第11話 封印
扉を開けると、そこは真ん中に机と椅子が置かれた小さな部屋だった。天井にも届きそうな左右の棚は、部屋の主がちゃんと管理出来ているのか怪しい程に、紙の類でびっしり。
「……貴方は?」
一見無人の部屋であったが、世夏の呼びかけに応じる者がいた。左右に置かれた四つの棚は、一つだけ何も置かれていなかったが、それには理由があった。壁から誰かがすり抜けてきたかのように、影が浮かび上がる。瞬く間に擬態は解けて、窮屈そうに身を屈める人型が姿を表した。目隠しの様な紐を巻いているが、世夏は彼の視線を感じて身を固くした。妖の額には一つ、大きく開いた眼が開いている。
「陸。いつものようにここに居る。お前は誰だ」
「俺は……」
世夏が口を開くと同時に書斎に風が吹く。世夏の目には紙が舞う中、妖が机のペンを握り込み、乱雑に振りかぶる光景が映った。
「名乗りの前に仕掛けてくるとは。胡仰藍の代わりに軒並み躾けてやろうか!」
再び羊の姿を取った師匠が、横から妖を突き飛ばす。
「お前が偽者かもしれないと主も疑っている、大人しくしろ!」
「我は胡仰藍と絶対的な服従は結んでいない。彼と二人で逃げおおせるのだ」
「貴様の願いに私を巻き込むな」
陸を棚に押さえつけて師匠が唸る。
「こいつ、胡仰藍との間に契約があるのか?」
「従鬼とはそう言うものだ」
師匠が押さえ付けている間に、世夏は三枚の札のうちの一つを自らの顔の前に掲げる。
「我黙して関せずは無明の夜。汝誰そ彼やと疑い惑うは薄明の夕。黎明以て真実を示さん。仮姿正晴」
「うお、一言残さんか。仮の姿だったら私まで元に戻るのだぞ!」
羊の姿の師匠が世夏に文句を言う。
「何をする」
「術が不発した?」
陸は乗っ取られた訳じゃ無いのか? 世夏が状況を理解する間に、今度は屋敷の外から大きな衝撃音が響いてくる。初めて入った胡仰藍邸だが、音の出所は世夏にもなんとなく見当は付いた。陣を書き、肆と出会った場所である。
「今の音は……行くぞ、師匠!」
二人が庭園に出ると、胡仰藍が口元を袖で隠し、陣を隔てて妖と対峙している。その相手は、世夏が一番最初に出会った胡仰藍の従鬼である。
「格好いい……じゃない、胡仰藍さん、どうしたんですか?」
「参との契約で私じゃ攻撃が出来なくてね。仕方ないから、誰かが作った足止めの陣を使わせて貰ってる次第です」
「胡仰藍、なぜ私を攻撃しようとする。私は参だ。お前の従鬼」
世夏は二枚目の紙札を用意していた。
「……仮姿正晴!」
「何をした開封屋。私は胡仰藍のーー」
胡仰藍の目付きが険しくなる。目線の先には、先程の妖とは似ても似つかない猿が立っていた。
「貴様は不釣り合いだ。たちどころに滅されよ」
胡仰藍が一瞬姿勢を崩すと、袖の口から水筒を取り出す。それを妖猿の真上に放り投げ、再び姿勢を戻す。何やら呪詛を唱えているようだが、微かな、それも布越しでは世夏には聞き取れなかった。
「く、苦しい……助けろ、胡」
猿の体は水に触れて腐っていった様に見えた。相手が言葉も話せなくなった後も、一心不乱に呪詛を唱えていた胡仰藍だが、ふと振り返り、言葉を掛けた。
「……陸。来たのなら一声掛けても良いのですよ」
「なぜ参を滅した」
「彼はとっくに此処には居ないですよ。でなければ私が手を出せない」
胡仰藍は淡々と説明をする。
「開封屋と仕組んだ事ではないのか」
「恐らくお前も同じ術を受けたでしょう。あれは変化を施すものではなく、変化を解くものです」
どうしてそんな事を、と世夏は思ったが、陸自身、自分の為の言い訳を探していたのかもしれない。
「お前に情はないのか」
「私に必要だったのは、隠義之参との、日々ではない。感情に足を止めるのなら、私はそんなもの捨てるね……」
「二人とも、喧嘩するなら外でやってくれ」
この雰囲気に口も重いが、だからこそ世夏も切り出した。
「私の住まいなんですがね」
胡仰藍も思わず言葉を返す。返してから、くだらないことを口走った自分に嫌気が指した。きっと世夏はなんとなく返答を予期していたのかもしれない。
その感情は世夏でも分かるほどに、胡仰藍の顔を曇らせた。
「まあ、良いです。私は自分の中に柱を立てるのが嫌いなんですよ」
「……信条とか、依存先みたいな意味だろう」
胡仰藍の言葉に首をかしげる世夏へ、師匠が説明する。
「私が破病術士の当主であるとか、大事な従鬼がいるとか、そういう下らないことに干渉されたくないのです」
「自ら下らないと思い込んで、手を伸ばすのを拒んでいるだけに見えますよ」
胡仰藍にしてみればいつもなら引き下がるような言い争いだったのだが、今回は言葉が止まらなかった。
「拒む? それは同意しますね。価値がないと思ってるものを迎える必要はありません」
