夕食時に失礼しますわ」
そにいたのは、リコベルの予想通り、金髪蒼眼に灰色のローブを身に纏った魔導士、フレアだった。
フレアは、日に何度かレギオンへの報告のために、アビスの様子を見に来るのだ。
「今日も特に変わりないようですわね」
フレアは、遠目に夕食を取るアビスを確認すると、それではまた、と出て行こうとする。
「フレア。あんたいい加減に、どうなってるのか教えなさいよ」
そうはさせまい、とリコベルはフレアの肩を掴んだ。
「……はぁ。貴方もしつこいですわね」
「機密事項、機密事項って、そんなので納得できるわけないでしょ。今日は、教えてくれるまで――」
帰さないわよ、と言いかけたリコベルの胸に、とんと書類が突き出された。
「っ? これって……?」
「先輩の出撃記録ですわ」
リコベルは、フレアに早く受け取れ、と目で催促され、恐る恐るその紙を手に取り文字列を追って、言葉を失った。
「……っ!?」
この記録通りなら、ロクはあの日からずっと戦い詰めで、十日の内に十三回も狂騎士との戦闘を行っている事になる。
「この負傷のランクって……なに?」
リコベルは、ロクの名前の横に記載された、出撃の度に変化するそのランクが意味するところを震える声で訊く。
「一番下のFは、かすり傷程度ですわね」
「じゃあ、この現段階のAって……?」
「要休養。本来の実力が出せないレベルの負傷をしている、という事ですわ」
フレアは、決して感情を表に出すことなく、淡々とリコベルに説明する。
「それなら……何で今日も出撃してるの? おかしいじゃない。レギオンはロクをどうするつもりなの?」
リコベルは、苛つく心に先導されるように、矢継ぎ早にまくし立てる。
「……さあ」
「さあって、あんたねっ! おかしいと思わないのっ? こんなの続けたら……」
「まあ、このまま狂騎士との戦闘が続けば、先輩はいずれ死にますわね」
フレアは、リコベルの言葉を引き継ぎ、そんなとんでもない事を欠伸でもするかのように、あっさりと言ってのけた。
「なんで、そんな普通にしてられるのよっ!? こんなのおかしいじゃないっ!」
リコベルは、思わずカッとなり声を荒げてしまう。
「なんですの? 事実を言ったまでですわ。それとも、呑気気ままな冒険者さんは、気休めが聞きたかったんですの?」
「なっ!?」
八つ当たりだった。
フレアだって、できる事ならば何とかしたい。その気持ちはリコベルにだって負けない自信がある。
しかし、ルマ総帥が不在の今、フレアへに入ってくる情報は少ない。更には、グレン直属の魔導士がエスタディアに入っており、フレアを監視しているのだ。
フレアはロクと同じ隊に居た魔導士であり、ルマ総帥の強引な采配が無ければ、エスタディアに常駐できなかった可能性もある。
つまり、魔導レギオンはお前を信用していない、という事を遠回しに言われているようなものだ。
それらが、フレアに言い表しようのない怒りと苛つきを与えていた。
「ふざけないでよっ!」
とうとうリコベルが、堪忍袋の緒が切れた、とでも言わんばかりにフレアへ掴みかかろうとしたその時。
「けっ、喧嘩は良くないと思うので」
その剣呑な雰囲気に耐えかねて、アビスが駆け寄ってきた。
「あ、アビスちゃん、ごめんね。別に喧嘩してるわけじゃ」
「ロク、もう帰って……こないの?」
アビスは、震える声を絞り出して、フレアを見上げる。
「そう……ですわね」
「ちょっ、フレアっ!!」
リコベルは、これまで自分が気を使って来た事をあっさり壊され憤慨する。
「……じゃあ、この子はいつまで待ち続けるんですの? 嘘を吐いても仕方ありませんわ」
「だからって!」
場の空気が、これ以上無いほどに張り詰めたその時だった。
「騒がしいな。我輩起きちゃったじゃん」
そう言って、梯子階段からゆっくり降りてきたのは、黒い体に白い手足を有した、猫の使い魔ヌヴィだった。
ヌヴィは、ここのところ夕食すぎに起きてきて、夜明け頃に眠りにつくような、労働者から見れば堕落した日々を送っている。
「ん? なんだ? 女同士の醜い争いか? 仕方ない。荒んだこの空気を変える我輩の新芸を見るのだっ!」
