それが彼女の個性なり
昨日は厚い雲が空を覆ったが、今日は太陽の独り舞台だ。快晴の空の下、僕は自転車をこいでいる。身体を吹き抜ける初夏の風が心地よいが、交通量が多いせいで排気ガス臭いのが残念だ。地元の新鮮な空気が懐かしい。
目的地に近づくにつれて人が多くなってきた。皆休日を満喫するのに必死なのだろう。しばらくは人の間を縫うように進んだが、ぶつかると危険だと思い、降りて進むことにした。途中、駐輪場があったので自転車を停め、軽くなった身体で騒がしい人混みの中を、迷うことなく目的地へと進んだ。
そして、到着。駅前通の中間くらいに、目的の店、ヴェッキオ古書店はあった。
昨日の夜、翌日の予定を考えていたが、読書家募集の広告に頭を侵食されて何も思いつかなかった。しかし、興味よりも恐怖の方が大きく、古書店には行けそうになかった。そこで、幸運であれば災難には遭わないだろうと考え、僕は賭けをした。コイントスで表が出て、サイコロを振って1の目が出て、よく切った52枚のトランプから1枚引いてスペードのエースが出て、さらに明日の天気が晴れだったら実行することにした。全て一回ずつ行った結果、コインは表、サイコロの目は1、トランプはスペードのエース、そして今日の天気は晴れだった。僕は興味に幸運を上乗せして、恐怖に打ち勝ったのだった。
―――というのが店に来た経緯である。
古書店はビルの間にひっそりと建っている。高いビルに挟まれている所為もあって、1階建てのそれはさらに小さく見える。外装は年季が入っていて、壁にもたれかかったら崩壊してしまいそうだ。その壁には名前のわからない植物が這い、錆びた看板は傾き、『ヴェッキオ古書店』の文字は擦れている。
古本屋は古い本を売る店なのだから、店自体を古くする必要はないのに、と思ってしまう。しかし、老朽過ぎて逆に目立つこの店に、今までなぜ気づかなかったのだろうか。単純に僕の観察力がないだけかもしれない。同類を求めて、今度黒森と仁志真実あたりに聞いてみよう。
歩道の端から観察していても誰も店に入らないし、1人も店から出てこない。ガラス張りのドアは固く閉ざされている。頻繁に人が出入りしていれば、恐怖を減じることができるのに。いくら今日の僕が幸運でも、恐怖は少ないに越したことはない。
数分の葛藤のあと、自分を信じて店に入ることにした。店に近づくと、中から男が1人出てきた。白髪頭、小太り、年齢は50歳くらいか。右手の中指には緑色の宝石の付いた指輪をはめている。男は僕と目が合うと、軽く会釈した。
「おや、この店に気がづいたのかい?」
男は穏やかな笑みを浮かべて言った。やはり、普通は気づかないほど存在感が希薄なのだろうか。
「はい、今日はなぜか気づけました」
「ここへは何しに?」
「アルバイトの広告を見て、働かせてもらおうと思って来ました」
男は目を見開き、口角をさらに上げる。
「おや、そういうことか。そしたら、私は君に感謝しなければならないね。いや、感謝されるべきなのかな」
「どういうことですか」
「いずれ必ず分かるよ。物語からの逃避は不可能だからね」
そう言って僕の横に並び、肩をぽんと叩いた。そして、そのまま歩みを進めて人混みの中へ消えてしまった。
男の発言は謎だらけで理解不能だった。だが、僕はこの店を利用する人がいることに安心した。あんなに穏やかそうな人が利用していることだし、真っ当な店だろう。
店のドアは思ったより軽く、吸い込まれるように店内に入る。
まず迎えてくれたのは、古本特有のにおいだ。嗅覚情報の後で目に飛び込んできたのは、魔術師の家さながらに薄暗く怪しい空間……ではなく、明るく現代的で一般的な本屋のそれだった。店の外装とのギャップでより新しく見えてしまう。本棚には、殴られたら気絶しそうなほど分厚い本が整然と並んでいる。
しかし静かだ。自分の足音以外は何も聞こえない。外の喧騒もここには届いていない。
客も店員もいない店内を右奥へと進む。ガラスケース、それに隣接してレジカウンターが設置してある。 ケースの中には、宝石の付いた指輪やブレスレットやネックレスが展示されている。この店は装飾品も売っているらしい。値札は付いていないが高そうだ。そういえば、店の外で出会った男も指輪をしていた。ここで買ったものだろうか。あの男、もしや金持ちか。
レジカウンターの中では、社長室にでもありそうな大型のイスが座する人を待っている。イスの後方にはドアが、そしてドアの隣、カウンター内の角には洞窟のように真っ暗な空間が口を開けている。別世界にでも繋がっていそうだ。
「すいませーん」
ドアの向こうにいると思われる店員を呼んだ。出てくるのはきっと、丸めた紙のようにしわくちゃな顔を持ち、地面に対して平行に腰を曲げた老人だろう。古書店の勝手なイメージはそんな感じだ。
ドアが開き、いよいよご対面。
「お待たせしました。当店に気づいていただき光栄です」
