月曜大決戦・前編 ~真実~
「なぁ、ヴェッキオ古書店って知ってるか?」
ハンバーグを箸で裂きながら黒森に聞いた。
今日の昼飯のメニューは月曜日限定、『肉三昧定食』だ。ハンバーグ、鶏のから揚げ、豚肉のしょうが焼きが皿上でひしめき合い、本来キャベツがある位置を山盛りのフライドポテトが占領している。健康のことなんて一切気にせず、ただ若者の欲望だけを詰め込んだ理想的メニューだ。20年後の僕なら見ただけで胃薬が必要になるだろう。
「ヴェッキオ?そんな古本屋聞いたことないな。どこにあるんだ、その店」
正面の学友、黒森はそばをすすっている。ぼそぼその麺に味の薄い汁、具の山菜もしなびている。正直、我が学食のそばは外れだと思う。それでも彼は美味そうに、毎日飽きもせずそばをすする。フットサル部の彼が、身体を維持できてる理由が分からない。
「駅前通の中間くらいにあるんだけど。朽ち果てる寸前みたいな、ボロボロの店だ」
丸めたしょうが焼きを口の中に放り込む。
この大学に学食は1つしかなく、昼飯時の今は大勢の人で賑わっている。僕と黒森の隣の席が空いてるくらいでほぼ満席状態だ。12時から1時は毎日大混雑で、入れなかったときは学食の隣のコンビニで弁当を買って食べる。ちなみに、大学構内の庭で食べるとピクニック気分が味を5割増しにしてくれる。
「うーん、分からんな。通ってるはずなんだけど。で、その店がどうかしたのか?」
黒森は湯気の立ち込める汁に息を吹きかける。一口すすり終わるのを見計らい、
「そこでバイトすることになったんだけどさ。仕事内容がなんとも奇妙で」
皿上、肉類最後の生き残り、から揚げを箸でつかむ。
「読書するだけなんだ」
から揚げは口の中で悲鳴の代わりに肉汁をにじませる。口内の歓喜は飲み込むまで続いた。
黒森は手をピタリと止めて顔を上げ、大きなため息を吐く。
「冗談は止せよ。まだUFO制作工場に勤務してる、て言われたほうが信憑性あるから。金が貰えるのは作家や編集者、それから出版社で、読書してる人が得られるのは知識と感動だよ」
「僕も最初はそう思った。でもどうやら違うみたいなんだ」
土曜日に起こったことの一部始終を話した。中学生店長のこと、力のこと、宝石のこと、作家のこと、物語のこと。話してると全部自分の見た夢だったのではないかと不安になった。
話を聞き終えた黒森はポテトを1本かじって、
「もういい加減、現実を見る年齢だよ」
と慈悲深い表情をする。イケメンだから余計に腹の立つ顔だ。
「いや、確かに僕は妄想が好きだけど現実との区別はできてる。この目で見たことを語ったんだ、そんな風に諭されるのは心外だな」
「正直者は損をするいい例だな、君は。物語を脳内から抽出して結晶化させるとか、科学的じゃないにもほどがある。そんなオカルト話、信じろって言う方が無理だ」
「自分の目で確かめるのが一番だ。今度行ってみなよ。僕達の常識は勝手な思い込みなんだ、て分かるから。実際そうだ。大学で考えれば、理学部の常識は文学部の常識ではない。同じ理学部の中だって、化学科と数学科の常識は全然違う。異なる場所でそれぞれの常識が存在するんだから、あの店にはあの店なりの常識があっても不思議ではないよ」
「柔軟なのはいいことだけど、いつか身を滅ぼしそうだな。色んなことを受け入れるよりも、自分の中に揺るぎない常識を1つ持ってる方が良いさ。いざというときに迷いが生じて行動できなくなるからな」
「僕は柔軟になることを薦めてるんじゃなくて、広い視野を持てと言ってるんだ。受け入れるんじゃなくて色々な知識を持っとけ、てことだ。ていうか何の話だよ」
議論しながら伐採を続けたポテトの森は、残り数本になっていた。
時刻を確認すると12時40分、2時半からの授業はまだまだ先だ。
「まぁ、とにかく今度行ってみると良いよ」
「そうするよ。この目で真偽を確かめてやるさ」
「すいませーん、隣の席空いてますか?」
と、後ろからおっとりした女子の声が聞こえた。振り返ると料理の乗ったお盆を持つ女子が2人。1人はショートボブで癒しの電波が出てそうな子犬系の子で、こちらが声の主だろう。もう1人はふわふわの長髪と意志の強そうな瞳が印象的な白狼系の美人だ。後者には見覚えが、というか知り合いだ。彼女も気づいたらしく、プロのウェイターよろしく片手で器用にお盆を支え、僕に向かって指をさす。
