帰ってくれない浦島太郎
昔々、ある漁村に浦島太郎という男がいた。
太郎は、ちょっとばかり怠け者だが、気の優しい男であった。
母親と二人で村の外れの家に住んでいる。
今日も村の漁師は皆漁に出ているのに、出遅れた太郎は浜辺をぶらぶらと歩いていた。
すると少し離れたところで村の子供たちが、亀をいじめて遊んでいた。
「おいおい、よさないか。そんなに亀をいじめてはかわいそうだろう」
「あ、太郎だ。また寝坊して漁に出る船に乗りそびれたな」
「えー、それはいいから亀を放してあげなさい」
「やだね!金をくれたら、放してやってもいいけど」
最近の子供は大人の言うことを聞かない。
仕方なく太郎は、なけなしの小遣いから子供に金を払った。
「ちぇっ、しけてんの。太郎だからしょうがないか」
捨て台詞を吐き、子供たちは去って行った。
太郎は、いじめられていた亀を見やる。
「助けていただき、ありがとうございました。このご恩は忘れません。
近いうちに必ずご恩返しをいたします」
そう言った亀が海へと帰って行くのを太郎は見送った。
しばらく変わり映えのない日が続いた。
太郎は寝坊しなければ、知り合いの漁師に船に乗せてもらって魚を捕る。
今日はあいにく寝坊した。母に怒られた。
ぶらぶらとまた浜辺を散策していると、そこへこの間助けた亀が現れた。
「やあ、お前はこの間の亀だね。どうしたんだい?また子供に捕まってしまうよ。早く海へお帰り」
亀は短い首を振った。
「いえいえ、今日は恩人の太郎様をお迎えに来たのです。
先日、竜宮城に戻って、太郎様に助けていただいた話をしました。
そうしたら乙姫様がぜひお礼をしたいとおっしゃって、それでお迎えに来ました」
「それは、嬉しいけどどうやって竜宮城とやらに行くの?」
「私がお連れします。どうぞ私の背に乗ってください」
亀は、太郎に乗るように言ったが、太郎はさらに亀に質問した。
「竜宮城って海の中だろう? 俺、溺れてしまうんじゃない?」
「ご心配なく。竜宮城の秘宝、『海中でも息ができる金魚鉢』を持ってまいりました。これを被れば、問題ありません。さあ、どうぞ背にお乗りください」
亀の勧めるまま、金魚鉢を被った太郎は亀の背にまたがった。
亀はスイスイと海中を泳いでゆく。
目の前をタイやヒラメが泳いでゆく姿が面白かった。
周りの様子に目をひかれているうちに、竜宮城に着いた。
立派な門構えに太郎は目を丸くする。少し気おくれがしたが、
「さあさあ、こちらへどうぞ。乙姫様もお待ちかねでございます」
そう亀に言われて、乙姫の待つ竜宮城の宴会場に連れてこられてしまった。
まばゆい明かりに、美しい侍女たち。
豪華な部屋に、たくさんのごちそうが並んでいる。
奥の方の席にひときわ美しい人がいた。
目のくらむような衣装もすごいが、乙姫様自身も太郎が見たことがないような美女だった。
ぼーっとして立ちすくんでいた太郎は、亀に促されて乙姫の側に座った。
「先日は、私の家来、亀太を助けて下さり、ありがとうございました。
お礼に太郎様をおもてなししたいと、ご招待しました。
どうぞご存分にお楽しみください」
侍女たちは、早速お酌をしたり、歌や踊りを披露してくれる。
太郎は、こんな豪華な食事は見たことがない。歌や踊りもせいぜい村祭りで見る程度だ。
舞い踊る侍女たちの美しさに見とれ、夢心地である。
毎日もてなされているうちに、帰るのを忘れた。
亀太がそれとなく、
「ご家族には、どれくらい留守にするって言ってきたんですか?」
と聞いても
「大丈夫! 少しくらい俺がいなくても、母ちゃんなら一人でやっていけるし」
と言って帰ろうとする様子はない。
朝から侍女たちと戯れ、豪華な食事や酒を堪能し、太郎は家のことも村のことも忘れて、楽しんでいる。
亀太はそろそろ帰ったほうが良いのではないかと、頭を抱えていた。
「乙姫様ぁ、恩人ですからおもてなししましたけれど、太郎様は、いつまでここにいるつもりなんでしょう? いっこうに帰る気配はありませんし、毎日のごちそうの費用もかさんできて、最近は家宰様にも嫌味を言われます。
どうしたらいいでしょう?」
「落ち着きなさい、亀太。私がそれとなく太郎様に聞いてみます」
その日、乙姫も久しぶりに太郎の宴に参加した。
そんなに毎日付き合ってもいられないので、最初だけしか、もてなしの宴には出ていなかったのだ。
