3-35 うるさい。
「勉強しなくてもできる人間は俺みたいなやつの気持ち、わからないんだよ」
「ほ、本当にごめんなさい」
「蒼紀くん」
心が間に入る。
「最近、あまり寝ていないのでは? 顔色が悪いし、授業中も先生に注意されていたでしょう。疲れているのよ」
うるさいな。
胃のあたりがきりっと痛む。
「やらなくちゃいけないことがたくさんあるんだよ」
「小テストの追試が終わったら、今日はよく寝ておいたほうがいいわ」
「小テストの他にも……」
来週締め切りの課題が終わっていない。
期末試験の後に提出するレポートのテーマも決まっていない。
要領も成績も悪い自分に、ゆっくり寝る暇なんて無い。
最近ではベッドに入っても、伴奏のプレッシャーと焦燥感でいつまでも眠ることができない。
「あれもこれもと欲張るのは無理よ。優先順位を決めましょう。今一番大切なことは睡眠時間の確保だと思う。あと、楽器の練習にも分散学習は効果があるかもしれないんですって。だから」
うるさい。
「必死になってやらないと何もできないんだ」
「必死になりすぎて小テストを落としたわけでしょう。一度寝た方が効率も上がるわ」
うるさい、うるさい、うるさい!
「偉そうなんだよ!」
そんな言葉が口から飛び出た。
最低最悪の八つ当たりだった。
無性に腹が立つ理由は、彼女の言ったことが図星だからだ。
指摘された通り、自己管理ができていない。睡眠時間を削った無理のあるスケジュールを実行し始めてから、常に眠くて仕方がない。せっかく教えてもらった分散学習もなかなか効果を表さない。
頭の中に霧がかかったようだった。
苛立ちの原因は自分自身のせいだとわかっている。もうこれ以上はなにも言ってはいけないと、頭の中に警告が出る。
それなのに、口から出る言いがかりを止められない。
「こういうときに正論を言われても癪に障るだけなんだよ。心みたいなやつを無神経って言うんだ。そんなだから友達ができないんだよ!」
ただでさえ静かなはずの練習室が、さらにしんと静まり返る。心は目を伏せ、愛華は涙を浮かべている。
沈黙はしばらくの間続いた。
「……以前、遠藤くんにも言われたわよね。私はクラスのみんなから嫌われているって」
「遠藤は」
我に返った。
「遠藤は《《かっ》》となって言っただけだ。本気じゃないよ」
自分の発言はすっかり棚に上げていた。怒りに任せて放った失言を後悔した。しかし、「悪かった」という一言が出てこない。
「ええ。本当に嫌われているかどうかなんて知る由も無いし、気にしていないわ。でも少なくとも好かれてはいないでしょう」
「ココちゃん、そんなことないよ」
愛華がフォローしようとするが、彼女は静かに首を振った。
「私ね、別にそれでもいいと思ったの。たとえ本当に嫌われていたって構わないって。だって、一緒にご飯を食べるくらい仲の良い友達ができたのだから」
目が合う。彼女は少し笑ってみせた。
「でも、蒼紀くんと友達になれたと思っていたのは私だけだったみたいね」
そんなことない。
友達だと思っている。
だから、下手な作り笑いはやめてほしい。
それなのに、
「悪い。代わりを見つけてくれ。俺には伴奏なんてできない」
それだけ言うのがやっとだった。譜面台の上の楽譜をまとめ、愛華に差し出す。
「……うん、そうするね」
楽譜を受け取り彼女は俯いた。
「無理に誘って、ごめんね」
「蒼紀くんがやらないなら、私が代わりに伴奏をやるわ」
突然何を言い出すのかと、愛華と二人で目を丸くした。
「ココちゃんが伴奏を?」
「下手だけど、本番までに主旋律だけでも弾けるようにする。だから、一緒にステージに立ちましょう」
「私は、その……」
愛華が横目でこちらの様子を伺う。
「俺にはもう関係無いよ」
彼女の手から楽譜をひったくり、心に押し付けた。
「せいぜい頑張ってくれよ」
幼稚な嫌味になにか言い返される前に、練習室を後にした。




