第19話 神木
詠煙が閉じられた隠し扉を確認すると、正面に向かうソファに腰掛ける。
「入れ」
「失礼します……詠煙様、神木の庭が荒らされています」
「荒らされる? どういう状況だ」
壊痛術の門下生のようだ。詠煙の部屋の扉を叩いた為、こちらに移動して応じたという所か。
詠煙に問われると、男は言い澱む。
「その、木々が折られています……何本かは幹から」
「拝火塵姫は……分かった、見に行く。世夏、付いてきてくれ」
促されるまま、一行は部屋を出て階下へと降りる。館の奥には庭があり、木々が生い茂る。小さい山の一部も彼女らの敷地となっているらしい。
「ここが火儀の森。年に一度、拝火塵姫の素材を取る場所だ」
「火事には気を付けろよ?」
「うわ! 地面の一部が泥みたいになってますよ」
運悪く、世夏が踏み出した先は靴が沈み込み、湿り気とちょっとした不快感を覚えた。
「泥? 詳しく見せて」
詠玖がその場にしゃがみこんで、足元を確かめる。他の乾いた地面と見比べているようだ。
世夏もそれに倣ってみると、この泥のようなものはそもそも周りと異なる何かにも見える。
「これ……胡仰藍のやり口に酷似している。一度破壊した拝火塵姫の再生能力を破病の水術で阻害しているな」
胡仰藍が、人の物に危害を加える様に振る舞ったのか? 確かにいい迷惑な退治人だったが、世夏は信じたくなかった。その様子は、師匠だけでなく詠煙や詠玖の目にも落ち込んで見えた。
祓いの迫害や退治人と開封屋の確執についての話を聞いた後だと、いつも以上に気が重くなる。
「……ああ、最近胡仰藍から大量に拝火塵姫を借りたいと申し出があったな。その時の担当は、確か……」
詠煙の言葉を遮るようにして、森の奥から悲鳴が聞こえる。
「急ぐぞ。詠煙」
息つく間もなく、出所へと駆けていく詠玖を世夏達が追い掛ける。
「師匠、先に状況を確認してきてくれないか?」
「私なら不測の事態に遭っても良いと? しょうがないな……」
世夏の言葉に溜め息を吐きつつ、師匠が本来の姿を表す。金羊が先頭を切る詠玖を追い越し、森の深くへと消えた。
「あ! あの風穴の中じゃないか?」
一行が師匠を追い掛けていくと、山肌の間に隙間のように出来た穴を見つけた。冷気が漂う入り口で、世夏には分かる、とある痕跡が残されていた。
「金の体毛……やっぱりこの中みたいです、急ぎましょう!」
「いや、その前にはっきりしておくべき事がある」
急ぎ中に足を踏み入れようとする世夏を、詠煙が静止する。その視線は最初に報告をした男に向けられていた。
「数日前に胡仰藍へ式を届けるのはお前の役目だったが、当日に別の奴に交代したな」
式の場合は従鬼と違い、主従の縛りが緩いのだろうか。少なくとも、世夏が師匠を誰かに預ける事は絶対に無いだろう。
「お前らグルか?」
敵意の込もった瞳で詠煙が男を睨み付ける。世夏は目線が自分に合わせられていない事に心から安堵した。もっと言えば、詠煙の部下ではなくて本当に良かった。
「わ、私はただ業務を代わってやると言われ……サボるのは歓迎ですが、理由が無かったので体調不良って事で……」
男の申し開きを聞き、詠煙は深い溜め息を吐いた。再び彼を見る眼差しは、ただ呆れた様子であり、世夏も他人の事ながら小さく息を漏らした。
「直前に交代したのは覚えているが、一体どいつだったか」
「代わった奴は留遊。面を被った女性の従鬼を連れてる筈だ」
詠玖が答える。いつの間にか、門下の男は存在感を出さぬよう、世夏の後ろでじっとしている。
「留遊……誰だったか。これと言った特徴が見えてこないな」
「師匠が待ってます、早く行きましょう!」
ようやく落ち着いたと思ったら、目の前の客人が詠煙を急かしたものなので、門下の男が目を丸くしていたが、その様子は誰にも気付かれる事はなかった。
世夏は師匠だし大丈夫だとは思いつつ、師匠の体毛を見付けた時から、ずっと安否を気にしていたのだ。
「――しかし、ここら辺は特に泥が多いな」
時折足を取られるそれに少々不満を感じたのか、洞窟に入る前に詠煙が懐を探り、何かが描かれた紙を取り出す。それは、広げると彼女の上半身を丸々覆い隠す程の大きさだった。
「詠煙、もう少し下だ」
何をするんだと思っていると、見知らぬ陣が書かれた面を下に向け、詠煙が大きく息を吸った。