太郎はご機嫌に酔っぱらっていた。
侍女たちと一緒に踊っている。
乙姫はため息をつき、太郎を呼んだ。
「太郎様、お楽しみのところ恐縮ですが、そろそろ村にお帰りになったらいかがでしょう?」
それとなく聞くはずが、直球で聞いてきた。
乙姫に遠慮という概念はない。
「あ、すみません。居心地がよくてつい長居をしてしまいました。
そろそろ家に帰った方がいいですかね? 俺としては、まだ名残惜しいのですが……」
引き留めてもらいたい下心が透けて見える。
しかし乙姫はきっぱりと言った。
「やはり一度おうちに帰られた方がいいかと思います。ご家族のことも心配でしょう? お母さまが一人で待っていらっしゃるとか」
母親のことを忘れて浮かれていたので、太郎は少々後ろめたい。
乙姫に言われたとおり、一旦帰ることになった。
一旦と思っているのは、太郎一人だが。
「この箱をお土産にお渡しします。でも絶対に開けてはなりませんよ」
行きと同じように亀太の背に乗り、金魚鉢を被った太郎は、故郷の村へと送り届けてもらった。
久しぶりの帰宅である。
母親に怒られるかなと思いながら、家に向かうと、あったはずの場所に家がない。
慌てて隣の家の者に、ここにあった家はどうなったのか聞くが、隣家の人たちもわからない。
ここはずっと前から空き地で家もなかったと言う。
そう言えば、この隣人たちにも太郎は見覚えがない。知らない人たちだ。
そのあと太郎は、親戚、友人の家を尋ね歩いたが、太郎のことを知っている人はいなかった。
村の様子も以前とは違う景色に見えた。
困り果てて、太郎は菩提寺の和尚のところへ行くことにした。
和尚なら、万が一誰かが死んだり、村を出て行けば、知らせが届くだろう。
そう思って訪ねたが、すでに菩提寺の和尚は、太郎の知っていた年寄りの和尚ではなかった。
それでも何かわかるのではと、自分の家や母親のことを聞いてみる。
「あそこに家があったのは、相当昔ではないかのう。わしがここの和尚になってから、あそこに住んでいた者はいないぞ。親戚もずっと前にこの村から出て行ったのではないかな。お前の言うようなものは、ここ数十年見たことがない」
太郎は狐に騙されたような気持ちで、和尚の話を聞いていた。
「では、俺が竜宮城に行っている間に、皆いなくなってしまったのか……」
「竜宮城? 詳しく話してみなさい」
太郎が今までのことをすべて和尚に話すと、和尚は少し納得したような顔になった。
「ところでお前さんはいつの生まれかね?」
太郎が生まれた年を告げると、和尚が大体のことがわかったと言う。
「お前が竜宮城に行ってから、数百年がたっている。気の毒だが、母親ももう死んでしまったのじゃろう。だから家もなくなっているのじゃ。知り合いも親戚もいないのは、そういうわけじゃ。残念じゃが……」
太郎は呆然として、やがてふらふらと境内に出た。
「こんなことならもっと早く、竜宮城から帰ってくればよかった……
いや、竜宮城に行かなければ……母ちゃん、ごめん。親不孝だった……」
太郎は、泣いた。母親を一人で逝かせてしまった。
後悔にさいなまれていると、ふと乙姫からもらった玉手箱が目に入った。
「この箱は、絶対に開けてはなりませんよ」
そう言われて渡されたものだ。
ダメだと言われるとやってしまう人間がいる。
太郎もそうだった。
やけくそになっている太郎は、もうどうでもいいと思い、玉手箱を開けた。
すると、玉手箱の中から白い煙がもくもくとわいてきた。
煙は太郎を包み込み、やがて消えた。
なんだか、体中あちらこちらが痛い。
どうしたのだろう。
よっこらしょと立ち上がり、自分の手を見て驚いた。
しわしわの老人の手になっている。
境内を見回せば、手水場の水桶があった。
自分の顔を映してみた。
そこには、よぼよぼの老人の顔が映っていた。
「はは……俺も爺になったか……どうせ誰もいない……
遊び暮らした付けだな。
長生きしたって仕方ない。これならもうじきお迎えが来るだろう」
太郎は、とぼとぼと浜辺の方へ向かって行った。
何日か経ち、誰も身元を知らない老人が浜辺で亡くなっていた。
手には見事な玉手箱を持ったまま……
それを隠れて見ていた亀太がぽつりとつぶやいた。
「だから早く帰った方がいいって言ったのに。
こんなことになるとは、こっちも思わなかったよ。
これで家宰様から嫌味を言われなくなるんだろうけど」




