ある病院にて。誰かの転生物語の序章
誰かの、どこかの、物語。その序章。
ある国のある都市のある病院にて。
「ねぇ先輩。303号室の瀬田さん。また抜け出したんじゃないんですかぁ。2階で見ましたよ」
と、ナースセンターに入ってきたのは私の後輩看護婦。
「え、また?」私は、思わず驚いてしまった。瀬田さんとは、入院患者の瀬田望くんの事だ。
彼は、重い病気を患っているが、度々病室を抜け出してしまうのだ。
「水野さん。あなた瀬田さんの担当なんだから。あまり、目を離さないように」
看護婦長が、私に釘を刺した。
「は、はい。連れ戻します!」
私は、急いでナースセンターを出た。
私は、水野みゆき。この病院に勤めている看護婦。勤めて3年になるが、望くんは中々困った患者さんなのだ。でも、彼は。
さて、2階で見たって言ってたっけ・・・。
水野みゆきがセンターを出た後、後輩と看護婦長はこんな会話をした。
「あのう。瀬田さんって末期ガンなんですよね。本人は知ってるんですか」
休憩中らしく、菓子を摘まみながら後輩は聞いた。
「知ってると思うわ。先生から余命を伝えられているはずだもの」
机で物書きしながら淡々と答えた看護婦長。
「やっぱり。儚いと言うかスゥと消えてしまいそうな雰囲気ですよね、彼。噂になってましたもん」
後輩は、どこか呑気そう。
「どんな?」
看護婦長は、顔を上げて聞いた。
「彼、施設育ちで家族や家がない。本来なら実家に戻るはずが病院内で半ば野放し。つまりは、と」
「なるほどね。ま、間違いじゃないわ。野放しって表現は良くないけど」
「すみません。でも、迷惑をかけなければ自由って感じですよね。でも、身投げしてほしくはない。だから」
後輩の言葉を、遮り看護婦長は話す。
「だから、水野さんに任せているじゃない。病室で小説を読んでいるみたいだけど、中にはファンタジーな本を良く読んでるみたいだから。フラッと。ね」
「かわいそうですよね。まだ十代なのに・・・」
『もう。どこに行ったのよ』
私は、早足で2階の廊下を探していた。しかし、見つからない。
私は、とりあえず階段に向かった。下か上か。
その時、上から声を掛けられた。
「あ、水野さん。あの。屋上に行きたいんだけど」
瀬田望くんその人だった。
私は思わず、怒ってしまった。
「望くん!あんまり出歩かないで。用があるならコールしてって言ってるでしょ」
「ご、ごめんなさい。でもさ。天気が良いし今日は調子が良いんだ。それに見てよ」
私の顔を見て咄嗟に謝る彼だったが、笑顔になって私にあるものを見せた。
それは、小さいが綺麗な花束だった。
「可愛らしいわね。どうしたの?」
「へへへっ。屋上で話すね」
屋上など危険だ。ダメ!と言うつもりだったが、今の彼はとても嬉しそうだ。
私は、そんな望くんを見るのは初めてかもしれない。今まで虚ろで消えてしまいそうな感じだったから。
「・・・。分かったわ。鍵を取りに行ってくるから」
「ヤッタ!じゃあ先行ってる」
嬉しげに駆けていく背中を見つめた後、私は、鍵を保管しているナースセンターへ引き返した。
「すみません。屋上の鍵をお借りしたいのですが」
私は、ナースセンターに入って婦長に許可を取る。
婦長は、少し考えた後、こう返した。
「・・・許可します。何かあればすぐにトランシーバーで」
「了解です」
私は、鍵の保管庫を開けて、鍵とレシーバーを取り出す。
患者が屋上に行くには、看護婦同伴かつトランシーバーによる随時連絡が条件となっているのだ。
「先輩も大変ですねぇ。王子様のお守り」
休憩中らしい後輩がスナック菓子をつまみながら言った。まるで他人事だ。
「ホントよ。代わってほしいくらい。でも」
「でも?」
「放っとけないのよね。目を離すと、消えてしまいそうで・・・」
「先輩」
私はつい、遠くを見ていたようだ。後輩の声で我に返る。
「何?」
後輩は、まっすぐ私を見つめていた。そして一言。
「惚れてます?」
パシッ。
「イタ。はたかなくても良いじゃないですか」
「あんたが要らん事言うからでしょ」
私が望くんを?それは違う!・・・と思う。
後輩は、てへへと頭を擦りながら舌をペロッと出した後、手を振った。
「ま、頑張ってください」
「うん。じゃあね」
私は、手を振り返し屋上へ向かった。
「お待たせ。って。ちょ。だ、大丈夫?やっぱりやめましょう」
屋上の扉の前に到着した私を待っていたのは、苦しそうに荒い呼吸をしている望くんだった。
私はすかさず彼の背中を擦り、婦長と連絡を取ろうとしたが、望くんに止められてしまった。
胸元をギュッと掴んでいた手を離し無理に笑った。
「だ、大丈夫、だから。早く」
そう扉の錠前を見やる。
やめるべきな気がするが、何だか彼がいたたまれない。
私は錠前を外し、扉を開けた。
「じゃあ、そこのベンチに」
「ねぇ?向こうじゃダメ?」
と、端の方を指差す。
「だめよ。危ないもの」
景色がよく見えるかもしれないが、落ちでもしたら一大事。 今の彼なら飛び降りかねない。
「はい」
望くんは、少し残念な顔をしたが素直に聞いてくれた。
「よろしい」
私は、万が一に備えてトランシーバーを掴む。
その時、心地よい風が吹いた。
干してあるシーツがパタパタとたなびく。
「ああ!」
瀬田くんが天を仰いで喜んだ。本当に良い天気。
