3-13 人前で歌う
「……まさか、愛華が歌っていたのか?」
答えは聞くまでもなかった。
しかし目の前にいる今どきの女子高生と、深く物悲しい響きの声の持ち主が同一人物だとはにわかに信じ難い。
「わっ、わわわ、私じゃないです」
消え入りそうな声だ。
「木戸さんは、本当に隠すのが下手ね」
「違うってばあ!」
愛華はもげそうな勢いで首をぶんぶん横に振った。
「なんで隠すんだ? いい歌だと思って毎日聴いてるのに」
「ま、まままままままま、毎日……?」
「え? 毎日歌ってたよな?」
「うわああああああああああああああああああああっ!!」
彼女は叫び、調理台の前でしゃがみこんでしまった。
「恥ずかしいーっ! あー、うー。……で、でも、二人には言っちゃおうかな。…………部屋で歌ってたのは、私です。ごめんね。毎日うるさかったよね」
観念したとように、上目遣いでこちらを見る。
「誰にも言わないでほしいんだけど、……私、実は歌手になりたいと思ってるんだ。バイトを始めたのも、ボイトレに通ったり上京資金を貯めたりしたいからなの。でも、周りに聞こえてるんじゃもう部屋では歌えないなあ……」
「私、木戸さんの歌をちゃんと聴いてみたいわ」
野沢が言うと、愛華はまたさらに顔を赤くさせる。
「た、大したことないよ?」
「そんなことないだろ。びっくりするくらい上手かったよ!」
「ソーくん、ハードル上げないでよ。それに人前で歌を歌うのは、ちょっと……」
「歌手になりたいのに人前では歌えないのかしら?」
愛華は「うっ」と言葉に詰まる。指摘された矛盾に、本人も気が付いているらしい。
「……じゃあ、少しだけ。なにか好きな歌はある?」
「どんぐりころころ」
間髪入れずに野沢がリクエストする。思わずズッコケそうになった。
「いやいやいや! なんでよりによって童謡なんだ!」
「名曲なのに、どうしていけないの?」
「お、俺はよく部屋で歌っているやつがいいかな!」
「じゃ、じゃあその曲を。かなり昔の曲だけど、いい歌だよね!」
自分の意見が通らず不満げな野沢を半ば無理やり席に着かせた。
愛華がテーブルの前に立つ。ミサンガの結ばれた左手首をそわそわとさすりながら目を閉じ、息を吸い込んだ。
歌唱には適さない環境で、彼女の声が響く。
「……」
初めの一音を聞いただけで、全身の肌が粟立った。
今、目の前で歌っているのは本当にクラスメイトの木戸愛華なのだろうか。
そう疑ってしまうほどに上手い。
「少しだけ」と言っていた通り、彼女はサビの部分を歌い上げただけだったけれど、他人を魅了するにはそれで十分だった。
「……木戸さんの歌、とても良かった! 胸が打たれたわ……」
野沢がぱちぱちと拍手を贈る。
「また聴かせてくれるかしら?」
「本物の歌手みたいだったよ」
鳥肌の立った二の腕を押さえながら俺も称賛した。
「……………………嬉しい」
愛華の声が急に掠れる。
「きいてくれて、ありがとう……」
堂々と歌った彼女の両目は潤み、涙がぽとぽとと零れ落ちた。
「ど、どうした!?」
「どうしたの?」
顔を覆う愛華を二人であわあわと取り囲む。
「人前で歌うの、久しぶりすぎて緊張した……」
「なにも泣かなくていいのに。本当に素敵な歌声だったわよ」
愛華を落ち着かせていると、突然爆竹のような音が鳴った。
「!?」
三人で一斉に振り返る。フライパンと蓋の隙間から、もくもくと煙が出ていた。
「わ、忘れてた!」
慌てて蓋を外す。野沢が油の瓶を渡し、愛華が餃子の周りに慎重に垂らした。
「ぎりぎり焦げてないよっ!」
フライ返しで愛華が焼き目を確認する。連係プレーにより、事なきを得た。
三人同時にほっと息をつき、お互い顔を見合わせる。
「よかったあ」と安堵する愛華の顔はまだびしょびしょに濡れていた。顔を拭くのも忘れて餃子の様子を心配したのだ。
それがおかしくて、みんなで大笑いしてしまった。




