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第38話 翠梨の始末書教室

 門を越え、足を踏み入れてみれば、いつもの晴流傘である。しかし、朝早くということを差し引いても人影がない。李雨旋も何処かに行ってしまった。


「急いでいるのかもしれないけど、全然待ってくれないな」

「そういえば、依頼はどう報告します? 一応退治人の李雨旋さんと、開封屋の世夏さんが倒した訳ですが」

「近くに開封屋組合があるのだ、そこに寄って不都合があれば土地師の方にでも行くぞ」


 組合の目前に位置する大看板の周りは、水を打ったように静まり返っている。むき出しの石畳と誰の目にも映らない依頼が一行を出迎えてくれる。しかし、みんな疲れと眠気が蓄積し、早朝の情緒を感じるどころではない。


「誰かいますかー?」

「そんなギクシャクしないでも……」


 そもそも鍵が掛かっていたら終わりなのだが、なんと組合の扉は開いていた。泥棒に入る訳でもないのに急に挙動不審ぎみに動きを硬くする世夏を、後ろから立炉木が見守る。


「よく来た、こんな時に」


 心ここにあらずと言った声で迎えられる。声の主はカウンターの奥で、筆を走らせていた。


「翠梨さん?」

「……世夏か? 色々と早いな! 依頼は成功したか?」

「ええ、無事に」


 翠梨は筆を投げるように机に転がし、書いていた何かを端に追いやり、やや過剰なくらい歓迎してくれた。しかし、依頼達成を伝えると肩を落とす。


「それより今は……って、なんで悲しそうなんですか」

「まずはそれから話そう」


 この街の事を最初に聞きたかったのだが、もしかしたら依頼の成否が今回の事件に関わってくる可能性もある。一行は、固唾をのんで翠梨の言葉を待つ。


「お前が依頼を成功させると、俺の給料が減るんだ」

「……は? どういうことですか?」


 面食らって素の声が出てしまい、敬語で言い直す世夏だが、かえってキツい口調でダメ押ししてるように聞こえた。


「えー、前に俺がここを抜けて会いに行っただろ? その時に、入れ違いで依頼重複の通知が来てたらしく、責任を問われている」

「翠梨さんが来たのって出発直前ですし、入れ違いでも間に合ってないとは思いますけど。受け取った人が来ればよかったのに」

「本来二人で勤務する時間だったが、同僚に受付を任せていて、席を外せなかったんだ」

「あら……」


 立炉木は、世夏か翠梨が再び話し始めるのを待つ。時間にすれば一瞬だが、完全なる沈黙に違和感を覚え、口を開く。


「え、終わりですか?」


 立炉木に頷いて返す翠梨。これまでのいきさつを振り返る為、再び数秒固まった。


「ホントにただの貴様の失敗談ではないか」

「俺もここまで説明する気はなかったよ……。ま、今は他に誰もいないしな」


 組合内にいるのは、世夏と立炉木に師匠、そして翠梨の四人だけである。歳星号は、建物の前で話がつくのを待っている。


「めちゃくちゃ出勤が早いんですね」

「こんな時間から始まる職場があってたまるか。言っとくが、いつもは閉まってるからな」


 夜は明けたとはいえ、この時間帯ならまだ寝てる人も少なくない。こんな朝から応対するのは翠梨にとっても予想外だったようだ。


「非常事態で原則出歩き禁止だ。俺がいるのは、反省書は家じゃ書く気にならんからだ」


 同僚の目がない翠梨は、いつもより自由奔放に見える。原則を簡単に踏み倒していく彼に、世夏がふとした疑問を投げる。


「それ、翠梨さんってよく書くんですか?」

「まさか。勤めて長いが三枚目だ」


 世夏は翠梨の言葉に考え込む。師匠はあくびを噛み殺している。立炉木には世夏が何を考えているか何となく分かった。聞いたは良いものの、平均が全く分からない。


