黒の師弟~チェス盤戦争~
先に謝っておきます。ごめんなさい!
黒と白。それぞれの陣営に別れ、キングを守り、己の願いの為に争う。ーーそれが『チェス盤戦争』
世界のど真ん中に巨大な空白地帯が存在する。そこはどこの国も干渉できない不可侵地帯であり、その地へ行くには各国に存在する白と黒の扉を通らねばならない。そしてその扉を通過できるのはこの『チェス盤戦争』に参加している者だけである。
互いのキングを追い詰め、チェックメイトされた陣営の負け。
勝った陣営には永遠の幸福が約束され、願い事が何でも一つ叶う。
ただし、負けた陣営は果てなき闇へ堕ち、世界の人々の絶望と呪いを一生浴び続ける事になる。
そして、この戦争に参加できるのは生涯にただ一度だけである。
いつから始まったのか、なぜ始まったのか諸説あるが、実際のところ誰も真実を知らない。そして誰一人、今までの戦争の勝敗を知る者もいない。
それでも人々は己の願いの為、全てを懸けてこの戦いに身を投じるのであった。
戦場は混迷を極めている。
その戦場で茶色の総髪に黒い瞳、そして黒陣営の証である黒で作られた僧正の僧衣に身を包んだ男が巨大なハンマーを振り回しながら声を上げる。
「ったく、こんなんじゃいつまで経っても終わんねぇ、だろっ」
「終わり、ますよっ! もうすぐ時間ですからっ」
男の傍らでメイスを手に華麗な立ち回りを見せる、肩口までの青い髪と桃色の瞳をした黒き歩兵の軍服姿の小柄な少女が答える。
「つってもなぁ、こう、ごちゃごちゃしてたらキリがねえ!」
「それは、そうですけどっ」
何気なく会話しながら戦っているが、状況は今だ嘗てないほどの混戦が行われている。
本来『チェス盤戦争』には沢山のルールが存在する。だが、何故か今までに無い状況に次々と陥ってしまい、最早ルールなど有って無い様な有り様だった。
「これの何処がチェスだっつーんだ!」
「この前チェス盤がいきなり崩れちゃったんですからっ、しょうがないじゃないですか! それに、少しは、行動制限あるみたいですよ、っと」
会話しながらも二人は周りにいる敵を行動不能にしていく。
この戦争で参加者が死ぬ事はない。何しろ敗者には死よりも大きな絶望が待っているのだから。
「ああああ! めんどくせぇ! いくぞ! 怪我したくねえ奴は逃げろ!!!」
そう言って男はハンマーを片手に持ち、空いた手に力を集中させる。
「は? ってダメです師しょ……」
少女が言い切る前に周りの空気が一転する。それに気付いた味方の多くがざわつき、安全な場所へ咄嗟に避難する。
男はハンマーを持つ方の腕で少女を抱え込み力の限り叫ぶ。
「これでも喰らってろぉぉぉ!!!」
「師匠ー!?」
少女の叫びも空しく空に男が呼び起こした雷が轟き、敵味方の区別なしに辺りに落ちるのだった。
「何を考えているんですか。 あんな状況で雷遣うなんて。」
無表情に淡々と、冷気すらも纏いながら少女は彼女が"師匠"と呼ぶ男に詰め寄っていた。
あれからすぐ、戦いの終わりの時間が来た。この『チェス盤戦争』では戦いの時間も決められている。その時間が来ると、強制的にこの砦ーーと言うよりも小ぶりの城ーーに転移させられる。
勝敗が決するまでは扉の外に出ることも出来ないのだが、この砦には必要なものは届けられ、食事やベッドメイク等もいつの間にか整えられており、外に出られなくとも大した不便を感じることもない。
そうして戻って来てすぐ、男は自室に戻る間もなく少女に捕まり説教されているのである。
「だって、なあ?」
「だってじゃありません。確かにあれで幾らか状況はましになりました。でも、味方にも負傷者は出たんですよ」
「……あー、それは、うん。謝ってくる」
「当然です。それはそうと、師匠?」
そう言った少女が微笑み、周囲の気温が一段と下がった。それまで野次馬よろしく二人を眺めていた者達も、そそくさと彼等の視界から姿を消す。
「これで、何度目ですか?」
口調は淡々としている分、少女が怒っていることがひしひしと伝わってくる。
「ん? 覚えてねぇなぁ」
それでも男は普段の調子で答える。
「覚えてない、ですか。そうですよね、後始末するのはいつも私ですもんね。師匠は適当に本人に口頭で謝って終わりですもんね。良いですよね普段からあっちこっちで無茶なお願い引き受けちゃってるお陰で妙に皆さん寛大ですし。でもそれも結局は私まで引っ張り出した挙げ句、後処理は私なんですし」
決して声を荒げる訳ではないのに男には少女の怒りが伝わってくる。勿論少女が怒ることは判っていた。だが、正直なところあの状況を打開する方法なんて他に思い付きもしなかったのだ。
(ま、面倒になったってのも本音なんだが……言わん方がいいな)
「聞いてるんですか、師匠?」
「あー、悪いな。お前は優秀な弟子だからついなぁ」
「ついで面倒事を持ってこないで下さい」
「まあ、そう言うなよ。な?」
まるで悪びれていない男の様子に少女はため息を溢す。
「で? さっきので怪我した奴らは?」
「重傷者は居ないので中庭で纏めて処置してもらってます」
「じゃあ、とりあえず行ってくるか」
「そうしてください」
男はそう言って立ち上がり歩き出すが、不意に立ち止まり少女に問いかけた。
「そう言えば……さっきの雷撃、一ヶ所だけ完全に遮断されたとこ、あったよな?」
「……はい」
「そうか。やっぱあの大鎌の騎兵だろうな。んじゃあ行ってくるわ」