出てきたのは中学生くらいの少女だった。長い髪を宝石の付いた紐でツインテールにまとめ、笑顔がかわいらしい。賢そうな顔はどこかで見た気がする。茶色のエプロンが良く似合っている。折角の休日にお手伝いとは感心だ。
「読書家募集の広告を見たんだけど、店長いるかな」
「はい、つららが当店の店長です」
「うん、そのつららさんを連れてきてほしいんだ」
「お客様、つららがつららで店長です」
少女は自分を指差して早口言葉のように言った。僕の老人像にひびが入った。
「いやいやいや、僕の老人はどこに行ったんだ」
「よく分かりませんが、こちらをご覧ください」
少女は証拠と言わんばかりに首にぶら下げた、写真つきネームプレートを誇らしげに見せてくる。『ヴェッキオ古書店第十五代店長つらら』と書かれている。中学生がごっこ遊びをしているとは考えにくく、十分な信憑性が老人像を粉々に打ち砕いた。
「つららちゃんは……何なの?」
「む、つららのことは店長とお呼びください。それに質問が漠然としていてどう答えていいかわかりません」
「僕の中の店長は永遠に老人だから、呼称を変えるつもりはないよ。質問は変えよう、つららちゃんは何歳なの?」
「先ほどから先代の事を仰っているのでしょうか。まぁいいでしょう、その呼び方で結構です。つららは14歳、中学2年生です。本当はお姉ちゃんがこの店を継ぐ予定でしたが、つららの方が才能あるみたいで、つららが継ぐことになりました。先代の中にも十代で継いだ者が何人もいますので、それほど珍しいことではありません。どうしたんですか、そんな顔をなさって」
僕は文字通り開いた口が塞がらず、あごをだらしなく垂れさせていた。これほどしっかりした14歳がいていいのだろうか。この子に対して最初に抱いた感心は、尊敬に姿を変えていた。
「そうなんだ。ところで、学校はどうしてるの?」
「当店の営業日は土曜日と日曜日なので、普通に通っています」
中学生といえば遊びたい年頃。それなのに休日を返上して働いているのか。平日は勉強、休日は仕事。頭が上がらない。
「すごいな、つららちゃんは。僕にはとても真似できないよ。辛いこともたくさんあるだろうに」
何がおかしかったのか、彼女は声を出して笑う。
「今までそんな風に心配してくださった方は1人もいませんでした。この店の店長になるということは、機能になるのと同じですから。お客様は人を労われる、優しい方なんですね」
僕もそんな風に褒められたことがなく、なんだか照れくさくて目をそらす。中学生相手に情けない。
「ところで、ご用件は何でしょうか」
「あっ、そうだった。読書家募集の広告を見てここに来たんだけど」
「本当ですか!?今、読書家の方がいなくて困ってたところなんです。ありがとうございます!こちらの契約書の太線枠内にご記入ください」
一瞬のうちに契約書がカウンターの上に置かれ、ボールペンを差し出されていた。
「いや、まだ誰もやるとは言ってないよ。ちょっと読書家についての話が聞きたくて」
「そうですか、それでしたら実際に見てもらった方が早いですね。百聞は一見にしかずですから。少々お待ちください」
彼女は無駄のない動きでレジカウンターの下から古びた原稿用紙を1枚と指輪を1つ、最後にエプロンのポケットから虫眼鏡を1つ取り出した。そして、僕は指輪と虫眼鏡を手渡された。
「まず、この指輪を見てください。どこにも宝石が付いてないことが分かると思います」
「確かに付いてないね」
「それでは指輪を貸してください」
差し出された小さな手のひらに指輪を置く。
「こちらの原稿を読んでみてください。黙読で結構ですので、読み終わったらお知らせください」
そう言うと、指輪を両手で握って目を閉じてしまった。何が始まるのかよく分からなかったが、言われるがままに黙読した。
顔を上げて読み終わったことを告げようとするが、目の前の光景に言葉を失う。彼女の手の中から青い光が溢れ、店内の明るさに負けない輝きを放っている。光は次第に弱まり消えてしまった。
彼女は目を開けると、
「あれ、もう終わってるじゃないですか」
「ご、ごめん。驚いて言葉が出なかった。今のは一体何なんだ?」
彼女は僕の質問に答えず、虫眼鏡で指輪を観察する。よし、と満足そうな表情を浮かべる。
「できてます。どうぞ、ご覧になってください」
僕は虫眼鏡で再び指輪を見る。先ほどは何も無かったリングに、食塩1粒ほどしかない小さな青い宝石が輝いている。彼女の手から漏れた光の色とよく似ている。
何が起こったのかを頭の中で整理する。僕が黙読すると彼女の手の中が青く光り、その手に握られていた指輪に青い宝石が付いた。宝石は地下深くで特定の鉱物が成長して生成した物ではないのか。しかし、目の前の少女は科学では推し量れないことをやってのけた。まさか、これが魔法だとでも言うのか。鳥肌が立ったまま収まらない。
「青い宝石ができているのが分かりますか。その宝石は物語なんです」
