フタシカなまま、ぼくたちは
終章「佐藤蒼紀」
期末テストが終わり、やっと羽の伸ばせる休日が訪れた。
今日は三人で集まってなにを食べようか。
心と二人で相談しながら公園の広場に着いたところでスマフォに連絡が入った。バイト中であるはずの愛華からだった。店が混雑していて、待ち合わせに遅れるとのことだ。
空いた時間で、野沢心の「瞑想、またはマインドフルネス講座」を受けることにした。
名前の通り、仏教の瞑想に由来するそうだが宗教的意味は無く、医療行為に近いものとされているらしい。彼女曰く、瞑想をすることで気持ちが落ち着けられるし、勉強や演奏に集中しやすくなるそうだ。
今の今まで彼女の行う「瞑想」がどういうものか知らずにいたが、ものは試しだ。
言われた通り、公園の芝生の上に座って目を閉じる。木陰に吹く風が汗を乾かした。
「自分の呼吸だけに意識を向けてみて。昔のことも先のことも、なにも考えないのよ」
彼女は簡単に言うが、これがなかなか難しい。
「数学のテスト、難しかったな」と過去のことを思い出したり、「来週の寮の大掃除が面倒だな」なんて未来のことを想像したりしてしまう。蝉や散歩中の犬の鳴き声も邪魔だ。意識がつい逸れてしまう。
「心は事あるごとにやっているのか? 尊敬するよ」
「慣れよ、慣れ。確かに私も最初は難しかったわ。気が向いたらまた試してみて」
彼女はスクールバッグからペットボトルを取り出した。透明な液体が入っている。泡が星のようにきらきらと上っていた。蓋を開けると空気の抜ける音がする。彼女はサイダーで喉を潤した。
文化祭以来、彼女が水を飲む姿を一度も見ていないし、誰も水の話題には触れようとしない。
愛華はつい、動画サイトやSNSで自分の名前を検索してしまうと言う。しかし、
――私のことを大嫌いな人がいたとしても、私の歌で喜んでくれる人たちのことを思い出すね。
倒れた心の見舞いで保健室へ訪れた際に、そんなことを言っていた。
「暑いわね」
じりじりと日の照り付ける広場には人影が一つも無かった。近頃は子どもの姿も見かけない。この暑さで走り回っていては、熱中症になりかねないからだろう。
「ところで蒼紀くん。夏休みはどうするの」
「どうしようかな」
長期休みの間は寮が閉まってしまう。その間はどうしても居心地悪いあの実家に帰らなければならない。
「億劫だなあ」
炎天下で自転車を漕ぎ、自習室のある地元の図書館に通うことになるだろう。
「億劫?」
突然彼女は眉間に皺を寄せる。
「じゃあ、いいわよ」
「じゃあいいって、なんの話だ?」
どうして急に腹を立て始めたのだろう。
「だから、夏休みの話よ。どこへ行こうかと相談しているんじゃない。海とかお祭りとか、出掛けるところはたくさんあるでしょう?」
「こ、心と?」
「私と愛華と蒼紀くんとよ。当然じゃない。夏休みはお友達と遊ぶものよ。もしかして嫌なの?」
「嫌じゃないけど……」
彼女の思い描く未来の中に、当たり前のように自分がいる。それがとても不思議で、こそばゆい気持ちになった。友達ができたのだなと改めて実感した。
彼女は立ち上がり、飛行機雲が描かれたばかりの真っ青な空を見上げた。力強く引かれた白い線のずっと向こうに白い月が浮かんでいる。彼女は気付いていないようだった。
「愛華の誕生日パーティだってしなくちゃ。……友達と過ごす夏休みは初めて。とても楽しみだわ。蒼紀くんのお陰ね。ありがとう」
「……俺、なにかしたっけ?」
「あなたが友達になってくれたから、高校生活が楽しいわ。それに、蒼紀くんって私によく根拠の無いことをよく言ってくるでしょう。なににつけても大丈夫、大丈夫って」
「悪かったな」
「嫌味じゃないわ。あなたの言葉に救われたことが何度もあった。だから感謝しているの。蒼紀くん、私はあなたが好きよ」
芝生の上であぐらをかきながら彼女を見上げるが、逆光でその顔はよく見えない。
「心」
彼女に一つ、教えなければならないことがあった。
「他人に『好き』と伝えるときは、友達としてなのかそうでないのか、はっきり前置きしておかないと」
彼女がこちらに顔を向ける。
口角を少し上げたのがわかった。
「どっちかしらね」
悪戯っぽく言って、彼女は歩き出す。
置いて行かれそうになり、慌てて立ち上がった。気恥ずかしくて、黙ってただ後ろをついていく。今までは平気で横に並べたのに。
――「好き」だなんて言われたら、意識せざるを得ないではないか。
実はこの心理にも名前があるそうだ。
教えてくれた人物はやはり、少し変わったクラスメイト、野沢心だった。
「フタシカなまま、ぼくたちは」 了




