3話『地球の終わり』
僕は外に出かけることにした。幸い今日は夏休みで大学に行く必要はない、行動を起こすにはうってつけ、そう思ったからだ。
僕は今までかなり不健康な生活を送ってきたため足腰が弱かった。だからまずは散歩をして足腰を鍛えよう、そう思い、アパートの近くを散歩し始めた。
歩いて歩いて歩いて、僕の足は二十分ほどで限界を迎えていた。そして足だけでなく、七月だというのに外は灼熱のように暑くて、体全体が限界を迎えていた。
もうここでやめて、アパートに戻ってもいいんじゃないか。
僕は本気でそう考えたが、その瞬間、脳裏に笠川の言葉がチラついた。
『行動を起こすんだ』
あいつはただの知り合い。だけど、その言葉が何もしてこなかった僕には刺さった。だから僕は、もう少しだけ頑張ってみようと、灼熱の外を歩き進めた。
しばらく歩いて、僕は気づいたら小さくて薄気味悪い山の目の前まで歩いてきていた。
(……知らない所まで来てしまった、もう帰ろう)
僕はそう考えたけれど、この小さくて薄気味悪い山には僕を変える『何か』があるように僕は感じた。
なぜ、そう感じたのかは分からない。僕は暑さにやられて頭がおかしくなっていたのもしれないし、何か自分を変える近道があると思いたかったのかもしれない。
だが、それは結果的に正解だった。僕の人生を劇的に変えるものが、この山にはあったんだ。
もう僕の歩みは止まらない。僕は立ち入り禁止の看板を完全に無視し、溜まっていた疲れなんて物ともせず僕の足はまるで山の中に入るのが当たり前のようにどんどん山の奥へと進んでいく。
(……なんだ、この山には、何があるんだ……?)
山の中はまだ昼なのに暗かった。風が吹くと山の中にある木々がわさわさと揺れ、ただでさえ薄気味悪い山の雰囲気をさらに感じ悪いものにした。
山道は全く整備されておらずでこぼこしていて、僕は時折足を挫きそうになるが何とか堪えた。
しばらく山道を歩いて、
僕は道の外れに大きな物体があるのを発見した。
その物体は黒く、三メートルほどの大きさで卵の形をしていて、それは自然にこの山に出来たものとは思えない見た目だった。
異質だ。その物体はこの世のものとは思えない魅力的なオーラを放っていて、見る者全てを誘惑する。
僕はその物体に惹かれて道の外れに行き、どんどんその物体の近くへと寄って行った。
一歩、一歩とその物体に近づくごとに僕は高揚感を感じた。何故かは分からない、けれどその物体は自分が特別になるために必要なものであるとしか僕には思えなかった。
僕が魔性とも言えるその物体にもう手が届く所まで近づいたその時、
「誰ですか、あなたは」
僕の後ろから人間の声がした。僕が後ろを振り返るとそこには、一人の少女が小さな白いバッグを持ち、凛とした顔で立っていた。
彼女は腰まで伸ばされた長い黒髪が特徴的で小柄だ。そして彼女の顔は涼しげで、僕は彼女にクールな印象を受けた。
僕は伸ばしていた手を引っ込め、彼女の問いに答えた。
「僕はただの大学生で、この山を散歩していたんだよ」
彼女は険しい顔でどんどん僕の方へ近づいてきた。そして僕のすぐ近くまで来たかと思ったら、僕の横を通り過ぎ、彼女は異質なオーラを放つその物体を撫でるように触り、僕にぶっきらぼうに言い放った。
「あなたはこの場から去りなさい」
僕はどうして彼女にそんな命令をされなければいけないのか、と少し腹が立った。
「この山は君の私有地ではないだろう?なら僕が何をしたって自由なはずだ」
少女は僕に何も言わず何かを考え込んだ後、ため息を吐いて言った。
「……あなたはこの物体に興味があるようですね。もし、この場を去ってくれると約束出来るのなら、教えてあげましょう。この物体は何なのか」
彼女は僕が見ていたその物体の正体を知っているようだった。
僕はその物体の正体をどうしても知りたかった。だってその物体は僕のことを変えてくれるような気がしたのだから。
だから僕は彼女の提案に頷いた。
「ああ、約束するよ。だから教えてくれ」
「この物体は……」
彼女は僕を焦らすように間をおいた。そして彼女は、僕が興味津々に次の言葉を待っているのを楽しんでいるのか、十秒ほど間をおいて、言い放った。
「この物体は、地球を破壊することができる爆弾です」
「……は?」
「そして私はこの爆弾を使って地球を破壊するつもりです」
爆弾、という言葉を聞いて僕は彼女がふざけているのだと思った。ふざけていないとしたら彼女はあの物体を地球を破壊する爆弾だと信じ込み、地球を破壊したいと考える狂人だ、とも思った。
「あなたは信じていないようですね、まあ無理もありませんか」
彼女はやれやれ、といった様子で僕を指さした後、山道を指さした。
「さあ、教えてあげましたよ、早くこの場を立ち去りなさい」
「そんな嘘を言われて立ち去れるわけないだろ!?」
彼女は僕に嘘と言われたのが心外だったのか嘘じゃないです、と不機嫌そうに言って彼女が手に持っていた小さなカバンから直方体の何かを取り出した。
「これがこの爆弾を起爆するスイッチですこれを見たら本当だと信じれますか?」
確かに透明なカバーがついている赤いボタンが直方体の何かには付いていて、それはまるでスイッチのようだった。
