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フタシカなまま、ぼくたちは  作者: ばやし せいず
第3章 佐藤蒼紀
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3-39 私の誕生日

 ここでバイトをしている愛華あいかの案内でフードコートのテラス席を横切り、さらに通路を進む。従業員以外は滅多に使わないという階段を下りると、すぐに公園へ出ることができた。


 水のせいで具合が悪くなったこころの要望通り、オレンジジュースを買って公園に戻った。

 ベンチに座る彼女は消え入るような声で礼を言い、ストローに口をつける。ちびちびとジュースを飲む横で、愛華はずっと暗い顔のままだ。


「……さっきの水は、向上水でしょう」


 まだ顔色の戻らない心が愛華に尋ねると、彼女はこくりと頷いた。


星盟せいめい学園で水を売っていたというデマを流すとおどされて、あの女の先輩に水を横流しするよう頼まれていた。……合っている?」

「……」


 心の憶測を、愛華は否定も肯定もしない。


「なにを、どこから話せばいいかな……。まず、私が星盟学園に通っていたことは本当。ソーくんには前に話たけど、いじめられてたの。だから途中で退学したんだ」

「愛華がいじめを受けるなんて」


 心は俺とまったく同じ感想を口にする。


「私ね、思ったことをそのまま喋ってたの。自分の言葉で誰かが傷つくかもしれないだなんて、想像したことが無かった。私はいじめられて当然だった」


 思ったことをそのまま。

 どこかの誰かと同じだ。


「そんなことないわ。いじめなんて、やったほうが悪いに決まってるんだから」

「……あのね、自慢に思わないでほしいんだけど、私はね、一度も塾に通わないで星盟学園に合格したの」

「そんなことできるのか?」


 星盟学園に限らず、私立の中学校を受験する場合は塾に通うものだ。そこで入学試験を突破するテクニックを身に着けていく。独学はほぼ不可能と言われている。


「本当に頭がいいんだな……」


 思わず呟くと彼女は首を横に振った。


「頭の回転が速いとか、賢いとかじゃないの。無駄に記憶力がいいだけなんだ」


 そう言うと愛華は顔を上げ、心をじっと見つめる。


「……『あだ名はつけてもらって構いませんが、見た目をどうこう言われるのは不快です。容姿以外の事柄から考えてください。よろしくお願いします』」


 彼女がすらすらと唱えた文章。それは、心の自己紹介だった。

 呆気に取られているうちに、彼女は俺を見上げてきた。


「『佐藤蒼紀(そうき)です。焼肉が好きです。ええと、昔ピアノを少しやってました。よろしくお願いします』」


 彼女はスマホも手帳も見返さず、一か月以上前の他人の発言を暗唱した。

 自己紹介した本人ですら何を言ったのかなんて忘れてしまっているのだから、答え合わせをすることはできない。

 できないが、おそらく一語一句(たが)わずに記憶しているのだろう。気付けば全身に鳥肌が立っていた。

 愛華の歌を初めて聴いたあのときのように。いや、あのとき以上に。


「私は昔からこうなの。覚えようと思ったことを、そっくりそのまま記憶できるの」


 記憶力に初めて気が付いたのは両親で、彼女が二歳になる前だったと言う。図書館で一度読んだだけの絵本も児童館で初めて耳にした童謡も、易々とそらんずることができたそうだ。


「……だから、友達のプロフィールも部屋の番号も、全部覚えているのか」

「気持ち悪いでしょ? 私、今まで勉強なんてほとんどしたことがない。幻滅されても仕方がないけど正直に言うね。周りのみんながどうして必死に勉強してるのかわからないの。……そういうことをね、星盟学園で平気で話してたんだ。今考えるといじめられて当然だね」


 愛華が笑う。


「……それを聞いても、私はあなたをいじめようだなんて思わないわよ」


 心は彼女の手を取った。


「愛華が一位になった時、悔しいと思った。でも、嫌いにはならなかった。いじめようだなんて少しも考えなかった。愛華、あなたのことを友達だと思っている。だから話してほしい。愛華と向上水はどう関係があるの?」

「……私の記憶力がいいのは向上水を飲んでいたからだって言ったら、二人は信じる?」


 心の質問には答えず、彼女は質問で返した。


「いいえ」

 心が即答する。

「水を飲んで記憶力が上がるだなんて、そんなこと有り得ない」


 同意だ。あるわけがない。

 答える代わりに首を横に振った。


「でしょ? たいていの人はそう思うよね。でも、一部の人は信じちゃうみたいなんだよね。私が占いやおまじないを信じるみたいにさ……、簡単に信じちゃうの」

「……簡単にインチキを信じてしまった一部の人に、野沢優丞(ゆうすけ)も含まれるのかしら」

「野沢優丞?」


 どうして生徒会長である彼の名が出てくるのだろう。しかし彼女は確信をもって訊き出しているように感じた。

 愛華が手を握り返す。


「ココちゃんに、訊きたいことがある。水が苦手なのは、向上水こうじょうすいと関係があるのかな?」

「……そうよ」

 彼女は静かに頷く。

「小学生のときに私の母があの水を買ってきて、毎日飲まされていた。中学受験の当日、水のせいで気持ちが悪くなって私は不合格になった。……第一志望は星盟学園。それ以来ペットボトルに入った水が飲めなくなってしまったの」


 愛華は消え入るような声で「そっか」と呟く。


「一緒に餃子を作って食べたよね? あのとき、ペットボトル入りの水が苦手だって話しているのを聞いて、もしかしたらって思ったんだ。利き水コンテストじゃなくて他の飲み物に変更してほしいってみんなに頼んだのは、ココちゃんへの罪悪感から……」

「罪悪感って……?」

「……本当にごめんなさい」

「愛華、ごめんじゃわからないよ」

「答えて。あなたと向上水の関係は? 生徒会長になにか言われたのではないの?」


 わけがわからなかった。

 向上水や野沢優丞。それらが彼女とどう結びつくのか。


「私はあなたを責めたいわけではないわ!」


 心が叫んだそのとき、三台のスマホが同時に震えた。聞いたことのない着信音が鳴っている。


「なんだ?」

「これ、緊急連絡時の音じゃないかしら」


 アプリを通し、全生徒向けのメッセージが学校から一通届いている。なにかのウェブページへのアドレスが記載されているだけで、それ以外の情報は無い。

 誤送信だろうか。こんなものは後で見ればいい。


「……ああ。もう駄目だ」


 スマホを片手に、愛華は立ち上がっていた。全てを悟り受け入れてしまったかのような、乾いた笑いを浮かべている。


「私は、変われない」


 彼女は背を向け歩き出してしまう。


「帰るのか?」


 とっさに彼女の左手首を掴んだ。

 手のひらの下にごわついた感触がある。

 ミサンガだった。


「ソーくん。初めて会ったその日に嘘なんかついてごめんね。四月二日は、私にとってただの平日」

「え?」

「私の誕生日は、本当は八月十日。でも、……忘れてくれていいよ」



――310号室のダイアルの数字は『0402』で、私の誕生日と一緒だなって思っただけ。



 俺の手を振り払い、彼女は走り去った。

 かげり始めた公園の中、一度も振り返ることはなかった。




第3章 「佐藤蒼紀(そうき)」了


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