05 魔導士と違和感。
「……こんなもんか」
ロクは、狭い店内の通路に立ち尽くしたまま、麻の買い物袋を覗きこんで、購入した物を確認していた。
辺りには、街で仕事をする者向けの道具が雑多に並べられている。
今日は、ロクが材料屋の仕込み道具を新調したいとの事で、街の中央区まで出向いており、リコベルとアビスはその買い物に付き合っていた。
「もういいでしょ? 早く夜ご飯買って行こうよ」
リコベルは、つまらなそうに半目でこちらを見てくる。
ここの区画に軒を連ねているのは、職人や商人用の道具屋ばかりで、リコベルにとっては、凄くつまらない場所である。
「アビスちゃんもお腹空いたでしょ?」
「……空いた、かも」
アビスは、どこか空返事をしながら、店頭に並んだ金物類をじっと見つめていた。その視線の先にあるのは、包丁、鍋、混ぜ棒などの、調理器具である。
「ん? これ、欲しいの?」
「おりょうりも、がんばりたい」
アビスは、自分が作った料理を嬉しそうに頬張るロクを想像して、わさりと尻尾を動かした。
「だってさ?」
リコベルは、たくさんの料理道具から目を離せないアビスに変わって、ロクにお伺いを立ててみる。
「え? う~ん。まだ、アビスには早いんじゃないか?」
ロクは、ぎらりと光る包丁の刃を見て、容易にアビスが手を切るところを想像していた。
「あびすには、まだ早い?」
すると、耳だけはこちらに傾けていたアビスが、すぐに反応してロクを見上げた。
「もう少し、大きくなったらな」
「……わかった。明日おっきくなる」
アビスは、小さな拳をぐっと握って、やる気の方向性を見失った。
「いや、そんなすぐには無理だろ」
「すぐには無理? じゃあ、いつおっきくなる?」
「そうだな……?」
ロクは、困ったように頭を掻いて、ちらりとリコベルを見る。
「アビスちゃん。いっぱい食べて、いっぱい寝れば、すぐに大きくなれるよ?」
「ほんとっ? じゃあ今日から、もっといっぱい食べるっ!」
アビスは、お腹が空いていた事もあり、今日の夜ご飯を想像して、にぱっと満面の笑みを浮かべた。
ロクは、横にばかり大きくならなければ良いが、と小さく嘆息した。
「よし、飯を買いに行くか」
ロクは、未練がましく料理セットに視線を送るアビスの背中をおして、屋台のある通りへと向かって行く。
この後は、適当に食べ物を見繕って、ロクの店で三人で食事をする予定になっている。
るんるん、と少し先を歩くアビスの後ろ姿を見ながら進んでいくと、不意に隣を歩くリコベルが、ぼそっと耳打ちしてきた。
「あんた、ちょっと過保護すぎるんじゃないの?」
「いや、アビスはまだ七歳だぞ?」
「そうだけどさ。女の子の心はすぐに大人になるもんなのよ?」
「……もうちょっと、しっかりしてきたら考える」
「まあ、そのへんは任せるけどさ」
ロクは、そういうものか、と考えながら何気なく前を見ると、視線の先には、ワンピースの裾からひょこひょこと、尻尾をごきげんそうに振る幼女の姿があった。
買ってもらえなくて、内心落ち込んでいるかも、と思ったがこの感じなら大丈夫そうだ。
アビスは、お料理セットを買ってもらえなかったものの、上機嫌だった。それは、もちろん大好きなロクとリコベルとお出かけしているからだ。
「今日は、まるのやつにしたい」
アビスは、歩く速度を緩めてロクとリコベルの間に入ると、人差し指と親指をくっつけて、ちいさな丸を作ってみせる。
「ああ、ポン焼きか」
「あっ、私も今日はポン焼きにしよっかな」
リコベルとアビスは互いに視線を合わせて、にこっと笑い合う。
ポン焼きとは、小麦粉などの材料を溶いて、専用器具で半球状に焼きあげる、エスタディアでは一般的な屋台料理だ。表面はカリッと、中はとろっとしていて、具材として入っている甘辛な羊肉と合わさり、酒のつまみにも最高の一品である。
「いいけど、お前たまには魚とかも食えよな」
ロクは、片眉を釣り上げてアビスに保護者としての目を向ける。
「おさかなは、見てるのがいいと思う。食べると、ほねがいっぱいで、あ゛~っ、ってなるので」
骨の感覚を思い浮かべたのか、アビスは「あ゛~っ」のところで、ぎゅっと眉間にしわを寄せた。