病室に閉じ込められるよりこうして外の空気を感じるのは良いことだと思う。
いつだったか。前に、シーツがそよいでまるで泳いでいるみたいだから、水の中にいる気がするからだよ。と、彼は言っていた。
確かにそう見えるかも。
私は、質問した。
「そうそう。その花束は?」
「うん。迷子の女の子を病室へ送ったら、もらった」
そう言って、花束を見せてくれた。
「へぇー。手作りね。その女の子が作ったのかしら?」
「うん。ママにって作ったって。何か悪いことした気がするよ」
「そんな事ない。あなたは良いことをしたの」
「そうかな」
「そうよ。私だったら、花束はまた作れるから良いって思うわ。でも、この瞬間は今しかないから、あなたに何かお礼がしたくて渡したのよ」
「そっか。良かった」
「どうして場所が分かったの?」
「丁度、下の階だったからね。女の子の声がたまに聞こえてきたんだ。もしかしてって」
「ああ。あのご家族さんなんだ。いつもお父さんと面会に来るみたいね」
私もよく知らないが、奥さんが重病で旦那さんが家事をしているらしい。
受付の子が、日に日に、やつれてるって言ってたっけ。
「でも、その時は一人で来たって。だから迷ったらしい」
「あなたに出会えて良かったわね。その子」
「病室に着いた時は、ピョンピョン喜んでたよ」
望くんは、頭を掻いて、はにかんだ。
そうよ。彼はもっと人と関わらなくちゃ。
だからこそ、彼は病室を度々抜け出たのか?誰かと関わりたいために。
私は、ふと思いだし、もうひとつ質問した。
「望くん。最近は、本読まないね。あれだけ好きだったのに」
「それね。結局、誰かの妄想だって分かったんだ」
なるほど。ようやく気づいてくれたんだ。
残りの時間を「想像」でなく「体験」で過ごした方が充実する気がしてたから。
望くんは、前を向いたんだ。私は、そう感じた。
「そうね。読書じゃない君の好きな事をするべきだと思うわ」
私の言葉に彼は頷き、答えた。
「だから。こうやって屋上に来たんだ」
うんうん。ん?
私は疑問を感じた。そうだけどそうじゃない、と。
もっとこう。水族館や動物園に行きたいとか、綺麗な景色が見に行きたいとか。
私が問う前に、逆に問われた。
「ねぇ。異世界ってあると思う?」
「なぁに。急に」
しかし、彼は真面目だった。冗談を言っている様子はない。
私が答えあぐねていると、彼は言った。
「頭の中で誰かが呼んでいるんだ。此処じゃないどこかで。水の中を魚と共に妖精が飛び回ってる。でも息ができる場所。その向こうには・・・」
その先を、私は制した。
「待って!それは夢よ。それこそ妄想よ。目を覚まして」
私は、彼の両肩を掴み顔を見た。
「いけない。もう行かなきゃ」
すると、突風が吹き、何かが覆い被さった。
「キャッ」
干してあるシーツが風で飛び、私に被さったのだ。
何とかシーツを剥がして周りを見るが、ベンチには私しか居なかった。
向こうをみると、彼が正に飛び降りんばかりに走っていた。
私は、トランシーバーを持ちながら追った。
「待って!待ってよ!あの、水野です!婦長!婦長!?」
しかし、トランシーバーからは雑音しか聞こえないし彼は答えない。
「ええぃ!」私は、走りに集中した。
屋上は、それほど広くないはずだが追い付けない。病弱な望くんとは思えない速さだ。
そして彼は、両手を広げ、躊躇せずに飛び降りた。
ウソ!そんな、まさか。
落ちる彼が、まるでスローモーションがかかったかのように、ゆっくり落ちていき、そして見えなくなった。
間に合え!
私は無我夢中に手を伸ばす。
しかし、間に合わずに手は空を掴む。
勢いそのまま、私は屋上から身を乗り出した。
すると再び突風が吹き、今度は竜巻のように吹き上がり花びらが舞い上った。
突風と非常事態から、思わず目を瞑る。
なんて事。私は、彼を止められなかった。
「くっ。ううぅ」
悔しさと情けなさが込み上げてくる。
眼下には、彼だったものが・・・。
「センバァ~イ。何してるんですかぁ?危ないですよぉ。シーツは私が取っときますからぁ」
と、場違いな程明るい声が響いた。
えっ!?と、目を開けると、下にはおぞましい光景が、無い。
「そこに誰かいない?」
と、私は後輩に聞いた。
「え。私以外には・・・このシーツくらいですね」
後輩の掲げる白いシーツに、私は一瞬目眩を感じた。
彼はどこに行ったのか。確かに飛び降りるのを見たはずだ。シーツと見間違えたのか?
私は、起き上がり扉の方へ向かう。
すると、婦長がやって来た。
「もう。シーツ回収にいつまでかかってるの?今日は突風が吹くからって、あなたが言い出したのよ」
「?」
「それに、癖だからってトランシーバーまで持ち出して」
「あの、婦長」
「言い訳しない!それが終わったら空きの303号室を掃除するわよ。新しい患者さんが入るのだから」
あれ?それは、彼の病室じゃ・・・彼?
彼って誰の事?私は、今まで何をしてた?
誰かと話をしてた気がする。けど、分からない。
ふと手を開くと、花びらを握りしめていた。
何?これ。
「いいわね!」
「え、あ、ハイ!」怒る婦長に、思わず花びらを捨てた。
それから私はシーツを回収した後、303号室を掃除し業務に戻った。
終
試験的に書いた短編です。




