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第39話 主従招客

 開封屋の組合を訪れた頃は徐々に上りつつあった太陽も、疲弊しきった世夏達の目が覚める頃には、落ちるまで秒読みである。


「おはよう、師匠。傷は治ったか?」

「うむ。大体な」

「あれでも治るんだ」

「ただの傷はいける」

「致命傷じゃなくてよかった」

「ただの致命傷なら問題ない」


 師匠は妖力を込められた物による外傷でなければ、基本的に処置を怠り放置する。擦り傷なども、最初は小言を挟んでいた世夏だが、だらだらと言い合っているうちに完治してみせるので、最近はそういった事はなかった。


「それで、何処か行くのか?」

「とりあえず、温泉?」


 世夏はタオルを取り出しに収納へ向かう。何枚持っていくか考えつつも、頭に思い浮かんだのは顔を曇らせる師匠だった。のぼせるのが嫌なのか、世夏の後ろをついてはくるが、初日のように率先して突っ込んでいくことは無くなった。


「なら、先に行ってるぞ」

「入りたくないなら……え?」


 予想外の返事に聞き返す。世夏が振り向いた先には既に戸を開く幼女の姿が。


「いやに話を聞かないと思ったら、今度は聞き分けがいいな」


 師匠の耳に届いているかは分からないが、もう一組のタオルを取り出し、声に出した。世夏の相棒が部屋の外に消えると、ちらっと昨日のことが頭に浮かぶ。

 自他の力量を天秤にかけるのは分かる。ただ、今回は自分か他者か、それ自体を気にかける時間もそこまでない。

 それにしても、あまり師匠を待たせると駄々をこねるのは明白なので、切り上げて世夏は部屋を後にする。


「こんな時でも受付にいるんですね」

「住み込みですので。連れの方が歩いていきましたよ」

「あ、ありがとうございます。なんだか、このやり取りしばらくぶりな気が……」

「いつも世夏様がお連れの方を引っ張ってきますからね」


 受付の人に言われて、世夏は再認識した。今まで、世夏が師匠を連れ回すことはあるが、師匠にどこか連れてかれたことはない。それにしても、受付の人はよく物を見ている。この宿にはどういった客がいるかさえ知らないのに。世夏は簡潔に挨拶を交わすと外へと足を運んだ。


「歳星号、もうちょっとの辛抱だから、一段落してから家に帰ろう。お前も人の姿になれたらなー」


 一緒に入浴する訳にはいかないので、世夏は感触を確かめるように、歳星の鼻先に触れる。世夏が離れると、名残惜しそうに歳星が低い声で鳴いた。


「師匠、のぼせてないか?」


 世夏は近場に師匠がいないことに気付き、湯けむりの中、水面を掻き分けるように進んでいく。


「師匠と……」


 相変わらず不思議な場所だ。宿についている温泉にしては外観から想像できないくらい、奥に広い。ようやく師匠を見つけると、世夏が絶句した。肩まで浸かる師匠の横に、この場所で世夏が一度だけ遭遇したことのある男がいた。


「おば……師匠、そんな何もないところで何してるんだ?」

「おばけではな――」

「見えてません!」


 妖相手の時と違い、民間療法のような対策を講じる世夏。


「なぜ頑なに俺の存在を無視する」

「この温泉は入った人と関係する人しか入れないって」

「世夏、落ち着け」


 師匠が世夏を制したと思えば、温泉の中に顔を沈めてぶくぶくと泡を立てる。そろそろ空気も吐ききったかというところで顔を上げて、一言。


「おそらく、こいつは私の縁者だ」

「なんで師匠の……客と見なされたら誰でも良いのか?」


 宿の利用者によって、異なる空間に招かれるという温泉。基本的に他の客人がいつ入っているのか知らないが、最初の例外を除けば世夏と師匠が水入らずで使っている。そのため、こっそり世夏は先代滞在客のナニカが残っているのだと思っていた。