「世夏さん、今は非常事態の方を聞きましょうよ!」


 いつもの長話に持ち込まれると、いよいよ意識が保てるか分からない。待ちかねた立炉木が口を開く。


「胡仰藍が門下と共に詠煙と詠玖を襲撃したらしい」

「人を襲ったんですか!?」

「奴は晴流傘全体を祓いが掌握出来ると思ってるのかもな。その後、何人かの祓いを束ねて屋敷に籠り、今に至る」


 大仙墟で聞いた通り、騒動の中心には胡仰藍がいるらしい。晴流傘北の層――霊体や妖気を認識出来ない一般人達から独立し、あわよくば支配しようとでも考えているのだろうか。


「この件を片付けるまで街を塞き止めてるのか? 慎重で何よりだ」

「呪術三家の残る一人もまだこの街に帰って来てはない。詳細な意図は不明、協力者も未知数。祓いが総出でかかっても容易には仕留められんだろうな」

「相手は人ですよ!?」

「生け捕りで済むなら越したことは無いが、どうかな。三日後には決行らしいが、奴の屋敷には近付くなよ。俺は言ったからな!」


 世夏にしては珍しく、返事なく後にする。それは事件に対する落胆からか、それとも別の理由があるのかは分からない。


「ありがとうございました、翠梨さん。ちなみに、土地師組合って立ち入り可能ですかね?」


 逃げてきた人の話だと、土地師組合の北側でも悲鳴が聞こえたと言っていた。仮に封鎖されていたら訪ね損になってしまう。


「今は行くだけ無駄かもな。詠煙が組合にいた所を胡仰藍と王深徳が襲撃したらしいし。たく、あいつがミスらなければ、依頼もこんがらず、俺も始末書を書かずに……いや、これは言い訳か」

「成る程です、お邪魔しましたー」


 立炉木も外に出ると、世夏と師匠が誰もいない掲示板の前で話していた。


「ほらみろ、何も全くわからんまま。まー、李雨旋が上手くやってくれるんじゃないか。奴の実力はもう見ただろ」

「上手くやるってなんだよ。みんなおかしいよ」

「いちいち言葉に噛みつくな。何をする気か知らんが、一回寝ておけ」

「……立炉木」

「は、はい?」


 世夏と師匠のやりとりから、何か飛び火してこないか立炉木は身構える。


「長旅お疲れ様。今回も助けられたよ。俺と別れても、不用意な外出は控えるんだぞ」

「え、自分は別に、用事もないですし……」

「それなら良かった。家に帰ったらすぐに寝そうだ」

「だから言ったんだ」

「師匠だって今日は機嫌悪いだろ。早く帰ろう」


 根本的に世夏と立炉木は文句を言う合うような仲では無い。それでも、依頼以外で踏み込むことがーー友人として、何か頼ってくることはないのだと、感じてしまう。自分が少し期待されたかっただけなのかもしれない。


「世夏さんも、師匠さんもお疲れさまです、また今度」

「じゃあな、立炉木」

「案内ご苦労だった。今回の旅は中々悪くなかったぞ」


 別れの言葉と共に、世夏と師匠は宿へ帰っていく。


「何かするなら、協力するって言えるのにな……」


 立炉木には世夏の考えていることは分からないが、あの性格的に絶対に何か起こそうとする筈だ。きっと、記憶を無くす前からお人好しだったのだろう。それこそ、傲慢な新米土地師と、初めての依頼を受けてくれるような。


「こういう時、由木代さんならどうするだろう……」


 立炉木は子供のように目を擦ると、憧れの人の姿を思い浮かべる。最近は殆ど考えなくなっていたが、何を信じれば良いのか分からない時は、いつも自分が別の誰かになったつもりで振る舞っていた。


「いや、普通に家で寝るだろうな。それからは……」


 立炉木は眠気のあまり深く息を吸うと、面倒くさい考え事は一旦置いておくことにした。

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