「お前の言う柱が少なければ、傷つく機会も少なくなるが、より脆い人間になると思うがな」
自分の思いの丈を、思いたい事を吐き出し、やはり二人と意見が合わない事を胡仰藍は確認した。同時に、世夏という若者が、未だ何にも染まっていないことも。
「あなた方がどう思うかは自由ですがね。未だに破病術士当主胡仰藍には由来代が必要だと思っている奴は」
先程振り撒いた水筒を拾いに歩く胡仰藍。猿の妖が居た所は、只の水溜まりとなっていた。
「私の人生には必要ない」
世夏は知らないが、過去に何が合ったのだろうか。胡仰藍の様子は人に無関心と言うよりは、逆に避けている風にも見て取れる。
「自分の支えだろうとなかろうと、友達は大事にしてください」
「は、友達? あいつがそんな事を?」
「彼の従鬼が、うちの主人は友達が少なくて心配だって」
世夏によく分からない事を言われ少し驚いたが、胡仰藍もすぐに平静に治る。
「ああ、彩ですか。確かに由来代が言う筈ないか」
どうしてそんな誤解をしたのか。それは胡仰藍の考えるところではなかった。
「ともかく、今日は助けられましたね。肆、客人を正門まで送りなさい」
「そんな、わざわざーー」
遠慮する世夏の肩に後ろから手が置かれる。振り向くと、先程見た老人の顔がすぐそこに見えた。
「世夏、また会ったな」
「お前、何処から……」
肆は返事の代わりに腕を差し出す。状況こそ飲み込めていないが、悪意は感じなかったので、世夏はその腕を取る。
「あ、置いていくな馬鹿者!」
肆が師匠にはお構い無しに世夏を運ぼうとするが、手を引かれる前に師匠が世夏の背中にくっつく。二人を片腕で引く肆によって、あっという間に正門の前に辿り着いた。
「改めて、胡仰藍の肆、青嵐之肆。また会う時まで」
「あ、ちょっと待ってくれ」
肆は上半身を捻り、如何にも立ち去らんとする体勢だったが、呼び止められて、更に体を捻って世夏を見る。他意は無いのだろうが、目があった世夏は、呼び止めたにも関わらず息を飲み、少し後ずさった。
「何か」
「えーと、今回は胡仰藍さんの役に立てたのかな。正直、あの人だけで何でも出来そうだし、何ならあんな冷酷だとは思わなかったけど」
「ふむ……一月ほど彼を悩ませていた問題を解決したと言えば、満足されるでしょうか」
一呼吸置いて肆が続ける。
「冷酷とは言いますが、胡仰藍が見送りを任せたのは、きっと彼なりに悲しんでいる姿を見せたくないのでしょう」
「奴の態度からは想像つかないが」
「あらゆることから距離を取ろうとしていますが、奥の感情は豊かなのです。それに、参は彼が十歳の頃から苦楽を共にした従鬼でもあります」
「素直じゃないんだな、胡仰藍さんは」
「人間と言うものは、挫折をした事に対しては、何年経ってもその時のまま、成長出来ずにぶつかっていくものなのでしょうか。では、これにて」
そう言い残し、するりと門を潜ると、肆は見えなくなってしまった。そう言えば、従鬼と言い争っていた時、胡仰藍は柄にもなく表立って怒っていた。肆の言う過去の挫折と言うものなのだろうか。
「そうか? 人間の寿命は短いからな。割り切るか、きっちり今の自分で向き合わないと、あっという間に終わってしまうぞ」
「師匠、言うだけなら簡単だけどな……高飛車な自分に向き合って、ちょっとは謙虚になった方が良いんじゃないか?」
「甘いわ。妖は時間がたっぷりだからな。まだ私は若いのだ」
「ふてぶてしい若者だな……!」
世夏が不服そうに師匠を見つめていると、視界の端で何か白い物がちらつくのに気付いた。
「なんだ、扉の下に何か挟まっている?」
「これは……奴の書き置きか」
「読んでみよう」
紙人形を手前に引き抜くと、まだ僅かに動いている事に警戒しつつも、折られた箇所を解いていく。ぽっかりと口を開けたままだった世夏は、乾いた唇を閉じて、読み上げる準備を整える。
「先ほど、私の屋敷に潜む妖については話していませんでしたね。奴は横業。昔とある妖の中に封印されていた妖です」
「妖を封具にしたと言うのか! 人間め、精査もせず面倒事を増やしおって」
妖に封印すると言うのは驚きだが、別の妖に成り代わる特性もそこと関連しているのだろうか。世夏は退治人に教えられて知る事を少し恥じた。開封屋として妖の封印に疎くてどうするのか。師匠は師匠でご立腹だが、気にせず続ける。
「先日妖に封印された横業をうちの門下が滅し損ねたのですよ。ところで、妖を封印の入れ物にするより厄介な術式をご存知ですか?」
不穏な書き方に息を飲んで続きを見る世夏。そこに書かれた内容は、世夏の読み上げる気を削ぐには十分な話だった。
「それは、人間を封具にする術式ですよ」




