その一
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本来の自分に立ち戻るというのは急に崇高な善人に変貌する事ではありません。また突然自分が理想とする立派な人間となり遂せる事でもありません。そういう倫理的人格的な程度の飛躍とは関係無しに自分固有の価値観に戻るという事です。他の人達に言われ教えられた価値観に倣った歴史を捨て、その上に立って為した行為を後悔し、『本当にこれで良いのだろうか』と疑念に満ちながら下した判断を今改めて否定する事です。そして真実の自分であれば斯く判断し行動した、そういう基準に沿って今から自分自身を営む事です。
本来の自分として生きた期間だけ、人には頼るに値する、自分自身を支えるに足る歴史が積み上がります。言い換えればそうでない指針で生きた時にはそういうものが形成されないという事です。これは恐ろしい事です。殊に人生の後半になって人の生きてきた歴史はその人の正気を保つ為に必須のものになります。それを欠く者が正気を失います。しっかり積み上げて下さい。無しでは済まされません。自分自身の為にです。
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笑えるもの、人が喋る言葉でもまた書いた文章でも、そういうものは慥かに笑えて面白いのですが、それっきりです。後に何も残りません。自分は本当にこれで良いのかと考えさせる事も、何度も思い返してその度に生きる勇気をくれる事も、その何かとひき比べて『私は何という阿呆なんだ』と恥じ入る事もさせてくれません。その場限りで消えてしまうのです。恰も自分がそれに接する事をしなかったかの如くに。
多分、智慧の深い人はこれさえも恐ろしがるでしょう。自分のその『体験』というのがあってもなくても何も違わないものだったという事。これは自分が生きている時間を完璧に無駄にしているという事なのですから。その同じ時間で或る人は生涯続く自分が生きる理由を獲得していますし、また別の人は他の人を励まして命を与えています。この『差』に慄くのです。それが一生分積み重なってそれで両者の運命に根本的な違い劇的な差異が生まれてこない方が不思議でしょう。
時間を無駄にしない、意味を深く問えば実に恐るべき領域にまで入っていく観点です。そのまま魂の死活の分岐です。焦る必要はありませんが落ち着く必要があります。極めてあります。そうではありませんか。
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昔、私がまだ若い頃に、夢で何故か私のもとを離れない女性が居ました。髪が長く、少し俯いていて、淋しそうに笑っているのです。割と背が高かったです。すらりと長身で腕は細かったです。私はこの女性を大切にしたいと思いました。喜ばせてあげたいと思いました。でも、どうしたら良いのか判りません。
十分です。最早この夢だけで私には十分なのです。何が十分なのか。それはまた今度、お話しますね。
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何を考え或いは想っても全く形にならない時には、素直にさぼりましょう。
「うおおおーっ、私は実は根性無しだった。へろへろの性根無しだった。思っていたより俗物だった。今にも落雷が私を直撃し、この無価値な私に『生きる必要無し』とて天誅を降すやも知れぬ。そうであっても、何もおかしくはない」
そう思ってまた別の不安を覚えるかも知れませんが、大体が斯んな事を思う人間は自分に対して厳格に過ぎ、真面目に過ぎるのです。その調子で自分自身に容赦しない暮らしが続くと本当に心を病みます。そしてこれは私の経験から言うのですが、人の生活には自分を責め立てて決して容赦してはならない部分と、そこまで厳格に制限しなくても可い方面があるのです。この区別を付けられずに全部をぎゅうぎゅうに締め付けるとその人は軈て発狂します。その心根は善いのですが、まあ謂わば『方法を間違っている』訳ですね。
あなたは疲れたからといって弱い者虐めなどしないでしょう。また同様にそれを理由として痴漢を働いたりしないでしょう。斯かる真正の『卑劣』に自分が近付かぬ為には厳格さのみで正しいと私も思います。しかし人に優しくする事、簡単にその値打を見積もらぬ事、忍耐強く善い結果を待ち続ける事、これらは自己に対して厳格なだけでは実現しません。その情熱の由来として別のものが必要です。それは自分が愛され大切に想われていると知っている事、謂うなれば大いなるものの慈悲慈愛の中に居る自覚をもっている事です。そしてそれは自己に対して厳格なだけでは気が付く事が出来ません。落ち着いて心鎮まった者で居る時間が必要です。私はあなたにそういう『冷静』を知ってほしいのです。
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