3-31 他の誰か
靴を履き替え校舎の外へ出る。
夜空全体に雲がかかっている。ずっと遠くに、ぼんやりと光る薄い円が見えた。雲が無ければ明るい月が見えただろう。
「やっぱり、野沢優丞と兄妹なんだろ」
解散する前に、心に訊いておきたかった。
「どうしてそうなるのよ」
彼女は眉を顰める。
「会長が持っている黒いケースを見ただけでヴァイオリンが入っているって見抜いていたし」
「一目見ればヴァイオリンケースだってわかるわよ。一般教養ではないの? もう行くわよ」
ばかばかしいわと言いたげな顔で、彼女は話を終わらせようとする。
「それに、会長から『心』って呼ばれていたじゃないか」
「……………………呼ばれていたかしら」
頷くと、彼女は唇を一度きゅっと結んだ。それから深々とため息をつく。
「……兄妹ではないわ。従兄よ」
「従兄?」
やはり血縁者だった。どうりで顔がそっくりなわけだ。頭の出来まで似ている。野沢家の遺伝子が羨ましい。
「でも、どうして隠すんだ? イケメンだし優秀だし、もっと自慢すればいいのに」
「色々あるのよ。これ以上詮索しないでもらえるかしら。……いい? 他言は無用よ。私と彼が親戚だってこと、誰にも言わないで。じゃあね」
B棟の方へ去っていく後ろ姿を見送る。
――優秀な従兄がいるの。
しかし、その従兄は私立の中学へ進学したと言っていたはずだ。
大概の場合は高等部へ進むだろう。練習室で話していた従兄とは野沢優丞のことではないという線もある。
ぼんやり考えていると、彼女は足を止め振り返った。
「続きも練習してくるから、今度また『月の光』を聴いてくれる?」
「楽しみにしてる」
彼女は嬉しそうに笑ってみせ、今度こそ寮の方へ姿を消した。
その笑顔を、自分以外の人間にも見せればいいのに。
入学式からかなり時間が経っているのに、彼女が俺や愛華以外の生徒と話している姿を見たことはほとんど無い。
クラスメイトたちと気まずいままなのは知っている。しかし、もう少しにこにこして、ただ黙って相手の話を聞いてさえいればきっと友達ができるのに。ちゃんと話してみれば、案外普通の女の子なのだとわかってもらえそうなのに。
友達に囲まれ、楽しく高校生活を送る彼女の姿を想像した。
自分なんて大勢の友達の中の一人。愚痴を聞いて励ます役目も、他の誰かが担うのだろう。
早くそんな日が来ればいいと思うのに、もう一人の自分が「本当に?」と訊いてくる。
理由はわからない。
消灯の時間が迫っていた。まだシャワーも浴びていない。いつまでもここにいられない。歩き出しながら、もう一度夜空を見上げる。
今夜は雲に隠れ、誰の元へも届かない月の光。
それでも、彼女の演奏を聴いたためだろうか。
柔らかく優しい輝きが自分の胸の中にぽっかりと浮かんでいた。




