第22話 胡の余興
先程とはうって変わって大衆向けの薄い笑顔を作る胡仰藍。その奥から、四肢を左右交互に動かして、妖が気怠げに姿を現す。あれを見たら成馬ですら子供のように思えそうだ。もし、お開きになって誰も手懐ける事が出来なかったら、屋敷の扉は外して通る羽目になるだろう。
「こいつは割と気性が荒い方でして。この場でいざ、と言う人がいれば名乗り上げて下さい」
犯人の自白を待つように静まりかえった広間で、門下達の視線だけが慌ただしくやり取りを行う。自分の代わりを任せようとする者、陣を黄金に染めた世夏に期待する者、尊敬する存在がそこまで自分を気に掛けていないと知り、取り乱す者。
痺れを切らしたのは、先程世夏を嘲る術士達を一蹴した彼だった。李と呼ばれた男は、仕方無さそうに手櫛で髪を梳くと、酒の匂いを気にして口元を手の平で包んで軽く息を吹いた。彼の処理が疎かな無精髭が隠れていれば、二十代にも見て取れる。
「胡仰藍さん、行かせて貰っても? 」
「結局李雨旋ですか。お願いしますよ」
胡仰藍はステージから客席へ降りるように、広間を横断して世夏の隣へ着いた。その反対では、仏頂面で師匠が服の裾を引いていた。
「彼は優れた破病術士ですよ。皮肉と思われるので、面と向かって術士は褒めませんけどね」
胡仰藍は、今度は世夏一人に向けた笑みを溢す。
「この屋敷、主人の性格の悪さにそぐわず酒が旨いな」
「話が合わない時の為にも、色々手段はあるんです」
用意ではなく、手段なのか。穏便なのは話し合いの内だけなんだろうな。段々祓いのやり口が分かってきた世夏。ようやく寿司が喉を通る。
「あ、寿司美味しい……」
「どうせなら李雨旋の事も見てやって下さいね」
胡仰藍の言葉で、世夏の視線は口元から名前も知らないその他の門下を飛び越え、広間の中央へ移る。
李雨旋はまさに今、仕掛けに出る所だった。彼はやる気の感じられなかった眼を見開き、妖のを覆う様に掌を向ける。
「凶なる者、五臓を巡り、不幸を拾い、今一度現れよ」
妖は敵対する意思を感じ取ったのか、目標を彼に定めて駆け出す。途中、画鋲でも踏み抜いたように大きくよろめく。
「これは破術とやらか」
「門下になれば何時かは知れますよ」
苦しそうに唸りながら、それでも妖の巨躯は進み続ける。
「李さん大丈夫なんですか? 全然ぶつかりそうですけど」
「ま、いけるんじゃないです?」
「いい加減過ぎます!」
突然招待をしてきたと思えば、このような面倒を引き起こす。胡仰藍のどの程度まで考えているのか分からない適当さに、世夏が思わず立ち上がった。しかし、何か策がある訳でもない。
「沈め!」
妖が李雨旋の酒気を感じられる程まで近付いた時、彼は横殴りに腹を打った。流石に無理だと思われたのも束の間、妖は強引に人を避けようとした馬車のように、横転して後ろへ流れていった。景気良く机や人を幾らか巻き込んで転がる巨体は、壁に受け止められた。
「……ほら、言ったでしょ? 胆力、あり過ぎて……ウケます」
「胡仰藍さん! 珍しくツボに入ってないで説明してください!」
まさしくショーでも観ているかのように、笑いを抑えきれない胡仰藍。しかし、世夏はまだ安心して良いのかも分からず、胡仰藍の肩を揺さぶる。
「この血を受けて、私に従え……」
この戦いの当人は、転倒した妖の口に自らの手を押し当て、何らかの呪詛を唱えている。介入する者が誰もいないのは、日常茶飯事なのか、怯えているだけなのか。考える世夏に対し、ようやく胡仰藍が口を出す。
「あれは従礼の儀と言いまして、妖が受け入れれば従鬼になってくれるんですよ」
「受け入れなかったらどうなるんですか?」
「彼の事だし、また殴り合うんじゃないですかね」
そう言うと、胡仰藍はまた口元を服の裾で押さえる。宴とは、大人を狂わせるのだろうか。今回の一件の中では、世夏にとっては有益な学びを得た。
「李雨旋殿が妖を従えになられた」
「さすが胡仰藍様に次ぐ一門の実力者だ……」
広間の一部が妖によって深刻な被害を受けているが、門下の視界には媚びる対象しか映らないらしい。この戦いを無事に生き延びた寿司桶に群がる男共と……師匠。
「いや、食欲……」
「酔っ払いは抑えが効きませんからね。いやあ、被害が最小限に済んで良かったです。定期的に見たくなるんですよね、李雨旋の術は」
「李雨旋さんの腕っぷし、じゃないですか?」
これを最小限と言うのなら、始めから前提が間違っている気がしないでもない世夏。実際これが目的だったのなら、世夏の常識とは最初から前提が異なっているとも言えるが。
「見るもの見たしお開きにしましょう。片付けには時間が掛かりそうですしね」
「胡仰藍さん、こいつはどうすれば?」
「後で外の小屋に繋いでおいて下さい」
妖を連れた李雨旋が世夏を一瞥する。彼の興味がある、という意思以外がまるで分からない、短い間であったが。
世夏が李雨旋に気を取られている内に、胡仰藍はすたすたと広間の真ん中に歩き出す。屋敷の有り様などまるで気にしていない様子で、思わず感心してしまう。
「宴もたけなわでありますが、今日はそろそろ終らせて頂きます。少し気が引けた方もいるかは分かりませんが、今回のは特別元気な一体でありました。後日準備が出来ましたら、是非とも皆さんに従えて貰いたく存じます」
「あれより弱いってんなら俺でも行けるか……?」
「胡仰藍様、一番大人しいのお願いしますよー!」
宴が始まるより大きな拍手が飛び交う。無責任な門下達に混ざり、師匠も満足げに声を上げていた。
「師匠……当分外食は無しだな」
好き勝手騒ぐ大人達を見て、世夏は親の飲み会に連れてこられた子供のように不貞腐れていた。