「フッ! 気合いを入れろ!」
陣の裏面に詠煙が息を吹き掛けると、風が陣を通してすり替わったかのように、表から炎が吹き上がる。
まるで地面を焼きつける様で、世夏は燃え広がらないかが心配だった。詠玖はいつから持っていたのか、ランタンを取り出してしゃがんでいる。
「ちょっと待って」
世夏が急かすに急かせず一人焦っているのも束の間、詠玖が立ち上がる。
「……よし、行くか」
詠煙が用いた陣を素早く畳み直し、詠玖からランタンを手渡された。そのまま一行を率いて暗闇へ足を踏み入れる。入り口には、未だ湿ったままではあるものの、固まろうと僅か集まる灰塵が残された。
「足元には気を付けろよ」
洞窟内は空気が冷え、初夏といえども肌寒い。
「詠煙さんって火を吹きながら歩けないんですか?」
「考えた事は無いし閉所だからやらん」
世夏の思い付きは一瞬で却下された。
「正面、何か見えない?」
詠玖の声に気を取り直して前方を向く。確かに目を凝らしてみると、少し明るいようにも見える。
「早く行きましょう!」
「おいおい、足元に注意しろと」
「奥が明るいので大丈……やばっ!」
駆けていく世夏が詠煙に注意された瞬間、大きめの岩に蹴つまずいて前によろめくが、壁に手を付き何とか持ちこたえる。
「言った瞬間引っ掛かるとは」
「そう言うとこも、嫌いじゃないよ……」
詠玖が誰にも聞こえないような声で呟いた。
「師匠、どうせここだろ! 来たぞ!」
「世夏……待ちくたびれたわ」
「今日の師匠は待ってて偉いな」
「目の前に集中しろ馬鹿者が。気を抜ける段階ではない」
洞窟の奥は開けた空間となっており、周りを照らしていたのは地面に置かれた蝋燭だった。無造作に明かりとしての目的を果たす為に有る訳ではなく、下に描かれた五芒星の頂点に配置されている。
そして、その奥には茶色い着物の男性がいる。どうやら門下生はこれを着るのが決まりらしい。ただ、あろうことか、何者かに前を塞がれている。耳が縦長で、ビーチボール程の胴体を持つ、ムササビの様な妖である。その妖は、全長より長い尻尾だけでバランスをとっている様だ。
「こいつは?」
「ぞろぞろ増えてきちまった! そこどいてくれないか? こいつ殺すのやめるからさー」
壁にもたれていた奥の男は妖に持ち上げられて、うめき声をあげる。ただ座っていたかに見えたが、気絶していたのだろうか。詠煙らに気付くと喚き出した。
「助けてくれ! こいつに命を狙われているんだ」
「木々を折ったのはお前じゃないのか? 随分都合が良いな」
「そうそう、俺はこの術士に命令されて神木を折った……筈だったのによー」
妖が男を取り落とす。
「こいつが勘違いしてただけで、なんの効力もないただの大木じゃねーか。数本ばかし折ったり枯らしたりしたが、まるで無駄だったぜ」
「嘘だ! 壊痛術士の一門は神木のお陰で成り立っている! だから門下の手に渡るのを抑えているんだ!」
さっきの姿勢は何処へやら、この男の思惑が見えてきた。自身の属する一門への不信感から、詠煙が神木と称するこの森の木々に特別な意味があると勘違いしたようだ。
「馬鹿だな。そのような考えだから妖に足元を掬われる、のだ!」
妖に詠煙が紙札を投げる。額部分に付いたその札の端に火が着いた。
「お、おー。怖い怖い」
「火術が効かない……?」
その火は、妖に燃え移ることなく、札のみが焼けて消し炭となった。詠煙が得意とする火術は、流石に対策してきたらしい。
「もう二度と当たってやらねー!」
「こいつ……中々すばしっこいな」
不意討ちを弾かれた後、何度か紙札を飛ばすが、続く紙術による攻撃は妖の身体を捉える事が出来ない。
詠煙を尻目に、この妖相手には師匠も動きかねている。この姿で使用する火吐きは効かず、上が狭い洞窟で巨人になって暴れるのはそれなりにリスクがある。だが、世夏は違った。小さな声で詠煙に問い掛ける。
「身動きをとれなくすれば何とかなりますかね」
「足止めできるのか?」
世夏の申し出に詠煙が聞き返す。軽く頷くと、懐から出した無数の紙札をばら蒔き、五芒星の周りを丸く囲みこむ。それは蝋燭を巻き込み、円の様に火が燃え移る。
「詠玖、合わせる準備をしておけ」
続いて世夏は、五芒星の頂点に紙人形を放り込み、呪詛を唱える。
「縁を手繰り厄を束ねよ」
