3-11 ある事実
学校を出て大きな通りを過ぎると自然公園がある。ここを突っ切ればショッピングセンター、つまり愛華との待ち合わせ場所までの近道だ。
高い木々に囲まれた道を行く。
すれ違う散歩中の犬や老夫婦が何度も後ろ振り返っていた。彼らの視線を追うと、向こうの芝生の上になにかが落ちている。
広場に差し掛かったところで「なにか」の正体に気が付いた。広場を囲む芝生の上で、一人の女子高生が仰向けになって寝ているのだった。
「……大丈夫か?」
芝生に踏み入り、目を閉じている野沢心に話しかけた。
彼女の傍らには薄い冊子と、イヤフォンを繋いだタブレットが置いてある。
冊子の表紙の印字はかなり薄れているが「月の光」、「ドビュッシー」と読めた。
ピアノの楽譜だ。彼女はこの前も楽譜を持っていた。何度も何度も捲られたのだろう。ページが手擦れてよれている。
彼女はぼんやりと目を開け「あら、佐藤くん」と呟く。
「瞑想中だったか? 悪かったな」
「邪魔をするな」と怒られそうだが、見過ごすわけにもいかなかった。学生服姿の美少女がこんなところで寝ているのだ。不審者の餌食となってもおかしくない。
「いいえ。ちょうど集中力が切れていたところよ」
危機意識を感じさせない本人はゆっくりと状態を起こし立ち上がった。絹のような髪からパラパラと芝の葉が落ちた。
彼女は遠くを指さす。
「近所の託児所の子たちが賑やかで、瞑想はとても無理よ」
オレンジ色の帽子を被ったチビッ子たちがきゃっきゃとブランコや滑り台に興じている。今現在、この公園はなにかに集中するには不向きな環境となっていた。
「まだ年端もいかない幼児たちなんだ。許してやれ」
「あら。私があの子たちに邪魔されてイライラしているとでも思ったの? 私は子どもが好きよ」
「子どもが好き?」
なんだか意外だ。
「どういう意味で?」
「……どういう意味って、純粋にそういう意味だけど。他にどういう意味が……」
はっと何かを悟ったような表情をしたかと思うと、彼女は後ずさった。
「佐藤くん、まさか……!」
「ちょっと待ってくれ、何か勘違いしていないか」
なぜ彼女は恐怖に顔を引きつらせているのだろうか。
足元にポンとなにかが当たり、下を向いた。青いボールが跳ね返って転がっていく。
「すみませーん」
オレンジ帽子の三人組がとことこと駆け寄ってくる。ボールを拾い上げ、彼らに手渡した。
「ありがとうございます!」
「……わあ、おねえさん、とってもきれー!」
野沢を見上げる女児がもじもじしながら呟く。彼女は園児たちの目線に合わせしゃがんだ。
「みんなあ、こんにちは~! かわいいでしゅねええええ」
彼女は突然、声を張り上げた。
何か憑依したのだろうか?
今までとのテンションの差にそう思わざるを得ない。幼児たちも顔を引きつらせ身を寄せ合う。
破顔した彼女はお構いなしで続けた。
「お姉さんと手遊びする? 『むすんでひらいて』はどうかしら。ルソーが作曲したのよね」
ノリノリで「むすんでひらいて」を披露している。
子どもたちのために楽しそうに歌う美少女を見下ろしながら、ある事実を知ってしまい衝撃が走る。
野沢心は、音痴。
誰もが馴染みあるこの曲でここまで音が外せるのは、むしろ才能かもしれない。
幼児たちは歌わず、お互いに顔を見合わせている。男の子が気まずそうに歌を遮った。
「あの、おねえさん、ぼくたちもう、あかちゃんじゃないんですが」
隣にいた女の子が口を挟む。
「わたしたち、きょうようをふかめるために、モーツァルトとかメンデルスゾーンくらいしかききませんし」
「……あと、いいにくいんですけど」
もう一人の女の子がしゃがむ野沢の膝のあたりを指した。
「おねえさんのしたぎ、みえちゃってます。はしたないですよ」
「おーい! 帰りますよ~!」
保育士と思われる女性がこちらに向かって大声で呼び掛ける。三人は礼儀正しく「しつれいします!」と頭を下げ、保育士へ向かって走っていった。
取り残された野沢は何事も無かったかのように真顔に戻り、すっと立ち上がる。
「すてきな交流ができたわ」
「どこがだよ。あと、髪にまだ芝がついてるぞ」
「子どもが好き」という気持ちは本心なのだろうが、ただただ空回っているようにしか見えなかった。
「私、そろそろ行くわ。日が暮れちゃう。スーパーで食料を買って、夜まで練習室に籠るつもりなの」
彼女は芝生の上のイヤフォンや楽譜を片付け始める。
「野沢は音大でも目指してるのか?」
「いいえ。昔は親戚のピアノ教室に通っていたけど、今は一人で好きなように弾いているだけ。佐藤くんはもうピアノはやめてしまったのよね」
「ああ。……時間の無駄だったな。中地半端なところでやめたし、上達しなかったし」
「無駄なんてことはないわよ。音楽を学ぶと語学の習得能力が高くなると言われているわ」
「へえ……」
ピアノ教室に通っていた時間で苦手な英語でも習えばよかったと後悔していたのだが、あながち無意味ではなかったのかもしれない。
「あなたもスーパーへ行くのではないの? 今日は全国駅弁フェアが開催中よ」
「あ、そうだ。実はさ」
愛華に夕飯の誘いを受けたことと、その経緯を話す。
「木戸さん、バイトするのね」
彼女も意外そうな顔になった。
「野沢も来るか?」
「お誘いは有難いけれど、私は歓迎されないんじゃないかしら」
「愛華と仲良くなるいい機会だろ」
「……買い出しには付き合えるけど、施設を利用する場合、使用する生徒全員の名前を書かなくてはいけないでしょう」
それらしく理由を並べているが、誘いを断るための言い訳のように聞こえた。ふんぎりがつかないだろう。
「じゃあ山添さんに許可とってみるよ」
ダメ元で提案してみた。
「……山添さんね。それなら大丈夫だわ」
「大丈夫って?」
「あの人、融通が利きそうでしょう」
確かに他のスタッフよりかは物分かりが良さそうだと思うが、なぜ「大丈夫」だと断言できるのだろうか。




