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フタシカなまま、ぼくたちは  作者: ばやし せいず
第3章 佐藤蒼紀
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3-37 馬を水辺に連れていくことはできても水を飲ませることはできない

「所詮、自分なんかは勉強するのが精いっぱいなんだよ」

蒼紀そうきくんはどうしてそんなに勉強ばかりしようとするの?」

「……親の影響かな。専門職でさ、後を継げってうるさくて、勉強しないと殴られるんだ。ピアノも友達と遊ぶことも禁止になった。……それに、実は中学のときに不登校やってたんだ。だから、勉強で巻き返したくて」


 親の愚痴や暗い話なんて、聞かされるほうはいい気がしないだろう。しかし愛華あいかにも打ち明けられなかったことを、なぜかこころにはぺらぺらと話している。


「俺も心みたいに自分の意思とは関係無く中学受験させられたんだ。親自身が中学受験に失敗していてさ、それを引きずってたみたいで。やりたくないって言ったら、殴られて……」

「酷い親ね」


 彼女はきっぱりと「酷い親」だと言った。

 面食らってしまう。他人の親を「酷い」と評価する人間は初めてだ。

 しかし、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 喉につかえたままのコンプレックスの原因は親で、お前の情けない体たらくではないのだと、誰かに甘やかしてほしかったのかもしれない。


 その「酷い親」を己の内面から追い払えないでいる理由は一つ。

 また気にかけてほしいからだ。


 父が恐ろしい。その反面、また褒めてもらいたいと思う。

 だから何もかもを切り捨て勉強しなくてはいけない。

 学校を休むと言ったとき、父は「そうか」と言ったきりだった。本当は心配してほしかった。

 ピアノはやめたくなかった。ピアノなんて意味が無いと言われたけど、友達のために弾いて、意味のあるものにしたかった。

 友達と過ごすのは楽しかった。しかしその分勉強する時間が減り、また父の顔が思い浮かんだ。


 矛盾しているけれど、どれも本心だった。

 この気持ちを誰かに吐露したかった。全て吐き出して楽になりたかった。


 しかし隣にいる野沢心はクラスメイトで、親身に悩みを聞いてくれるカウンセラーではない。甘えるのはここまでにしようと思うのに、ついまた口を開いていた。


「酷いだろ。父親から逃げるみたいに全寮制の昇山に進学したんだ。でも、離れて暮らしているのに未だに勉強してないと落ち着かなくてさ。勉強以外のことはしてはいけない気がするんだよ。ピアノも、友達付き合いも。……こういうのって心理学的にどういう状態なんだろう。俺、どこかおかしいのかな」


 重苦しい話をしてしまった。

 申し訳なくて笑ってみせたけど、彼女は俺につられず、真面目に考え込んでいる。


「学習性無気力かなと思うけれど、私はカウンセラーでも精神科医でもないただのど素人だから、なにも言えないわ。だから、山添やまぞえさんに相談するのがいいと思う」


 とても冷静に彼女は返す。「そんなことないわ」と言わないところが彼女らしい。


「私はなんの専門家でもないけれど、友達として言わせて。あなたはおかしくないし、ここにあなたのお父さんはいない。だからもっと、自由にしていいのよ」

「わかってるよ。……わかってるんだよ。でも、人はなかなか変われないな」

「変われたじゃない。あなたは高校へ来て友達を作った。ピアノの伴奏に挑戦した」

「でも……」


 全て台無しになった。


「一度(つまづ)いたくらいでなによ。挽回できる。他にももっと色々なことに挑戦できるわ。人生はこれからなのだから」


 以前、彼女は「高校生活はこれからだ」と言っていた。「高校生活」がいつの間にか「人生」に変わっている。


「スケールが大きいな」

「だって、事実だもの」


 公園の出口が見えてくる。

 大きな噴水の前を通りかかり、彼女はそこで足を止めた。水面に夕日が乱反射して彼女の瞳にその光がちらついていた。


「……馬を水辺に連れていくことはできても水を飲ませることはできない」

「なにそれ。早口言葉?」

「違うわ。ことわざよ」


 彼女は同じ言葉をゆっくりと繰り返す。


 馬を水辺に連れていくことはできても水を飲ませることはできない。


「意味は?」

「機会や助言を与えても、与えられた本人にやる気が無ければ実行させることは難しい、というところかしら。……でも、あなたはこの高校へ来た。勧められた分散学習や事前テストを試した。伴奏を引き受け練習した。あなたは水飲み場に来て、自ら水を飲んだのよ。もっと自信を持って」


 不器用で裏表の無い野沢心。

 彼女の言葉はいつになく熱を帯びていた。


「どうして……」


 声がひどく掠れていた。


「どうして、励まそうとしてくれるんだ」

 「どうしてあなたを励まさなきゃいけないの」、なんて言われてしまうだろうか。しかし彼女の言葉に、今までの自分が救われたようだった。


 厚いカーテンで閉めきった、実家のあの部屋。

 そこへ光が差した気がした。


「あなたのことを友達だと思っているからよ」


 真っ直ぐに覗き込んでくる、透き通るような瞳。

 そこには泣き出しそうな情けない自分の顔が映っている。

 すぐにでも目を逸らしてしまいたかった。

 向き合うことが苦しかった。


「それは、私の思い違いかしら」

「友達だ」


 しっかり前を向いて、それだけ言うのがやっとだった。


「よかった」


 彼女は右手を差し出した。意図が分からずしばらくその手を見つめた後、握手を求められているのだとやっと気付く。


「これからもよろしくね。蒼紀そうきくん」


 普通の女の子のように、彼女は微笑んだ。


「……友達同士って握手するものなのかな」


 小さな手を握り返しながらつい笑ってしまう。

 彼女にばれないように、そっと目尻を拭った。


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