「何でここであんたがご飯食べてるのよ!」
「おいおい、僕には学食で飯を食う権利もないのか」
「ええ、そうよ。あんたと同じ空間にいると、乙女の柔肌が腐食しちゃうわ」
この恐怖の毒吐き女の名は仁志真実、大学2年生で文学部に所属している。彼女とはサークルで出会ったが、何かと僕を敵視してくる。理由は聞いていない。明らかに自分のことを嫌ってる人に、なぜ自分を嫌うのか尋ねる勇者はいないだろう。だから友達とも仲間とも呼べず、『知り合い』の領域を脱しない。
「僕はそんな人間兵器だったのか。はいはい、今すぐ退散しますからどうぞ。行こう黒森」
僕と黒森が腰を上げて食器返却口に行こうとすると、
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。あんたなんで先週サークル休んだか聞かせなさいよ」
袖を掴んで止めてきた。腐食するのに自ら触るとは何事か。このように、発言と行動が一致しないことが多々ある。
「なんだ、部長から聞いてないのか。体調不良だったんだ、それじゃ」
「だから待ちなさいよ!まだポテトが残ってるじゃない」
「えーと、通訳するとね、真実ちゃんは一緒にご飯食べよ、て言ってるんだよ」
事の成り行きを傍観していた子犬系女子がゆっくり親切に翻訳してくれた。でもそれはたぶん誤訳だ。だって、仁志真実は顔をマグマみたいに真っ赤にしている。その色と表情から連想される感情は怒りだけだ。
彼女は黙ったままテーブルにお盆を置き、僕の隣の席に座る。
「ウチは体を腐食させる人よりも、食べ物を粗末にする人の方が許せないの。だから、そのジャガイモを育てた豊饒の土地、農家さんの努力、調理した食堂のおばさんに感謝して、最低80回は噛んでゆっくり味わいながら全部食べなさいよ。それまではここにいていいわ」
ときどき、彼女は基本的なことだけど忘れてしまう、大切なことを思い出させる。根は良いやつなのだろう。その雲の隙間から顔を出す太陽のような優しさは、心の奥を暖めてくれる。
「そうだな、ニシマミの言う通りだ。昔は当たり前みたいに守ってたルールなのにな。外見だけ成長して中身が劣化してるようじゃ、大人とは言えないよな」
「そうよ、分かればいいのよ、分かれば」
「ちょっと大変な2人だね」
苦笑いを浮かべて子犬系女子は言った。大変なのはニシマミだけで、僕は正常なはずだが。
「はぁ、ホントお前ってやつは……じゃあ、俺は部活の会議があるからまた後で」
「おう、じゃあな」
深いため息を残して黒森は食堂を後にした。
「あんた達、早く座って食べなさいよ。冷めると美味しさ半減よ」
「うん、そうするよ」
立ったままの2人はそれぞれ席に着く。女子2人はいただきます、と手を合わせてからご飯を食べ始めた。僕は残ったポテトをつまむ。
「あっ、そういえば自己紹介まだだったね。私は後藤丞子、気軽に丞子って呼んでね。よろしく」
「僕は」
「吉朗くんだよね。話は真実ちゃんからよく聞いてるよ」
「真実、余計なこと言わないで」
ニシマミは箸で丞子さんを指した。ビシッ、という効果音が聞こえてきそうな動きだった。
一体、僕のどんな話をしているのかを想像しかけたが、罵詈雑言を叫ぶニシマミが頭をよぎったので止めた。
「ねぇ、さっきの人は誰なのよ」
「黒森のことか?あいつは同じ学科の友達だよ」
「ふーん、あんたとは違ってかっこいい人ね」
「ああ、1年の時は化学科の成績優秀者だったし、部活ではエースだしね。それでも驕らないのが彼の凄いところで、努力分の結果が出てるだけで天才じゃない、て言い張るんだ。謙虚で努力家で、非の打ち所がない人間だ。ホント、能力が低いのに大して努力もしない、なんにも持ってない僕とは違って、かっこいい人間だよ」
惨めな気持ちが苦笑いを作らせた。言葉にしてみると、彼との差をまざまざと感じてしまった。
突然、腕に衝撃が走る。
「いてぇ!」
「何言ってるのよ、もっと自信持ちなさいよ!」
僕の腕に右拳が突き刺さっている。彼女の指の骨が肉に食い込んで痛い。
「な、なんだよ。ニシマミが言い出したんじゃないか」
「ウチがあんたを侮辱するのはいいけど、あんたは自分のことを誇りに思わないとダメよ。それに、あんたは人のいいところに気づけるじゃない。それができるうちは立派な人間よ」
できるうちは、というのが現実主義の彼女らしかった。
