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フタシカなまま、ぼくたちは  作者: ばやし せいず
第3章 佐藤蒼紀
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3-24 たこ焼き

「野沢!」

「ツァイガルニク効果、ツァイガルニク効果……」


 そう唱えながら、彼女はイヤフォンを耳に突っ込もうとする。


「『くわばらくわばら』みたいに言うな。愛華あいかに色々吹き込んだだろ!」


 放課後、自習室の前でやっと彼女をつかまえることができた。出入りする他の生徒の迷惑にならないよう、二人で廊下の突き当りへ移動する。


「有志発表の伴奏のことね」


 彼女はため息をつきながらイヤフォンを渋々片付けた。


「いまさらピアノなんて弾けるかわからないよ。それなのに、愛華にあんなふうに頼まれたら」

「ものの頼み方を教えたのは私よ」


 彼女はなぜか急に誇らしげになる。


「ある社会心理学者によると、他人にものを頼むときのポイントは集団への帰属意識、自尊心、それから」

「よくわからないけど!」

 俺は彼女の話を遮った。

「つまり俺はまんまと心理戦に負けそうになったというわけか」


 危なかった。すんでのところでプレッシャーの大きい役を引き受けるところだった。


「ものの頼み方、ね。でもな、実際にはマニュアル通りにはいかないんだよ。……よし、断ることにする! こういうのは早く言ってやったほうがいいな」


 バッグからスマホを取り出した。「やっぱり他をあたってくれ」と本人に連絡するためだ。


「せっかく人前で歌う気になったのに、かわいそうに」


 画面をタップする指を止めた。


「『文化祭を機に人前で歌うようになれたら』って、言っていたわね……」

「……」

「私とあなたに歌をきいてもらえて本当に嬉しかったと言っていたわ」

「あ~……」


 頭を抱えた。

 思い返されるのは愛華の子犬のような目。


「でも、伴奏なんて……」


 うじうじ悩んでいると、野沢がふうとため息をついた。


「佐藤くんは頼みごとをするのは得意?」

「なんだ、急に」


 得意だろうか、不得意だろうか。思い返すと、そもそも他人になにか頼むという機会があまり無かった。


「考えたことも無いな」

「たとえば、満員電車で知らない人に『具合が悪いから席を譲ってくれ』と頼める?」

「無理だな。頼むくらいなら途中下車してホームで休むかな」

「佐藤くんと同じように、ほとんどの人が躊躇するのではないかしら。たかだか席を譲ってもらうことにだって勇気が要るのに、伴奏をしてほしいと頼んだ彼女はどんな気持ちだったのかしら? 佐藤くんが伴奏を引き受けてくれるならみんなウィンウィンになるのよ」

「ウィンウィンなんて単語使うのか。……いや、俺はウィンじゃないじゃん」

「もともとは経営学で使われていた単語だそうよ。……それに、佐藤くんにとっても有益よ」


 野沢は言い切る。


「友達の喜ぶ顔が見られるのだから」

「……」

「締め切りは明日いっぱいだから、もう少し考えてみてもいいんじゃない? 最後に決めるのはあなたよ」



 調理コーナーでは、今夜はたこ焼きパーティが開催されていた。愛華が友人からホットプレートを借りてきたのだ。具としてエビを入れたり、チーズをトッピングしたり。ホットケーキミックスも買ったからデザートも用意できる。かなり豪華な夕食だ。


 なかなかたこ焼きに焼き目がつかず、俺はもう何分もピックでころころと返し続けていた。

 たこ焼きの面倒を見ながら、愛華から渡された楽譜に目を通す。コンビニのネットプリントサービスで彼女が購入してくれたものだ。


 ざっと目を通した限りの印象だが、難易度は初級と中級の間といったところだろう。数年前に合唱祭で演奏した曲に比べればかなりやさしい。


 楽譜を貰い、初めて愛華の歌っていた曲の名前と歌詞の全文を知った。俺たちが生まれるずっと前に作られた曲だ。愛や夢についてではなく、人の悲しみをストレートに表現した歌詞になぜか癒されてしまう。不思議な曲だった。


 結局、伴奏は引き受けてしまった。

 野沢の説得が効いたわけではない。今回置かれた状況と彼女の言っていた電車の中の状況とでは、あまりに条件が違う。

 引き受けたのは、愛華の切なげな表情が忘れられないし、彼女の決心を考えると断ることは非道だと思えたからだ。野沢もなるべく練習に付き合うと言う。愛華もきっと心強いだろう。


 問題となるのは勉強面だ。文化祭前だからといって毎週の小テストは免除されないし、終わったあとには期末テストも待ち構えている。


「自信が無い」


 つい愛華の前で弱音を吐いた。

 昨日、さっそく中間テストが返された。英語は平均点にあと数点届かなかった。はたして伴奏の練習をしながら期末テストの勉強を両立できるだろうか。


「英語が一番苦手なのでしょう。それなのによくやったわよ」


 そう言う野沢は九十三点だったという。さすがだ。


「野沢はまた四組の一位になるんだろうな。次は学年一位になったりして」

「どうかしら。英語だけなら愛華のほうが上よ。満点だったそうだから」

「ま、満点!?」

「でもやっぱり、英会話教室に通っていたくらいで満点は難しいわよ。英語が得意なのね」

「得意ってほどじゃ」


 愛華は言いよどんだ。


「どうして謙遜するの? 小テストのプリントだって、もう全ての単語を覚えているから捨てたんだって言っていたじゃない」

「ココちゃん」


 彼女は野沢をさえぎる。

「あのね、英語の成績のことは、人に言いふらしてほしくないの」


 いつになくはっきりとした口調で愛華が言う。少し怒っているようにも見えた。


「ごめんなさい。もう絶対に言わないわ」


 野沢が謝ると、彼女は無言で首を横に振る。


「さあっ、もうそろそろ食べられるんじゃないかなー」

 立ち上がってわざとらしく明るい声を出し、彼女は取り皿を配った。


 勉強には重きを置いていない。

 いつか本人がそう言っていた。

 確かに、愛華が教室や自習室で勉強する姿なんて一度も目にしたことが無い。歌の練習も欠かさず、休日を返上してアルバイトをしているくらいだ。


 では、一体いつ、どうやって英語の勉強をしているのだろう。野沢の言う通り、英会話教室の効果だけとは思えない。

 できたてのたこ焼きを冷ましながら、彼女の成績について思いを巡らせていた。


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