「師匠もなんで自信がないんだ。気休めはいらないぞ」

「私も昔の事はよく覚えておらぬ」

「具体的には?」

「貴様と旅をする前」

「なんだって!?」


 世夏にしてみれば、あの性格で知らない人に従って動いていた事に驚きだったが、混乱した頭で考え直した。おそらく、逆だ。本人も元の性格を知らないまま、唯一信頼の置ける者の側に付いていたのだ。世夏と同じように。


「師匠は、俺の従鬼なのか?」

「それは間違いない。だが、それだけだ」


 世夏は視界がふらつくような錯覚を感じ、額に手の甲を当てて思案する。


「貴様の手前、弱みを見せる訳にはいかないと思っていた」


 師匠の記憶の始まりから、ずっと二人で旅をしてきた。それは世夏も同じである。この街に着いてからは別々に行動をすることも増えた。世夏が不安だった裏で、師匠もお互いの事が心配だった。


「先に言っておく。妖と祓いの関係する事件は複雑で、危険なものだ。今度こそ記憶だけでは済まないかもしれんぞ」


 今回の騒動を、師匠は妖の絡んだ事件だと考えている。だからこそ、余計なリスクを負わず、静観するつもりであった。


「師匠……俺のわがままに付き合わせてごめん。だけど、記憶を失ったきっかけも忘れちゃったけど、今度こそ引き際は分かる筈じゃないか? いや、師匠だけは守るよ」


 師匠は言葉をさぐるが結局浮かばず、代わりに抗議の眼差しを世夏に送る。


「……図太いやつだな」

「褒めるなよ」

「分かった。優先順位がおかしい。私や貴様は一人で生きてる訳ではないのだ。妖にそこまで仲間意識はないが、我々は主従だ。お前が教えた筈だ」

「けなせとは言ってない」


 そもそも主従となった当時の記憶は二人にはないが、世夏の方から覚えてないだろうとは言えない雰囲気だ。


「ところで……というのも失礼ですが、あなたのことはなんて呼べば良いんでしょうか」


 区切りのついたところで、真剣に師匠を見守っていた男に世夏が話しかける。


「温泉の亡霊、とか」

「やっぱりおばけじゃないか!」

「知らんおっさんと茶番をするな」


 久しぶりに、脱線しかけた世夏の会話に師匠が釘を刺す。


「何か知ってたら教えてほしいけど」

「お前らが言ってる今の事件はそもそも分からん。ということで隣星、なぜ今更招いた? 用でも思い出したのか?」

「いや、入ったら出てきた」


 意図的なものではなかったらしい。温泉自体もほんの数回しか使ってないので、たまたま出てくる時を引いたのだろうか。しかし、世夏は最初の頃を思い返すと、一つ思い当たる節があった。


「確か……初めて来たときだけ、師匠が先に入ってぶっ倒れてたんだよな」

「床で涼んでただけだ」

「すれてるな、隣星」

「私が言うのもおかしいが、貴様は何を言っている」


 世夏の目には、心なしか師匠の顔が赤くなっている気がする。今度こそのぼせないうちに引き上げさせたいのだが、世夏はもう少し二人のやり取りを見ていたかった。


「それよりもなぜここに拘る?」

「うろついても良いが、胡仰藍邸の地下に心を惹かれるナニカがあって迂闊に動けない」

「ナニカですか。怖いものじゃないですよね?」


 地縛霊などは土地に囚われるものとして代表的だが、祓いの邸宅には人ならざるものを引き潮のように誘う呪具でもあるのかもしれない。


「この特別な空間がシェルターみたく機能している訳か」

「ただ、最近その気配が無くなったんで、羽を伸ばしてみようと思ってたらお前らが来た……うむ」


 話の途中、この場の三人は閃いた。タイミングを考えれば、今回の事件と関係している可能性は大いにある。


「師匠!」

「真相はまだ分かってないだろ。それより、貴様……昔持ってた不思議な水はあるか……」

「師匠がぶっ倒れる!」

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