彼女は握られていた拳を解き、その手で箸を持って何事もなかったかのようにまた食べ始める。僕は彼女の横顔を見つめる。
「な、何よ。落ち着いて食べられないじゃない」
「ニシマミこそ立派だよ。嫌いな僕に対してもそういう声をかけてくれる。見習わなくちゃいけないけど、僕にはできそうにないことだ」
「急に褒めないでよ……って、え?」
箸をくわえたまま、ぽかんとした表情をこっちに向ける。ちょっとしたセクシーポーズに見えなくもない。
「えー、真実ちゃんって吉朗くんのこと嫌いなの?」
「そうだよ、僕と話すときは基本的に怒ってるし」
「……って吉朗くん言ってるけど。そうなの真実ちゃん、それでいいの真実ちゃん、どうするの真実ちゃん、このままじゃまずいよ真実ちゃん」
無邪気な笑顔をニシマミに向ける。しかし、裏に何かを隠していそうで不気味に見える。
ニシマミはうつむき、両手を太ももに置いて震えている。まるで噴火寸前の火山、完全に怒っている。その膨大なエネルギーの矛先は間違いなく僕だ。少しイスを引いて最悪の事態に備える。
「……ないわよ」
口から噴出する、と思われた言葉は1滴こぼれ落ちた程度で聞き取れなかった。
「え?」
「だから、別に嫌いじゃないわよ!ウチはあんたのことを友達とか、仲間くらいには思ってるわよ。でも、あくまでそこまでだから、調子に乗って勘違いしないでよね」
いつものように、はっきりとした口調で言った。その内容は意外だったが。ニシマミは僕のことを友達、仲間だと思ってくれていた。それなのに、僕の方は彼女をただの知り合い、冷たく乾燥した関係だと思っていた。
「ごめん」
「「えっ」」
「僕は勝手に、ニシマミは僕のことを嫌いだと思い込んでた。だから、ニシマミのことは友達とか仲間じゃなくて知り合い、淡白な関係だと思ってたんだ。今まで気づかなくてごめん……ってどうしたんだ!?」
彼女の目は赤く充血し、涙がたまって落ちる順番を待っていた。
「ち、違うわよ、別に泣いてなんかいないわよ!」
「誰も泣いてるの?って聞いてないよね」
「ウチの目は空気中の水蒸気を吸着しやすいだけだし!」
「そんな特殊な目は持ってないよね。素直に理由を言いなよ、真実ちゃん」
「うう、丞子のバカ……」
ニシマミは僕の方を向いたけど、視線は別のところへ向けた。
「あんたがいきなり謝ったりするから、その、あんたはウチに友達と思われるのが嫌なんだと思って、それで続きを聞いたら安心しちゃって涙が……じゃなくて空気中の水蒸気が集まりだしたのよ」
涙を落とさないように、細心の注意を払いながら抗議した。彼女のこんな顔は今まで見たことがない。
友達、仲間だと思ってくれていたこと、頑丈なようで脆弱なこと。今まで知らなかった真実を、今日だけで2つも知ることができた。何度も繰り返してきた憂鬱な週の始まりが、珍しくプレゼントをくれた。
「良かったね。全開とまではいかないけど、やっと心を開けたね」
丞子さんもなぜか涙ぐんでいる。
「なんで丞子が泣くのよ、ほらハンカチ」
「ありがとう」
「はぁー、なんか安心したらお腹空いちゃった。あんた、そば奢りなさいよ」
「なんで僕が奢らないといけないんだ。それにここのそばはお勧めできないな」
「自分の罪を理解してないようね。女の子の泣き顔を見るのは、本来なら禁錮2年ってところよ。それをそばで許してあげるんだから、感謝しなさいよね。じゃあ、行くわよ」
やっぱり泣き顔だったんじゃん、という言葉は飲み込む。彼女は立ち上がると僕の手を掴んだ。なかなか僕に向かって咲かせない笑顔を向けて。
その笑顔をかわいい、と思ったことは内緒だ。
お気に入り登録または評価してくださった方、ありがとうございます。僕が暮らす北の大地は夜の冷え込みが厳しくなってきましたが、皆様のおかげで心が温かくなり、最近では全裸で寝ています。ウソです。
全裸ついでに(?)最近のマイブームを聞いてください。
「あんたなんか必要ないわよ!」
「ごめん、君の言う通りだ」
「(張り合いの無さに困った表情をして)ちょっと、いつもみたいに言い返しなさいよ」
ていう三段目のツンデレ台詞です。物語の中でこういうやり取りが出てきたら「コイツ…」と思ってください。
次も日常パートになる予定です。というか、非日常なんてまだ1話もない気がする……
まったりのんびり読んであげてください。
ではまた次回!