4-5 おかしいのかしら
「僕の母がおばあちゃんに贈ったものだ。心も知っているだろう。僕の母が伯母さん……、きみのお母さんに頼まれて売っていたのだから」
這いつくばい、優丞から逃げるように廊下へ出る。それ以上は歩けなかった。
「向上水には健康促進の効果もあるらしい。でも、おばあちゃんはきちんと飲まなかったようだね。心、きみもそうなんだろう。だから星盟学園に落ちたんだよ」
床の上に寝そべった。冷や汗が額から流れ落ちていく。
「余っている水があれば、僕の母に返すように」
ダンボールを抱えた優丞が横を通り過ぎる。
箱の中に入っているのはただの水のペットボトル。占いやおまじないと同じだ。飲んだって頭はよくならない。
そんなデタラメなものを彼は大事そうに抱えていた。少しでも衝撃を加えれば粉々に壊れるガラス細工のようだった。
彼が広間に入り、代わりに大人達数人が慌てて出てきた。
それからどうなったのかはよく覚えていない。
*
季節は変わり、やがて蝉が鳴き始めた。
以前から決まっていた通り、祖母の家は取り壊されることになった。
自分の目の前で解体機が容赦なく家を壊す。ダンプカーにがらがらと集められていく柱が、火葬された祖母の骨上げを思い出させた。
休みの間、毎日ここへ来て家が壊されていく様子を見届けようと決めた。しかし工事はたった数日であっけなく終わってしまった。
思い出の場所は空き地となり、「売地」と書かれた看板が立っているのみだった。
一か月後に再び訪れると、だだっ広いコインパーキングに変わっていた。
様変わりした思い出の場所を眺めている間、隣に立ち何も言わず手を握りしめてくれていたのは山添六実だ。仕事を休んで駆けつけてくれた。
番号は知っていたが、電話を掛けたのは今回が初めてだった。社会人となり、以前よりもっと忙しいだろうことは小学生にも想像がついた。だからずっと気が引けていた。
だんだんと空が陰っていく。雨雲が立ち込めていた。
それでも彼女は「もう帰ろう」だなんて一言も言わなかった。
「……私って、おかしいのかしら」
空っぽの場所を眺めていると、膨らんだ雲から一滴の雨粒がこぼれるように口から言葉が漏れた。
「最近、ずっと考えているの。消えちゃいたいって。生きていて楽しいことはあるのかなって」
友達もいない。親には愛されている気がしない。
祖母は遠い場所へ旅立ってしまった。
ばらばらと音を立て、雨が地面を濡らし始める。
六実ちゃんは、カウンセラーっていうお仕事をしているのよね。
こんなことを思う私の心は、やっぱりどこか、おかしいのかな。
そう訊きたかったのに、上手く喋ることができなかった。気付けば彼女に抱きしめられ、小さな子どものように声を上げて泣いていた。
第4章 「野沢心(回想)」了