「……ったく」
ロクは、にこっと笑って誤魔化すアビスを見たら、やれやれと肩をすくめるしかなかった。
しばらく、他愛もない話をしながら歩いて行くと、辺りには旨そうな匂いを漂わせる露天がそこかしこに現れ始めた。
日が暮れ始めている事もあってか、屋台の周辺はクエスト帰りの冒険者や、一日の仕事を終えた行商人などで、混雑している。
ポン焼きが売っているのは、もう少し先の一角なので、そちらは混んでいなければ良いが、と人混みを見つめていると、向こうから歩いてくる、見知った者たちの姿が見えた。
「おーっ!」
「こんばんは~」
テッドとウィズだ。
「あれ? どうしたの、あんたたち」
「父ちゃんに買い物頼まれてさ。ついでに買い食いしに来た」
テッドは、にかっと笑って、屋台で買ったと思しき包みを突き出しながら、堂々と言い放った。
「来ちゃいました」
優等生であるウィズも、どこかで購入したのか、既に屋台料理の包みを手にしていて、見られてしまった、といった様子で恥ずかしそうにはにかんだ
「そうだ、アビス。父ちゃんが、こないだのは良くできてたって、ふがっ――」
テッドが何かを言いかけたところで、リコベルは慌ててその口を塞いだ。
「馬鹿っ。ロクには内緒だって言ってたでしょ?」
リコベルは、後ろで怪訝そうにするロクをちらりと見ながら、小声で注意する。
「あー、そうだった。忘れてたっ」
「ったく、あんたは」
リコベルは、なんとかプレゼントの事がロクにバレるのを防ぐことができて、胸を撫で下ろした。
「どうかしたのか?」
「いや~、何でもない何でもない。こっちの話だから。あははは」
「そうだぞ、いちりゅー。こっちの話だっ」
リコベルとテッドは、これ以上追求してくれるな、と言わんばかりに話を終わらせようとしてくる。
ロクは、変な奴らだな、と首を傾げていると、不意に背後から何者かの視線を感じた。
「おや? 奇遇ですね」
振り返ると、屋台に群がる人混みから顔を覗かせるロレントの姿があった。
「おおっ! ロレント先生も買い食いか?」
「ははは。僕は家に帰ってから食べますよ」
ロレントは、相変わらずの人の良さそうな笑みを浮かべて、歩み寄ってきた。
「アビスちゃんも、夜ご飯の買い物かい?」
ロレントは、わざとらしくアビスに話を振って微笑んでくる。
「……うん」
アビスは、ロレントと目を合わせる事ができずに、少しドキドキしながら小さく返事をした。
ロレントとロクが一緒にいると、内緒の事が思い出されて、凄く後ろめたい気持ちがこみ上げてくる。
それでも、魔女を辞めるため、秘密にしないとならないので、大丈夫きっと上手くいく、と自身に言い聞かせ、平静を装っていた。
「ロレントさんって、この辺りなんですか?」
リコベルは、何気なく世間話のきっかけにと、そんな事を訊いてみる。
「いえいえ。僕は商会が持っているボロ倉庫の一つを間借りさせてもらっています」
「へえ~。ロレントさんのところ凄く繁盛してるのに、意外ですね」
ロレントの勤める北区の外れにある商会は、最近になって急激に業績を伸ばし始めており、働く商人の数もどんどん増えていっている。
「いや~、僕なんてまだまだです。それに引き換えロクさんは、お若いのにもうご自分の店をお持ちだとか。羨ましい限りです」
ロレントは、沈黙を守っていたロクにさり気なく話を振る。
「いや、たまたま前の商売が上手くいっただけですよ」
気にいらない。
ロクは、何となくこのロレントという男が気に食わなかった。理由を問われれば、こどものような答えしかないので、とても誰かに言える事ではないが、どこか信用出来ないような感じがしていた。
「なあなあ、ロレント先生って何歳なんだ?」
「え? 何歳に見えるかな?」
「う~ん……」
ロクは、何やら盛り上がる面々を遠巻きに見ながら、少しずつ立ち位置を調整していた。
視線の先には、地面に落ちている少し大きめの石がある。
ロクは、一つ試してみようと思い、話の区切りを見計らって、ロレントたちに向け一歩踏み出した。
「それじゃあ、そろそろっ――」
ロクは、言いながら歩み寄る振りをして、わざと落ちている石に躓いた。
――っ!?
