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11-1 「大丈夫。」

第11章「野沢(こころ)



「お見舞いに来ている人がいるけど、会えそう?」


 保健室のベッドを仕切るコントラクトカーテン越しに中松が呼び掛ける。返事をする前にカーテンが勢いよく開かれた。


「の、ざ、わ、さああああああんっ!!」

山添やまぞえ先生、保健室では静かにしてよねー」


 文化祭Tシャツを身に着け髪をアップに飾った山添六実やまぞえむつみが中松にたしなめられる。


「大丈夫!? 大丈夫なのっ!?」


 しかし彼女は構わず詰め寄ってきた。

 ベッドから起き上がる。まだ少し頭が痛い。


「もう、驚いてる! ほっとしてる! 感情がメリーゴーランド? ジェットコースター? ハニーハンター? もう、もう~……」


 いつもより太い彼女のアイラインがにじんでいた。


「カウンセラーの立場で、なんと言ったらいいのかわからん……」

「ごめんなさい」


 今から約一時間前のことだ。

 歌い出す気配の無い愛華あいかを見かね、ステージ上で水を一気飲みした。 体が勝手に動いていた。

 体育館を這い出たところで意識を失い、気付けば保健室のベッドで寝かされていた。

 こんなことをして、入学前から相談室で話を聞いてくれていたカウンセラーが動揺するのは当然だ。

 養護教諭が用意した丸椅子に彼女はぐったり腰を下ろす。


「木戸さんが歌ってるとこ、見られなかったんだよね……」


 首を横に振る。

 枕もとのスマホに手を伸ばし、彼女に画面を見せた。「一年四組」と名付けられたグループチャットの履歴が表示されている。大隅が撮影した動画が共有されていた。愛華と蒼紀そうきの演奏を撮影したものだ。その下には二人を称賛するメッセージがずらりと並んでいる。


 その中に、クラスメイトの遠藤から送られた「野沢さん、大丈夫?」というコメントが混ざっていた。さらにその下に「愛華のために掛け合ってくれてありがとう」と続いている。これはぎくしゃくしたままほとんど話したことの無かったクラスメイトからだ。


「……こころちゃん、友達できてよかったね」


 画面を覗き込みながら、山添が優しく微笑む。


「あなたのおばあちゃんがよく言っていたじゃない、『友達を作ってね』って。優しさだってわかってる。でもさ、私は正直……」

「確かに負担になっていたかもしれない」


 練習したにも関わらず、自己紹介は失敗した。やっとできた二人の友達とは衝突した。

 それでも。


「六実ちゃん。私、友達のために何かしたいって、初めて思った」


 部屋の中に日が差し込んだ。


「友達、できてよかった……」


 保健室の窓を振り向く。

 雨を降らせていた雲は散り、薄い水色の空が輝いていた。



 校長室から、生徒会長の野沢優丞(ゆうすけ)が出てきた。

 すかさずその前に躍り出る。無駄に日当たりがよく、温室のようになっている廊下にいたせいで眩暈めまいがした。

 彼はあからさまに鬱陶しそうな顔を見せ、通り過ぎようとしてしまう。相手にされないかと思ったが、彼は歩きながら首だけで振り返った。


「ゲリラライブの件はおとがめなし。すぐに話は終わったさ」

「すぐに? 一時間以上も待っていたわよ」


 彼が校長室へ入っていくのを見届けてからずっと廊下で待ち伏せしていたのだ。


「ついでに退学の手続きを済ませたんだよ」

「……」


 開いた口が塞がらないまま、まじまじと彼の顔を見上げた。


「なんだその顔は。もっと喜べ。木戸愛華ともお前とも二度と関わらない。三村にも口止めはしてある。安心しろ」

「退学は、然るべき選択だと思う」


 友人である木戸愛華を脅し、不登校にまで追いやった過去が彼にはある。


「でも喜べない」

「さらに窮地きゅうちおちいれと?」

「……愛華のことを考えると、そう思ってしまう。だけど」


 今日こそは言ってやりたいと思っていたことが山ほどあったのに、退学と聞いて、用意してきた台詞はどこかへ吹き飛んでしまった。

 感情の整理がつかなかった。親戚同士であるがゆえに、様々な面を知っている。

 祖母の生前、老人ホームでイベントがあった。通っていた中学のボランティア部が参加した音楽会だ。

 星盟せいめい学園代表として彼もたまたま訪れていて、ヴァイオリンの演奏を披露していた。

 祖母は大喜びだった。始終見せていた少女のような笑顔が忘れられない。自分に伴奏ができるようなピアノの腕が無いことを悔やんだ。もっと真面目にピアノを習えばよかった。

 「馬を水辺に連れていくことはできても水を飲ませることはできない」。

 祖母がよく言っていた言葉を噛みしめながら、美しいヴァイオリンの音色を聴いていた。


 今回のゲリラライブの全責任を背負ったのも彼だった。文化祭を盛り上げるために下級生を無理やり引っ張り出した、と校長らに説明したそうだ。

 愛華も蒼紀も先生たちから呼び出されることはなかった。


「大学はどうするの。推薦を貰うつもりだったのでしょう」

「高校はやめても、高卒の単位さえ取れば受験はできる。進学先が決まったら教えてやる。今度はうっかり鉢合わせないようにな」


 話は済んだとばかりに片手をあげ、彼は階段を上っていく。


「ねえ、優丞くん」


 昔のように呼び掛けると、彼は踊り場でゆっくりと振り返った。


「人はどうして、デタラメなものを信じてしまうの」


 あの水が無ければ、彼は今、どのような人間になっていただろうか。

 そう思わずにはいられない。


「どうしてって」


 彼はこちらをしばらく見返してから薄く笑った。

 そんなこともわからないのかと言うように。


「他に信じられるものが無いからだ」


 彼が姿を消す。足音も遠のいた。

 階段の下を覗き込む。掃除用具のロッカーの陰に隠れるようにしゃがむ愛華と、黙って寄り添う蒼紀がいた。ここで待っていた二人には、さっきの会話が十分に聞こえていただろう。


「ココちゃん……」


 愛華の顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。嗚咽おえつのせいで、それ以上はなにも喋れないようだった。


「もう大丈夫よ」


 蒼紀と一緒に彼女の背中をさする。

 いつか山添六実の胸の中で泣いていた日のことを思い出す。こうして友達を励ますようになるなんて、あの頃は少しも考えられなかった。

 

 蒼紀の横顔を見つめる。

 「大丈夫」。いつか彼が私に掛けてくれた、不確かで柔らかい言葉を反芻はんすうした。


 根拠なんて一つも無いのに、私たちは大丈夫なのだと、強く信じることができた。



第11章「野沢(こころ)」 了



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