男は片手を挙げ砦の中へ歩いていった。
建物の中を横切り、中庭で男が見たのは彼が想像していていたよりずいぶん少ない数の負傷者たちだった。
「お、可愛い弟子にこってり絞られたかー?」
そこにいた一人が男に気が付き声を掛ける。その言い草に周りの者達も笑い声を上げた。
「おお。無表情に怒られた。悪かったな。どうだ?」
「気にすんな、皆掠り傷だ。それにお前、一応怪我したくなけりゃ逃げろとか何とか叫んでただろ。あれで大体の奴は避難したぞ」
「俺が言うのは何か悪いが……逃げ足速ぇな」
「そりゃこんだけ戦ってりゃな。しかし、一体いつになったら終わるんだろうな」
その言葉に男だけでなく、その場にいた誰もが口をつぐむ。チェス盤が壊れて以降可笑しな事ばかりだ。
まず、戦場で行動不能に陥ればそのまま戦争が終わるまで戦闘に参加できないはずだった。しかし、あれ以降行動不能になった者も、翌日にはまた戦闘に参加出来るようになったのだ。
戦争中は参加者の出入りは不可能だったはずが、何故か王と将軍以外の駒の追加が行われた。それも二度も。お陰で戦場は今までにない混乱が起きてしまっている。
負傷や行動不能に陥っても翌日には回復するのだ。そんな状態で勝敗などつくのだろうかと言う不安が、参加者達の心に少しずつ陰を落とし始めているようなのだった。
最初は相手全員を一日で全員行動不能にすればと声を上げる者も居た。だが、二度の人員の追加と白の王の側に居る大鎌を持つ騎兵の存在でそれも不可能に近い事となってしまっているのだ。
大鎌の騎兵ーー大鎌を持つ天才的な結界師の存在はチェックメイトをかけるために今のところ一番大きな障害になるであろう人物である。
「あー、あの! そう言えばあの子は?」
沈黙に耐えられなくなったのか、一人の青年が男に質問する。青年は二度目の人員追加でここに来た歩兵だ。
「将軍の所だろ」
「え」
「そう言えば幼馴染みって言ってたっけ?」
そう引き取ったのは青年の隣に居た女性だった。彼女もまた歩兵である。彼女は男や少女達と共にこの地にやって来た。男以外の者との交流が極端に少ない少女とも、比較的話をしている姿を見かける。他のものに比べれば、だが。
「らしいな。ここで再会して随分驚いてたな」
「そ、そうなんですか……あの子、いつも冷静で落ち着いてるんで驚く所なんて想像出来ないです」
青年にそう言われて男は少し考える。
「冷静で落ち着いてると言うよりあれは人見知り拗らせてるんだよ。最初会った時なんて酷かったぞ?」
「そう言えば最初は随分警戒されてたわね、あたしたちも」
「あれでも俺と出会った時よりずとマシだって」
「あの、どのくらい一緒に居るんですか?」
「あー、そうだな……かれこれ七年近くなるか?」
「そんなに?あの子、まだ十六かそこらじゃないの?」
「ああ。最初に会ったときは本当にガキだったからな」
男は当時の事を思い出し、懐かしさと共になんとも形容しがたい苦々しい思いが沸き上がってくる。全てを拒絶するような、絶望を浮かべた瞳。衣服もぼろぼろに汚れ、その小さな身体には幾つもの傷ができていた。その手に今も愛用しているメイスだけを持って。
そんな姿で自分を弟子にして欲しいと言ってきたのだ。見るからに十に満たない娘が。少女の過去をすべて知っている訳ではないが、その姿と瞳で尋常で無いことはすぐに解った。だから何も聞かずに弟子にした。
出会ってすぐは完全な人間不信だった。今でもそう簡単に人に慣れない。ここに来て随分マシにはなったのだ。
少しでも人と交流して欲しい。年頃の娘なのだ、信頼できる友と呼べる者と出会えることができればいいと思い、色々なことに引きずり込んでみているのだが。
(俺への対応がどんどんキツくなっていってるだけだったりしてな)
そんな事を思っていた時である。後ろから聞き慣れた足音が聞こえてきた。
「師匠」
呼び掛けられて振り向けば案の定件の少女が居た。ここへ来てから思いの外時間が経っていたようだ。
「おう、どうした?」
「将軍が師匠を探してました」
「そうか。あいつは?」
「渡すものがあるって言ってたので先に部屋に」
「解った」
返事をして男は立ち上がる。
「じゃあ行くわ。悪かったな」
「気にすんなって。あの時はあれでマシな状況になったんだ」
最初に男に声をかけた人物がそう答える。それを見た少女が頭を下げた。
「すみません。近くに居たのに師匠を止められませんでした」
「嬢ちゃんが気にすることじゃねえって。それにあの状況じゃしょうがねえよ。そいつも一応、一声かけてくれた訳だしな」
「はい。ありがとうございます」
そう言われて少女は素直に礼を言う。少女と長年一緒にいる男からすれば、こうな風に素直に礼を言えるようになっただけ大人になったのかとしみじみと思う。以前なら、良くて男の後ろから相手を窺うように顔を出し、会釈する程度だっただろう。
それほどまでに人間を警戒していた。
「そうだ、嬢ちゃん」
「はい?」
「前から聞こうと思ってたんだが、嬢ちゃんは何で戦争に参加したんだ?」
「……運命を……運命を変えたいんです」
少女は何処か遠くを見るように答えた。
「運命?」
「はい。運命を変えて……師匠との縁を切ってやろうと思いまして」
それまで無表情がだった少女が、男が今まで見た中で一番いい笑顔でそう言いきったのだった。
できれば石投げないで下さい…