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フタシカなまま、ぼくたちは  作者: ばやし せいず
第3章 佐藤蒼紀
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3-22 ただのクラスメイト

「エンショーくん! どうしたの?」


 A棟にやってきたのは、エンショーくんこと遠藤だった。しかし彼は野沢(こころ)と同じく、B棟の生徒であるはずだ。


「クラスの奴らでA棟(こっち)に集まってるんだ。テスト勉強も始まるだろ。その前に羽伸ばさないとな」


 我が物顔でやって来た彼の言う通り、そろそろ中間テストに向けて勉強しなくてはならない。「来週あたりには各教科のテストの出題範囲も配られる」と中松が言っていた。


「今日は山添やまぞえさんしかいないから、簡単に出入りできるしな」


 当番が山添さん一人の日は、遠藤のようにA寮に忍び込む生徒が現れるのだという。セキュリティの甘さといい飲酒のことといい、他の職員に見つかったら問題になりそうだ。


「あれ? 野沢さんもいるじゃん」


 野沢は自動販売機を避けて、薄暗い談話室の隅に立っていた。遠藤は彼女の存在にやっと気付いたようだ。


「へえ。真面目そうなのに、はめ外すときは外すんだ」

「ええ、外すわよ」


 野沢が表情を変えず言うのが面白かったらしく、彼は無邪気に笑った。


「なんだよ、今日は利き水コンテストのことで愛華あいかと言い合ってたのに。すっかり仲直りしたんだな」

「別に、言い合っていたわけではないわ」

「え? だって」

「本当だよ。言い合ってたわけじゃないの。ココちゃんのアイディアもいいなと思って、それで私が勝手にみんなに頼んだだけで……」

「ふーん。なんだ、喧嘩でもしたのかと思った。まあ、俺も確かに水だけじゃ盛り上がりに欠けるかなーと思ってたんだよなあ。ま、その話も全部無くなったけど」


 野沢の意見に反対していたくせに。遠藤は相変わらず調子がいい。


「そうだ。飲み物買いに来たんだろ? よかったらやるよ」


 遠藤は手にしていたものを野沢に向かって放り投げた。彼女は反射的に両手でキャッチする。


 「あ」と声が出た。

 野沢が渡されたのは、ミネラルウォーターの入ったペットボトルだった。


「今、みんなで利き水やってたんだよ。リハーサルで使うつもりだった水が余っちゃったからな。冷えてないけど、女子は常温好きだろ、常温!」

「あ、でもココちゃんって……」


 愛華も「まずい」という顔になる。


 遠藤は恐らく、距離ができてしまったクラスメイトに少し気を許して水を渡したのだ。他意の無いことは恐らく彼女自身も十分に理解していただろう。

 野沢心は水が飲めない。

 その事実を遠藤は知らないのだから。

 しかし野沢が角が立たぬようにその事実を伝え、友好の証を遠慮できるとは思えない。


「野沢、そのペットボトル……」

「要らないわよ、水なんて」


 俺がペットボトルをひったくるより先に彼女はそう言い放った。予感的中だ。


「……はあ?」


 遠藤は瞬きを繰り返し、表情をゆがめて舌打ちする。


「あのさあ、野沢さん」

「遠藤、野沢は」


 彼は無視して野沢に詰め寄った。


「ミサンガのときだって愛華が頭下げたときだってそうだよ。お高くとまってんだかなんだか知らねーけど、その態度はなに? そんなんだからクラスのみんな野沢さんのこと嫌いなんだよ?」

「返すって言っているのよ。何度も言わせないで」


 話をさえぎり、ペットボトルを彼に押し付けようとする。これでは遠藤が「あおられた」と勘違いしても無理はない。


「おい、いい加減に……」


 凄みをきかせようとして、遠藤は口を閉じた。野沢の顔からは血の気が失せていた。


「……佐藤くん、お願い」


 野沢からペットボトルを渡された。

 彼女は小走りに駆けるとガラス戸を開けて談話室を出る。共用の女子トイレの中へとび込んでいくのが見えた。愛華が慌てて後を追う。


 遠藤は豆鉄砲を食ったような顔をしてただ突っ立っていた。


「どした~?」


 階段から下りてきたのは山添さんだった。殺虫剤のスプレー缶を片手に、のんきにあくびをしている。

 事情を説明すると、急にしゃきっとして学校の職員然という顔になった。


「私に任せてもらって大丈夫だから、きみたちはそろそろ自分の部屋に戻りなさい」


 彼女は事務室のカウンターにスプレー缶を置き、共用トイレの中へ消えた。開けっ放しのガラス戸の向こうから、慌てふためく愛華とそれを落ち着かせようとする山添さんの声がかすかに届く。


「……野沢は水が嫌いらしいんだ」


 遠藤に事情を説明する。

 もちろん、野沢のことが心配だった。事情を知らないとはいえ、乱暴な態度を取ろうとした遠藤にも腹が立つ。しかしそれと同時に、立ち尽くしている彼が少し不憫に思えた。

 胃の中のものをぶちまけたのだろうな、という音がトイレのほうから聞こえてくる。


「……見ただけで吐くほどか?」


 彼に水を返す。半信半疑という様子でペットボトルを見つめている。


「そうらしいんだよ」


 気持ちはわかる、という意味を込めて頷いた。


「俺だって、最初はそんな奴がいるのかと思ったよ」


 遠藤は俯く。ばつの悪そうな横顔を自動販売機の明かりが照らしていた。


 彼なりに野沢に歩み寄ってみたつもりだったのだろう。それなのにペットボトルを渡したときの彼女のあの態度だ。苛立っても無理は無い。


「佐藤は野沢と仲が良いんだろ。謝っておいてくれるか」

「別に、特別仲が良いってわけじゃ……」


 言い掛けて口を閉ざす。「野沢とはただのクラスメイト」。そう言い切れるような関係だろうか。いつの間にか距離が近付き過ぎている。遠藤のような第三者が見てもそう思うのだろうか。


「……面と向かって謝ったほうがいいよ」


 アドバイスをして誤魔化した。

 遠藤は「わかったよ」と口を尖らせると、ぬるいペットボトルを手に階段を上っていく。「謝らないだろうな」という気がした。


 頭の上で、談話室の蛍光灯がじいじいと鳴っている。


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