8-1 星盟学園中等部
第8章「野沢優丞(回想)」
星盟学園中等部の生徒会役員たちはすでに帰ってしまった。生徒会室に残っているのは中等部会長である自分だけだ。
下校時間はとうに過ぎ、窓の外は暗い。
来月には文化祭が開催されるが、生徒会の仕事はそう多くない。客は生徒の家族のみ。模擬店も無いし、ステージ発表も午前中には終わる。
開催する意味があるのかと疑うほどに退屈なイベントだ。
自動販売機で買ったペットボトルのラベルを剥がす。そして中身の水を口に含むといくらか気持ちが和らいだ。
ラベルを剥がしたところで成分が変化するわけがないのに、我ながら馬鹿だと思う。
自習室代わりに使っていたこの生徒会室からそろそろ出ようと立ち上がったとき、話し声が聞こえてきた。
窓際に立ち外をのぞく。外灯の下で女生徒と男子生徒が言い争っているようだった。
すかさずスマホを取り出す。
「考え直してほしい」
ここにも馬鹿が二人。痴話喧嘩だろう。星盟学園は恋愛禁止。教師に見つかればどんな処分が下ることか。
そう思うと口元が緩んだ。
近頃、むしゃくしゃとする出来事が続いていた。二人が停学にでもなれば少しは気が晴れそうだ。そう思ってスマホのレンズを向けるが、二人の顔が上手く映せない。周りが暗すぎるのだ。
「矢崎先輩、ごめんなさい……」
女生徒が相手の名前を呟いた。これで二人が交際していることを匂わせるような会話さえしてくれれば儲けものだ。
彼女は「矢崎」と呼んだ男子生徒に紙袋を差し出す。彼は女生徒に詰め寄った。
「もうできないなんて……、ふざけるなよ!」
撮影を中断し、わざと勢いよく窓を開けた。男子生徒がつかみ掛かろうと手を伸ばしたからだ。女子への暴力を看過できるほど落ちぶれたつもりはない。
男子生徒はぱっとこちらを振り返り、紙袋を鷲掴みにすると尻尾を巻いて逃げてしまった。
「情けないな」
校舎の向こうに消えていく後ろ姿を見送り視線を戻す。眼鏡を掛けた地味な女生徒がその場にへたりこんで動けなくなっていた。
彼女は新入生で、木戸愛華という名前らしい。生徒会室で休ませてやるとやっと口を利けるようになったが、名前と礼だけ言うとさっさと帰ってしまった。終電が迫っているそうだ。
木戸という苗字に聞き覚えがあった。確か、母に向上水を売りつけた女の名前も木戸だ。この水のおかげで賢くなったという娘の自慢話をよく聞かされていた。年齢は二つ下。生意気な従妹と同い年。
でも、まさか。
撮ったばかりの映像を見返す。紙袋の中身は映し出されていなかったが、矢崎という男子生徒が女生徒に殴りかかろうとしたという証拠にはなる。この動画によって矢崎には厳重注意等がなされるだろう。
しかしそれだけでは面白くない。中等部を卒業するまでまだ時間がある。職員に映像を提供するのは時期尚早だ。
校内で事件が起きたのはそれから数週間後だった。文化祭において軽音楽愛好会がライブを行ったのだ。
愛好会といっても正式に活動を許可されておらず、勝手に教室を占領して仕掛けたゲリラライブだった。メンバー全員が二日間の停学となったが、ボーカルの木戸愛華の歌唱力はたちまち校内で話題となった。誰かがこののとき演奏を隠れて撮影し、動画はほとんどの生徒たちが共有した。
しかし、それを動画サイトに投稿してしまった人物がいた。
動画のタイトルは「S学園文化祭」。
学校名は伏せられていたが、すぐに星盟学園だと特定された。動画は反響を呼び、星盟学園に何件も問い合わせが来たという。
一体誰が動画を投稿したのか。学校が情報収集を始め、生徒会長である自分にも協力してほしいと依頼された。このままでは学園の名誉に関わると、教師たちはみな躍起だ。
黙っていたが、犯人の目星はついていた。以前木戸愛華と口論していた男子生徒、矢崎だ。
「……お、俺じゃないです。信じてください!」
