紋章
(あれは夢だったのかしら)
それから毎晩、ヴィッキーは暖かい布団にくるまれながら、町外れの森のある館のことを思い出した。
(殺人事件、だったのよね?)
だんだん恐怖に慣れはじめたのか、あの異常な出来事が普通の出来事に思え始める。
(たまたま人形を埋めていただけかも。そうよ、私が来るから恥ずかしくて埋めたんだわ。わざわざ埋めるなんて、いったいどんな人形かしら)
ふと、おかしい気持ちになって笑ったけれど、ヴィッキーは青白い手を思い出してぞっとした。雨の冷たい感触がよみがえった。
そうだ、あれは? と思って、机の引き出しの奥に隠していた、ブローチを取り出す。まばゆく光っていたそれは、鷹の形をしていた。王冠をかぶっている。
「ジャン・ペリーナ王の紋章……?」
学校からもらった「ジャン・ペリーナ地方の歴史」を取り出す。小学生の時にもらった本だけれど、もうじき高校だというのにちょっとまだ難しく思えるのは、ヴィッキーの頭が少し足りないせいだろうか。(彼女のランクはあまりよろしくない)
それでも好奇心がある時が学べる時で、何となくでも話は追えた。
「ジャン・ペリーナは別名『アダムのリンゴ』と呼ばれ、古代リンゴの産地でした。しかし国交が開けると各種のリンゴが入り込み、現在では外国産のボールドウィンの産地として確立されました。
この付近一帯は小国分立をしていましたが、領主がジャン・ペリーナになると統一され、ジャン・ペリーナは王になりました。付近でリンゴが栽培されるようになったのは、ジャン・ペリーナが好んだからだそうですよ。みなさんも街でとれたリンゴを食べたら、ジャン・ペリーナ王を思い出してみてください」
どうでもいい記述があるのは小学生向けだからか。
「ジャン・ペリーナ。偉大なる統治者」
つぶやくと、ヴィッキーは国の歴史を思い出した。
「東西を海に挟まれ、南北を細く他国と山でつながる我が国。その中央の山麓にジャン・ペリーナ地方はある。かつて小国として栄えたけれど、なんとかって言う海洋国家に攻められて、王国は滅んだのよ」
初めて聞いたとき、滅んだと言うワードがヴィッキーの胸をドキドキと高鳴らせたその悲しい歴史。哀切な響きがなぜか忘れられずに、おびえてその日は眠ったのだった。
「なんで攻めて来たんだろう」
「甘いリンゴが欲しかったんだよ」
「おとうさん」
「ああ、甘いリンゴが欲しい、エデンを追われたリンゴが欲しい」
父は酔っているようだった。
「ヴィッキー、おしえてくれよう」
バタン、と倒れると、父は泣き出した。
「なんでアンは死んだんだ。お前なんかを俺に残して」
「何よお前なんか、だなんて」
「お前なんかだ!」
がばっと起き上がり、父は叫んだ。
「俺のガキじゃない! 血もつながらないよそのガキを、俺に残して死にやがったんだよ!」
「お父さん!」
「うせろっ! うせやがれえええ」
急に暴れだし、そうかと思うと父はまた煙草を吸って、腰をおろした。
「出てけ」
言い放った言葉は、重たかった。
とぼとぼと、ヴィッキーは部屋を出る。
(なんだよ、あんな親父だったかなあ、つまらない、ちっぽけだ)
昔抱いてもらった広い大きな父の胸は、細くなった頼りない両腕に囲まれているし、小学校の運動会で走っていた立派なたくましかった足の投げ出されている。
(さよなら)
感傷に浸りながら玄関を出た時のことだった。
「君、ヴィッキーかい?」
「え?」
うつむいていた視線を上げると、長身の美男子と、筋肉質で帽子をかぶったひげ面が立っていた。
「行くよ」
ふたりは急にヴィッキーの腕を引っ張った。とっさに振りほどく。
「やだ。だれよ、なに?」
「もうすぐ警察が来る。逃げよう」
「警察って……、私なんにも悪いこと」
「あれを見たんでしょ?」
「あれ?」
はっとして、白い手袋が脳裏をよぎった。
「しらない、やだ、わたし」
足ががくがくし始める。
(こいつら私をさらう気だ。さらって殺す気なんだ)
紳士リックの怪しい微笑が見え隠れする。
そこへ、警官二人がやってくるのがみえた。
「お巡りサ……ンッ……」
叫ぼうと思った時、ヴィッキーはひげ面の男に唇を奪われた。茫然自失である。初めてのキスだった。
ぬらぬらとした感触、げえええ、と言う言葉で頭がいっぱいになっていると、警官がそれをみて首を傾げる。
「君たち、三人組かい?」
「はい」
イケメンが答える。
「ここのお嬢さんを迎えに来たんだけども」
たすけて……!
抱きしめられながらヴィッキーはムスクのにおいにくらくらして、息苦しくて叫べない。
家の庭の向こうにパトカーが止まっているんが、腕の隙間からかろうじて見えた。
(あそこまで行けば)
うかがっていると、後部座席に一人の男の姿を見つけた。
アッシュグレイの髪の、上品な紳士。
(ああっ!)
警察と、あのリックが一緒なのを見て、ヴィッキーは白い手袋がやはり運転手であったのだと確信した。
「殺される」
ヴィッキーはひげ面を見上げた。すぐにウィンクがかえってくる。
「この子はここの家のお嬢さんの友達でね、俺の妹だ。いないようだから帰る所だったんだ。じゃ」
「あ、話だけでも」
警官がたじろぐ。
「その子がヴィッキーですよ」
リックがパトカーから降りてくる。
「おいで、ヴィッキー」
「ヴィッキー」
ひげ面ががばっとヴィッキーを抱え上げ、美男子がリボルバーを取り出す。あっと叫ぶ警官を左足で回し蹴りすると、その流れの中で撃鉄を起こし、おろした足で1ステップを踏んでもう一人の肩を撃った。
そしてリックに照準を合わせると、「彼女を傷つけたくないだろうから、今はその右手に持っている銃を、使わないことをお勧めする」とゆっくりとささやいた。
「そうですね」
リックは小さな銃を隠し持っていたが、それを投げると、「必ず迎えに行くよ」とヴィッキーに、それは優雅に笑いかけた。
このとき、ヴィッキーは背筋が凍る思いであった。しかし思わずこう言っていた。
「殺人鬼!」
抱えて走られながら、肩越しにヴィッキーはずっと殺人鬼の顔が変わらないでいるのを見ていた。
ずっと、柔らかな笑顔が、張り付いていた。