五点にて紙が燃え、ワイヤーを通しているかのように対象へ向け、火が迸る。素早く紙術を避けていた妖でも、追従する五本の鎖から逃げる事は出来ず、縛り付けられ地面に臥せる。
「良いぞ、世夏」
「待て! 俺を滅すればこの男も死ぬぞ!」
「何だって!?」
「うっしゃ!」
そんな事は聞いていない。思わず世夏が声を荒げる。すると、妖は術が緩んだ事を利用し身体を抜かす。
「手が掛かるな、お前は!」
「ギャッ!」
逃げ出そうとした妖を、すぐさま師匠が噛み付いて捕らえ直す。まもなく妖は、さっきの一瞬こそ自由になる唯一の機会だった事を知る。
「行くぞ、詠玖!」
「これで終わりだよ」
詠煙と詠煙、二人の投げる札が妖に直撃した。師匠は咄嗟に口から離すが、男の呼んだ妖はどうする事も叶わない。洞窟に悲鳴を響かせ、今度こそ紙札もろとも塵となった。
「詰めが甘いぞ。あいつはそもそも妖との契約に失敗してるのだ。それに、そこまで重い契約を結ぶ度胸も無さそうだしな」
師匠が金羊の姿をやめて、いつもの子供姿で世夏の前に登場する。世夏が何か言葉を発する前に、視界の中での違和感に気が付いた。
「あれ、その妖と契約をし損なった男がいないぞ!」
世夏の声を背中に受けつつ、洞窟の入り口付近にて、一心不乱に走っている男の姿があった。
「ふざけてる、この一門も、この生業も! わざわざ命を危険にさらして人に嫌われて何になるんだ! もうこんな場所もこんな結末もどうでもいい! 俺は被害者だ!」
入り口を通して外が見える。息も絶え絶えだが、まだまだ逃げ切るには距離を稼がねばならない。
「な、なんだ……洞窟を抜けた途端えらくぬかるんでるぞ……本当、ムカついてく……は、拝火塵姫!? なんでここに!?」
動きの鈍くなった男の前で、泥が隆起し、立ち上がる様にその姿が形成されていく。その身体の出来映えを確かめる様に前後に揺れる式は、むくんでいる事が少し不満に感じたのか、自身の頬にあたる部分を強めに叩く。
「ど、どけよ詠煙の奴隷め!」
ここで更に男の思い違いが起こる。生成された拝火塵姫は一体ではなかったのだ。後方から、別の一体が覆い被さるように男を羽交い締めにする。
「うお、な、離れろ!」
「ご苦労様、愛しの可愛い子……お前ら、なんかちょっと大きくないか?」
「そんな事どうでもいいでしょ。聞きたい事聞いて金銭毟って破門する」
洞窟にいた一行が男に追い付いた。何処までも冷酷な詠玖が、詠煙を制して話し始める。
「胡仰藍の術は何? どういう取引をしたの?」
「何様のつもりだ……ぐおおお!」
「無駄な事は良いから話して。壊痛術で人を壊さないのって難しいの。私が間違って壊すまで学ばないつもり?」
今までの喚き声より遥かに大きい声を上げて苦しむ男性。世夏はまた、対象が自分でない事に心から安堵している。
「胡仰藍の術は、元から目を付けていた……体よく接触する機会があったから、そいつと交渉して交代した……」
最初に報告しに来た門下の男性は、不本意な注目を感じ、世夏という壁の後ろで天を仰いでいた。
「最初、何となく詠煙様が水術の紙札を欲していると言った……すると、あいつが善意で数枚、俺に寄越した……それだけだ」
男の話によると、少なくとも胡仰藍が詠煙に害意を持って拝火塵姫を無力化した訳では無いらしい。それどころか、彼なりの優しさだと言う。世夏はこの話を聞いて、ようやく息が出来るようになったと言わんばかりに胸を撫で下ろした。
「なんで人の善意にそんな事をするんですか?」
「ハッ、目的の為に行動しただけ……です」
詠玖の壊痛術を恐れて、返事がどんどん尻すぼみになっていく。だが、詠玖もちょっとした感情の起伏だけで術を使用する程見境が無い訳ではない。
「目的……ここらの木を駄目にする事か? くだらないな」
「仕方ないだろ! お前らの力の源がこれだと思ったんだからよ!」
しょうもない逆ギレに辟易した様子の詠煙。問答はここまでだ。
「逆恨みは好きにどうぞと言いたい所だが、お前は余りにも迷惑を掛けすぎた。それなりの覚悟をしておけ」
拝火塵姫に担がれ、男は何処かへ運ばれていった。
「私もここら辺で失礼します……誠に迷惑をお掛けしました!」
最初に報告に来た男も、大きく一礼をすると歩き出していった。
「詠煙、折れた木々はどうする?」