ヌヴィは、二本の尻尾で器用に直立すると、空中で腕組みをしたままあぐらをかいた。
「どうなのっ?」
…………。
だが、当然その場の誰一人として、笑みを見せる者は居なかった。
いつもなら、アビスがそのわけのわからぬ芸に喜び、ヌヴィはその姿を見て満足気に頷き再び二階へと籠るのだが、さすがに状況が悪い。
「ヌヴィ。みんな、まじめなお話なので……」
アビスは、悲痛な面持ちでヌヴィを見て、申し訳なさそうにそう言った。
「む? オルコス。その顔……」
ヌヴィは、笑顔が消えたアビスの雰囲気を見て思わず顔をしかめる。
形は違えど、結局こうなってしまうのか。
ヌヴィが、過去の記憶を思い返している内に、リコベルとフレアの口論は再開され、やがて。
「貴方は冒険者、私たちは魔導士ですの」
フレアが放った線を引くようなその一言で、リコベルは奥歯を噛み弱々しく俯いたあと、
「また……それ? もう、魔導士とか教会とかたくさんよっ」
「リコっ!?」
リコベルは、悔しさのあまり、気が付いた時には店の外へ飛び出していた。
◆◆◇◇◆◆◇◇
夜の帳が下りたエスタディアの街をふらふらと当てもなく歩く。
リコベルは、幸せそうに睦言を囁き合う男女や、外食帰りの楽しそうな家族を見て、心底不公平だと思った。
どうして、こうなってしまうのか。あの二人が何をしたと言うのか。
ロクも、アビスだって、世界に何かするわけないのに。ただ、静かに暮らしたいだけなのに。
(魔導士とか教会とか……全部、無くなっちゃえばいい)
リコベルは、胸中でそんな事を思い、ふと夜空を見上げる。
手の届く場所に居るとわからないが、こんな時どうしたってロクは魔導士で、自分はただの無力な冒険者なのだと思い知らされる。
多分フレアだって、内心は自分と同じ気持ちなはずだ。それでも、どうすることもできない。だから、あんな事を。
冷静になって考えると、フレアの気持ちもわかる。わかるのだが。
いずれにせよ、このままだとロクは死ぬ。死ぬまで戦わされる。
そう、改めてフレアの言葉を反芻すると、全身の力が抜けていくような恐怖が、胸を満たしていく。
ロクが死ぬなんて、そんなのは嫌だ。
リコベルは、何度も何度も、ロクとアビスと三人で、穏やかな時間が流れる日々を夢見てきた。
冒険者稼業をしながら、たまに材料屋を手伝って、休みの日には三人でお出掛けして。
ただ、それだけの願いなのに、叶わない。
ロクが死ぬ。
リコベルは、何度目かのその言葉が頭に浮かんだ瞬間、とうとう膝の力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
力なく握られた自身の拳が、こみ上げる想いでぼやけ始める。
「誰か、助けてよ……」
ひと気のない薄暗い路地に、無力な冒険者のか細い声が吸い込まれたその時だった。
「酷い顔だな」
「っ!?」
どこからともなく聞こえてきた声に驚くと、頭上から黒い影が一つ、リコベルの前に舞い降りた。
「ヌヴィ?」
ヌヴィが纏う雰囲気は、いつものふざけたものではなく、どこか緊張感すら感じ取れる。
「……あ~、ごめん、ごめん。ただの女同士の口喧嘩だからっ。ちょっと頭に血が上っちゃってさ。夜風に当たって冷静になろうかな~、なんて」
リコベルはごまかすように言って、起き上がりながら手の甲でそっと目尻を拭う。
「……」
「ああ、そんな怖い顔しなくても、すぐに戻るって。それに、あんたはアビスちゃんの使い魔なんでしょ? こんな所に居ないで、アビスちゃんの側に……」
続く言葉は、ヌヴィのすべてを見透かすような視線に遮られた。
「小娘」
「へっ?」
「わっぱはどうなった? いや……どうなる?」
ヌヴィは、普段とは異なる声色で訊くと、一歩踏み出してくる。
「え? いや……」
リコベルは、ヌヴィに言ったところで、と言い淀んだのだが。
「詳しく話せ」
瞬間、ヌヴィの瞳が怪しく煌めき、魔力の波動がリコベルを突き抜ける。
――っ!
「話すのだ」
次の瞬間、リコベルの思考は闇に塗りつぶされ、その瞳は色を失っていた。




