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フタシカなまま、ぼくたちは  作者: ばやし せいず
第3章 佐藤蒼紀
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3-27 愛華はお気楽そう

「あ」


 ピアノの鍵盤けんばんを叩く指がもつれた。愛華あいかも歌をやめる。


「ごめん。ちょっと練習させて」


 練習室を退出しなければいけない時間が迫っていた。

 間違えた部分を慌てて弾き直す。いつもなかなか上手くいかない箇所だ。


 有志発表の本番まではまだ時間があるが、その前にオーディションを受けなければならない。合格しなければステージには上れない。それまでに通しで弾けるようにしておかなくては愛華にも迷惑がかかる。



 結局、伴奏と歌の合わせが数回しかできないうちに退室する時間となってしまった。

 二人で薄暗い校舎の廊下を歩く。他に人影は無い。愛華は機嫌よく鼻歌を歌っている。さっきまで歌っていた歌のメロディだ。


 俺の前で歌うことには慣れたのか、歌い終わった後も泣き出すことは無かった。

 彼女の歌は相変わらず素晴らしかった。練習が必要なのは伴奏だけだ。


「勿体無いよな。こんなに歌が上手いのに、今まで一度も人前で歌ったことが無いのか?」

「ううん。友達とよくカラオケに行ってたし、中学の文化祭ではお客さんの前で歌ったことだってあるんだから。昔から歌うのが大好きだったの。幼稚園の先生に『今はお歌の時間じゃないよ』ってよく怒られてた。私のお母さんが調子に乗って『子役デビューさせる!』って言い出して、お父さんと喧嘩したり……」


 彼女の幸せな子ども時代が目に浮かんだ。自分と違い、温かい家庭の中で育ったのであろう彼女が眩しい。


「じゃあ、どうして……」 


 どうして、歌えなくなってしまったのだろう。


「しんどいことがあってね。他人と会うのも辛いなっていう時期があったの。人前で歌えなくなったのはそのときから」

「しんどいこと?」


 彼女は窓の方へ顔を向けていた。日が落ちかけている。


「中学でいじめられてたんだ。ずっと無視されてた」

「……いじめ?」

「学校へも行けなくなっちゃったの。中学での出席日数が少ないから、昇山高校しょうざんの入試の成績も学年ビリになったんだと思う。ここの高校の入試って、内申を重視するでしょ?」


 自分が通っていた中学校での居心地悪さをつい思い出しそうになり、頭から振り払う。

 彼女と違って、俺はいじめられていたわけではない。勝手に逃げ出しただけだ。


 「どうしていじめられたのか」とか、「なにをされたんだ」とか訊こうとしてやめた。「辛かったな」とか「よく頑張ったな」とか、そんな励ましを思いつくけれど、どれもきっと無神経な言葉だ。彼女の過去なんて、ほとんど知らない。


「いじめの話をするの、ソーくんが初めて」

「え、そうなのか? 話し相手なんていくらでもいそうなのに。ほら、よく一緒に食堂行ってる女子とか……」


 同じクラスなのにぱっと名前が出てこないが、とにかく愛華にはちゃんと友達がいる。彼女たちならいじめや不登校の話も親身になって聞いてくれそうだ。


「うん、同じグループの子はいるよ。でもこの前、その子たちに『愛華ってお気楽そう』、『悩みなんて無さそう』って言われちゃってさ。……その子たちはなにも考えずに言ったんだと思うし、落ち込んだわけじゃないけど、『あー、中学の話はできないなーっ』て思っちゃったの」


 他人に対して「悩みが無さそう」と思ったことは無い。しかし自分だって、いつもにこにこ笑って愛嬌を振りまいている彼女がいじめを受けていたなんて想像できなかった。

 俺だって父親に殴られたり、愛華と同じように学校へ行けなくなったり、それなりに辛い経験はしてきた。

 けれどやはり、見た目だけでは誰にもわからないだろう。「佐藤蒼紀(そうき)はただの地味で大人しいやつ」。周りからはきっとそう思われている。


 不登校のことはまだ誰にも話す気になれない。愛華にもだ。彼女のことを信用していないのではない。まだ自分の中でくすぶっている火を、他人にどう説明すればいいのかわからなかった。


「……でもさ、『愛華はお気楽そう』って思われてるんだよな? それってつまり」

「つまり?」

「愛華が無理して笑ってるときがあるって、友達はやっぱり気付いてないってことじゃないか? その点は作戦成功だな」


 彼女はぱちぱちと瞬きを繰り返し、そしてぷはっと吹き出した。


「……た、確かに!」


 彼女は口元を押さえて体を震わせている。


「あはは。本当だ。作戦成功だね!」


 ひとしきり笑った後、彼女は深呼吸をした。


「はあー、その発想は無かった! ソーくん、さすが。……本当に優しいよね、ソーくんは!」

「優しいのかな」


 優しくしようとしたつもりは無かった。無神経なことを言わないように気を付けただけだ。


「もし出席日数が足りていたら、新入生代表だったかもな」

「うーん、どうだろう。まあ、順位なんてどうでもいいんだけどね。代表なんてやる柄じゃないし!」


 彼女は屈託なく笑う。

 順位にはまるで関心が無いという風に。そんなもの、気にする方がばかげているという風に。

 その笑顔に、なぜか胸がちくりと痛む。

 笑っていたはずの彼女は急に真顔になった。


「……ねえ、順位のことで、ココちゃんは私のことなにか言ってたかな?」


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