「今の内に処理するしかないだろう。そろそろ運び終わったか? 付いてくると良い」
世夏達は何も分からないが、言われるまま後に従う。始めは木々が陽を遮る程に生い茂っていたが、徐々に数が減っていき、最終的には広場の様な場所に出た。真ん中には祭壇のような物があり、周囲では拝火塵姫がちょこまか動き回っている。この辺りは、地面の泥も乾ききっているのか、足元の灰が少し目立つ。
「あの、これなんですか? 真ん中には横長い台座……みたいのがありますけど」
金属製の台座には今しがた倒されたと思われる大木が、丸太となって寝かされている。詠煙の式が何人かで運んできたのだろう。
「これを今から灰になるまで燃やすが……」
「え!? どれくらい掛かるんですか!」
この木は折られて間もない。枯れ木と違って水分量が多いと言うことだ。当然、燃やしきる時間も伸びる。いつ終わるのか世夏には想像がつかないが、見届ける頃には足が棒のようになってしまいそうだと思った。
「折角だし、最初だけでも見て貰おうかと」
「詠煙、妹はもう台座に上がったがお前は良いのか?」
「あ、しまった」
師匠に言われて世夏と詠煙が振り向くと、台座の横で詠玖が手を振っている。詠煙が慌てて台座の方へ走っていき、詠玖の向かい側に立つと、二人が同時に右手を振り上げる。
「……凄い。あれだけ大きな木なのに、火に包まれてる」
「お前らもこっちに来い」
詠煙に呼ばれて世夏達も近付く。改めて、大木が燃えているさまを至近で目にする。何と言うべきか、丸太を火が飲み込んでいるようだ。世夏は体が熱くなるのを感じた。
「木が焼けるのも良い音……いや、思ったより爆発音がする?」
「はい、サービス中止」
「え、なんで!?」
世夏が話し始めたのも束の間、詠煙の一言により全体を燃やすのは一時中断……木の両端が発火している格好となった。
「イメージと違うな」
「だからサービスと言ったろ」
「師匠、後ろ後ろ!」
師匠が物申す一方で、世夏の慌てた声が聞こえる。振り向くと、師匠の瞳には鉈を振り上げる拝火塵姫が映る。
「何とー!?」
そのまま、師匠の奥に鎮座する大木に振り下ろされる。
「どうにかこうにか早く燃やし尽くしたい訳だ……師匠殿?」
「先に、言わんか!」
流石の師匠もビックリしたらしい。詠煙は一瞬驚いた顔を浮かべたが、すぐ二人に悪戯っぽく笑いかけた。
「ま、こんなところで良いか? この後は地道な作業になってくるし、今日は疲れただろ」
詠煙の言葉に従い、世夏は師匠を連れて帰路に着く。最初こそ早く帰ろうと思っていたのだが、随分長く滞在してしまった。振り返れば、悪くない一日だったと思おうとした世夏ではあるが。
「お兄ちゃんごっこって、何だ……」
「ハマったのか?」
「そんな訳ないだろ!」
最初にして最大の壁が黒歴史として世夏の脳裏に刻み付けられた。
「ま、最後の方は面白かったけど。疲れたなー!」
「まーあれだけ働いたのだ。金を貰っても良かったか」
「また師匠はそうやって。ただ、胡仰藍さんが他人を傷付ける人じゃなくて良かったよ」
「どうかな。奴が探している白髪の少女とやら……」
胡仰藍は初めて会った時からある少女を探している。そして、その理由は……それ以上考えると嫌になりそうだったので、世夏は外に意識を向ける。
「話してたらもう宿だ。とりあえず荷物を部屋に置いてこう」
「お前、置くような荷物持ってないだろ」
「……師匠はお留守番させておくか」
「お前! 日頃の恩を仇で返す気か!」
師匠の軽い殴打を腰に受けながら、世夏は宿の戸を開ける。
「世夏様。今日は言伝を預かっております」
「毎度お疲れさ……言伝、ですか?」
いつもの受付の女性に軽く会釈を送る世夏。今日は、聞き慣れない単語に思わず聞き返してしまった。
「はい、胡仰藍様からです。明後日、正午に我が屋敷で。との事でした」
師匠と世夏が顔を合わせる。何かしたっけ? 何もしてない、という事を互いに表情から察する。心当たりが無いのが逆に気になり、世夏は一瞬不安げに眉間にしわを寄せた。
「伝えてくれて感謝します。じゃあ、部屋に戻るのでこれで」
明後日、何が二人を待っているのだろうか。しかし、何であろうと待つ事しか出来ないのも確かである。結局、世夏と師匠は仲良く温泉へと足を運んだ。




