3-10 ペットボトルとペットボトル
なかなか直らない寝癖を諦め、そのまま部屋を出る。
休日の朝の食堂には、数人の寮生の姿しか無かった。たまにはここでゆっくり過ごそうかとも思ったが、食事はもうほとんど片付けられている。乾いたパンと、あとは果物やヨーグルトが置いてあるだけだった。
「ソーくん、今日も帰らないの?」
食堂のガラス戸が開く。「ソーくん」なんて呼んでくる知り合いは一人しかいない。
振り返り、トングで挟んでいたパンを落としかけた。
「そ、その色……!」
「えへへ。どうかな?」
愛華の髪は、派手な金色から落ち着いた茶色へと変わっていた。それだけで別人のように様変わりして見える。声を掛けられなければ誰だかわからなかったかもしれない。
恥ずかしそうに耳に髪をかける彼女に誘われ、食堂を出た。出入り口の横のベンチに並んで座り、そこで朝食をとることにした。
頭上の葉桜の隙間から霞んだ青空がのぞいている。愛華の隣にはダンボールが一つ置かれていた。彼女宛で寮に届き、先ほど受け取ったばかりの荷物らしい。
「私ね、明るくなりたくて金髪にしたの」
紙カップの中でティーバッグを揺らしながら彼女は呟く。風が吹くと、染めたての茶色い毛先が白い頬にかかった。
「中学生のときは、もっとひっそりと生きてたの。金髪にしちゃえば無理にでも明るく振舞えるかなって思って、入学前に染めたんだ」
「…やっぱり、無理してたのか?」
「ソーくんもそう思ってた? 他のみんなにもばれてるのかなあ」
愛華は笑おうとしたが、指摘されたことを思い出したのか、すぐに表情を戻す。へらへらする癖が染みついてしまっているのだろう。
「ココちゃんの言う通りなんだ。周りに話を合わせようとして笑って誤魔化してるってことが結構あるんだよね……」
「みんなとは仲良くやってるんだろ? あんまり気にすることないよ」
彼女の周りは友達が絶えない。陰口だって聞いたことが無い。
「うん、そうだよね。みんな、こんな私と仲良くしてくれて嬉しい。あとはココちゃんとも仲良くなれたらなあ。ミサンガ事件のときから気まずいままなんだ……」
「髪を染め直したのは、野沢に言われたことが原因か?」
「違うって言ったら嘘になるけど」
愛華は紅茶を一口飲む。
「自分でも眉毛の色が変だなって前から思ってたの。でも眉マスカラは痒くなっちゃって。鏡で顔を見るたびに落ち着かなかったし、それにね、バイトの面接を受けたらその髪の色じゃ採用できないって言われて。だから茶髪にしたんだ」
「バイトするのか?」
「近所に大きなショッピングセンターがあるでしょ。そこに入ってるケーキ屋さんで働くの」
野沢と一緒に昼食を買いに行った場所だ。今日これから初出勤なのだと愛華は言う。
「この前、制服でどこかへ行こうとしてたよな? あれってバイトの面接だったのか?」
「うん。でもあの日はまた違うお店。面接五件受けたけど全部不採用で、髪を染め直すっていう条件でやっとケーキ屋さんに採用されたの!」
愛華は嬉しそうだった。ふつう、五件も落ちるものなのだろうか。
しかし、そんなことよりも。
「余裕あるんだな」
「余裕?」
「だってこの学校、小テストは毎週あるし、課題だってそこそこ出るのに」
「私は、その、勉強にはあまり重きを置いてないっていうか……」
「英語の小テストなんて満点だったじゃないか」
「英会話教室行ってたからだよ? たまたまだよ」
「今、作り笑いしたな」
「わ、恥ずかしい」
彼女は赤くなった自分の頬を、手に持っていたパンで隠す。
かわいいな。個人的には茶髪の方が好きだなあ。
勝手な感想を胸の中で述べる。「似合ってる」と褒める勇気が出せずコーヒーを飲み干し、紙コップを空にした。
「ねえ、ソーくんもおうちに帰らないんだったら、一緒に夕ご飯食べない? 寮の二階に調理コーナーがあるの。そこを使ってなにか作る予定なんだけど」
寮の二階には大浴場や倉庫がある。そのずっと奥に小さなキッチンがあるそうだ。教えてもらうまで知らなかった。
気が向いて彼女の誘いに乗ることにした。毎週末スーパーやコンビニの総菜を食べていては味気ない。
「調理コーナーの使用許可書にソーくんの名前も書いておくね」
ダンボールを運ばなくてはいけない愛華の代わりに朝食のゴミを捨ててやった。コーヒーをもう一杯を貰うために食堂に向かおうとし、また彼女を振り返る。
「そういえば、夕飯の材料はどうするんだ? 買い出しするなら一緒に行くよ」
「えっ、いいの? 助かる!」
夕方の五時過ぎに彼女のバイト先のショッピングセンターで待ち合わせすることに決まった。
彼女はホールの入り口の前でダンボールを一度下ろす。手が疲れたようだ。
箱の中で、ごろんと鈍い音が鳴ったのが聞こえた。
水の入ったペットボトルとペットボトルがぶつかり合うような音だった。