「ちょっと待って。僕の脳は未知へ対処できないんだ。宝石は物語、ていうのは聞かなかったことにして、宝石ができた原理を教えてほしいな。科学が敗北しそうな匂いが凄くするんだけど」
「読書家の方は結果だけ知っていれば問題ないんですが、知りたいのなら教えましょう。未知を放棄しないことは人間の美徳ですし。
人は文を読んだり、絵を見たりすることで想像できます。今回は文をお読みになったので、特に文について説明します。リンゴをかじる、という文を見ればその姿を思い描くことができますね。これは誰でも自然に行っていることです。誰一人として同じ経験、知識、感性を持っていないので、同じ文を見たとしても想像は100人いれば100通りになります。そして、同じ物語を読んだとしても個人ごとに想像は異なり、脳内では似て非なる物語が構築されます。もちろん物語の提供者、作家の想像とも異なります。つまり、ある物語を読んだ人は自分でも気づかないうちに、脳内に独自の物語を宿していることになります。
ここまでは大丈夫でしょうか?」
「うーんと、まったく同じ思考パターンの人はこの世にいないから、同じ物語を読んでもそれぞれの頭の中では別の物語ができている、てことでいいかな」
「大正解です。
そうして個人の中には物語ができますが、ほとんどの人はそれを絵や文章に変換することができません。できたとしても、読んだ物語と似た部分もありますので、著作権侵害で訴えられてしまいます。そこで、ヴェッキオ古書店店長の出番になります。店長には人の脳から物語を抽出し、それを結晶化させて宝石にする力があります。また、脳外に出た物語は光と反応してまったく別の物語に変化します。化学反応みたいなものですね。
そして、宝石になった物語は作家へと渡ります。小説家や漫画家などの作家は、物語を文章や絵に変換できますから。もちろん全ての作家が宝石を利用しているわけではありませんが、4割くらいの方は創作に行き詰ったときなどに使用したことがあると思います。
最後は余談でしたが、大体分かりましたか」
なるほど、さっきドアの前で会った男は作家だったのか。読書家は物語の大元だから、彼は僕に感謝すると言ったんだ。逆に、感謝されると言ったのは給料のことだろう。
自分の知らないところでそんな世界が広がっているとは思わなかった。話を聞いただけなら疑うだろうが、事実を目撃してしまったから信じるほかない。
「つららちゃんは化け物なの?それとも魔女なの?」
「む、失礼ですね。全部聞いた後の質問がそれですか。この力はただの個性ですから、つららは普通の人間です」
彼女は不服そうに唇を尖らせた。人間じゃなければこんな表情できないか、と一安心。
「しかし、生きるために物語を作るわけじゃなくて、物語を作るために生きてるみたいだね。ある物を生産し続ける機械と同じだ」
「つららと作家はそれで良いんです。先ほど申し上げたように、つららは物語の抽出と変化、作家は変換を担当する機能に過ぎないんですから。心配しなくて大丈夫ですよ」
彼女は微笑んだが、無理して笑っているようには見えない。中学生にしてその思想、達観している。少女は見た目に反し、中身は仙人だ。
「それで、読書家になってくださいますか?」
彼女は懇願するように上目遣いで僕を見た。子供の期待には応えなければならないし、それを裏切れるほど僕の心は強くはない。
「うん。いつまでできるか分からないけど、僕なんかでよければやるよ。いや、読書家の仕事、ぜひ引き受けさせてください」
彼女の顔がみるみるうちに明るくなる。
「ありがとうございます!本当に助かります!」
彼女は腰を90度に曲げてお辞儀する。申し訳ない気持ちになり、僕も頭を下げ返す。
再び渡された契約書の空欄を埋め、来週の土曜日から仕事を始める約束をしてドアに向かう。
「それでは来週またお会いしましょう」
見送るためについてきた店長が手を振る。それに応えて何年か振りの『バイバイ』をした。
彼が帰った後、もう一度契約書を確認した。特に、名前と住所を入念にチェックした。
「やっぱりお姉ちゃんの言ってた人ですね。さすが姉妹、つらら達は良く似ています」
ため息と確信を1つずつ。よく話題に上がるあの人だ。まさか、その人が昨日の今日で来るとは思わなかったけど。
「でも安心してください。幸せになるのはお姉ちゃんですから」
お姉ちゃんに、最高のプレゼントを。
まず始めに、お気に入り登録してくださった方、ありがとうございます!感謝の極みでございます。
4話くらいで終わると思ってましたけど、なんか終わりそうにないです。でも、1000話はいかないです。僕の予言は良く当たるので安心してください。2年前も「今年は宝くじの一等を当てる人がいる」、て予言したら見事に的中しましたし。あー、でも2000年に予言した「100年以内に日本人横綱誕生」はまだ当たってないなぁ。
それではまた次回!