さっそく校舎の裏に彼を呼び出した。すぐ隣に無人の生徒会室がある。ここならば人目に付きにくい。木戸愛華と口論になったときの映像をネタに白状するよう脅した。
彼は首を横に振るばかりだった。
「動画のアップの仕方なんてわからないし……」
言い訳にしてはあまりにも下手だ。どうやら本当に身に覚えが無いらしい。
しかし、そんなことはどうでもよかった。こちらの真の目的は犯人探しではない。知りたかったのは木戸愛華についてだった。
動画を投稿した人物について、彼は他に全く見当がつかないと言う。思い当たる人物がいないのではなく、思い当たる人物が多すぎる、とのことだった。
地味で目立たない人畜無害な下級生。それが木戸愛華の印象だった。
実際の彼女は成績優秀で、この星盟学園中等部を首席で合格し、入学式の挨拶も依頼されていたらしい。「緊張するから」というふざけた理由でそれを断ったそうだ。
入学後も定期テスト、あらゆる小テストはほぼ満点。見た目だけで彼女を判断し「平凡な生徒」と呼ぶのは厚顔無恥と言えるだろう。
「成績を妬んだ誰かが動画をあげたのか?」
「彼女、頭がいいだけじゃないんです。……性格が悪いって有名なんですよ」
成績がいいというだけならまだ周囲からは妬まれなかったかもしれない。
しかし問題は彼女の態度だった。
試験前でみなが参考書や単語帳を睨みつけている中、彼女はヘッドホンを耳に当て音楽を聴いたり動画を閲覧したり、周囲に余裕を見せつけるように過ごしていた。
その態度のせいで反感を買った可能性がある。動画を投稿した犯人も日頃から木戸愛華が気に入らなかったか。だから身元がすぐに特定できてしまうような動画を嫌がらせでアップロードしたのでは。
それが彼の見解だった。
「向上水は関係無いということか……」
「えっ!?」
彼の顔が真っ赤になる。
木戸愛華の動画について尋ねたときとは、明らかに反応が違った。
「矢崎くんに質問したいことがある。木戸さんから受け取っていた紙袋の中身は向上水だね」
日はすでに落ちかけ、気温は高くないのに彼の額から一筋の汗が流れた。
「彼女から水を買った生徒は他にもいるんだろう。きみもそのうちの一人だと聞いたよ。……実は、このことを教師たちが嗅ぎつけて調べるつもりらしい」
「せ、先生たちが、ですか?」
「ああ。初めは木戸さんが小遣い稼ぎをしているんじゃないかと思っていたけど、どうやら違うようだね。彼女は脅されて水を売っていたみたいだ。生徒会長としても見過ごせない。彼女と、きみの他に水を買っている生徒について教えてくれ。そしてもう水を買わないと約束してくれれば矢崎くんのことは黙っておくが」
ダメ元で鎌をかけたが、彼は簡単に騙され、洗いざらい話してくれた。同じ星盟学園の生徒であるならばもう少し思慮深くいてほしいものだ。
「その……、向上水を売っているのは木戸さんの親なんじゃないかって噂はずっと前から耳にしていたんです。苗字が同じだし、向上水のお陰で娘が超名門校に入ったって自慢しているらしくて。だから、昔から向上水を飲んでいたって奴らと面白半分で木戸さんの家にこっそりついていったことがあるんですよ。そうしたら」
不安そうな彼に相槌を打ってやる。「きみの味方だ」とでも言うように。
「当たりだったんだね」
彼は頷いた。噂通り、木戸愛華は水を高値で売る詐欺師の娘だった。
「俺、星盟学園に合格したら水はもう買わないぞって親から言われていたんです。でも、入学してから成績は下がる一方で……」
詐欺師の娘であることを言いふらすと脅し、向上水を売ってくれるよう頼みこんでいたということらしい。
情報提供の代わりに今回のことは誰にも打ち明けないと約束し彼を解放した。
次の日の昼、向かったのは木戸愛華のいる教室だった。ヘッドホンで耳を塞ぐ彼女の肩をクラスメイトがよそよそしく叩く。
木戸愛華と目が合った。
不思議そうな顔をする彼女を昨日と同じ場所に呼び出した。




