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フタシカなまま、ぼくたちは  作者: ばやし せいず
第4章 野沢心(回想)
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4-1 おばあちゃん

第4章 野沢心(回想)


 陽だまりと花のかおりに満ちた庭を駆け抜ける。ランドセルの中身が音を立てた。インターフォンも押さず、我が物顔で玄関の戸を開ける。鍵は掛けられていない。


「おばあちゃん、いる?」


 左奥の廊下の先にある部屋から返事が聞こえた。


こころちゃん、おかえり」


 畳や線香のにおいが漂う古びた家屋。自分の家ではないけれど、祖母はいつも「おかえり」と言って出迎えてくれる。

 グランドピアノ一台が置かれた部屋へ入った。隅の小さなテーブルの上には、庭で摘まれた花が飾られている。

 祖母は一日のほとんどをこの部屋で過ごす。祖父に先立たれ、一人でこの家で暮らし、細々とピアノ教室を開いているのだ。


「これから忙しくなるわねえ」

「私、中学受験なんてしたくない。おばあちゃんもママになにか言ってやってちょうだい」


 祖母の用意してくれたビスケットをポリポリと食べながら愚痴ぐちる。「腹が減っては戦ができぬ」と言って、レッスンの前にはいつも彼女からおやつが提供される。


 「中学受験しろ」。

 先日、母が突然そんなことを言い出した。塾の入会手続きも済ませてあり、拒否権は無いのだと言う。

 なぜそんなことを思いついたのか、理由はすぐに察しがついた。二歳年上の従兄である優丞ゆうすけ星盟せいめい学園を志望校に決めたのだ。


 母は昔から、優丞と彼の両親である叔父夫婦をライバル視していた。くだらない見栄だなと子どもながらに思う。付き合わされるこっちの身にもなってほしい。


「優丞くんと心ちゃんが星盟学園に入ったら、おばあちゃんも鼻が高いわよ。鼻が高いって、自慢に思っているっていう意味」


 祖母はそう言って苦笑しながら譜面台を片付ける。「おばあちゃんの知恵袋」とはよく言ったものだが、祖母の口からも慣用句やことわざがポンポン出てきて、まるで生き字引のようだった。


「優丞くんと同じ学校に通うなんて嫌だわ」

「そんなこと言わないの。二学年も離れているんだから頻繁ひんぱんには会わないわよ。それに星盟学園ではきっとお友達ができるわ」

「友達なんて要らない」


 祖母は何かにつけて「お友達を作ったほうがいい」と言う。

 彼女のことは大好きだが、それだけは素直に「うん」と言えない。

 クラスメイトは、私がなにか言う度にむすっとして黙り込んでしまうし、担任は素直になりなさいと叱ってくる。思ったことを口にしているだけなのに反感を買う理由がわからない。小学校には友達と呼べる存在が無かった。


「大丈夫よ。なるようになる。星盟学園の制服、きっと心ちゃんに似合うわ」


 そうかなあ、とテーブルにふじをつく。すかさず祖母にお行儀が悪いと直された。不貞腐ふてくされて頬を膨らませてみたけれど、彼女に話せたことで少し気持ちが落ち着いてきた。


 祖母の根拠の無い「大丈夫」。


 その言葉を聞くだけで、本当に何事もなるようになるのだと思えるから不思議だ。


「さあ、手を洗ったらお稽古を始めましょうね」


 彼女はにっこり微笑んだ。



「おっ、心ちゃんだ」


 ほとんどおしゃべりだけになってしまった稽古が終わり縁側で一人読書していると、この本の持ち主が現れた。

 私は縁側をぴょんと下り、飼い主を待っていた犬のように駆け寄る。


六実むつみちゃん!」


 毎週この時間にレッスンを受ける山添六実やまぞえむつみとはもう長い付き合いだ。彼女は大学を卒業した後もまた学校へ通い、心理学というものを学んでいる。

 今日は久々に顔を合わせた。大学院生はなかなか忙しいらしい。


「噂に聞いたよ。中学受験するんだって?」

「そうなの。星盟学園に行けって言われた。受かるわけがないのに」

「星盟学園? めちゃくちゃ頭いいとこじゃない。すご~」

「決めたのは親よ。受けるだけなら誰にでもできるわ。全っ然、すごくない」


 六実は「まあ、そうなんだけどお」とけらけら笑う。

 彼女はなにを言っても笑って受け止めてくれる。学校の退屈な同級生や教師たちとは大違いだ。

 馬が合うのは、祖母や六実くらいしかいない。「馬が合う」という言葉を教えてくれたのも祖母だった。


「なんで星盟学園にしたと思う? 優丞くんも受験するからよ。そんな理由、ばかげていると思わない?」

「あの従兄のお坊ちゃんね。そうか、あの子ももう中学受験するような年なのか」


 六実と一緒に庭を見回す。昔はこの庭に優丞も訪れ、彼女によく遊んでもらっていた。

 彼が祖母の家に訪れなくなったのはいつからだろう。以前はどこにでもいるような活発な男の子だった。なぜか今は、不愛想で近寄りがたい人間になってしまった。


 手に持っていた本を思い出し、六実に手渡す。


「この心理学の本も面白かったわ。ありがとう」

「もう読み切ったの? 早すぎ」

「難しかったけど」

「簡単だったなんて言う小学生がいたら、ちょっと立場無いなあ」


 心理学のうちの行動分析学について書かれた本を借りたのだが、内容の半分も理解できなかった。よくわからなかったものの、もっと知りたいと思えた。彼女との会話のきっかけにもなる。

 また本を貸してもらう約束を交わし、やっと帰路についた。


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