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フタシカなまま、ぼくたちは  作者: ばやし せいず
第3章 佐藤蒼紀
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3-16 なんのために

「佐藤くん、蛇口じゃぐちはまめに締めて。あと、私にお皿を渡す前にもっと水を切ってくれるかしら」


 洗った皿を野沢が受け取り、布巾ふきんで拭いていく。


「ごめん。皿洗いなんてほとんどしたことがないから」


 野沢に言われた通り蛇口を締め、スポンジに洗剤を足す。やはり愛華あいかに残ってもらったほうがよかったかも、なんて考えてしまう。


「おうちでは家事を手伝わなかったの?」

「そうだよ。悪いか。勉強ばかりしていたから」


 「していた」と言うより、「させられていた」に近いが。


「悪いだなんて言ってないわ。でも勉強しかしてこなかった人間は人工知能の活躍するこの世の中では小さな歯車にしかなれないし、いつかその歯車も不要になるのでは?と思うのだけれど。あくまで個人的な意見よ」

「相変わらず辛辣しんらつだなあ」


 実に彼女らしい発言で、つい笑ってしまった。


「辛辣だったかしら。かなりおだやかに他人と接するようになったと思うのだけど、私」

「そうか? ……まあ、初めて会ったときと比べれば丸くなった、かな」


 多少は人当たりが柔らかくなったかもしれない。それを「穏やか」と言うのはいささか過大評価な気もするが。


「さっきは冷や冷やしたよ。『バナナがラッキーアイテム~? 根拠こんきょの無い話は嫌いよッ』って、怒り出すのかと思った」

率直そっちょくに言えば苛立いらだったわ。占いは信じていないし、それに『高校一年生のラッキーアイテム』ってなによ。ざっくりしすぎじゃない?」


 からかってみたつもりなのだが、似ていない物真似に本人は反応を示さない。


「でも、バナナは確かにラッキーアイテムかもね。食べれば体内でセロトニンが作れる。精神が安定するわ」


 水道を止めるのも忘れ、彼女の横顔を穴が開くほど見つめてしまった。


「……本当に丸くなったんだな」

「あなたのお説教のお陰で友達ができたわ」


 皿を丁寧ていねいきながら、彼女は微笑ほほえんだ。



 高校では勉強しかしないつもりだったのに。

 ベッドの上に寝ころんで自室の天井を見上げる。じかに見る蛍光灯が眩しくて目を閉じた。

 今日のような日を過ごすなんて、入学前は想像すらしていなかった。




 いつの間にか、目の前には実家の学習机が置かれている。小学一年生の時から使っている、傷だらけの机だ。


 蝉の鳴き声が聞こえる。

 厚い遮光しゃこうカーテンを開ければ、きっと青い空と入道雲が見られるだろう。家の前には駅まで続く広い歩道が伸びている。夏休みを謳歌おうかする同じ年ごろの少年たちが歩いているかもしれない。


 宿題なんかしていられるか。

 家をとび出す。

 いつもの公園へ行けば、親しい友人たちが待っているはず。今日は彼らとどこへ行こう。

 せっかくの夏休みだ。どこへだって行ける。


 しかし、待ち合わせ場所にいたのは俺の父親だった。

 黙って家を抜けたのがばれて連れ戻された。中学受験が終わるまでもうどこにも出かけてはいけないと言う。


 再び勉強机の前。シャープペンシルの芯で、紙をけずるように問題を解いた。


 なんのために勉強するのだろう。

 ふと自問しそうになると頬を叩いた。考えている暇は無い。

 なんのために。

 良い大学へ進学したいからじゃないのか。

 なんのために……。


 なんのために勉強するのかなんて考えていたら、この手は簡単に止まってしまう。  部屋にこもって、勉強さえしていればいい。

 父に殴られずに済む。


「ずっとそこにいて、どうするつもりなの」


 扉の外から声が聞こえた。よく知っている声だ。


「自分を変えようと思わないの」



 ベッドから起き上がった。カーテンの隙間からは朝日が漏れている。

 いつの間にか眠ってしまったようだ。昨晩は楽しかったのに、夢に現れた父に水を差されたようで不快だった。


「……人って、そんなに簡単に変われるかな」


 昨日は復習があまり進まなかった。遅れを取り戻さなければ。

 机に向かう前に冷蔵庫から飲み水を取り出し一気に飲んだ。

 朝食にしようと思っていたバナナ入りのカップケーキの存在は、冷蔵庫の中に忘れたままだった。


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