しかし僕は、彼女は狂った人間で爆弾ごっこをしているからスイッチを持ち歩いている、という可能性を考え、彼女に「他の証拠を見せてくれ」と言った。
「他の証拠ですか……この爆弾の裏を見てください」
彼女はそう言って物体の裏側に回った。狂人である彼女は、もしかしたら僕に危害を加えてくるかもしれないから、僕は彼女を警戒しながら物体の裏側に回った。
「ここを見てください」
彼女が指さしたのは物体の背中に書かれた英語だった。
「……これは、地球を破壊することができる爆弾である……?」
物体の背面には英語でそう書いてあった。そして、スイッチが付属してありそれを押すと、この爆弾は起爆し、地球は滅びるとも書いてあった。
「これであなたは爆弾を信じれますか?」
手の凝った狂人のおままごと、にしては本格的だな、と思った。それでも、それが地球を破壊することができる爆弾だ、なんて僕には思えなかった。
「……こんなの誰でも作れるだろう」
「そうですね、見た目だけなら誰でも作れると思います、じゃあ」
彼女は右手に持ったスイッチのボタンに取り付けられていた透明なカバーを外し、天高く掲げて僕に向かって言い放つ。
「今ここで、爆弾を起爆してもいいですね?」
ああいいさ、僕はそう思った。だって地球を破壊する爆弾だなんて作れるはずがないからここにある物体は爆弾なんかじゃなくて、
この物体は爆弾じゃないから、スイッチのボタンを押したところで何にもならなくて、
彼女はただ頭がおかしいだけの狂人で、
だから僕は、彼女を止める必要なんて、何もないのだ。
「ダメだっ……!」
思いと反対に、僕はそう言って彼女のスイッチを持つ右手を強く掴んだ。
「……あなた、爆弾を信じてないんでしょう?」
彼女は、刺すような鋭い眼光で僕を睨みつけて言った。
「信じていなかった、だけどもしも本当にこの物体が爆弾だとしたら……僕はまだやるべき事があるんだ」
そう、まだ僕は特別になれていない。もしこの物体が本物の爆弾だったら起爆されたら僕は平凡なまま死んでしまう、そんなのは嫌だった。
「……手を離しなさい」
「嫌だっ!手を離したらスイッチを押して起爆するだろうっ!?」
僕が大きな声をあげると、彼女は僕を睨みつけたまま、僕とは対照的に冷淡な声で言った。
「指を動かすだけなのであなたが手を離さなくても、私は起爆できます。もしあなたが手を離さないのであれば、今、起爆しますよ?」
その言葉を聞いた僕は急いで手を離し、彼女を刺激しないため後ろに二歩下がり手を上げた。
「賢明な判断です」
彼女は僕のことを再度睨みつけた後、爆弾とやらと、スイッチを何を考えているのか分からない無表情で見た。
僕は、油断している彼女の右手からスイッチを奪えるかもしれない、と考えるが
「ああ、底から一歩でも動いたら起爆しますよ」
僕の考えなんてお見通しだったようで、彼女は僕を見ずに言った。
(奪うのは、なしか……!)
僕は彼女がスイッチを押すのを止めるため、少しでも時間を稼ごうと彼女に話しかけた。
「……どうして地球を破壊したいんだ?」
彼女は抑揚のない声でぶっきらぼうに答えた。
「それをあなたに教える必要はありますか?」
すると彼女は、「もう起爆しましょうかね」と言ってスイッチを再び天高く上げて僕に見せつけた。
彼女の親指がゆっくり、ゆっくりとスイッチのボタンへ近づいていく。ゆっくり、ゆっくり。もうすぐスイッチに付いているボタンは押され、
「頼む!やめてくれっ!」
僕は姿勢を落として、土で茶色い地面に膝をつけ、それと同じように手も地面に置いて、彼女を見上げた。
彼女は右手の親指を止め、僕の目を見た。
「僕はまだ死にたくないんだっ!人生で何も成し遂げていない、平凡な人間なんだっ!だから!やめてくれっ!僕は今ここで死にたくないぃ……!」
彼女はスイッチを持ったまま、地に這いつくばっている僕にゆっくりと近づいた。そして僕の目の前まで来てしゃがみ、悪魔のような悪意に満ち溢れた微笑みを浮かべて言った。
「無様で滑稽ですね」
「ああ、無様で滑稽な僕の頼みだっ!どうかっ!起爆しないでくれ!」
起爆を止めれるならもうなんでもよかった。僕はプライドや尊厳などのこの場で無駄な感情を全て捨て、醜くも必死に彼女に懇願した。
彼女はうーん、と唸り左手を顎に当て言った。
「……なら猶予をあげましょう」
「……猶予?」
僕が目の前でしゃがみ込む彼女を見上げたまま首を傾げると、彼女は「はい、そうです」と言った。
「色々加味して、半年後の1月1日までやりたいことをやらせてあげますし、私を説得する時間もあげます」
彼女はそのまま続けて言った。
「しかし、もし私を説得して、改心させることが出来なかったら、ドーン!……地球は終わりです」
彼女はそれでいいですよね、と僕に訊いてきた。地球が終わるのはいいわけないし、僕が特別になる前に死ぬのはよくない。
けれども今起爆を止めれるのなら、と僕は全力で頷いた。
「ああ、それでいい」
それを聞いて、彼女は嬉しそうな顔をして笑った。
僕に笑いかけた少女は、悪魔のように恐ろしく、それでいて、誰よりも美しかった。