ロクは、一瞬だけ拳に一割程度の魔力を集中させて、禍々しい殺気を込める。
「っ!?」
しかし、その拳は予定通りロレントに触れる事なく空を切り、ロクはよろめくような素振りをして、地面に手を付けた。
もしも、ロレントが一般人ではないのなら、何かしらの反応がある筈だ。そう思ったのだが。
「わっ、わぁっ!?」
ロレントは、ロクの寸止めの一撃に一泊の間を持って驚き、すとんと尻もちをついた。
その体からは、微塵の魔力も感じ取る事ができない。
「ああ、すみません。少し、つまづいてしまって」
「……いえ、あはは。ちょっと驚きました」
ロレントは、困ったように笑って立ち上がると、尻の土を払った。
「……」
リコベルは、刹那的に発せられたロクの魔力と殺気に気付いていたが、何か考えがあるのかも知れない、と口を閉ざしていた。
「うわっ。いちりゅー、こけんなよなっ。修行が足りないんじゃないか?」
「そうかもな」
ロクは、ロレントが見せた一連の流れや体捌きを見て、やはり自分の気のせいか、と思い直すしかなかった。
組織で訓練を受けているような者ならば、どんなに隠そうとしても、その身のこなしや体の動きが、どこかには出てしまう。
だが、ロレントの動きは素人そのものであり、とてもではないが、厳しい訓練を受けた密偵にも、百戦錬磨の武闘派にも思えない。
「それじゃ、私たちは行きますんで」
リコベルは、先ほどの事をロクに聞きたくて、早々に切り出した。
「はい。良い夜を」
ロレントは、踵を返すロクたちに、にっこりと微笑んで手を振った。
「あんたらも、寄り道しないで帰りなねっ」
「おーっ。またな」
後には、むぐむぐと立ち食いするテッドとウィズと、ロレントだけが残されていた。
「それじゃあ、僕もお腹が空いたので帰りますね」
「なんだ? 腹減ってたのか? これ一個やるよ」
テッドは、ロレントに包みを広げて見せると、使っていない小さな串を一つ差し出した。
「……なんだい、それは?」
「えっ? ポン焼き食ったことないのか?」
「ぽんやき?」
ロレントは、聞いた事のない単語に首を傾げる。
「うっそ!? 一個食ってみろよっ。すっげえ美味いから。なあ、ウィズ?」
テッドが驚きながら同意を求めると、ウィズは隣でポン焼きを頬張りながら、こくこくと頷いた。
「……じゃあ、一つだけもらおうかな」
ロレントは、恐る恐るテッドから串を受け取る。
「でも、ポン焼き食べた事ないって、ロレント先生ってすげえ金持ちとかか?」
「いや、そんな事はないよ。僕は遠くの大陸の育ちで、まだこっちの食べ物にはあまり馴染みがなくてね。あははは」
「ふ~ん。一回食べたら、絶対ハマると思うぜ」
テッドは、ロレントの話に興味無さそうに言うと、包みを近づけて、早く食べてみな、と急かしてくる。
「そんなにかい?」
ロレントは、テッドが持っている包みから、半球状のこんがり焼かれたポン焼きに串をさして、半信半疑で口に運んでみた。
「……っ!?」
カリッとした食感のあとで、中のトロッとした具材と、程よく味付けされた羊肉の旨味が、口いっぱいに広がっていく。
「なっ? すっげえ、美味いだろ?」
「…………」
ロレントは、あまりの旨さと、若干の懐かしさに言葉を失っていた。
「……うまい」
「なっ? 言っただろ?」
テッドは、自分が作ったかのように自慢気に言うと、自身も一つぱくっと口にする。
「これは……ヨネーズがあれば、もっと……」
ロレントは、一瞬心ここにあらずのような状態になり、無意識に小さくつぶやいてしまった。
「ネーズ?」
その微かな声を拾っていたウィズは、聞きなれない言葉に、うん? と、小首を傾げる。
「ああっ、いや……凄く美味しいね。ありがとう」
ロレントは時々、おかしな言動を取る事がある。何もない虚空をじっと見つめていたり、蜘蛛の巣でも払うかのように手を動かしたり。
ウィズは、何となくロレントの事を変わった人だと思っていた。
どこかこの世界から浮いているような、まるで絵本の中から出てきた存在のような、そんな不思議な感覚をロレントに対して抱いていた。
「ごちそうさま。それじゃあ僕は行くけど、二人も早く帰るんだよ? ポン焼きありがとう。また学校でね」
ロレントは、そう言い残すと、颯爽と人混みの中へと消えていった。
「……あっ! テッド、早くおつかいしないと、怒られちゃうよ?」
「やっべっ! もっと早く言ってくれよっ!」
「ああ、待ってよぉ」
テッドたちも、本来の目的を思い出して、足早に人混みへと紛れていく。
そうして、払拭しきれない違和感だけをその場に残し、エスタディアの夜は更けていったのだった。